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第17章 勇者と嵐の旅立ち編
第219話 聖女と魔女の刻印
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「おまえは!」
「あなたは……まさか?」
リーシアの目の前に、母カトレアを魔女と呼び告発した男が立っていた。
少女にとって、決して忘れてはならない者、自分が生きるべき理由、復讐すべき者のひとり……右頬に奇妙な痣を持つ男がそこにいた。
「リーシアちゃん、どうしたの突然⁈」
「ナターシャさん、この手枷を外してください。早く!」
ナターシャは、ラドッグに掴みかかろうとするリーシアの剣幕に驚く。普段の穏やかな少女とは思えない表情から、尋常ではない怒りを感じとっていた。
「そいつは昔、私の母様を!」
封絶の腕輪の効力でスキルも力も奪われたリーシアは、早くこれを外してくれとナターシャに願う。
「リーシアちゃん⁈」
「突然、どうしたのだ?」
「これは一体? ラドッグさん、リーシアさんと知り合いですか?」
アルムの領主アルム・ストレイムと創世教の司祭アランは、リーシアの豹変した剣幕に面を喰らい、驚きながらラドッグへ問い掛ける。
「まさかとは思いましたが、その少女……かつて魔女として告発された聖女の娘にして、長年、創世教が指名手配していた人物に似ています」
「長年、指名手配? ……まさか『魔女の堕とし子』⁈」
アラン神父は、何かを思い出すと思わず大きな声を上げてしまった。
「アラン、なんなの、その魔女の堕とし子って?」
ナターシャは驚き慄くアランを見て尋ねる。
「かつて、ある町でひとりの魔女が処刑されました。この世界に混乱を招いた魔女です。そしてその魔女の傍らに子どもがいたと……母親を殺された子は、人の世を呪い逃げたと聞いています。いつの日か人の世に災いをもたらす存在、それが魔女の堕とし子」
「そのとおりです。かつて創世教の信徒が大半を占めるガレアの町に現れた女神教の聖女カトレア……ですがその正体は、人々を堕落に落とし腐敗させる魔女でした」
「母様は、ケガで苦しむ人々を癒していただけです。それが人々を堕落? 腐敗? ふざけないでください! おまえたち創世教は、女神教の信徒を増やす母様が邪魔になったから、魔女と偽って処刑したクセに!」
リーシアは拳を握り、ラドッグと隔てる鉄格子を破壊しようと拳を打ち出す。『ガンッ!』と留置場内に重い音が響き渡る、しかし渾身の力を込めた聖女の拳に鉄格子はビクともしない。鉄格子に打ちつけた少女の拳から一筋の血が流れ、地面にポタポタと落ちていく。復讐するために研ぎ抜いた牙は、封絶の腕輪によって封じられていた。
「力が……お願いです。ナターシャさん、手枷を外してください!」
その時、取り乱し声を上げながら、怒りを吐き出していたリーシアの目に、下から光が差し込む。光の眩しさに目を閉じてしまう少女は、すぐに目を開くと光の正体をたしかめようと、顔を下に向ける。
胸元で揺れる形見の十字架、それを見たリーシアは『ハッ!』と我に帰り、湧き上がる怒りを抑える。
「まさか本当に、あの時の幼子なのですか? だとしたら……アラン司祭に申し上げます。この魔女の子は即刻処刑すべきです。かの魔女の堕とし子は、人を憎む災い。魔女は生きるだけで罪、いるだけで悪、この世界にあってはならない危険な存在なのです。創世教の教義に則って犠牲者が出ぬうちに処刑せねば」
さっきまで怒りに支配されていた少女の心は鎮まっていた。なぜ皆の前で、あんな短絡的な行動を取ってしまったのか……その時、リーシアはエンビーの忠告を思い出す。
『アイツの話をまともに聞いてはダメ』
抗えない大嘘つきの言葉に、リーシアは警戒しながら口を開く。
「母様を魔女と呼び、私も魔女として危険な存在だというならば、あなたはどうなるのですか?」
「なに?」
「オーク族を狂わし、人を根絶やしにしようとした災厄の憤怒、それと同じ存在である、あなたはどうだと聞いているんです!」
リーシアは確信する。目の前にいるラドッグという男が、災厄のひとり『傲慢』であると……。
「はて? なんの話ですかな」
「その右頬の奇妙な痣、それと似たものを憤怒と呼ばれた存在は右腕に宿していました」
リーシアは男の右頬を指差すと、ラドッグは奇妙な痣を撫でていた。
「これは生まれた時からある痣ですよ。その憤怒なる存在と、私の痣は似ているようですが無関係です。いやはや……それにしても、さすがは魔女の堕とし子というべきですね。話をすり替えるのがうまい。アラン神父、この娘とまともに話してはなりません。スグに異端審問に掛け処刑すべきです」
