上 下
47 / 68

47 久しぶりの対面

しおりを挟む

「……っ、は」

 汗びっしょりで飛び起きる。
 また同じ夢を見た。
 弱りきった紫紺と黒いローブの男が出てくる夢――アロイヴがあの日から、何度もこの悪夢を見ていた。

「イヴ」
「あ、ごめん……また起こしちゃったね」

 二週間近く毎晩治療を続けた甲斐もあって、紫紺の精神を蝕んでいた魔素の毒素はすべて取り払うことができた。
 そのおかげで従魔術の支配を解くこともできたのだが、今度はアロイヴの調子がよくなかった。人間は、魔素の毒素に影響されないはずなのに……単に疲れているだけかもしれない。
 それならぐっすり休んで疲れを取りたいのに、悪夢がアロイヴの眠りを妨げる。そのせいでまた疲れが溜まって悪夢を見る。
 よくない循環が続いていた。

「あ、紫紺は起きなくていいって」

 身体を起こそうとした紫紺をベッドに戻そうとしたが、力で紫紺に勝てるわけがない。
 両膝を立てて座った紫紺がアロイヴのほうを見て、ぽんぽんと自分の膝を叩いている。ここに来いということだろうか。
 アロイヴが四つん這いでそろそろと近づくと、背中を預ける体勢で、後ろからすっぽり包み込まれてしまった。
「まだ眠くない? 大丈夫?」
 夜はまだ明けていない。
 普段ならぐっすり眠っている時間なのに、紫紺は寝なくて大丈夫なのだろうか。魔素の毒素が抜けたのだって最近だ。紫紺の体調もまだ万全ではないかもしれないのに。

「……イヴ」
 
 囁くように呼びかけてきた紫紺が、後ろからアロイヴの首元に顔をうずめてくる。紫紺の長い髪が肌に触れて、少しくすぐったい。

 ――紫紺の匂い、落ち着く。

 獣の姿のときよりも匂いは薄いが、ほのかに香ってくる紫紺の香りに気持ちが落ち着く。
 アロイヴからも肌を寄せると、ぴとりと頬同士がくっついた。

「……ん」

 ふいに、ひくんと身体が震えた。
 何が起こったのか一瞬わからなかったが、紫紺の唇が頬に触れたのだと気づく。誘われるように顔を向けると、唇の端をちろりと舐められた。

「ぅ……ンっ」

 気持ちいい。こうなってしまっては止められなかった。
 治療中に何度もそうしてきたおかげで、唇を触れ合わせることの気持ちよさは充分に知っている。身体に染みついているのだ。
 従魔術で縛っている間は自分の意思で動けなかった紫紺も、今は自由に動ける。
 求めるようにアロイヴの頬に手を添え、唇を食らうように口づけた。

「ふ、……ん、ぁ」

 紫紺の魔力が流れ込んでくる。
 触れている場所から、アロイヴの魔力も紫紺に向かって流れているのがわかった。どうやら、今回の治療の副作用と紫紺との魔力の繋がりが、より強くなってしまったようだ。
 これがいいことなのか、悪いことなのかはわからない。ただ、紫紺との魔力交換はアロイヴに強い幸福感を与えた。
 気持ちよくて、幸せで――できることならずっとこのまま、こうしていたいと思ってしまう。強い中毒性のようなものを秘めていた。

「紫紺……もう、だめだよ」

 だからなんとなく、この行為はいけないことなのではないかと思っていた。
 アロイヴがだめだと言うと、紫紺は素直に聞き入れてくれる。いつの間にか、前のように不満そうな表情を見せることは少なくなっていた。

 ――なんだか前より、少し大人びた気がする。

 見た目は変わっていない。
 でも、今の紫紺には前に比べてどこか大人びた印象があった。
 魔素の毒素に影響されたあたりからだ。
 従魔術を使っているせいかと思っていたが、術を解いた後もどことなく前との違いを感じる。

 ――……気のせいかな?

