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extra11 その頃……③
しおりを挟む北欧の神の中に運命を司る三人の神がいる。
それぞれが現在と過去と未来を受け持ち、世界の運命を編んでいる。どの勢力からも不干渉であり、事実上独立していると言えた。
過去起こった事を記録したり、現在を生きる人の詳細を記したり、それに先々に起こりうる世の大事を事前に予測したり。
彼女たち三女神の存在は貴重で、あらゆる方面の神々から面会の予約が殺到している人気者だ。つまり会うのは非常に困難。相当の大事でも数ヶ月の待ちなどはざらだった。
「何やら揉め事のようですね」
ふと普段はしない音に女神の一人が外を見る。過去を司る女神エルタ。
世界樹を訪れる神々に会い、話をする変わらぬ日常に似つかわしくない雰囲気に彼女も興味を惹かれたようだ。
「随分と荒ぶる気配。お三方おられるようですお姉様」
エルタの声に応えたのは部屋の入り口から身を覗かせた二人の女性の内の一人。エルタを姉と呼ぶ彼女は現在を司る女神ベルダンディ。
「もう他のお客様は皆避難してもらったよ。あとは姉様のお友達だけ」
ベルダンディに続く声は彼女の傍らから響いた。同じくエルタを姉と呼ぶ彼女は未来を司るスクルド。ノルンと呼ばれる彼女たちが武力を行使する事は殆ど無いが、三姉妹で一番の武力を持っているのは彼女だ。
「ふむ。あまり穏やかではない力じゃな。よろしければ私も助力しようか、エルタ殿」
「いえ、有難い申し出ですが西王母殿はどうかお隠れを。私どもに戦いを挑む神などはいませんよ。何せまったくメリットがありませんもの。急ぎの御用事がある武神の方が少々やんちゃをしているだけかと思います」
「そうか。では、任せるとしよう。隠れはするが、何ぞあればお呼びあれ」
「ありがとうございます」
西王母と呼ばれた女性の姿が一瞬で消える。どこかに避難したのだろう。エルタの言った通り、ノルンに喧嘩を売る意味は全く無い。彼女たちは運命の観察者であり記録者ではあっても、誰か特定の個人の為に運命を自在に歪める能力は持たない。しかも世界樹の麓にいるノルンは膨大なまでの防御力を誇る。正しく争いをふっかける意味そのものが無い。
「お、いたな。邪魔するぜノルンの姉ちゃんたち。急ぎで順番を無視して済まねえ。苦情はウチにつけてくれていいから勘弁な」
「久々に出張った所為で、どうも若くも無いのにはしゃいでしまったな。申し訳ない」
「……そも、ここに来る必要があったのか甚だ疑問だ」
いつの間にか、エルタの傍へと移ったベルダンディとスクルド。部屋の入り口からは正面にある机の向こう側にいる彼女たちと、予定に無い訪問者三人は対峙した。
「これは……スサノオ殿に大黒殿、それにアテナ殿。また、随分と珍しい顔触れが御揃いですね」
普段動じる事の少ないエルタだが、現れた三人の組み合わせに少なからず動揺した様子で言葉を発した。
「スサノオ様、月読様のお加減は如何ですか? お見舞いは一度しか行けていませんけどその後お変わりは?」
ベルダンディは状況に全く動じることも無く、それどころかスサノオの顔を見かけると先日お見舞いに行った知己のその後を訊ねる。大らかな彼女らしいと言えばらしい。
「まさかノルンからお見舞いがあるとは予想外でな、ウチは上から下まで大騒ぎになったぜ? まあ兄貴は元気だよ。のんびり寝てる」
「まあそれは良かった。以前月を司る神の会合でお会いして大変お世話になったので。この度は大変でございましたね」
おっとりとした口調の彼女が言葉を口にする毎に場の空気が緩む。状況としては世界樹にちょっとした殴り込みがあったようなものなのだが、とてもそんな雰囲気ではない。
「いやいや。実はその時に兄貴に困った事があればいつでも来て良い、みたいな事を言ってくれたと聞いてな。こじつけで済まねえが使わせてもらう事にしたぜ?」
「ベル姉、そんな事を言ったの?」
「ええ、スクルド。本当にお世話になった方だもの」