「ラドッグさん、待ちなさい。仮にも世界を救った聖女が魔女だったなんて……なにかの間違いなのでは? それに母親が魔女だったとしても、その娘も魔女になるとは言いきれません。まずは話を聞いてからでも」
ラドッグの早急すぎる言葉に、アランはまずは話し合いを試みるが――
「それこそが魔女の手なのです。良き隣人に見せかけて懐に入り込み、頃合いを見て裏切る。まさに悪辣! 創世教の教義にも魔女は即刻処刑すべしと記されている理由がわかります。ここにいる者は、もう魔女の術中にハマっているのです」
――右頬に奇妙な痣を持つ男は聞く耳を持たない。
「でも、人違いの可能性は否定できないわ。ガイヤは広いから同じ名前の人がいたって不思議じゃない。なにか魔女と断定できる判断材料と明確な証拠がなければ、リーシアちゃんを魔女と決めつけるわけにはいかないわよね」
ナターシャは、ラドッグの言葉に異を唱え、リーシアを助けようとしていた。
「人違いですか? なるほど、たしかにそれも否定できません。私も、かの町で子供時代の魔女の堕とし子を見ましたが、彼女が本当にあの時の子かはわかりません。しかし、そうなると困りましたな。この娘が魔女であると断言できる証拠ですか……おお、そういえば!」
ラドッグは何かを思いつき、肩に掛けたカバンから分厚い一冊の本を取り出すとペラペラとページをめくりはじめた。そしてあるページを目にした時、その手を止め、皆に見せる。
「これはなんだ?」
「なにかの模様かしら?」
菱形の模様が幾重にも重なった図形を、ナターシャと領主は不思議な顔で眺め、アランは『おやっ?』と不可思議な表情を浮かべた。
「ラドッグさん。経典に、こんなページありましたか?」
「アラン神父がご存じない? まあ無理もありません。経典は二千ページにもおよびますから、一度読んで忘れてしまうなど普通のことです」
「いえ、僕は経典の教えを人々に伝えるため、常日頃から経典をみていますけど、このページを見たことが……」
「そんなはずはありません。現に、この経典には魔女の烙印について記載されています。何かの勘違いでは?」
「勘違い……そうかもしれません。このページ、以前に見た記憶があります。たしか魔女の烙印と呼ばれ、悪魔を宿した者に現れる契約の証でしたね。うっかり忘れていました。創世教の司祭として面目もありません」
「いえいえ、その若さで司祭になられたのです。膨大なページ数を誇る経典の一部を覚えてなくても仕方ありません」
ラドッグの言葉にアランは自らを恥じていた。
「それで、これはなんなのだ?」
ブーメランパンツに白いニーソックスをはいた変態領主は、経典の図形を指差す。
「これは創世教の経典に描かれた、魔女の烙印です。これによれば、魔女の体には、必ずこの模様と同じ不浄なる印が刻まれているとされています」
「つまり、これと同じ烙印がリーシアちゃんの体になければ……」
「この娘は、魔女の堕とし子とやらでないというわけか」
「その通りです。私も魔女でないものを処罰するつもりはありません。それと、もしこの娘に魔女の烙印がないのなら、私は懺悔しなければなりません」
「懺悔?」
リーシアはラドッグの口から出た言葉に胡散臭さを感じ、嫌悪感を露わにする。
「そう。懺悔です。十年前、魔女カトレアを処刑した際、私はその子供に魔女の烙印があるのか確かめもせず、壇上に立たせ処刑しようとしました。いまにして思えば、浅はかな行いだったかもしれません」
「浅はか? 白々しいですよ。笑いながら私を壇上に立たせたクセに!」
ラドッグの言葉に、リーシアは牙を剥く。
「まあまあ、リーシアちゃん。ここは抑えて、まずは疑いを晴らしてから話しましょう。ね?」
ナターシャはラドッグに背を向け二人の間に入ると、他の者には見えないよう軽くリーシアにウィンクをする。
オークヒーローとの戦いの最中、憤怒の紋章が乗り移っていないか、ヒロとリーシアの二人は身体の隅々まで調べてもらっていた。すでにリーシアの身体に魔女の烙印がないのは確認済みゆえのウィンクであった。
「わかりました。……ここで裸になればいいんですか? できれば女性に確かめていただきたいのですが?」
「それにはおよびません。経典によれば、魔女の烙印は例外なく首の後ろ、うなじに現れるそうです」
「うなじですか?」
リーシアは首の後ろに手を回し、自らのうなじを触る。とくに変わった感触はなく、いつも通りのツルツルとした張りのある弾力を指先に感じる。
