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第17章 勇者と嵐の旅立ち編
第210話 光と闇の暗中飛躍
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「勇者ヒロと聖女リーシアの二人は、実はオークヒーローを殺さずに生かして逃したというデタラメな話だよ」
町の衛士ラングは根も葉もないくだらない話だと、肩をすくめながら軽い口調で語り、それを聞いたリーシアは――
「えっ……」
――驚きに目を見開き、声を漏らす。
「……」
(シーザー君やアリアさん達とのお別れを見られていた⁈ でもあの時、私たち以外に気配はなかったはずです。私やヒロが感知できないほどの距離から戦いを見ていた?)
「ん? どうかしたか?」
「い、いえ……な、なにも……一体だれがそんなことを?」
「町の周辺で魔物を討伐していた冒険者だよ。森の近くで君とヒロの戦いを目撃し、その際、オークヒーローを倒さずに森に逃していたと話していてな」
「……」
(絶対にありえません。森の手前で別れた場面ならまだしも、戦いの最中で? そんな距離にまで近づかれたら、気づかない訳ありません。だとすると……)
「え~と、多分勘違いかと……オークヒーローを倒し町に戻る際、他のオークに遭遇して追い払った記憶はありますけど」
「オークヒーローを倒した君たちが、ただのオークを追い払った?」
ヒロとリーシアの話題で持ちきりの二人が、『たかがオークに?』と不思議そうな顔をしていた。
「私とヒロもオークヒーローとの戦いでひどく消耗していましたから、一気に倒そうと殺気を放ったら、慌ててオークたちは森の中へ逃げていきました。たぶんそれを見た可能性が……」
「やはり勘違いか? 逆恨みの線もあるかもしれんな……」
「逆恨み?」
「ああ、情報を提供したものが、かつて冒険者ギルドで、君に倒された斧使いのラングというものでな」
リーシアは記憶の中から、かつて自らの手で地の海に沈めた男を思い出し、苦い顔をした。
「あの人ですか……」
「奴もいろいろと問題を起こしている厄介者で、普段は話半分で聞き流すのだが、今回はことがことだけに無視するワケにはいかなくてな。済まない、形式上な手続きだけなので、詰所で事情聴取させてもらえないか?」
「わかりました。トーマス神父様、よろしいですか?」
「うむ。構わんよ。今日はいろいろと忙しいだろうし、早めに行ってくるといい」
トーマス神父からお許しをもらい、歩き出すリーシア……だが、誰かがスカートの裾を握り締め前に進むのを拒む。リーシアは裾を掴む者が誰なのか確かめようと振り返る――
「リゲル?」
――リーシアのスカートを、弟分のリゲルがギュッと握っていた。
「リーシアお姉ちゃん……」
不安そうな顔でリーシアを見上げるリゲルに……少女は優しく微笑む。
「大丈夫ですよ。事情を説明するだけですから、今日はこのあと旅に必要な物を取り揃えに買い物へ行く必要もあります。安くアイテムが揃うと助かります。お金は節約ですから、リゲルも荷物持ちに付き合ってくださいね♪」
「う、うん。わかったよ。早く帰ってきてね? 約束だよ?」
「はい。約束です。では、トーマス神父様、少し出かけてきます」
「うむ。行ってきなさい。朝の礼拝は免除としておこう。まあ、君のことだから、退屈な礼拝がサボれて幸運とまで思っていそうだがね」
ギクリと音が聞こえそうなくらい、驚いた素振りを見せたリーシアは、何事もなかったかのように作り笑顔で答えた。
「ま、まさか……ホッホッホッ、トーマス神父様、冗談がキツイです。さあラングさん、詰所に参りましょう。リゲル、行ってきますね」
「うん、いってらっしゃい」
そう言い残しラング達に連れられて教会を後にするリーシアを、言い知れぬ不安を抱えたリゲルは、ただ黙って見送るしかないのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆
「はあ、はあ、ま、まだか? まだ町に着かないのか?」
アルムの町から、南に位置する森の中を、黙々と歩く一団の影があった。