「また貴女はそんな事を気軽に。ただでさえ、あの日は私とスクルドが普段の倍の神々に会って死にそうだったって言うのに……。でも、この来訪が襲撃じゃないって事はわかったから、まあ良しにしましょう」
「ありがとうお姉様」
ベルダンディの行動に呆れながらも長姉であるエルタは三人の来訪を受け入れる。倍と言う事は、普段のベルダンディの仕事量は姉と妹に比べて大分多い計算になるのだが、そこには触れない心算のようだ。
「そんな口約束で世界樹まで来るとは……スサノオ、貴方はもう少し計画性をだな」
「アテナ、一応これも事前準備の一環なんだって事で大目に見ろよ。連れてってやるんだから」
「そこは感謝しているが。二人に比べれば私はまだまだなのは理解しているし、事が事だからな」
「で。何を聞きに来たの? 聞く限りはそっちのスサノオが用があるみたいだけど?」
スクルドは神々のやりとりに溜息と一緒に口を挟んだ。
「おお、ちびっ子。相変わらず口の聞き方はガキだが話はわかってるみてえだな」
「……ろくでなし親父が偉そうに」
「ん?」
「何でもないわ」
「そっか。じゃ用件な。或る小僧の情報を出来る限り閲覧したい。エルタ、頼めるか?」
「或る、ですか。お名前は?」
「深澄真。実は兄貴と少し関わりのある人の子でな」
スサノオがその名を口にした瞬間、三女神の顔色が変わる。その様子は彼にも予想外だったのか、怪訝な顔をした。
「何だ? もしかして既に知っているのか? あんたらが注目するような人の子なら事前にウチらに何らかの連絡があるはずじゃねえか? 日本人なんだしよ」
「うむ、確かに。スサノオ殿に聞くまでは儂も知らなんだ。ノルン姉妹がそのように顔色を変えるとは一体?」
「いえ、その、少し珍しい育ち方をした子で、この子、スクルドが気に入ったのかチェックをしていたので」
「うん。まさかそっちから深澄真の名前を聞くなんて思わなかった」
スクルドは物凄く驚いた様子だった。嘘をついている気配は無く、本当に驚いているようだ。やや幼い瞳を大きく見開いている。
ベルダンディも少しは彼を知っているのか、他者からその名を聞いた事に驚きを隠し切れずにいる風に見える。
「だけど、世界転移の対象者だ。兄貴がスクルドのお嬢に話を通していたんだろう?」
「お嬢言うな。彼はね、世界転移の対象で消える事が確定していながらもそこに至るまでに運命を一度捻じ伏せ、尚且つ才能を無理やり掴んだ……その……」
末の妹が言い難そうに言葉を濁す。何と表現しようか悩んでいる、そんな様子だ。
「どうしたの、スクルド? このチート小僧面白い! って騒いでいたじゃない?」
「ベ、ベル姉……その身も蓋も無い言葉を何とかしようと私が悩んでいたのにぃ」
「チート小僧? ずるってことか?」
スサノオはベルダンディの言葉を耳聡く拾ってスクルドに言葉を促す。
「ん、その。ずる、とはちょっと違うかなあ」
「そうね。まず彼は当初、妹が生まれて間もなく死ぬはずだったんです。それが、どういう因果で導かれたのか癒し手に会ったんですよ。その人物の異能には彼は気付かなかったようですけれど」
「癒し手か。原初の、いや人界ではかなりレアな異能者だな。偶然にしては、出来すぎている」
「でしょ!? そう思うよね!? やあ流石は名高い女神アテナ! だから私も誰かの意図を探ったの。でもね、全くの偶然。誰の策略も無かったのよ。本当に偶然で死の運命を回避するなんてとんでもない幸運でしょ! 一生分の幸運を使ったと言っても過言じゃないわ。それを暗示するかのように、再度紡がれていく彼の運命の先には何と他世界への転移なんてアクシデントがあるし。そんな訳で個人的に結構注目してた子だったの」
「じゃが、それはずると言うか幸運だっただけじゃろ? チートなどと言うには些か……」
大黒と呼ばれた翁がスクルドの言葉に疑問を挟む。今でこそ大黒などと言う名で翁の姿を取っているが、この神も相当な武力を有する神だ。彼の言うように、チートとは本来不正な手段による不正な力の入手を指す。死の運命を幸運により回避したとは言えその言葉を向けられるのは少々乱暴だ。
「チートって言うのは、彼の才能について。言ったでしょう、無理やり才能を掴んだって」