「リーシアさん、見せていただいても?」
「はい。どうぞ」
アラン神父の言葉にリーシアは後ろを向き、首に掛かる髪を掻き上げ、うなじを見せた。手狭な留置場ゆえ、先にナターシャとアラン、そして変態領主が並んでリーシアのうなじを確かめる。
「なにもありませんね」
「なにもないわね」
「なにもないぞ」
三人の目に、シミや傷ひとつない聖女の美しい肌が写っていた。
「ほう、どれどれ、私も……」
後ろで様子を見ていたラドッグに三人は道を開け、リーシアの後ろからラドッグはうなじを凝視すると――
「やや⁈ どういうことですか? 三人とも、何もないなんて? あるではないですか、経典に描かれた魔女の烙印と同じものが⁈」
「⁈」
――その言葉に、リーシアは目を見開き『まさか!』と驚く。
リーシアは、憤怒の紋章に乗り移られたか確かめるため、恥ずかしい思いで、体の隅々まで調べてもらった。図柄のような不思議な紋様がうなじにあれば、あの時、気付いたはず。
「ちょっと待って、私が見た時、そんな紋様は絶対になかったわ」
「僕もです」
「ワシもだ。アルム・ストレイムの名に誓ってもよいぞ」
当然、実際にリーシアの首筋を見た三人は烙印があるというラドッグの言葉を否定する。
「ですが、現にこうして経典には描かれた魔女の烙印と同じものが……何かの勘違いなのでは?」
ラドッグは、リーシアの首筋をもう一度見るように指差す。
「……な⁈烙印がある? なんで? さっきまではなかったはずよ……」
「……そんな、僕の見間違い⁈ でも、たしかに烙印がうなじに……」
「……経典とやらに描かれた魔女の烙印とまったく同じだ。そうすると、この娘は……」
三人は何かに化かされたように呆けた顔をすると、突如現れた烙印を見て険しい顔になる。
「ええ、これが何よりの証拠です。やはり、このリーシアなる者は聖女などではありません! 人を欺き陥れる忌むべき存在……魔女なのですよ。即刻処分せねば、我々にどのような災いがもたらされるか想像もつきません。アラン神父、すぐにでも異端審問を行うべきです」
「待ってください。仮に彼女が魔女だったとしても、人に災いをもたらす存在だと決まったわけではありません。現にオークヒーローと憤怒と呼ばれた存在から、アルムの町を救ったわけですし……」
「そうね。私もいままでリーシアちゃんを見てきたけど、人に災いをもたらすような子じゃないわ。むしろ、自分より他人の幸せを願う子よ。そんな子が魔女だなんて……」
「ナターシャさん……アランさん……」
「チッ!」
アランとナターシャの言葉に、リーシアの心は温かいものを感じた。しかしそれを聞いたラドッグは小さな舌打ちをした。
「皆さんは何か勘違いをされています。他者の感情を巧みに操り、自らを擁護させるようにする。これが魔女の手口なのです。経典にもあります。魔女と言葉を交わせば、それだけで人の魂は腐敗し堕落すると……だからこそ、魔女は異端審問にて即刻処刑されるのです」
「……魔女と言葉を……そういえば経典にもその教えがありました……そうです。魔女はすぐにでも処刑しなくては! 聖女リーシア、いや、魔女リーシア、あなたはこの世に存在してはならない!」
「アランさん⁈」
さっきまで優しげな表情を浮かべていたアランの目は紫の色に濁り、リーシアに憎しみの感情をぶつける。
「アルムの領主として、魔女を放っておくことはできん! アラン神父、魔女リーシアを速やかに処刑するぞ。必要なことはなんだ? 領主権限で便宜を計る。魔女は一秒でも存在を許してはならん!」
町を守る領主として、最善を尽くそうとするナターシャの父……その瞳は神父と同じく紫色に濁っていた。
「二人とも、その目……まさかマインドコントロール⁈」
リーシアは、アラン神父と変態領主の濁った瞳から、ヒロがエクソダス計画で用いたマインドコントロールを思い出していた。
他者の心に入り込み、自らが選択したように見せかけて、意のままに操る……二人の目はマインドコントロールされたオークの目に似ていた。
「二人とも操られている⁈ お願いです。目を覚ましてください!」
マインドコントロールの解き方はヒロから聞いている。質問に対する答えに矛盾点を突きつけ、長い時間を掛けて根気よく解くか……心に空いた一瞬の隙に、マインドコントロール以上の強烈な印象を刷り込み上書きするかのどちらかしかなかった。
じかし力を封じられ、囚われの身であるリーシアにそれはできなかった。
「おやおや、操ろうとしていたのは、あなただというのに、まるで被害者みたいな言い方ですね。他者を欺き、自分は悪くないと自らの悪を正当化する悪虐……やはりあなたは母親と同じ魔女ですよ」