「ドワルド隊長、もう間もなくのはずです」
「クッ、一刻も早く現状を王国に伝えねばならぬという大事なときに、よりにもよってパーティーチャットが不調で連絡を取れんとは……なんたることだ!」
周りの木々が陽光を遮り、少し薄暗い森の中を、土ぼこりで薄汚れたフルプレートアーマを着込んだ中年の男が歩いていた。
ドワルドと呼ばれた中年のおっさん……それはうだつの上がらない貴族の三男坊として、親のコネで城塞都市ラングリットに駐留する王国軍、千人隊長の座に席を置き、今回オーク討伐隊という名誉……もとい捨て石に差し出された男だった。
千人隊長という肩書きしかないドワルドは、いてもいなくても構わない者として、オーク討伐隊の指揮官に選ばれてしまったのだ。
「クソッ、あの女に殴られた胸が痛む。それに憤怒とかいう新たなる脅威の出現、なんでこんなことに……ワシの人生は踏んだり蹴ったりだ」
「ハッ! 心中お察しします」
憤怒というオークヒーローを超えた存在の出現……仲間の思いを胸に、死地から撤退した若い兵士が敬礼する。
彼らもまた、ドワルドと同じく命を拾った者であり、戦場で起こったことを証明させる生き証人として同行していた。
胸の心臓付近に、ときたま走る鋭い痛みに顔をしかめるドワルド……しかし踏み出す足はとても軽い。
死の嵐が吹き荒ぶ戦線を離脱した指揮官……普通ならば指揮官の職務放棄として、良くて投獄、悪ければ死刑の道しかなく足取りは重いはずだったのだが、彼に幸運は舞い降りた。
「この傷さえなければ、おめおめと戦線を離脱して敗走などという不名誉な汚名を着ることなどなかったというのに……忌々しい!」
謎の冒険者たちの活躍で、オークヒーロー討伐成功に喜んだのも束の間、憤怒なる新たなる強敵出現により、戦況は敗色濃厚へと追いやられてしまう。指揮官として逃げ出すことも許されず困り果てたところへ、冒険者ギルドのマスター、ナターシャの提案に飛びついた。
討伐隊の指揮権を譲り、名誉の負傷による戦いからの退場……多少段取りは変わったが、結果的には予想通りの展開にドワルドの顔はニヤけてしまう。
「……」
(クックックッ、これであの地に残った者が皆殺しされたとしても、オークヒーロー討伐の功績はワシに残る。全滅した罪はナータに被せれば、ワシに掛けられるオーク討伐失敗の責と全滅の罪は不問となるはずだ)
「どうかされましたか?」
ドワルドの周りを囲むような陣形で進む兵士のひとりが、不気味に細く笑む中年のオッさんを見て、いぶかしんでいた。
「なんでもない。とにかくアルムの町へ急ぐぞ。オークヒーローは倒されたが、それよりも危険な憤怒なる者が誕生したことを、必ず王国に伝えねばならん。おそらくアレは、全ての国を上げて挑まねば倒せまい……あの場に残り、我らが逃げる時間を作ってくれた者たちの死をムダにしないためにも、急ぎ知らせねば」
「ハッ!」
死地に残り未来を託してくれた者たちの思いに、気を引き締める新兵たち……一秒でも早く、憤怒という新たなる脅威の出現を伝えるため、一団が先を急ごうと足を早めたときだった。
『ガサガサ』と前方にある茂みが揺れ、何かが自分たちに少しずつ近づこうと茂みの中を突き進む音が聞こてきた。ドワルドと新兵たちは『魔物か⁈』と、驚きながら武器を手に素早く身構える。
「待ってください。私は旅の行商人です。怪しい者ではありません」
茂みの中から両手をあげ、マントについたフードを目深く被った者が、茂みをかき分けながら現れた。大きな荷物袋を背負った者……声の低さと170センチそこそこの背格好から、顔は見えなくても目の前に人物が男性だとわかる。
男の行商人など異世界ガイヤでは、珍しいものではない。町から町へ商品を安く買い込み高く売る。別に問題は見受けられない。この男と遭遇した場所さえマトモだったらの話である。
普通ならば、商人たちは比較的安全な街道を利用するのが当たり前で、森の外周付近で魔物が少ないとはいえ、こんな場所を出歩く行商人などいない。誰が見ても怪しく不自然すぎる男の登場に、ドワルドたちは警戒し構えた武器を下ろさない。
「行商人だと? キサマ街道から外れた、こんな森の中で何をしている⁈」
「いえ、道に迷いまして……」
