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レオン・ブラックロウザが特別優秀な男であることは、軍部では誰もが知る事実だった。
そして、優秀である故に、人からは疎まれていることも。
だからと言うわけではないが、時のヴァイス軍部最高軍師ノルテ・ヴァッサミューレは、彼の前で弁を語ることを嫌った。
「大体のことをひねくれて返してくるだろう。おまけに堅い。ま、言ってることは間違っちゃいないんだがね」
ノルテはそう言って、少し皺が入り始めた目元を撫でた。
長い金のパイプを啣えたまま器用に喋るノルテは、見るからに偏屈そうな女性である。
肩下あたりまである白髪まじりの黒い髪。肩から足元まで一対になった、白い礼服。線の細い女性だが、眼光の鋭さもあり、不思議な迫力を持った人物だ。
ノルテは、煙を吐いて遊びながら、自分の目の前にいる青年に向かって語り掛けた。
「………聞いているのかい、レオン」
名前を呼ばれて振り返ったのは、人間で言う十六歳ほどに成長したレオンだった。使い古して禿げてきた眼鏡の奥で、一重の瞳が面倒臭さを隠さずに歪む。適当に切り揃えた新緑の髪が、窓から入ってきた風で揺れて乱れた。
「眠いのなら、部屋に戻ったらどうですかノルテ様。後は俺が片付けておきますから」
レオンは手に持った書類の束を何枚か捲り、目を通すふりをした。
「………お前は何を聞いていたんだい」
「あれ、寝言では無かったんで………いたっ」
立ち上がったノルテに金のパイプの先端で頭をこづかれ、レオンは小さく呻いた。
「師匠をからかうのも大概にしなレオン」
恨めしそうにするレオンに、ノルテはやれやれと口を歪める。
「軍議で兄弟子に喧嘩を売るだけじゃ足りないのかい。そういうあたりはまだ子供だね」
「……イシュラントの工事に反対されたんです。あそこに中継地点を作れば、兵糧の確保が円滑に出来るのに」
「…… お前は言わなくていいことまで言い過ぎる。あとね、言い方が悪い。だから反感を買うのさ」
「言い方を変えても、内容は変わらないでしょう。だったらどんな言い方でも構わないじゃないですか。子供に言うみたいに優しく言えばいいんですか? 軍議で?」
「ああそうさ。私の口ぶりを見な。“子供に言うみたいに優しい”だろう? もういいから茶を用意してきてくれ」
レオンは、反論もしない代わり、にこりともしなかった。ただ静かに頷くと、やりかけてあった資料の整理を綺麗に机に並べ、部屋から出ていった。
「………………、頭は、いい子なんだがねえ」
* * *
レオンは、ノルテの言うお決まりの説教はもう聞き飽きていた。堅いだとか、口が悪いだとか、まるで母親のように、くどくどと言ってくるのだ。最初は適当に聞き流してはいたが、最近は煩わしくて仕方がない。だが、立場上「弟子」である限り、一応は文句を言うわけにもいかないのが面倒なところだ。
――自分は、この国の最高軍師になる。
幼い頃、友人と語り合ったその目標がある限り、現軍師宰相であるノルテに逆らうわけにはいかない。
とにかく、早く実力をつけて、この国に自分の確固たる居場所を作りたい。その為には、こうして雑務をする時間などは本当に勿体ないと思う。しかし、ノルテに教授を仰がなければ、地位も実力も掴めない。
「思ったようにはいかないな」
つい漏らしてしまった独り言であったが、彼の後ろに立っていた人物はしっかりそれを聞いていた。
「何がですか?」
驚いて振り返ると、そこには栗色の長い髪をした、優しげな雰囲気の少女がいた。年は、レオンと同じくらい。
にこにこと微笑んで、レオンの返事を待っている。
レオンは、ほうっと、気が抜けたような息を吐いた。
「ミリアさんか……」
「本ばかり読んでたら、思うようにいくわけないです」
「聞いてたの? ……ただの独り言だから」
「人に聞こえるように言ったら、それは独り言ではありませんよ」
「説教?」
「助言です、レオン準三級軍師。友達としての」
その言いぐさにレオンが「ノルテ様みたいに老けこむよ」と言い返した。ミリアは、
「今すぐ謝ってください。全世界の経験豊かな女性に」
と、笑いながら凄んだ。
ミリアは、ヴァイスの王妃ユティリア・ウィリデの直属の護衛官の一人だ。
女王の護衛と名前が付くぐらいであるから、並みの能力では勤まらない。だが、この彼女の腕はあまりに細く、とても武に長けているようには見えない。それでも、彼女の腰に煌めく細身の剣は使い込まれており、細かな傷が目立つ。