「傲慢!」
リーシアは鉄格子を掴み、ラドッグを睨む。手に込めた怒りが鉄格子を『ガシャガシャ』と鳴らしていると――
「みんな、やめなさい!」
――すると、地下の留置場に、できる女(?)の声が響き、皆が動きを止める。
「ナターシャさん!」
リーシアに背を向け、ラドッグと対峙するナターシャ……それは少女を守るかのように壁となって立ち塞がる。
「おや? あなたは……ふむ。アルムのギルドマスターは、その魔女をかばう気ですかな?」
ラドッグはニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべナターシャに問い掛ける。
「かばう? 違うわよ。かばう気なんかないわ。魔女は危険な存在……そんなこと、冒険者ギルドでマスターをしていれば、風の便りでよく聞く話よ。魔女によって滅んだ町はひとつやふたつではないってね」
「魔女の危険性を知っているのなら、おわかりでしょう? 魔女は人の敵、排除すべき災いだと?」
「ええ……でも私は、聞いた話を鵜呑みにしないタチなの。実際に自分が見て聞いた話しか信じない。だから出会ったことのない魔女より、この町を救ってくれた、聖女を信じたいのよ」
するとナターシャは、ズボンのポケットに手を突っ込みゴソゴソと何かを取り出そうとする。
「つまりあなたは、この少女が魔女ではないと?」
「いいえ、もしかしたらリーシアちゃんは、私たちを騙す悪い魔女なのかもしれないわ。でも……同時に人に福音を授けるよい魔女なのかもしれない。リーシアちゃんに救われた人は沢山いるのだから」
「よい魔女? 何をいっているのですか? 魔女によいも悪いもありません。魔女はすべからく悪! 滅ぶべき存在なのです」
「それ、憤怒と一緒ね……相容れないなら問答無用で殺す。殺した相手と同じ種族だから、みんな等しく危険だから、すべて滅ぼす。私、そんな考え方、嫌なのよね」
「だとしたら……あなたはどうするのですか? 魔女に味方するつもりですか? もしそうだとしたら、アラン神父は悲しまれますよ」
「ナターシャさん……」
アランは笑顔でナターシャに顔を向けていた。
「アラン、ごめんなさいね。こんなことにあなたを巻き込んでしまって」
「いいんです。これがナターシャさんの選んだことなら……僕はあなたについていきます。あなたへの愛は、どんなことになっても変わりませんから」
「ありがとうアラン♡」
「ナターシャさん♡」
「ええ~い、やめんか!」
そんな二人の熱い視線を、変態領主の声が断ち切る。
「あらやだ、パパったら無粋ね~」
「無粋で結構だ! それより、本当にその娘をかばうのか?」
「パパにはどう見える?」
「ふん。領主であると同時に人の親だ。いくつになろうとも、息子のやろうとしていることくらい想像はつくわ」
変態領主は息子を見て微笑んでいた。
「おやおや、まさか皆さん、全員でその魔女をかばうと?」
「あなたの目にはそう映ったのかしらね。リーシアちゃん!」
ナターシャは、ズボンのポケットから手を引き抜くと、後ろ手にリーシアに向かって一本の鍵を放り投げる。
「ナターシャさん!」
空中に投げられた鍵を両手でキャッチしたリーシアは、急ぎ腕輪の鍵穴へと差し込む。
「リーシアちゃん急いで」
「待ってください。鍵がうまく回らなくて」
「まさか魔女をかばうとは……いやはや、冒険者ギルドのマスターも冗談がお好きなようですね」
ラドッグは、嫌らしい笑みを浮かべながらナターシャに語りかける。その声に焦りの色は見えない。むしろ余裕さえ感じる笑いだった。
なかなか回らない鍵……早く腕輪を外しナターシャの加勢に入ろうとリーシアは焦る。鍵は穴に入ったが、解錠のために回る気配がしない。
「リーシアちゃん!」
「ナターシャさん、ダメです。鍵が開かない。どうして⁈」
必死に鍵を外そうとするリーシア……その時、不意に信じられない言葉が耳に入る。
「どうして? そうね。それは……その鍵が私の部屋の鍵だからかしら?」
「え?」
何を言われたのか理解できないリーシア……ゆっくりとナターシャの方へ顔を向けた……するとそこには、紫色の濁った瞳でニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる、ギルドマスターの顔があった。
「フッフッフッフッ! おかしいったらありゃしない。必死に鍵を外そうとする魔女なんて、なかなかお目にかかれないわね。後ろ向きだったけど、笑いを堪えるのに大変だったわ。リーシアちゃんは笑いをとる才能もあるのね。あ~、楽しい♪」