「道にだと?」
「はい。街道を歩くかたわら、森に生えたキノコを採ろうとして中に入り込みすぎました。おかげさまで街道に戻れず、彷徨っていまして……もしよろしければ、アルムの町まで、ご一緒させてください」
「そ、そうか」
行商人が森に踏み入れキノコ狩りの末、道に迷ってしまう。あまり聞かないシチュエーションに普通なら警戒すべきだったが、不思議と男の声を聞くうちに警戒心が薄れ、手にする武器をなぜか納めてしまう。
「……仕方ない。民を守るのも仕事の内だ。しかし、足でまといになるようなら置いていくからな?」
明らかに怪しいフードを被る男……だがドワルドは、なぜか『ありえない話ではない』と思い込み同行を許してしまう。
「ありがとうございます。大変助かります。あっ、申し遅れました。私は旅の行商人で、ラドッグと申します。以後お見知りおきを」
フードを脱いだラドッグは、ドワルド達に感謝の礼を述べながら素顔を見せる。年は四十を超えたくらい、タヌキに似た丸顔で愛嬌のある男だった。旅の行商人と名乗っていたが、その引き締まった肉体は、服を着ていてもある種の凄みを発し、冒険者と言われたら誰もが納得してしまうだろう。
愛嬌のある顔と、バリバリの現役冒険者並みに鍛え上げられた肉体……あまりにもアンバランスな男を見て、ただの行商人というにはムリがあり怪しすぎた。
しかしそれ以上にドワルドたちの目についたのは、右頬に刻まれた奇妙な痣だった。痣というよりは家紋を入れ墨にしたような奇妙な紋様から、皆の目が離れなくなってしまう。
すると男の頬にあった紋様が禍々しい光を放ちはじめると、ドワルドたちは呆けた表情を浮かべながら、森の中で立ち尽くしてしまった。
「……」
「では、皆さん、勇者と聖女によりオークヒーローと憤怒は倒され、その活躍に湧くアルムの町へ参りましょう」
「オークヒーローと憤怒が倒された……」
「ええ、アルムの町は、いまやオーク討伐成功の報にお祭り騒ぎなのです。勇者ヒロと聖女リーシア、そしてオーク討伐隊の勇敢なる活躍に湧いています」
「オーク討伐隊……ワシらの活躍に湧いている……」
「そうです。討伐隊はまだ町に帰還していませんが、先に聖女が町へ戻り、皆にオークヒーローと憤怒なる者は自分たちが倒したと吹聴していました。アルムの町は、いまや喜びに包まれています。とりわけ勇猛果敢に活路を開き、命を散らしてまで世界を救った討伐隊は、真の英雄だと皆が口々に讃えていますよ」
「ワシらが世界を救った……英雄……」
「これで討伐隊が倒したオークヒーローの亡骸を王国に献上すれば、討伐隊を率いた指揮官の地位や名誉は、思いのままでしょうな」
「オークヒーローを献上……ワシの地位や名誉も思いのまま……」
「まあ、いくら勇者と聖女がオークヒーローや憤怒なる者にトドメを刺したとしても、討伐隊の活躍なしには勝てなかった戦いです。当然、戦利品であるオークヒーローの亡骸も皆のものでしょう。いや、この場合、討伐隊を率いた指揮官のものですかね? 伝説のオークヒーローの亡骸、一体いくらになるのやら? 羨ましい限りですよ」
「オークたちの亡骸は討伐隊を率いた指揮官のもの……そうだ。オークヒーローの亡骸はワシらの……ワシのものだ……フッフッフッフッ」
ドワルドの瞳の奥が黒く濁ると、不気味な笑みを浮かべていた。
「俺たちこそが真の英雄……そうだ、俺たちも命を懸けてオークヒーローと戦った……だからその分け前をもらう権利があるはずだ」
さっきまでなかったドス黒い感情が、心に中から際限なく湧き上がる。邪な感情に支配されていく新兵たちを見て、奇妙な痣をもつ男は不気味に笑う。
「任せておけ……ワシが死した兵士や生き残った者に、戦利品を分配してやる。だからお前たちも、ワシの言葉に合わせて証言してもらうぞ……」
「わかりました……」
まるで夢を見ているかの如く、トロンとした表情を浮かべていた新兵たちは、ひとりの例外なく瞳の奥を黒く濁らせながらうなずいていた。
「さて、この方たちは、こんなものでしょうか? フフフ、さてさて、次の仕込みに入るとしましょうか。勇者ヒロと聖女リーシア……悪意が満ち溢れたアルムの町で、彼らはどんな風に踊ってくれるのか、今から楽しみですよ。では皆さん、ごきげんよう」