まるで、綿帽子のように柔らかい雰囲気の彼女が、勇ましく剣を振るう姿など想像が出来ない。が、レオンにとってあまり怒らせたくない相手ではあった。というのも、このミリアという女性は、彼にとって数少ない心許せる友人の一人であった。
軍部の順位争いや、日々の鬱陶しい雑務をこなす上で、レオンには心の拠り所が必要だった。まして、ヴァイスの民ではない彼は、同じ状況下にある同年代の青年たち以上に努力し、認められる必要がある。そうして心に溜まっていく膿のようなものを、彼女はただ笑うことで拭い去ってくれるのだ。
しかし、それは依存であることは、レオンは悔しいながらも認めていた。
「少し苛々していますね。なにかありました?」
「いいえ、気のせいじゃないですか」
「お時間があるなら、お話しましょう」
緩い午後の陽射しが、彼女の向こう側に見える。レオンは、少々ばつの悪そうな顔で、ため息を吐いた。
爽やかに晴れた空の下、今日も兵士たちの訓練の声が中庭に響く。
レオンとミリアはその中にある、花壇の縁に腰を掛けていた。木々が生い茂り、静かで、だが人気が全く無いわけではないこの場所は、ちょっとした愚痴をこぼすには最適な場所であった。
レオンは、斜め後ろに座ったミリアに少しだけ振り返り、場に相応しい話題を発した。
「軍議で、兄弟子と言い合いしたんです。良い案を出したのに、頭から蹴られた」
「あら」
「その上ノルテ様に呼び出されたのは俺一人。どう思う?」
ミリアは、先程から微笑んだままなのだが、レオンにとってはそれがどうも馬鹿にされているような気がした。
しかしミリア本人はそうではなく、最良の答えをと画策しているだけなのだが、苛ついているレオンにそれは伝わらない。
離れていた筈のレオンがしびれを切らして近付いてきたとき、ミリアは一層笑みを深くした。
「軍師が悪いですね」
「はあ?」
思っていた答えが返ってこなかったことで、レオンの機嫌は急速に悪化した。
しかしミリアは、さてどう説明してやろうかと言う風に口を剽軽に尖らせ、指先をそこに当てた。
「私が聞いた話と随分違います。軍議の最中、兄弟子が出した意見に対して、レオン準三級軍師は嫌みを交えて意見したらしいですね?」
「……噂回るの早すぎ」
「そうなると、公に彼を貶めたことになります」
「君も俺の言い方が悪いって言うんですか?」
「刺がありますからね、軍師は。正しいことを言っても、それじゃあ伝わりませんよ」
レオンは暫くミリアを睨んでいたが、彼女は全く動じた様子は無いので、諦めて顔を離した。光の粒が、慰めるように彼の上に降る。
「そこまで俺が他人のことを考えなきゃいけないかな……」
ミリアは、レオンの手の上にそっと自らの手を乗せた。不意の感触にレオンは驚いたが、次の瞬間には骨ばったその甲を、思いきり捻り上げられていた。
「いっ…………!?」
「最高軍師になろうかという人が、他人のことを考えられなくてどうするんですか」
「そりゃま……そうだけど」
「では午後からも頑張ってくださいね。お口に気を付けながら」
自分とそう年は変わらないだろうに、大人ぶるその態度がレオンには癪であった。しかし、彼女の意見と言うか助言は、当たり前のことに気づかせてくれる貴重なものだ。
軍内部では、兵法以外のことを教えてなどくれはしない。人との付き合い方などということは自らが気づくべきであり、また理解していて当たり前だと言うのが普通だ。
ならば、気づけばヴァイスにいた自分の心細さも、少しは汲み取ってくれてもいいのではないかとレオンは思った。彼自身それは甘えであると分かっているからこそ、口にも出さないのだが。
ミリアと別れてから、レオンは暫く城の中を散歩していた。もうずっとリュシアナとの争いが続いているにも関わらず、城の兵や民たちの心が陰る様子はない。それどころか、訓練が終われば、皆が皆気持ち悪いほどに仲が良く、肩を組んで食堂に向かう。その光景を「素晴らしい」と思えるだけの心の広さは、まだこのときのレオンには無かった。
浮き彫りになる自分のこの曖昧な存在感は、この夕陽に溶けてしまえばいい。まるでロマンチストみたいだと笑う頬は、人目には笑みを湛えてはいなかった。
レオンが、ノルテに茶を用意するように言われていたのを思い出したのは、もう午後の御前会議が始まる直前だった。