〈傲慢の嘘が、聖女に襲い掛かる!〉
「あなたは……まさか?」
リーシアの目の前に、母カトレアを魔女と呼び告発した男が立っていた。
少女にとって、決して忘れてはならない者、自分が生きるべき理由、復讐すべき者のひとり……右頬に奇妙な痣を持つ男がそこにいた。
「リーシアちゃん、どうしたの突然⁈」
「ナターシャさん、この手枷を外してください。早く!」
ナターシャは、ラドッグに掴みかかろうとするリーシアの剣幕に驚く。普段の穏やかな少女とは思えない表情から、尋常ではない怒りを感じとっていた。
「そいつは昔、私の母様を!」
封絶の腕輪の効力でスキルも力も奪われたリーシアは、早くこれを外してくれとナターシャに願う。
「リーシアちゃん⁈」
「突然、どうしたのだ?」
「これは一体? ラドッグさん、リーシアさんと知り合いですか?」
アルムの領主アルム・ストレイムと創世教の司祭アランは、リーシアの豹変した剣幕に面を喰らい、驚きながらラドッグへ問い掛ける。
「まさかとは思いましたが、その少女……かつて魔女として告発された聖女の娘にして、長年、創世教が指名手配していた人物に似ています」
「長年、指名手配? ……まさか『魔女の堕とし子』⁈」
アラン神父は、何かを思い出すと思わず大きな声を上げてしまった。
「アラン、なんなの、その魔女の堕とし子って?」
ナターシャは驚き慄くアランを見て尋ねる。
「かつて、ある町でひとりの魔女が処刑されました。この世界に混乱を招いた魔女です。そしてその魔女の傍らに子どもがいたと……母親を殺された子は、人の世を呪い逃げたと聞いています。いつの日か人の世に災いをもたらす存在、それが魔女の堕とし子」
「そのとおりです。かつて創世教の信徒が大半を占めるガレアの町に現れた女神教の聖女カトレア……ですがその正体は、人々を堕落に落とし腐敗させる魔女でした」
「母様は、ケガで苦しむ人々を癒していただけです。それが人々を堕落? 腐敗? ふざけないでください! おまえたち創世教は、女神教の信徒を増やす母様が邪魔になったから、魔女と偽って処刑したクセに!」
リーシアは拳を握り、ラドッグと隔てる鉄格子を破壊しようと拳を打ち出す。『ガンッ!』と留置場内に重い音が響き渡る、しかし渾身の力を込めた聖女の拳に鉄格子はビクともしない。鉄格子に打ちつけた少女の拳から一筋の血が流れ、地面にポタポタと落ちていく。復讐するために研ぎ抜いた牙は、封絶の腕輪によって封じられていた。
「力が……お願いです。ナターシャさん、手枷を外してください!」
その時、取り乱し声を上げながら、怒りを吐き出していたリーシアの目に、下から光が差し込む。光の眩しさに目を閉じてしまう少女は、すぐに目を開くと光の正体をたしかめようと、顔を下に向ける。
胸元で揺れる形見の十字架、それを見たリーシアは『ハッ!』と我に帰り、湧き上がる怒りを抑える。
「まさか本当に、あの時の幼子なのですか? だとしたら……アラン司祭に申し上げます。この魔女の子は即刻処刑すべきです。かの魔女の堕とし子は、人を憎む災い。魔女は生きるだけで罪、いるだけで悪、この世界にあってはならない危険な存在なのです。創世教の教義に則って犠牲者が出ぬうちに処刑せねば」
さっきまで怒りに支配されていた少女の心は鎮まっていた。なぜ皆の前で、あんな短絡的な行動を取ってしまったのか……その時、リーシアはエンビーの忠告を思い出す。
『アイツの話をまともに聞いてはダメ』
抗えない大嘘つきの言葉に、リーシアは警戒しながら口を開く。
「母様を魔女と呼び、私も魔女として危険な存在だというならば、あなたはどうなるのですか?」
「なに?」
「オーク族を狂わし、人を根絶やしにしようとした災厄の憤怒、それと同じ存在である、あなたはどうだと聞いているんです!」
リーシアは確信する。目の前にいるラドッグという男が、災厄のひとり『傲慢』であると……。
「はて? なんの話ですかな」
「その右頬の奇妙な痣、それと似たものを憤怒と呼ばれた存在は右腕に宿していました」
リーシアは男の右頬を指差すと、ラドッグは奇妙な痣を撫でていた。
「これは生まれた時からある痣ですよ。その憤怒なる存在と、私の痣は似ているようですが無関係です。いやはや……それにしても、さすがは魔女の堕とし子というべきですね。話をすり替えるのがうまい。アラン神父、この娘とまともに話してはなりません。スグに異端審問に掛け処刑すべきです」