 もしかしたら、自分の心境の違いかもしれない。
 ここのところ見続けている悪夢のせいで不安になっているせいかもしれなかった。

「……はぁ」

 紫紺の身体にもたれて、小さく溜め息をつく。
 こうやって優しく撫でられると、まるで小さな子供になったような気分だ。

 ――精神年齢は、ずっと上のはずなんだけどな。

 前世の記憶のおかげで、アロイヴは年齢よりずっと大人だった。でも時々、まだ子供であるこの身体の精神に引きずられるのか、こうして誰かに甘やかされたくなる。
 紫紺はそんなアロイヴの気持ちを察してくれているのかもしれない。

「ねえ、紫紺……僕が見た夢の話をしてもいい?」

 この不安を一人で抱えるのは、もう無理だ。誰かと共有して、それはただの夢だと――そう自分でも納得したい。
 ぽつぽつと話し始めたアロイヴの言葉を、紫紺はこれまでもそうしてくれたように真摯に耳を傾けてくれた。


   ◇


 紫紺に話したおかげか、悪夢に魘される頻度は減っていた。
 完全になくなったわけではないが、眠りを妨げられる回数が減ったことで心身の調子も戻ってきている。
 今日は数日ぶりに探索者ギルドに顔を出していた。

「ロイ」

 声を掛けてきたのは、受付横に立っていた背の高い男性のギルド職員――最初にカルカヤに会いにここにきたときに案内してくれた褐色肌の魔族だった。
 その後もギルドで何度か顔を合わせていたが、声を掛けられたのは初めて会ったとき以来だ。

「なんですか?」
「ついてこい」

 相変わらず、彼は必要なこと以外を話そうとしなかった。必要なことも伝えてもらえていない気がしたが、前もそうやってカルカヤの元に案内してもらったので、今回も紫紺と一緒についていく。
 前と同じルートを通って、ギルドの奥へ――前とは違う部屋の前に案内された。

「ここだ。入れ」
「ここって……?」
「カルカヤが待っている」
「……え、カルカヤさんが?」

 アロイヴが聞き返した言葉を無視して、男はまたしてもさっさと部屋の前を立ち去ってしまった。
 訳のわからないまま置いていかれたアロイヴは、隣に立つ紫紺と顔を見合わせる。

「……入ってみる?」

 このまま、扉の前に立っていても埒が明かないが、扉を開けるのも勇気がいる。
 どうするべきか尋ねると、紫紺が代わりに扉に手をかけた。重そうな扉を片手で開く。

「何……ここ」

 そこはアロイヴの想像していたものとは違う、変わった内装の部屋だった。だが、一目でこの部屋が誰のものかはわかる。

「もしかして……ここって、カルカヤさんの私室?」
『残念。そこはボクの倉庫だよ』
「――ッ」

 壁にいきなり、画面のようなものが表示される。そこに映し出されていたのは、カルカヤの姿だった。
 最後に会ったときより、どこかやつれて見えるのは気のせいだろうか。

『ロイ、久しいな。もっと早めに連絡を入れるつもりだったんだが、いろいろと厳しくてね』
「まだ王都にいるんですか?」
『ああ。詳しい場所までは言えないがね。腕輪を使って通信しようか迷ったんだが、そっちの状況が読めなくてね。ここに呼び出すように伝えておいたんだ』
「そうだったんですか……でも、よかったです。無事で」
『なんとかな。危ない場面がなかったわけじゃないが――で、早速本題なんだが』
「あ、はい」

 どうやらまだ、ゆっくり話していられる状況ではないらしい。カルカヤが早口で話題を切り替える。
 カルカヤは王都のどこから連絡してきているのだろう。時々周りを警戒する様子を見ていると、こちらまで緊張してしまう。

『今から一冊の本をそっちに転送する。キミから見て右側の机に四角い鞄があるだろう? それが転送の魔道具だ』

 カルカヤの言った場所に、確かに四角い鞄がある。アタッシュケースのようなそれが魔道具だとは、全く気づいていなかった。

『その本を、キミに解読してほしい』
「解読、ですか?」
『キミには翻訳能力があるのだから、難しいことではないだろう? それに、内容を全部ボクに伝えろとは言わない。キミが伝えるべきだと思ったことを教えてくれればいい』
「……それは、どういう」
『読めばわかるんじゃないか? そういうことだ。時間がないから切るぞ』
「あ、待って。連絡はどうしたら」
『また同じ方法でこちらから呼び出す。ではな』

