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extra14 ある日のエマ

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「続きは明日にしましょうか」

「はい」

 事務仕事の筆や紙が生む音。
 二十畳ほどの広さ、机と棚が並べられた部屋に女性の声が響いた。
 やや間を置いて複数の声が返事を返す。
 ここは亜空。地球からこの世界へと訪れた高校生、深澄みすみまことと世界の果てで眠っていた上位竜、しんの出会いによって生まれた広大な世界。
 真がいた世界と一部によく似た環境を持つその場所では、今は様々な種族が生活している。中でも、仕事の終わりを告げた女性はハイランドオーク、亜空に移住した最初の種族だった。

「エマはまだ残るの? 手伝おうか」

「大丈夫よ、キコ。残っているのは私が個人的に急ぎたいものだけなの。皆と一緒に帰って良いわ」

「もしかして、若様との個別授業? 最近使える魔法も無茶苦茶増えてるって噂だよ? 私も肖りたいわぁ」

「そうだったら良いんだけどね。もう少ししたらきっと皆に見せられる形になると思うから、待ってて」

「外れか、勘が鈍ってきてるかな~。あ、今日はエルダードワーフの若手とアルケー様と一緒に飲み会だった!」

「ノミカイ? 何をするの、それ?」

「気軽な宴席よ。ヒューマンはそう言うんだって。若様が言ってた」

「ふぅん。あまり飲みすぎないようにね。明日も整理する仕事山積みなんだから」

「わかってるわ。調査や狩りに出てる人たちに比べたら事務仕事の私たちは楽をさせてもらってる方だものね。心配しなくても手を抜いたりしないわ。昨日なんて大きい猪が出て何人か負傷したって聞いてるし。はじめ狩られた個体を見た時は、牙や毛皮もヤワで楽な獲物なのかと思ったけど、魔法が効きにくいし筋力も強いから結構危ない狩りになるみたい。ミスティオリザードの皆と連携して上手くやってもらわないと、もしかしてその内に死人が出るかもしれないかもって――」

「キコ。わかったわ、続きはまたね。飲み会なんでしょう、楽しんできて」

 エマは用事があると言いながら井戸端会議のノリで話し始める友人に苦笑いを浮かべる。このままでは残業もままならないと友人との会話を打ち切るために彼女を送り出す。

「そう、そうだったわ! じゃあ、私で手伝えることがあったら明日にでも言ってね。お先!」

「ええ」

 賑やかな友人が去って静寂が訪れる。
 エマは亜空に誘われてから、真の近くにいて彼の意向を聞いたり反対にオークだけではなくリザードやドワーフ、アルケーといった他の種族の要望や意見を真や名を変えた蜃、巴に報告したりしていた。
 知らず知らず、彼女は多くの者から頼られ慕われるようになっていた。
 その人望は真がヒューマンのベースを訪れ、亜空に留まる時間が減っても変わらなかった。むしろ、増したほどだ。
 高いコミュニケーション能力と情報処理能力で、亜空の情報を取りまとめ書類仕事に追われる日々。過酷な荒野で生きてきた毎日、覚悟を決め生贄として村を出た時を考えると、彼女の生活は激変したと言って良かった。

「本当に、奇跡よね……」

 なにもかも上手くいかなかった日々が、真との出会い、ただそれだけの事で足りなかった歯車が見つかったかのように全てが順調に好転し始めた。
 竜の庇護を得て、考えられない程の豊かな場所に移り住み、他の種族と共存して充実した日々を過ごしている。これ以上、何を望むと言うのだろう。エマは心からそう思う。そして自分だけの想いでは無いとも考えている。
 この亜空で皆が日々を全力で生きていると、そう感じていたからだ。
 真は世界の果てから出る気だとエマに話していた。その足がかりとしてヒューマンのベースを訪れ、今はそこに滞在している。

「さて、じゃあ今日もやりますか」

 水を一杯口に運んだエマが机の引き出しから何かが書かれた紙の束を取り出す。
 深澄真から預かったものだった。
 書かれている文字列は、他でもないエマが真に教えた魔術言語だった。ハイランドオークが昔、偶然に知ることになった旧い言葉。
 いくつかの詠唱が刻まれた石版。その読みを教えられ、彼らは強力な術を得た。十種にも満たない術だったが、この荒野で生きていく為のハイランドオークの武器。
 使いこなすには相当の魔力が必要だった。いくら規格外に思えようともヒューマンに使える訳は無いと思っていた。護衛をしてくれた礼に、詠唱を教えただけのつもりだった。
 だが、真は一度だけの説明で、あっさりと術を成功させた。
 あの時の炎を彼女は忘れないだろう。エマの持つ常識に、大きな亀裂が一気に広がった瞬間だった。
 彼は自分を非才の身だと言う。共通語を使えないと嘆く。
 だがエマはそれを全く信じていない。
 彼は誰とでも会話出来る。それがどれほどの才能だと思っているのか。ヒューマンとだけ話せない。それがどの程度の障害だと言うのか。第一彼は現在、読み書きだけなら共通語も何とか扱えるようになっている。
 目の前の紙束もそうだ。
 そこにはエマの知らない、ハイランドオークしか知らない筈の言語で綴られた詠唱が大量に記されている。