「ラドッグさん、待ちなさい。仮にも世界を救った聖女が魔女だったなんて……なにかの間違いなのでは? それに母親が魔女だったとしても、その娘も魔女になるとは言いきれません。まずは話を聞いてからでも」
ラドッグの早急すぎる言葉に、アランはまずは話し合いを試みるが――
「それこそが魔女の手なのです。良き隣人に見せかけて懐に入り込み、頃合いを見て裏切る。まさに悪辣! 創世教の教義にも魔女は即刻処刑すべしと記されている理由がわかります。ここにいる者は、もう魔女の術中にハマっているのです」
――右頬に奇妙な痣を持つ男は聞く耳を持たない。
「でも、人違いの可能性は否定できないわ。ガイヤは広いから同じ名前の人がいたって不思議じゃない。なにか魔女と断定できる判断材料と明確な証拠がなければ、リーシアちゃんを魔女と決めつけるわけにはいかないわよね」
ナターシャは、ラドッグの言葉に異を唱え、リーシアを助けようとしていた。
「人違いですか? なるほど、たしかにそれも否定できません。私も、かの町で子供時代の魔女の堕とし子を見ましたが、彼女が本当にあの時の子かはわかりません。しかし、そうなると困りましたな。この娘が魔女であると断言できる証拠ですか……おお、そういえば!」
ラドッグは何かを思いつき、肩に掛けたカバンから分厚い一冊の本を取り出すとペラペラとページをめくりはじめた。そしてあるページを目にした時、その手を止め、皆に見せる。
「これはなんだ?」
「なにかの模様かしら?」
菱形の模様が幾重にも重なった図形を、ナターシャと領主は不思議な顔で眺め、アランは『おやっ?』と不可思議な表情を浮かべた。
「ラドッグさん。経典に、こんなページありましたか?」
「アラン神父がご存じない? まあ無理もありません。経典は二千ページにもおよびますから、一度読んで忘れてしまうなど普通のことです」
「いえ、僕は経典の教えを人々に伝えるため、常日頃から経典をみていますけど、このページを見たことが……」
「そんなはずはありません。現に、この経典には魔女の烙印について記載されています。何かの勘違いでは?」
「勘違い……そうかもしれません。このページ、以前に見た記憶があります。たしか魔女の烙印と呼ばれ、悪魔を宿した者に現れる契約の証でしたね。うっかり忘れていました。創世教の司祭として面目もありません」
「いえいえ、その若さで司祭になられたのです。膨大なページ数を誇る経典の一部を覚えてなくても仕方ありません」
ラドッグの言葉にアランは自らを恥じていた。
「それで、これはなんなのだ?」
ブーメランパンツに白いニーソックスをはいた変態領主は、経典の図形を指差す。
「これは創世教の経典に描かれた、魔女の烙印です。これによれば、魔女の体には、必ずこの模様と同じ不浄なる印が刻まれているとされています」
「つまり、これと同じ烙印がリーシアちゃんの体になければ……」
「この娘は、魔女の堕とし子とやらでないというわけか」
「その通りです。私も魔女でないものを処罰するつもりはありません。それと、もしこの娘に魔女の烙印がないのなら、私は懺悔しなければなりません」
「懺悔?」
リーシアはラドッグの口から出た言葉に胡散臭さを感じ、嫌悪感を露わにする。
「そう。懺悔です。十年前、魔女カトレアを処刑した際、私はその子供に魔女の烙印があるのか確かめもせず、壇上に立たせ処刑しようとしました。いまにして思えば、浅はかな行いだったかもしれません」
「浅はか? 白々しいですよ。笑いながら私を壇上に立たせたクセに!」
ラドッグの言葉に、リーシアは牙を剥く。
「まあまあ、リーシアちゃん。ここは抑えて、まずは疑いを晴らしてから話しましょう。ね?」
ナターシャはラドッグに背を向け二人の間に入ると、他の者には見えないよう軽くリーシアにウィンクをする。
オークヒーローとの戦いの最中、憤怒の紋章が乗り移っていないか、ヒロとリーシアの二人は身体の隅々まで調べてもらっていた。すでにリーシアの身体に魔女の烙印がないのは確認済みゆえのウィンクであった。
「わかりました。……ここで裸になればいいんですか? できれば女性に確かめていただきたいのですが?」
「それにはおよびません。経典によれば、魔女の烙印は例外なく首の後ろ、うなじに現れるそうです」
「うなじですか?」
リーシアは首の後ろに手を回し、自らのうなじを触る。とくに変わった感触はなく、いつも通りのツルツルとした張りのある弾力を指先に感じる。
「リーシアさん、見せていただいても?」
「はい。どうぞ」
アラン神父の言葉にリーシアは後ろを向き、首に掛かる髪を掻き上げ、うなじを見せた。手狭な留置場ゆえ、先にナターシャとアラン、そして変態領主が並んでリーシアのうなじを確かめる。