 通信はあっさりと切られてしまった。
 画面が暗くなる。それとほぼ同時に、机の上の鞄がほわりと淡く発光した。

「そうだ。本を送るって……」

 おそるおそる鞄を開く。
 中に入っていたのは、見るからに重厚な金の装飾が施された五センチ以上の厚みがある本だった。

「神の教え、ってことはこれ……教会の本なのかな」

 表紙に書かれている言葉からして、教会関係の本のようだ。自動で読める言葉に翻訳されてしまうため、元がいったい何語で書かれているのか、アロイヴには判別がつかない。

「とりあえず、持って帰るしかないのかな」

 本を手に取り、魔道具のポーチの中に収納する。
 依頼を受けるつもりでギルドに来たのに、それどころではなくなってしまっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

役目を終えた悪役令息は、第二の人生で呪われた冷徹公爵に見初められました

綺沙きさき(きさきさき)
BL
旧題:悪役令息の役目も終わったので第二の人生、歩ませていただきます 〜一年だけの契約結婚のはずがなぜか公爵様に溺愛されています〜 【元・悪役令息の溺愛セカンドライフ物語】 *真面目で紳士的だが少し天然気味のスパダリ系公爵✕元・悪役令息 「ダリル・コッド、君との婚約はこの場をもって破棄する!」 婚約者のアルフレッドの言葉に、ダリルは俯き、震える拳を握りしめた。 (……や、やっと、これで悪役令息の役目から開放される!) 悪役令息、ダリル・コッドは知っている。 この世界が、妹の書いたBL小説の世界だと……――。 ダリルには前世の記憶があり、自分がBL小説『薔薇色の君』に登場する悪役令息だということも理解している。 最初は悪役令息の言動に抵抗があり、穏便に婚約破棄の流れに持っていけないか奮闘していたダリルだが、物語と違った行動をする度に過去に飛ばされやり直しを強いられてしまう。 そのやり直しで弟を巻き込んでしまい彼を死なせてしまったダリルは、心を鬼にして悪役令息の役目をやり通すことを決めた。 そしてついに、婚約者のアルフレッドから婚約破棄を言い渡された……――。 (もうこれからは小説の展開なんか気にしないで自由に生きれるんだ……!) 学園追放&勘当され、晴れて自由の身となったダリルは、高額な給金につられ、呪われていると噂されるハウエル公爵家の使用人として働き始める。 そこで、顔の痣のせいで心を閉ざすハウエル家令息のカイルに気に入られ、さらには父親――ハウエル公爵家現当主であるカーティスと再婚してほしいとせがまれ、一年だけの契約結婚をすることになったのだが……―― 元・悪役令息が第二の人生で公爵様に溺愛されるお話です。

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

虐げられ聖女(男)なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました【本編完結】(異世界恋愛オメガバース)

美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

転生するにしても、これは無いだろ! ~死ぬ間際に読んでいた小説の悪役に転生しましたが、自分を殺すはずの最強主人公が逃がしてくれません~

槿 資紀
BL
駅のホームでネット小説を読んでいたところ、不慮の事故で電車に撥ねられ、死んでしまった平凡な男子高校生。しかし、二度と目覚めるはずのなかった彼は、死ぬ直前まで読んでいた小説に登場する悪役として再び目覚める。このままでは、自分のことを憎む最強主人公に殺されてしまうため、何とか逃げ出そうとするのだが、当の最強主人公の態度は、小説とはどこか違って――――。 最強スパダリ主人公×薄幸悪役転生者 R‐18展開は今のところ予定しておりません。ご了承ください。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします。……やっぱり狙われちゃう感じ?

み馬
BL
※ 完結しました。お読みくださった方々、誠にありがとうございました! 志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、とある加護を受けた8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 独自設定、造語、下ネタあり。出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

処理中です...