また小言を言われるかと思うと、足取りが重くなる。
だが、逃げ回る訳にもいかないので、レオンはノルテがいる執務室の扉を開けた。すると、丁度中から出てこようとした人物の背中とレオンの鼻先がぶつかった。
「帰ってきたねこの利かん坊が。まさか茶葉を摘むところから始めたんじゃないだろうね?」
レオンがぶつかった人物を確認するより先に、ノルテの声がかかる。それに続いて、頭の上から声が降ってきた。
「葉を摘みにいっていたのか? レオンはやることが丁寧だなあ」
そんなわけないだろうと言い返しかけて、レオンは硬直した。
そこにいたのは、ノルテ同じく黒髪(ブルネット)の美しい男性だった。翡翠の瞳が鮮やかで、零れる笑みに幼さが混じる。しかし、その腕には王家の秘宝とも言うべき蒼の宝玉をあつらえた腕輪が嵌められている。そこまで見て、この青年が誰であるか分からないという者は、このヴァイスにはいない。ジオリオ・アシュトレート・ヴァイス。この国の国王であり軍部の最高指揮権を持つ彼は、庶民のような気軽さでレオンに笑いかけた。
「レオン!」
ジオリオの影から、ヒルが顔を出した。ヒルはレオンに駆け寄ると、誇らしげに胸を張った。
「俺、今日は親父の代わりに陛下の護衛なんだ。いいだろ?」
ヒルの軍服に、国王直属の護衛隊である証の竜と八重の花の紋章が光っている。
悔しいことを悟られないように、レオンはふいと横を向いた。
「あっそ」
「なんだよ、もっと羨ましがれよ」
「子供かよ……」
「護衛というよりお守りじゃないかい陛下。父親はどうしたんだね」
ノルテが、何やら書類を纏めつつ、ジオリオを見る。
「彼はユティリアの方に付いていてもらってるよ。リアンの方の水路の様子を見に行っている」
「ちゃんと質素な服を着せただろうね? 国内だって百パーセント安全ってわけじゃないんだよ」
「もちろん。ペリドットに任せて── 」
「ペリドットって……姉の方かい!? 着飾らせるに決まってるじゃないか!」
「そう……なのか? まあでも、彼がついているし」
「やれやれ……」
ジオリオはそう言って、またレオンの方を見てにこにこと笑った。
「レオンがずっと前に言っていただろう。水路の引き込み事業の話だよ」
そして、優秀である故に、人からは疎まれていることも。
だからと言うわけではないが、時のヴァイス軍部最高軍師ノルテ・ヴァッサミューレは、彼の前で弁を語ることを嫌った。
「大体のことをひねくれて返してくるだろう。おまけに堅い。ま、言ってることは間違っちゃいないんだがね」
ノルテはそう言って、少し皺が入り始めた目元を撫でた。
長い金のパイプを啣えたまま器用に喋るノルテは、見るからに偏屈そうな女性である。
肩下あたりまである白髪まじりの黒い髪。肩から足元まで一対になった、白い礼服。線の細い女性だが、眼光の鋭さもあり、不思議な迫力を持った人物だ。
ノルテは、煙を吐いて遊びながら、自分の目の前にいる青年に向かって語り掛けた。
「………聞いているのかい、レオン」
名前を呼ばれて振り返ったのは、人間で言う十六歳ほどに成長したレオンだった。使い古して禿げてきた眼鏡の奥で、一重の瞳が面倒臭さを隠さずに歪む。適当に切り揃えた新緑の髪が、窓から入ってきた風で揺れて乱れた。
「眠いのなら、部屋に戻ったらどうですかノルテ様。後は俺が片付けておきますから」
レオンは手に持った書類の束を何枚か捲り、目を通すふりをした。
「………お前は何を聞いていたんだい」
「あれ、寝言では無かったんで………いたっ」
立ち上がったノルテに金のパイプの先端で頭をこづかれ、レオンは小さく呻いた。
「師匠をからかうのも大概にしなレオン」
恨めしそうにするレオンに、ノルテはやれやれと口を歪める。
「軍議で兄弟子に喧嘩を売るだけじゃ足りないのかい。そういうあたりはまだ子供だね」
「……イシュラントの工事に反対されたんです。あそこに中継地点を作れば、兵糧の確保が円滑に出来るのに」
「…… お前は言わなくていいことまで言い過ぎる。あとね、言い方が悪い。だから反感を買うのさ」
「言い方を変えても、内容は変わらないでしょう。だったらどんな言い方でも構わないじゃないですか。子供に言うみたいに優しく言えばいいんですか? 軍議で?」
「ああそうさ。私の口ぶりを見な。“子供に言うみたいに優しい”だろう? もういいから茶を用意してきてくれ」