「ああ、そう言えば」
「本来、人は誰しも必ず一つ以上の才能を持って生まれてくる。深澄真も、当然そう。彼は一つだけだけど、飛びっきりの才能をもって世に生まれてきた。死する運命だったから発揮される機会は無い筈だったんだけど」
「兄貴から聞いてる。概念レベルにも届く程の必中能力だったな。弓道で覚醒したんだっけか」
スサノオは兄から聞いた深澄真の才能を思い出していた。集中の末に繰り出す、必ず的に中てる能力。それは月読によれば、単なる物理の領域を超える能力である可能性があると彼に教えられていた。異能が世に顕現し難い過酷な原初の世界において、それはかなり優秀な能力だと言える。
「ううん、違う。でも、それが私が彼をチートって呼んだ理由。彼の才能は一つ。ただ一つだけ。だから彼の道は才能を覚醒させると言う意味では一本道。もっとも、人間は必ずしも自分の才を自覚している訳じゃないから、一本道でも歩き出す者とそうでない者がいるけどね。ただ深澄真はその才に気付いたの。でも、すぐに目を背けた。無意識だったかもしれない。認めたくなかったのかもしれない。きっとそれは自分が望む才能では無かっただろうから」
「どういう事だ? 己の才を理解しながらそれを否定したのか? その少年は」
「ええ、その通りよアテナ。幼い日の事だし、多分彼ももう覚えてはいないと思う。それから、彼は弓に出会い、そして励んだ。でも彼に弓の才能は無い。いえ、深澄真には彼自身は目を背けた才能以外には何の才能も無い。それでも弓を続けると言う事は、言わば道の無い道を進むようなもの」
「たった一つの才能を否定か。人間は本当に難儀だな」
スサノオは深澄真に同情する。彼が心底惚れ込んだ弓道は彼に振り向いてはくれなかったと言う事だから。だが、そうなるとあの必中、それこそ彼が無理に手に入れた才能になる。
「そうね。まあ、笑って見てた私には彼に同情する権利は無いけど。彼の才能は飛びっきりだった。だからそれ以外の道を進むのは、相当の苦難。例えるなら才能に沿うのはこの場合、分厚く高くそびえる壁に両端を挟まれた赤絨毯の道。彼にとって弓道にのめり込むのは……素手で分厚い壁を殴りつけるような行為に等しかった」
「随分と、無茶苦茶な例えに聞こえるが」
アテナはスクルドの言葉に顔を顰める。その道を行くしか無い程の強固な才能とは一体何か。深澄真個人に全く興味の無かったアテナも、彼の才能に少しだけ興味が出てきた。
「複数の才能を持つ者には、戻る道も別の道も本来は沢山ある。でも彼ほど偏っていると、そういう例えになるの」
「妹を庇うでもありませんが、その子の才能の偏りは本当に極端でした。もし開花したのなら確実にある方面の歴史に名を残したと断言出来るほど」
エルタの言がスクルドを補佐する。ベルダンディも同意の頷きで呼応する。
「じゃがその小僧は何らかの不正な手段で別の才能を獲得した。だからチートなんじゃな」
大黒は得心したのだろう、何度か頷く。
「大黒様、そこも少し違うの。チートって言葉は本当は適当じゃないかもしれない」
「どういうこった? 深澄真は必中の才能をどうやって手に入れたんだ」
「後で渡す彼の資料にも、これは書かれてない事よ。あの子は……ひたすら殴りつけたの。分厚い、覆いかぶさるような壁をね。ずっと、ずっと、ずっと」
「……」
「それは無駄な行為よ。本来、何も生む事は無い行為。だけど、あの子は諦めなかった。いえ諦めるなんて意識も無かった。だって殴りつけている意識すら無かったから。彼は嬉々として弓道を続けた。弱い体を引きずって、苦労しているなんて気持ちも余裕も無かったのかも。そして、彼の、既に紡がれた運命がいきなり解け、そこに新たな才能の獲得が示された。壁が、崩れたの」
「一度、解ける!? そんな事が有り得るのか!?」
「有り得ないわ。本来はね。一応前例はいくつかあるけど」
「前例とな?」
「ええ、昔ならアレキサンダー、近年ならハンス=ウルリッヒ=ルーデルなどですわ。どちらも、今回の少年に比べると生まれ持った才能の数も抱える運命も全く規模が違いますが。ただ、この例でも書き換えられたのは本来の死期などについてで、才能の追加は恐らく彼が最初かと」
