上 下
43 / 68

43 黒い魔剣

しおりを挟む

「魔獣、本当に増えてるね」

 採取依頼しか受注していないアロイヴにもわかるほど、魔獣の数に変化が起こっていた。
 サクサハから魔獣が増えていると聞いたときはそこまで変化を感じていなかったのに、最近では目に見えて魔獣の数が増えてきている。それも大物ばかりだ。
 逆に、小さな魔獣を見かけなくなっていた。
 魔素の影響で、生態系が狂い始めているのかもしれない。

「この魔獣も、この辺りが縄張りじゃないはずなのに……それに、なんだか様子もおかしかったし」

 アロイヴは足下に転がる魔獣の死体を見下ろす。
 さっき倒したばかりの〈青炎虎〉と呼ばれている魔獣だ。名前のとおり、虎によく似ている。
 青炎虎の縄張りは、今アロイヴたちがいる森ではなく、森を抜けた先にある岩場だと聞いていたのに、まさかこんな森の浅い部分で遭遇するとは思わなかった。
 強さはそれほどではなかったので苦戦せずに倒せたものの、遭遇するなり、いきなり飛びかかってきたのには驚いた。
 反射的に展開した防御魔法のおかげで、鋭い爪の餌食となるのは避けられたが、その瞬間のことを思い出すと、ひゅっと胸の辺りが冷たくなる。
 だらだらと涎を垂らし、呼吸を荒げ、血走った目でこちらを睨みつける魔獣の様子は明らかに異常だった。
 そんな魔獣にいきなり襲われたのだから、恐怖を覚えないわけがない。
 
「この青炎虎、図鑑で見たサイズよりも大きいし……これも魔素の影響なのかな」

 手だけでもアロイヴの顔ほどの大きさがあるこの青炎虎は、普通のサイズではなかった。
 魔獣の数が増えているのもそうだが、様子がおかしかったり、体が普通より大きかったりと、個体の異常が多いのがどうも気になる。
 アロイヴには、それらにも魔素が影響しているとしか思えなかった。

「イヴ」
「あ、ごめん。次はそっちだね」

 今は倒した青炎虎から素材を採取しているところだ。自分から手伝うと言ったのに、考え込んで手が止まってしまっていた。
 魔獣の素材はギルドで換金できる。
 青炎虎なら魔力を通しやすい爪や牙、炎に強い毛皮などが買い取り対象だ。
 紫紺に任せておいたほうが早く終わる作業だが、刃物の扱いに慣れるためにアロイヴもできるだけ手伝うことにしていた。
 血の臭いで気持ち悪くなってしまわないよう、顔の周りに防御魔法を展開させてから紫紺の横に立つ。

「……やっぱり、この感触は慣れないなぁ」

 解体用のナイフをポーチから取り出して、早速作業に取りかかる。
 臭いを遮断していても、手から伝わってくる肉を切る感触は何も変わらない。アロイヴはまだ慣れそうにない不快感に顔を歪めながら、ナイフの刃を魔獣の手の部分に突き刺した。

「結構、硬いな……」

 カルカヤが勧めてくれたナイフでも、なかなか刃が通らない。
 このナイフは魔剣だ。魔力を流せば切れ味が上がるものなのに、それでも魔獣の肉は硬くてなかなか刃が入っていかない。

 ――紫紺はあんなに軽々傷つけてたのに。

 腕力の差だろうか。
 横で魔獣の体を押さえてくれている紫紺の腕へ視線を向ける――ほんの少し、気が散った瞬間だった。

「あ――ッ」

 ナイフを持つ手がぶれた。
 青炎虎の爪を剥ぐため、力いっぱい突き立てようとした刃先が硬い爪に当たって滑る。勢いがついたまま、ナイフの鋭い刃先がアロイヴの太腿に向かってきた。

 ――っ、刺さる!