レオンは、反論もしない代わり、にこりともしなかった。ただ静かに頷くと、やりかけてあった資料の整理を綺麗に机に並べ、部屋から出ていった。
「………………、頭は、いい子なんだがねえ」
* * *
レオンは、ノルテの言うお決まりの説教はもう聞き飽きていた。堅いだとか、口が悪いだとか、まるで母親のように、くどくどと言ってくるのだ。最初は適当に聞き流してはいたが、最近は煩わしくて仕方がない。だが、立場上「弟子」である限り、一応は文句を言うわけにもいかないのが面倒なところだ。
――自分は、この国の最高軍師になる。
幼い頃、友人と語り合ったその目標がある限り、現軍師宰相であるノルテに逆らうわけにはいかない。
とにかく、早く実力をつけて、この国に自分の確固たる居場所を作りたい。その為には、こうして雑務をする時間などは本当に勿体ないと思う。しかし、ノルテに教授を仰がなければ、地位も実力も掴めない。
「思ったようにはいかないな」
つい漏らしてしまった独り言であったが、彼の後ろに立っていた人物はしっかりそれを聞いていた。
「何がですか?」
驚いて振り返ると、そこには栗色の長い髪をした、優しげな雰囲気の少女がいた。年は、レオンと同じくらい。
にこにこと微笑んで、レオンの返事を待っている。
レオンは、ほうっと、気が抜けたような息を吐いた。
「ミリアさんか……」
「本ばかり読んでたら、思うようにいくわけないです」
「聞いてたの? ……ただの独り言だから」
「人に聞こえるように言ったら、それは独り言ではありませんよ」
「説教?」
「助言です、レオン準三級軍師。友達としての」
その言いぐさにレオンが「ノルテ様みたいに老けこむよ」と言い返した。ミリアは、
「今すぐ謝ってください。全世界の経験豊かな女性に」
と、笑いながら凄んだ。
ミリアは、ヴァイスの王妃ユティリア・ウィリデの直属の護衛官の一人だ。
女王の護衛と名前が付くぐらいであるから、並みの能力では勤まらない。だが、この彼女の腕はあまりに細く、とても武に長けているようには見えない。それでも、彼女の腰に煌めく細身の剣は使い込まれており、細かな傷が目立つ。
まるで、綿帽子のように柔らかい雰囲気の彼女が、勇ましく剣を振るう姿など想像が出来ない。が、レオンにとってあまり怒らせたくない相手ではあった。というのも、このミリアという女性は、彼にとって数少ない心許せる友人の一人であった。
軍部の順位争いや、日々の鬱陶しい雑務をこなす上で、レオンには心の拠り所が必要だった。まして、ヴァイスの民ではない彼は、同じ状況下にある同年代の青年たち以上に努力し、認められる必要がある。そうして心に溜まっていく膿のようなものを、彼女はただ笑うことで拭い去ってくれるのだ。
しかし、それは依存であることは、レオンは悔しいながらも認めていた。
「少し苛々していますね。なにかありました?」
「いいえ、気のせいじゃないですか」
「お時間があるなら、お話しましょう」
緩い午後の陽射しが、彼女の向こう側に見える。レオンは、少々ばつの悪そうな顔で、ため息を吐いた。
爽やかに晴れた空の下、今日も兵士たちの訓練の声が中庭に響く。
レオンとミリアはその中にある、花壇の縁に腰を掛けていた。木々が生い茂り、静かで、だが人気が全く無いわけではないこの場所は、ちょっとした愚痴をこぼすには最適な場所であった。
レオンは、斜め後ろに座ったミリアに少しだけ振り返り、場に相応しい話題を発した。
「軍議で、兄弟子と言い合いしたんです。良い案を出したのに、頭から蹴られた」
「あら」
「その上ノルテ様に呼び出されたのは俺一人。どう思う?」
ミリアは、先程から微笑んだままなのだが、レオンにとってはそれがどうも馬鹿にされているような気がした。
しかしミリア本人はそうではなく、最良の答えをと画策しているだけなのだが、苛ついているレオンにそれは伝わらない。
離れていた筈のレオンがしびれを切らして近付いてきたとき、ミリアは一層笑みを深くした。
「軍師が悪いですね」
「はあ?」
思っていた答えが返ってこなかったことで、レオンの機嫌は急速に悪化した。
しかしミリアは、さてどう説明してやろうかと言う風に口を剽軽に尖らせ、指先をそこに当てた。
「私が聞いた話と随分違います。軍議の最中、兄弟子が出した意見に対して、レオン準三級軍師は嫌みを交えて意見したらしいですね?」
「……噂回るの早すぎ」