エルタが付け加えた言葉にスサノオも大黒もアテナも押し黙る。ノルンが嘘を言うとは思えない。つまり、深澄真はそれなりに数奇な運命にある事になる。そう言った人物の情報は神々は共有しているものだが、彼についてそれが成されていない事に三者は疑問を覚えたのだ。
「皆様の仰りたい事はわかります。どうして彼の情報が共有されていないか、でしょう。ですがいくら死の運命を覆したとは言え、彼自身は世に影響を及ぼすような英傑達とは似ても似つかぬ凡人のまま。しかも成人を迎える事もなく他世界転移で消える事がわかっていました。ですから要注意人物のリストへの掲載はしませんでした」
ベルダンディの言葉は彼らの疑問を見通したかのように紡がれた。ノルンが世界への影響を強く与えると認識した人間の情報は世界中の神々で共有される。深澄真の存在を把握しながら注意喚起しなかったのは怠慢ではなく、ノルン姉妹の判断に拠るものであると説明するベルダンディ。事実、その裁量は彼女たちにある。
「それで、深澄真の情報が欲しい理由は何よ。もう他世界に転移してしまっている筈よ」
「ああ、その通りだ。だけどな。ちいと兄貴の事も含めてあの女神に話をしに行くからよ。その子の情報も知っておきたかったんだよ。もしかしたら、あんたらの紡いでいる運命、もう何回か解けるかもな。くくく、しかし、壊れない筈の壁を殴り続けて、遂に隣にある才能を掴み取る、か。確かに、運命の観点から言えばズルだな。迷路の壁を破るなんて反則に違いない。けどよ、面白いガキだ。一途になれる馬鹿は嫌いじゃない。くく、くくくく!」
スサノオが実に面白そうに笑う。一応場所に配慮しているのか大声は上げていない。それでも、漏れ出る笑いは止まらない。
「それでは、まさかお三方が彼女の世界に赴くのですか? それで、アテナまでもがいらしたのですか」
「全く恥ずかしい限りですが。あの者、今も何かと周囲に働きかけている様子で見苦しい事です。早々に終わらせてきます」
「ま、それは良いとして。なあ、深澄真の本来の才能って何なんだ? 俺かなり興味が湧いたんだが」
スサノオがスクルドに質問する。話題の少年が必中の才能を持つに至った経緯はわかった。だがまだもう一つの才、彼の本来持つ赤絨毯の才能について聞いていなかったからだ。
エルタが困った様に苦笑すると、紙片をスサノオに渡した。
男の手に触れた紙片は金色の粒子になって上方に散る。だがその様子にスサノオも他の二人も驚いた様子も無い。予想の範囲内のようだ。
示し合わせるかのように目を閉じたスサノオ、大黒、アテナの三人。閉じたままの目蓋が震える。眉間には皺が生まれ、同じ何かを見ているのが窺える。
「これは、また……」
「なるほど、普通の少年にはちと」
「目を背ける気持ちも、理解出来るわね」
目を開けた三人の表情は複雑で、そこには真への同情が見て取れる。
「わかった? 深澄真が本来持っていた才能」
「ああ。まったくよ、いよいよ会う時が楽しみになったよ。ノルン、悪かったな。苦情は最初も言ったが俺にな」
「いいえ、懐かしい名を聞きました。予約だったとして通して差し上げます。彼によろしくお伝えを。そうですね、期待している、とでも告げて下さいな」
「そうしよう。じゃあな、行こうぜ二人とも」
スサノオの言葉に二人の同行者が頷いて後に続く。世界樹の麓にある洞窟に建てられた神殿に再び静寂が訪れる。
「まさか原初の世界からあれだけの実力者がご出張とは。彼女も不運なことね」
「あるべき運命を捻じ曲げようとすれば、どこかに歪みが出るモノ。失策を取り戻す為に誤魔化しを続ければ、例えそれが神であっても必ずどこかで破綻すると言う事でしょうね」
「でも高位の軍神一人に最上位の破壊神二人だなんて。お仕置きで済むのかなあ。南無南無」
微妙に宗派の異なる言葉で、女神の不幸を儚むスクルドの言葉がどこか虚しく神殿に響いた。
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