「なにもありませんね」
「なにもないわね」
「なにもないぞ」
三人の目に、シミや傷ひとつない聖女の美しい肌が写っていた。
「ほう、どれどれ、私も……」
後ろで様子を見ていたラドッグに三人は道を開け、リーシアの後ろからラドッグはうなじを凝視すると――
「やや⁈ どういうことですか? 三人とも、何もないなんて? あるではないですか、経典に描かれた魔女の烙印と同じものが⁈」
「⁈」
――その言葉に、リーシアは目を見開き『まさか!』と驚く。
リーシアは、憤怒の紋章に乗り移られたか確かめるため、恥ずかしい思いで、体の隅々まで調べてもらった。図柄のような不思議な紋様がうなじにあれば、あの時、気付いたはず。
「ちょっと待って、私が見た時、そんな紋様は絶対になかったわ」
「僕もです」
「ワシもだ。アルム・ストレイムの名に誓ってもよいぞ」
当然、実際にリーシアの首筋を見た三人は烙印があるというラドッグの言葉を否定する。
「ですが、現にこうして経典には描かれた魔女の烙印と同じものが……何かの勘違いなのでは?」
ラドッグは、リーシアの首筋をもう一度見るように指差す。
「……な⁈烙印がある? なんで? さっきまではなかったはずよ……」
「……そんな、僕の見間違い⁈ でも、たしかに烙印がうなじに……」
「……経典とやらに描かれた魔女の烙印とまったく同じだ。そうすると、この娘は……」
三人は何かに化かされたように呆けた顔をすると、突如現れた烙印を見て険しい顔になる。
「ええ、これが何よりの証拠です。やはり、このリーシアなる者は聖女などではありません! 人を欺き陥れる忌むべき存在……魔女なのですよ。即刻処分せねば、我々にどのような災いがもたらされるか想像もつきません。アラン神父、すぐにでも異端審問を行うべきです」
「待ってください。仮に彼女が魔女だったとしても、人に災いをもたらす存在だと決まったわけではありません。現にオークヒーローと憤怒と呼ばれた存在から、アルムの町を救ったわけですし……」
「そうね。私もいままでリーシアちゃんを見てきたけど、人に災いをもたらすような子じゃないわ。むしろ、自分より他人の幸せを願う子よ。そんな子が魔女だなんて……」
「ナターシャさん……アランさん……」
「チッ!」
アランとナターシャの言葉に、リーシアの心は温かいものを感じた。しかしそれを聞いたラドッグは小さな舌打ちをした。
「皆さんは何か勘違いをされています。他者の感情を巧みに操り、自らを擁護させるようにする。これが魔女の手口なのです。経典にもあります。魔女と言葉を交わせば、それだけで人の魂は腐敗し堕落すると……だからこそ、魔女は異端審問にて即刻処刑されるのです」
「……魔女と言葉を……そういえば経典にもその教えがありました……そうです。魔女はすぐにでも処刑しなくては! 聖女リーシア、いや、魔女リーシア、あなたはこの世に存在してはならない!」
「アランさん⁈」
さっきまで優しげな表情を浮かべていたアランの目は紫の色に濁り、リーシアに憎しみの感情をぶつける。
「アルムの領主として、魔女を放っておくことはできん! アラン神父、魔女リーシアを速やかに処刑するぞ。必要なことはなんだ? 領主権限で便宜を計る。魔女は一秒でも存在を許してはならん!」
町を守る領主として、最善を尽くそうとするナターシャの父……その瞳は神父と同じく紫色に濁っていた。
「二人とも、その目……まさかマインドコントロール⁈」
リーシアは、アラン神父と変態領主の濁った瞳から、ヒロがエクソダス計画で用いたマインドコントロールを思い出していた。
他者の心に入り込み、自らが選択したように見せかけて、意のままに操る……二人の目はマインドコントロールされたオークの目に似ていた。
「二人とも操られている⁈ お願いです。目を覚ましてください!」
マインドコントロールの解き方はヒロから聞いている。質問に対する答えに矛盾点を突きつけ、長い時間を掛けて根気よく解くか……心に空いた一瞬の隙に、マインドコントロール以上の強烈な印象を刷り込み上書きするかのどちらかしかなかった。
じかし力を封じられ、囚われの身であるリーシアにそれはできなかった。
「おやおや、操ろうとしていたのは、あなただというのに、まるで被害者みたいな言い方ですね。他者を欺き、自分は悪くないと自らの悪を正当化する悪虐……やはりあなたは母親と同じ魔女ですよ」
「傲慢!」
リーシアは鉄格子を掴み、ラドッグを睨む。手に込めた怒りが鉄格子を『ガシャガシャ』と鳴らしていると――
