月が導く異世界道中

あずみ 圭

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七章 蜃気楼都市小閑編

旅の終わり②

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 ジンが胸に秘めた思いに一つの区切りが訪れていた頃。
 最後の自由行動で決意を秘めて動いていた学生が一人いた。
 神殿に縁ある青年、ミスラである。
 普段の彼は大柄ではあるが決して厳つい印象はなく、表情が物語るように大人しく穏やかな性格をしている。
 その上親の印象もあって敬虔な女神の信徒だと思われているのだから、いわゆる大人たちの印象はすこぶる良い。
 だがその実際はといえば、大人しく流されやすくはあるが特に信心深い訳ではない。
 今こうして旅先のツィーゲでも神殿を目指しているのも、信仰心ゆえの行動ではなかった。
 ミスラは流されやすい。
 というよりも、さしたる夢も抱く事なく日々を生きていた。
 将来に向けてあれこれ悩む程自身に夢も無かった彼は、楽だから流され、楽だから学園に入り、楽だからと親に言われるがまま神殿への就職を考えていた。
 
「……」

 到着だ。
 都市の活気と規模、勢いを考えると質素な神殿がミスラの目の前にある。
 彼は変わった。
 今の彼には夢がある。
 別に大それた何かが彼の身に降りかかったのではなく。
 ただ、ユーノに出会った。
 そして彼女と付き合っている。
 何のことはない、単なるボーイミーツガールである。
 まあ相手はツィーゲ有数の大商人、レンブラントの息女で。
 そのユーノ自身は成金や深層の令嬢、箱入り娘といったイメージからはかけ離れる女性だが。
 いや、だからこそミスラはユーノと共に、このツィーゲで頑張りたいと素朴な願いを抱いた。
 もう彼の中で神殿との別離は済んでいる。
 今日こうして改めて目の前まで来ても心が揺らぐ事もない。
 最終確認は終わった。
 ミスラは踵を返し数歩進む、が思うところがあるのかもう一度神殿に向き直り、そしていつも通り中へと入っていく。
 進む人も戻る人もやはり少ない。
 
(ここは、神に祈って良しとするような人が少ないんだろうな)

 人が思ったより少なかった事にミスラも最初は驚いた。
 だが毎日この街、いや国を見つめながら中にいる内に納得がいった。
 ここには神にだけ縋るような人が少ないのだと。
 ふと両親の姿がミスラの頭に浮かんだ。
 女神を拠り所とし、神への信仰を己の誇りとして生きている人たち。
 あの変異体事件を生き残れたのも女神のおかげだと公言している。
 思えばミスラが決定的に神殿やその信徒に疑念を抱くようになったのはあの時からかもしれない。
 当時、ジン達と一緒にミスラも変異体と戦った。
 もし自分たちの力が足りていなかったら、果たしてどうなっていただろう。
 大局は変わらなかったとしても、生き残った人の数は確実にその分減っていたと思う。
 そんな場面は何度もあった。
 しかしそれも敬虔な女神の信徒に言わせれば、女神が彼らのところに自分たちを赴かせたのだと言う。
 違和感があった。
 神に祈るのも、信仰を心の支えにするのも良い。
 けれど、尽くされた人事までもを神の采配だと断言するのは正しいのかと。
 困難に直面したのならまずは自分たちの力を尽くすべきだ。
 やれる事は全部やって、それでも及ばなかったら女神に祈れば良い。
 だが両親はミスラの考えを一笑に付した。
 お前はまだ女神様の偉大さやお考えがわかっていないのだと。
 およそこの世の全ては女神が御造りになったもので、今起こっている戦争にしても何か女神にお考えがあっての事なのだと。
 だからほら王国と帝国に勇者が遣わされたでしょう、と。
 
(ならば何故その前に神殿の総本山だったエリュシオンは魔族に滅ぼされたんだ)

 これ以上は不毛な喧嘩になってしまうと思ったミスラは口を閉ざしたが、内心ではこんな事を考えていた。
 地方によって何種かある女神像、この地では清純な少女の姿をした像の前でミスラは膝をつき、両手を組んで祈りをささげる。
 別れの祈りだ。
 だが生まれて十数年、周囲よりはそれなりに祈ってきた筈のミスラの別れの祈りにすら女神は応える事はない。
 
(先生が言ってたな。万能なる神というのは、何も出来ない存在なんだって。でも、女神様は色々と動いていらっしゃるようだから万能神ではないし、もしかしたらとも思ったんだけど)

 つまるところ女神にとって自分一人の心変わりなど取るに足らない事だという事だろう。
 ならば、神ではないがミスラにとってさして変わりない存在である「彼女たち」の教えもある事だ、好きに生きようと彼は晴れやかな気持ちになった。

「おや、君は確か……学園都市の子だ。確かご両親が熱心な信徒でいらした」

「!」

「ミスラ君だったかな」

「し、司教様!?」

「ふふ、久しぶりに司教などと呼ばれたな。元、だ。私は既に神殿を去った身だよ」

 神殿を出たミスラに声を掛けてきたのは傷顔の女性だ。
 ミスラにとってはロッツガルド学園で馴染みのある顔でもある。
 かの都市での神殿の最高責任者である司教その人だ。
 気だるげな様子が印象的だったが、今は陽の下でヴェールも付けずに街を闊歩している。