そう言い残し、ラドッグは再びフードを目深く被り奇妙な痣を隠すと、無数のモザイクが全身を瞬き、全て覆い隠してしまう。再びモザイクが瞬いて消えたとき、もうそこにラドッグの姿はなかった。
するとドワルド達は、夢から急に醒めたように『ハッ!』なり、一体なにが起こったのだと互いに顔を向け確かめ合う。
「わ、ワシらは……ここで何を……」
「たしか旅の行商人が茂みから出てきて……」
新兵の言葉に、周りをキョロキョロと見回す一向……だが、深い森の中で自分たち以外の姿はどこにもなかった。
「はて? 行商人……そんな奴がいたか?」
「え? たしかに誰かいた様な気が……気のせいでしょうか?」
まるでタヌキに化かされたように、全員が目をこする。自分たち以外の誰かがこの場にいた。そして何かを話していたのが、何も思い出せない。
「まあいい、大事の前の小事だ。早くアルムの町にたどり着き、王国全土に英雄の誕生を伝えねば。オークヒーローと憤怒を討伐したこのオーク討伐隊と、真なる英雄……ドワルドの誕生をな! よし、では行くぞ!」
「ハッ!」
このまま突っ立っていても仕方ないと、ドワルドは号令を掛け、新兵たちは自信に満ちた表情で答えると、意気揚々と歩き出した。
オークを討伐し、オークヒーロすら倒した彼らは夢見る。
英雄と呼ばれ褒め称えられる姿を……。
地位も名誉も思いのままに、悠々自適も暮らすバラ色に染まった幸せな姿を……。
守りたいと誓った家族、恋人にやり遂げたと胸を張っていう姿を……。
一向の目的地である、勇者と聖女の活躍に湧くアルムの町に、嵐が吹き荒れようとしていた。
〈暗躍する頬に奇妙な痣をもつ男……アルムの町に悪意が注ぎ込まれたとき、聖女の前に地獄が顕現する!〉
町の衛士ラングは根も葉もないくだらない話だと、肩をすくめながら軽い口調で語り、それを聞いたリーシアは――
「えっ……」
――驚きに目を見開き、声を漏らす。
「……」
(シーザー君やアリアさん達とのお別れを見られていた⁈ でもあの時、私たち以外に気配はなかったはずです。私やヒロが感知できないほどの距離から戦いを見ていた?)
「ん? どうかしたか?」
「い、いえ……な、なにも……一体だれがそんなことを?」
「町の周辺で魔物を討伐していた冒険者だよ。森の近くで君とヒロの戦いを目撃し、その際、オークヒーローを倒さずに森に逃していたと話していてな」
「……」
(絶対にありえません。森の手前で別れた場面ならまだしも、戦いの最中で? そんな距離にまで近づかれたら、気づかない訳ありません。だとすると……)
「え~と、多分勘違いかと……オークヒーローを倒し町に戻る際、他のオークに遭遇して追い払った記憶はありますけど」
「オークヒーローを倒した君たちが、ただのオークを追い払った?」
ヒロとリーシアの話題で持ちきりの二人が、『たかがオークに?』と不思議そうな顔をしていた。
「私とヒロもオークヒーローとの戦いでひどく消耗していましたから、一気に倒そうと殺気を放ったら、慌ててオークたちは森の中へ逃げていきました。たぶんそれを見た可能性が……」
「やはり勘違いか? 逆恨みの線もあるかもしれんな……」
「逆恨み?」
「ああ、情報を提供したものが、かつて冒険者ギルドで、君に倒された斧使いのラングというものでな」
リーシアは記憶の中から、かつて自らの手で地の海に沈めた男を思い出し、苦い顔をした。
「あの人ですか……」
「奴もいろいろと問題を起こしている厄介者で、普段は話半分で聞き流すのだが、今回はことがことだけに無視するワケにはいかなくてな。済まない、形式上な手続きだけなので、詰所で事情聴取させてもらえないか?」
「わかりました。トーマス神父様、よろしいですか?」
「うむ。構わんよ。今日はいろいろと忙しいだろうし、早めに行ってくるといい」
トーマス神父からお許しをもらい、歩き出すリーシア……だが、誰かがスカートの裾を握り締め前に進むのを拒む。リーシアは裾を掴む者が誰なのか確かめようと振り返る――
「リゲル?」
――リーシアのスカートを、弟分のリゲルがギュッと握っていた。
「リーシアお姉ちゃん……」