「そうなると、公に彼を貶めたことになります」
「君も俺の言い方が悪いって言うんですか?」
「刺がありますからね、軍師は。正しいことを言っても、それじゃあ伝わりませんよ」
レオンは暫くミリアを睨んでいたが、彼女は全く動じた様子は無いので、諦めて顔を離した。光の粒が、慰めるように彼の上に降る。
「そこまで俺が他人のことを考えなきゃいけないかな……」
ミリアは、レオンの手の上にそっと自らの手を乗せた。不意の感触にレオンは驚いたが、次の瞬間には骨ばったその甲を、思いきり捻り上げられていた。
「いっ…………!?」
「最高軍師になろうかという人が、他人のことを考えられなくてどうするんですか」
「そりゃま……そうだけど」
「では午後からも頑張ってくださいね。お口に気を付けながら」
自分とそう年は変わらないだろうに、大人ぶるその態度がレオンには癪であった。しかし、彼女の意見と言うか助言は、当たり前のことに気づかせてくれる貴重なものだ。
軍内部では、兵法以外のことを教えてなどくれはしない。人との付き合い方などということは自らが気づくべきであり、また理解していて当たり前だと言うのが普通だ。
ならば、気づけばヴァイスにいた自分の心細さも、少しは汲み取ってくれてもいいのではないかとレオンは思った。彼自身それは甘えであると分かっているからこそ、口にも出さないのだが。
ミリアと別れてから、レオンは暫く城の中を散歩していた。もうずっとリュシアナとの争いが続いているにも関わらず、城の兵や民たちの心が陰る様子はない。それどころか、訓練が終われば、皆が皆気持ち悪いほどに仲が良く、肩を組んで食堂に向かう。その光景を「素晴らしい」と思えるだけの心の広さは、まだこのときのレオンには無かった。
浮き彫りになる自分のこの曖昧な存在感は、この夕陽に溶けてしまえばいい。まるでロマンチストみたいだと笑う頬は、人目には笑みを湛えてはいなかった。
レオンが、ノルテに茶を用意するように言われていたのを思い出したのは、もう午後の御前会議が始まる直前だった。
また小言を言われるかと思うと、足取りが重くなる。
だが、逃げ回る訳にもいかないので、レオンはノルテがいる執務室の扉を開けた。すると、丁度中から出てこようとした人物の背中とレオンの鼻先がぶつかった。
「帰ってきたねこの利かん坊が。まさか茶葉を摘むところから始めたんじゃないだろうね?」
レオンがぶつかった人物を確認するより先に、ノルテの声がかかる。それに続いて、頭の上から声が降ってきた。
「葉を摘みにいっていたのか? レオンはやることが丁寧だなあ」
そんなわけないだろうと言い返しかけて、レオンは硬直した。
そこにいたのは、ノルテ同じく黒髪(ブルネット)の美しい男性だった。翡翠の瞳が鮮やかで、零れる笑みに幼さが混じる。しかし、その腕には王家の秘宝とも言うべき蒼の宝玉をあつらえた腕輪が嵌められている。そこまで見て、この青年が誰であるか分からないという者は、このヴァイスにはいない。ジオリオ・アシュトレート・ヴァイス。この国の国王であり軍部の最高指揮権を持つ彼は、庶民のような気軽さでレオンに笑いかけた。
「レオン!」
ジオリオの影から、ヒルが顔を出した。ヒルはレオンに駆け寄ると、誇らしげに胸を張った。
「俺、今日は親父の代わりに陛下の護衛なんだ。いいだろ?」
ヒルの軍服に、国王直属の護衛隊である証の竜と八重の花の紋章が光っている。
悔しいことを悟られないように、レオンはふいと横を向いた。
「あっそ」
「なんだよ、もっと羨ましがれよ」
「子供かよ……」
「護衛というよりお守りじゃないかい陛下。父親はどうしたんだね」
ノルテが、何やら書類を纏めつつ、ジオリオを見る。
「彼はユティリアの方に付いていてもらってるよ。リアンの方の水路の様子を見に行っている」
「ちゃんと質素な服を着せただろうね? 国内だって百パーセント安全ってわけじゃないんだよ」
「もちろん。ペリドットに任せて── 」
「ペリドットって……姉の方かい!? 着飾らせるに決まってるじゃないか!」
「そう……なのか? まあでも、彼がついているし」
「やれやれ……」
ジオリオはそう言って、またレオンの方を見てにこにこと笑った。
「レオンがずっと前に言っていただろう。水路の引き込み事業の話だよ」
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