「シーマ、様。神殿をお辞めになってツィーゲに来られていたんですか!?」

「ん、ああ。正確にはここは職場から来やすくてね。今は……湯守ゆもりという仕事をしている」

「ゆもり?」

 耳馴染みのない仕事を聞いて首を傾げるミスラ。
 学園都市も大きさの割には人口が多く、学生らに合わせてユニークな仕事がいくつも生まれている場所だったが湯守なる仕事はそこでも聞いた覚えがなかった。

「驚くべき事に司教の時より給料も良いし、チップも山ほどもらえてね。湯守とは……そうだね、顧客の健康管理とエステを一手に担当するような仕事、といったところかな」

 シーマは司教まで上り詰めたものの神殿に嫌気がさし現在はクズノハ商会に雇われて温泉管理人見習いをやっている。
 真から湯守という言葉を聞いて気に入った彼女は温泉管理人見習いよりも積極的に湯守と名乗るようになった。
 特に口止めをされた訳ではないが、シーマは温泉に来る客層を察して勝手に守秘義務を厳守しておりミスラにもその詳細までは語らず、という訳だ。
 シーマの方は、今日は化粧品の材料を見繕っているうちに古巣の近くまで来てしまいミスラを見かけたのだった。

「……神殿に未練は」

 ミスラはシーマと連れ立って神殿を離れる方向に歩きながらぽつりと質問した。
 そこにはミスラがシーマに聞いてみたい全てが含まれていた。

「無いね。とはいえ、信仰までは否定しないよ。信じる心そのものは支えになり救いになり力になる」

「そう、ですか」

 ミスラから見てシーマは神殿の一般よりもずっと信仰や教えというものを理解している気がしていた。
 だからこその質問だった。
 そして、ほぼ思っていた通りの言葉が彼女から返ってきた。

「おっと」

「?」

「私の言葉を免罪符にしてもらっては困るよ。今の私はしがない湯守なのだからね」

「ええ、わかっています」

「……そうか、なら安心だ」

「きっと……ここで命を張って日々研鑽している冒険者の僧侶や司祭たちの方が、本当の信仰というものをよく理解している。そんな気がしています」

「信仰に絶対の形や真偽などを求めるのは、神殿の亡者への入り口だぞ青年」

「……! 気を付けます」

「んー、そうだな。君らは修学旅行中だったな」

「あ、ええ。そういえば、シーマ様は俺たちの事情も良くご存知みたいですけど……」

「無論だ、最近はリサ様やグロント様も君らの話題ばかりだからな」

「へぇ、リサさんにグロン、トさん、です、か?」

 ミスラの脳裏に修学旅行中最悪にして最痛の記憶がフラッシュバックする。
 最初はグロリアとか名乗っていた釘バット淑女は割りとあっさりとグロントという本当の名を曝け出した。
 この旅行の間、巴から直接しごかれるような事はなかったミスラだが、代わりに他二名と一緒にグロントに物凄く可愛がられたのだ。
 ミスラ達三人はサンドペパードーム♡というグロントから課せられた試練あくむを生涯忘れる事は無いだろう。
 視界を砂に奪われて釘バットで十メートルも打ち上げられると空にはヤスリが待っている。
 
(ああ、あの悪夢を知らない奴には何を言っても理解してもらえる訳がない)

 ダエナとイズモがいなければどんな無茶苦茶をされたんだろうかとミスラは震えずにはいられない。
 見た目は本当に麗しい淑女なのに、巴と大差ない鬼教官だった。
 釘バットの攻撃力、吹っ飛ばされ追い詰められドームの端で肉を抉られる恐怖は忘れようとして忘れられるものではなかった。
 本当になんて素敵なサンドバッグ、と見つめられた時は本当に恐ろしかったとミスラは回顧する。

「ああ、リサ様の娘さんのユーノちゃんと付き合っているんだろう君は。それにグロントさんにトレーニングを見てもらっているんだったな」

「は、はは」

「そうだ、折角の再会だ。君を温泉に招待するよミスラ君」

「え、温泉?」

「この後の予定は決めていないんだろう?」

「あ、はい。まあ」

「……意外にあっさりと済んでしまったか?」

「!」

「君の表情を見れば、同じだとすぐにわかったさ」

 同じ。
 それは、神殿との決別。
 ようやく、なるほどなとミスラは納得した。
 どうしてシーマが声を掛けてきてくれたのか。
 自分を気にかけてくれたのか。
 何のことはない、最初から見透かされていたのだ。

「未来のレンブラント商会幹部になるかもしれん男だ、恩を売っておくのも悪くない。私は打算的な女なのだよ」

「……もし貴女がもっと前からロッツガルドで司教をなさっていたなら、俺はこんな心変わりをしなかったかもしれません。ありがとうございます」

「おや、あそこにいらっしゃるのはグロ……街中ではグロリア様か。流石に混浴は許可しないがお声がけはするか」

「……え」

「グロリア様ー! お買い物ですかー!」

 グロントの名と姿に尻込むミスラをよそに、シーマは司教であった時よりもずっと溌剌とした様子で駆けだした。

「っ」

 その背中が一瞬、自分のそれと入れ替わったかの様に幻視するミスラ。
 今日、あっさりとだが確かに彼は生まれ変わった。
 卒業後、必ず再びここに戻って来るのだと胸に決意を抱いて、ミスラはシーマの後を追うのだった。
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