不安そうな顔でリーシアを見上げるリゲルに……少女は優しく微笑む。
「大丈夫ですよ。事情を説明するだけですから、今日はこのあと旅に必要な物を取り揃えに買い物へ行く必要もあります。安くアイテムが揃うと助かります。お金は節約ですから、リゲルも荷物持ちに付き合ってくださいね♪」
「う、うん。わかったよ。早く帰ってきてね? 約束だよ?」
「はい。約束です。では、トーマス神父様、少し出かけてきます」
「うむ。行ってきなさい。朝の礼拝は免除としておこう。まあ、君のことだから、退屈な礼拝がサボれて幸運とまで思っていそうだがね」
ギクリと音が聞こえそうなくらい、驚いた素振りを見せたリーシアは、何事もなかったかのように作り笑顔で答えた。
「ま、まさか……ホッホッホッ、トーマス神父様、冗談がキツイです。さあラングさん、詰所に参りましょう。リゲル、行ってきますね」
「うん、いってらっしゃい」
そう言い残しラング達に連れられて教会を後にするリーシアを、言い知れぬ不安を抱えたリゲルは、ただ黙って見送るしかないのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆
「はあ、はあ、ま、まだか? まだ町に着かないのか?」
アルムの町から、南に位置する森の中を、黙々と歩く一団の影があった。
「ドワルド隊長、もう間もなくのはずです」
「クッ、一刻も早く現状を王国に伝えねばならぬという大事なときに、よりにもよってパーティーチャットが不調で連絡を取れんとは……なんたることだ!」
周りの木々が陽光を遮り、少し薄暗い森の中を、土ぼこりで薄汚れたフルプレートアーマを着込んだ中年の男が歩いていた。
ドワルドと呼ばれた中年のおっさん……それはうだつの上がらない貴族の三男坊として、親のコネで城塞都市ラングリットに駐留する王国軍、千人隊長の座に席を置き、今回オーク討伐隊という名誉……もとい捨て石に差し出された男だった。
千人隊長という肩書きしかないドワルドは、いてもいなくても構わない者として、オーク討伐隊の指揮官に選ばれてしまったのだ。
「クソッ、あの女に殴られた胸が痛む。それに憤怒とかいう新たなる脅威の出現、なんでこんなことに……ワシの人生は踏んだり蹴ったりだ」
「ハッ! 心中お察しします」
憤怒というオークヒーローを超えた存在の出現……仲間の思いを胸に、死地から撤退した若い兵士が敬礼する。
彼らもまた、ドワルドと同じく命を拾った者であり、戦場で起こったことを証明させる生き証人として同行していた。
胸の心臓付近に、ときたま走る鋭い痛みに顔をしかめるドワルド……しかし踏み出す足はとても軽い。
死の嵐が吹き荒ぶ戦線を離脱した指揮官……普通ならば指揮官の職務放棄として、良くて投獄、悪ければ死刑の道しかなく足取りは重いはずだったのだが、彼に幸運は舞い降りた。
「この傷さえなければ、おめおめと戦線を離脱して敗走などという不名誉な汚名を着ることなどなかったというのに……忌々しい!」
謎の冒険者たちの活躍で、オークヒーロー討伐成功に喜んだのも束の間、憤怒なる新たなる強敵出現により、戦況は敗色濃厚へと追いやられてしまう。指揮官として逃げ出すことも許されず困り果てたところへ、冒険者ギルドのマスター、ナターシャの提案に飛びついた。
討伐隊の指揮権を譲り、名誉の負傷による戦いからの退場……多少段取りは変わったが、結果的には予想通りの展開にドワルドの顔はニヤけてしまう。
「……」
(クックックッ、これであの地に残った者が皆殺しされたとしても、オークヒーロー討伐の功績はワシに残る。全滅した罪はナータに被せれば、ワシに掛けられるオーク討伐失敗の責と全滅の罪は不問となるはずだ)
「どうかされましたか?」
ドワルドの周りを囲むような陣形で進む兵士のひとりが、不気味に細く笑む中年のオッさんを見て、いぶかしんでいた。
「なんでもない。とにかくアルムの町へ急ぐぞ。オークヒーローは倒されたが、それよりも危険な憤怒なる者が誕生したことを、必ず王国に伝えねばならん。おそらくアレは、全ての国を上げて挑まねば倒せまい……あの場に残り、我らが逃げる時間を作ってくれた者たちの死をムダにしないためにも、急ぎ知らせねば」