「初めて渡された時は、本当に何が起こったのかと思ったわ」

 教えてもらった術の詠唱をアレンジしてみたけど、正しく発動するか確認して欲しいと言って渡されたのが最初だ。
 唱えてみると確かに、詠唱の横に彼が説明したような効果の術が発動した。
 面白い、凄いなどと思う前に腹の底が震えた。自然に笑いがこみ上げてきた。
 魔法はエマの知る限り、決まった詠唱を唱えて発動させるものだ。アレンジなどの余地は無い。それは、高度な魔術言語の常識だった。
 ごく下位の、効果もさほど期待できない言語での詠唱の場合、術の意味が解析され真の言ったようなアレンジを施す事が出来るものもある。だがエマが彼に教えたのは極めて高消費、高効率、高威力の魔術言語。等級をつけるなら間違いなく頂点の一角。詠唱をいじるなど、不可能に近いはずだった。

「ええと、今回は十三枚か。怠けてごめんなんて仰っていたけど十分すぎる。書き留めて、まとめてと。後で発動を確認して……」

 攻撃、防御、支援、回復。
 正しく発音しているのに、何故か彼には回復と風属性に関する術は全く扱えなかった。
 だが綴られた詠唱には風属性も治癒属性もある。
 これも非常識極まりない。使えもしない属性の詠唱を作るなんてエマには想像も出来ない。数字を知らないのに高度な計算が出来ると言われている気分だった。

「私たちオークは、器用貧乏なのが悩みだった。突出した能力を持たない事が決定力の無さに繋がっていると思っていた。でも、今は」

 かなり様子が変わってきていると感じるエマ。
 巴の眷属であるミスティオリザードは蒼い鱗の輝きが美しい戦闘集団だった。今は彼らと訓練をともにし、戦士達の実力もかなり向上している。
 澪の眷属であるアルケーは製薬知識に長け、オークにもその一部知識が取り入れられている。学習能力の高さは目を見張るレベルで日々意欲的に学び調べる向上心は、皆の刺激にもなっている。
 巴に連れてこられたエルダードワーフは卓越した鍛冶技術を持っていて、彼らが住まうようになって武器も防具も日用品も、工具も、とにかくありとあらゆる道具がその性能が高くなった。
 さらに、今エマがまとめている真から教えられた強力な魔法。
 ハイランドオークは器用貧乏と言うより何でも出来る種族だ。底上げされればされる程、手がつけられなくなると言って良かった。実際、他種族から彼らに向けられる評価は軒並み高い。近接戦闘、魔術戦闘、農耕、牧畜、建築、その他各種技術。全てを満遍なくこなし、語学能力もある彼らは決して器用貧乏と揶揄される事は無い一級の存在に違い無い。
 荒野の生活が長かったためか集落の規模は小さく、それほど人数がいないのは多少の問題ではある。本来多産のオークと事情が違い、個々の能力が高いためか彼らの繁殖能力はそれほど高くはない。それでも人間同等の繁殖力を持つヒューマンと比べて何割かは優れている。つまり弱点にはなりえない。亜空の人不足は、ベースを出てからも主に巴が勧誘を続けていくだろうし心配する必要も無いとエマは考えている。

「うん、これなら三日後位には皆に術を発表出来るわね。これで現場の作業効率も上がってくれるだろうし、術師の皆は新しい詠唱がこれだけ出てきたら寝る間も惜しんで習得に励むんじゃないかしら。あ、そうなると適性を調べて習得順を個別に変えた方が良いかあ……。んー、他の種族の皆さんにも試してもらって使えそうな方がいれば一緒に習得、熟練していくのが効率的よね……。なら最初は私が指示していけば良いとして、日取りと……」

 ふと外を見るエマ。完全に夜の帳が降りている。

「徹夜、かな」

 仕事が終わらない事を示唆する言葉。だが、言い放ったエマの顔は何故か楽しそうだった。

 それから二日後。
 エマから百種以上の詠唱が皆に紹介された。誰もが忙しく己の役割を全うする中だったが、エマの予想通りオークのみならず他種族からも関心を示す者が現れた。
 希望者に詠唱を紹介し、エマは適性や得意な属性毎に術師を分け、学びやすいように努めた。
 彼女自身が優れた術師である事も助けになって、真からエマを通じて紹介された術は順調に皆に浸透していく。結果としてエマへの評価も大きく上がる事になり、亜空における彼女の役割が重くなっていく一因にもなった。
 精力的な仕事ぶりに、彼女は何度もきつくないか、無理をしていないかと問われる。

「何も。毎日充実してるわ。ここにはもっと沢山の人が住む事になると思うから。今やれる事は全部今やっておきたいの。そうすれば、明日はもっと先の事を考えられるでしょう?」

 嘘偽りない笑顔でそう応じるエマ。
 彼女の予想通り、この後も亜空には多くの種族、人が移住する事になる。
 森鬼、翼人、ゴルゴン……。
 エマは、ハイランドオークはその都度新たな隣人となる彼らに亜空を紹介し、案内し、出迎える。
 奇跡の日々はまだ続いていく。
 
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