「みんな、やめなさい!」
――すると、地下の留置場に、できる女(?)の声が響き、皆が動きを止める。
「ナターシャさん!」
リーシアに背を向け、ラドッグと対峙するナターシャ……それは少女を守るかのように壁となって立ち塞がる。
「おや? あなたは……ふむ。アルムのギルドマスターは、その魔女をかばう気ですかな?」
ラドッグはニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべナターシャに問い掛ける。
「かばう? 違うわよ。かばう気なんかないわ。魔女は危険な存在……そんなこと、冒険者ギルドでマスターをしていれば、風の便りでよく聞く話よ。魔女によって滅んだ町はひとつやふたつではないってね」
「魔女の危険性を知っているのなら、おわかりでしょう? 魔女は人の敵、排除すべき災いだと?」
「ええ……でも私は、聞いた話を鵜呑みにしないタチなの。実際に自分が見て聞いた話しか信じない。だから出会ったことのない魔女より、この町を救ってくれた、聖女を信じたいのよ」
するとナターシャは、ズボンのポケットに手を突っ込みゴソゴソと何かを取り出そうとする。
「つまりあなたは、この少女が魔女ではないと?」
「いいえ、もしかしたらリーシアちゃんは、私たちを騙す悪い魔女なのかもしれないわ。でも……同時に人に福音を授けるよい魔女なのかもしれない。リーシアちゃんに救われた人は沢山いるのだから」
「よい魔女? 何をいっているのですか? 魔女によいも悪いもありません。魔女はすべからく悪! 滅ぶべき存在なのです」
「それ、憤怒と一緒ね……相容れないなら問答無用で殺す。殺した相手と同じ種族だから、みんな等しく危険だから、すべて滅ぼす。私、そんな考え方、嫌なのよね」
「だとしたら……あなたはどうするのですか? 魔女に味方するつもりですか? もしそうだとしたら、アラン神父は悲しまれますよ」
「ナターシャさん……」
アランは笑顔でナターシャに顔を向けていた。
「アラン、ごめんなさいね。こんなことにあなたを巻き込んでしまって」
「いいんです。これがナターシャさんの選んだことなら……僕はあなたについていきます。あなたへの愛は、どんなことになっても変わりませんから」
「ありがとうアラン♡」
「ナターシャさん♡」
「ええ~い、やめんか!」
そんな二人の熱い視線を、変態領主の声が断ち切る。
「あらやだ、パパったら無粋ね~」
「無粋で結構だ! それより、本当にその娘をかばうのか?」
「パパにはどう見える?」
「ふん。領主であると同時に人の親だ。いくつになろうとも、息子のやろうとしていることくらい想像はつくわ」
変態領主は息子を見て微笑んでいた。
「おやおや、まさか皆さん、全員でその魔女をかばうと?」
「あなたの目にはそう映ったのかしらね。リーシアちゃん!」
ナターシャは、ズボンのポケットから手を引き抜くと、後ろ手にリーシアに向かって一本の鍵を放り投げる。
「ナターシャさん!」
空中に投げられた鍵を両手でキャッチしたリーシアは、急ぎ腕輪の鍵穴へと差し込む。
「リーシアちゃん急いで」
「待ってください。鍵がうまく回らなくて」
「まさか魔女をかばうとは……いやはや、冒険者ギルドのマスターも冗談がお好きなようですね」
ラドッグは、嫌らしい笑みを浮かべながらナターシャに語りかける。その声に焦りの色は見えない。むしろ余裕さえ感じる笑いだった。
なかなか回らない鍵……早く腕輪を外しナターシャの加勢に入ろうとリーシアは焦る。鍵は穴に入ったが、解錠のために回る気配がしない。
「リーシアちゃん!」
「ナターシャさん、ダメです。鍵が開かない。どうして⁈」
必死に鍵を外そうとするリーシア……その時、不意に信じられない言葉が耳に入る。
「どうして? そうね。それは……その鍵が私の部屋の鍵だからかしら?」
「え?」
何を言われたのか理解できないリーシア……ゆっくりとナターシャの方へ顔を向けた……するとそこには、紫色の濁った瞳でニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる、ギルドマスターの顔があった。
「フッフッフッフッ! おかしいったらありゃしない。必死に鍵を外そうとする魔女なんて、なかなかお目にかかれないわね。後ろ向きだったけど、笑いを堪えるのに大変だったわ。リーシアちゃんは笑いをとる才能もあるのね。あ~、楽しい♪」
〈傲慢の嘘が、聖女に襲い掛かる!〉
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