「ハッ!」
死地に残り未来を託してくれた者たちの思いに、気を引き締める新兵たち……一秒でも早く、憤怒という新たなる脅威の出現を伝えるため、一団が先を急ごうと足を早めたときだった。
『ガサガサ』と前方にある茂みが揺れ、何かが自分たちに少しずつ近づこうと茂みの中を突き進む音が聞こてきた。ドワルドと新兵たちは『魔物か⁈』と、驚きながら武器を手に素早く身構える。
「待ってください。私は旅の行商人です。怪しい者ではありません」
茂みの中から両手をあげ、マントについたフードを目深く被った者が、茂みをかき分けながら現れた。大きな荷物袋を背負った者……声の低さと170センチそこそこの背格好から、顔は見えなくても目の前に人物が男性だとわかる。
男の行商人など異世界ガイヤでは、珍しいものではない。町から町へ商品を安く買い込み高く売る。別に問題は見受けられない。この男と遭遇した場所さえマトモだったらの話である。
普通ならば、商人たちは比較的安全な街道を利用するのが当たり前で、森の外周付近で魔物が少ないとはいえ、こんな場所を出歩く行商人などいない。誰が見ても怪しく不自然すぎる男の登場に、ドワルドたちは警戒し構えた武器を下ろさない。
「行商人だと? キサマ街道から外れた、こんな森の中で何をしている⁈」
「いえ、道に迷いまして……」
「道にだと?」
「はい。街道を歩くかたわら、森に生えたキノコを採ろうとして中に入り込みすぎました。おかげさまで街道に戻れず、彷徨っていまして……もしよろしければ、アルムの町まで、ご一緒させてください」
「そ、そうか」
行商人が森に踏み入れキノコ狩りの末、道に迷ってしまう。あまり聞かないシチュエーションに普通なら警戒すべきだったが、不思議と男の声を聞くうちに警戒心が薄れ、手にする武器をなぜか納めてしまう。
「……仕方ない。民を守るのも仕事の内だ。しかし、足でまといになるようなら置いていくからな?」
明らかに怪しいフードを被る男……だがドワルドは、なぜか『ありえない話ではない』と思い込み同行を許してしまう。
「ありがとうございます。大変助かります。あっ、申し遅れました。私は旅の行商人で、ラドッグと申します。以後お見知りおきを」
フードを脱いだラドッグは、ドワルド達に感謝の礼を述べながら素顔を見せる。年は四十を超えたくらい、タヌキに似た丸顔で愛嬌のある男だった。旅の行商人と名乗っていたが、その引き締まった肉体は、服を着ていてもある種の凄みを発し、冒険者と言われたら誰もが納得してしまうだろう。
愛嬌のある顔と、バリバリの現役冒険者並みに鍛え上げられた肉体……あまりにもアンバランスな男を見て、ただの行商人というにはムリがあり怪しすぎた。
しかしそれ以上にドワルドたちの目についたのは、右頬に刻まれた奇妙な痣だった。痣というよりは家紋を入れ墨にしたような奇妙な紋様から、皆の目が離れなくなってしまう。
すると男の頬にあった紋様が禍々しい光を放ちはじめると、ドワルドたちは呆けた表情を浮かべながら、森の中で立ち尽くしてしまった。
「……」
「では、皆さん、勇者と聖女によりオークヒーローと憤怒は倒され、その活躍に湧くアルムの町へ参りましょう」
「オークヒーローと憤怒が倒された……」
「ええ、アルムの町は、いまやオーク討伐成功の報にお祭り騒ぎなのです。勇者ヒロと聖女リーシア、そしてオーク討伐隊の勇敢なる活躍に湧いています」
「オーク討伐隊……ワシらの活躍に湧いている……」
「そうです。討伐隊はまだ町に帰還していませんが、先に聖女が町へ戻り、皆にオークヒーローと憤怒なる者は自分たちが倒したと吹聴していました。アルムの町は、いまや喜びに包まれています。とりわけ勇猛果敢に活路を開き、命を散らしてまで世界を救った討伐隊は、真の英雄だと皆が口々に讃えていますよ」
「ワシらが世界を救った……英雄……」
「これで討伐隊が倒したオークヒーローの亡骸を王国に献上すれば、討伐隊を率いた指揮官の地位や名誉は、思いのままでしょうな」
「オークヒーローを献上……ワシの地位や名誉も思いのまま……」
「まあ、いくら勇者と聖女がオークヒーローや憤怒なる者にトドメを刺したとしても、討伐隊の活躍なしには勝てなかった戦いです。当然、戦利品であるオークヒーローの亡骸も皆のものでしょう。いや、この場合、討伐隊を率いた指揮官のものですかね? 伝説のオークヒーローの亡骸、一体いくらになるのやら? 羨ましい限りですよ」
「オークたちの亡骸は討伐隊を率いた指揮官のもの……そうだ。オークヒーローの亡骸はワシらの……ワシのものだ……フッフッフッフッ」
ドワルドの瞳の奥が黒く濁ると、不気味な笑みを浮かべていた。
「俺たちこそが真の英雄……そうだ、俺たちも命を懸けてオークヒーローと戦った……だからその分け前をもらう権利があるはずだ」
さっきまでなかったドス黒い感情が、心に中から際限なく湧き上がる。邪な感情に支配されていく新兵たちを見て、奇妙な痣をもつ男は不気味に笑う。
「任せておけ……ワシが死した兵士や生き残った者に、戦利品を分配してやる。だからお前たちも、ワシの言葉に合わせて証言してもらうぞ……」
「わかりました……」
まるで夢を見ているかの如く、トロンとした表情を浮かべていた新兵たちは、ひとりの例外なく瞳の奥を黒く濁らせながらうなずいていた。
「さて、この方たちは、こんなものでしょうか? フフフ、さてさて、次の仕込みに入るとしましょうか。勇者ヒロと聖女リーシア……悪意が満ち溢れたアルムの町で、彼らはどんな風に踊ってくれるのか、今から楽しみですよ。では皆さん、ごきげんよう」
そう言い残し、ラドッグは再びフードを目深く被り奇妙な痣を隠すと、無数のモザイクが全身を瞬き、全て覆い隠してしまう。再びモザイクが瞬いて消えたとき、もうそこにラドッグの姿はなかった。
するとドワルド達は、夢から急に醒めたように『ハッ!』なり、一体なにが起こったのだと互いに顔を向け確かめ合う。
「わ、ワシらは……ここで何を……」
「たしか旅の行商人が茂みから出てきて……」
新兵の言葉に、周りをキョロキョロと見回す一向……だが、深い森の中で自分たち以外の姿はどこにもなかった。
「はて? 行商人……そんな奴がいたか?」
「え? たしかに誰かいた様な気が……気のせいでしょうか?」
まるでタヌキに化かされたように、全員が目をこする。自分たち以外の誰かがこの場にいた。そして何かを話していたのが、何も思い出せない。
「まあいい、大事の前の小事だ。早くアルムの町にたどり着き、王国全土に英雄の誕生を伝えねば。オークヒーローと憤怒を討伐したこのオーク討伐隊と、真なる英雄……ドワルドの誕生をな! よし、では行くぞ!」
「ハッ!」
このまま突っ立っていても仕方ないと、ドワルドは号令を掛け、新兵たちは自信に満ちた表情で答えると、意気揚々と歩き出した。
オークを討伐し、オークヒーロすら倒した彼らは夢見る。
英雄と呼ばれ褒め称えられる姿を……。
地位も名誉も思いのままに、悠々自適も暮らすバラ色に染まった幸せな姿を……。
守りたいと誓った家族、恋人にやり遂げたと胸を張っていう姿を……。
一向の目的地である、勇者と聖女の活躍に湧くアルムの町に、嵐が吹き荒れようとしていた。
〈暗躍する頬に奇妙な痣をもつ男……アルムの町に悪意が注ぎ込まれたとき、聖女の前に地獄が顕現する!〉
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仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
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ファンタジー
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長女は家族を養いたい! ~凍死から始まるお仕事冒険記~
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青山 有
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女神から貰えるはずのチート能力は奪われ、弾かれた先は未開の原生林。
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