 思わず、目をぎゅっと瞑る。

「痛ッ……く、ない」

 衝撃も痛みも、何も襲ってこなかった。
 おそるおそる目を開けると、刺さる寸前で止まっているナイフの刃先が見える。
 紫紺の手が、アロイヴの手首を掴んでいた。

「イヴ……」

 耳元で紫紺の声がした。
 心配するような響きの中に、呆れたような響きが混ざって聞こえたのは気のせいだろうか。

「う……ごめん」

 謝ったのに、紫紺にナイフを取り上げられてしまった。自分の不注意で危うく大怪我するところだったので、「返して」とも言えない。
 返してもらったところで、またすぐに同じ作業ができるとも思えなかった。

「びっくりした……」

 まだ手が震えている。
 無意識に、さっきナイフが刺さりそうになった太腿に指先を滑らせていた。
 紫紺が止めてくれなければ、ここに深々とナイフが突き刺さっていただろう。想像しただけで、背筋にぞくりと寒気が走る。

「イーヴ」

 あっという間に魔獣の素材を採取し終えた紫紺が、呆然と立ち尽くすアロイヴに下に戻ってきた。
 甘えたような声でアロイヴを呼びながら、ぴとりと身体を寄せてくる。いつものように褒めてほしくてそうしているのかと思ったが、今日の紫紺は違った。
 大きな手で、わしゃわしゃとアロイヴの頭を撫でてくる。反対の手を腰に回し、腕の中にアロイヴを抱き寄せた。
 ぽんぽんと背中を優しく叩く仕草は、子供をあやす親のようだ。
 
「もしかして……慰めてくれてるの?」

 アロイヴの問いに、紫紺はこくりと頷いた。
 穏やかに目を細めて笑って、もう一度、アロイヴの頭を撫でる。

「ごめん……今度から気をつけるね。さっきは助けてくれてありがとう」

 言い忘れていた礼を言って、アロイヴからも紫紺の身体に抱きつく。触れ合ったところから感じる紫紺の鼓動のおかげで、気分が落ち着くのがわかった。


   ◇


 夕食後、アロイヴは机に向かって今日の反省点を書き出していた。
 紫紺は許してくれたが、大失敗をやらかしてしまったことに変わりはない。今回は完全に自分の不注意だったが、失敗を悔やみ続けるよりも、繰り返さないようそこから学ぶほうが大事だ。

「刃物を持っているときに気を散らさないって……当たり前のことだけど」

 あのときの自分はどれだけ気が緩んでいたのだろう。
 ノートに今日の反省を書き終えたアロイヴは、ポーチからナイフを取り出した。今日使ったものだ。
 ナイフを鞘から抜き、魔力を流してみる。
 青白く発光する刀身を眺めていると、食器を片付け終えた紫紺がこちらに近づいてきた。

「食器、片付けてくれてありがとう」

 紫紺は首をふるふると横に振り、アロイヴの隣に立つ。おもむろにナイフを握るアロイヴの手に、自分の手を重ねた。
 手の甲に紫紺の魔力を感じる。

「え、ちょっと……これ」

 刀身の色が変わっていた。
 黒に染まったその刃の色には見覚えがある。紫紺がいつも使っている双剣と全く同じ色だ。

「……紫紺の魔力の色だよね、これ」

 紫紺が手を離しても、刃の色は元に戻らなかった。
 一時的に魔力を流しただけではなく、大量の魔力を魔剣に注ぎ入れたらしい。

「……でも、これじゃ僕には使えないんじゃ」

 魔剣というのは、魔力を注いだ者にしか使えない特殊な武器だ。紫紺の魔力に染まったナイフはもう紫紺にしか使えない。
 アロイヴのその呟きに、紫紺は首を横に振った。
 机の上に置いてあったアロイヴのノートを手に取ると、ぱらぱらとページを捲る。それはさっきまでアロイヴが反省を綴っていたノートとは別のノート――これまで読んだ本の内容で気になったことを書き留めてある、いわゆる勉強ノートだ。
 紫紺が目当ての箇所を見つけ、そこを指差した。

「『主は従魔の魔力を扱うことが可能』……って、これ」

 それは前に従魔術について書かれた本を読んだときに、気になって書き留めた内容の一つだった。
 ここでいう〈主〉とは、従魔の契約印が刻まれた相手――紫紺にとって、アロイヴを指している。

「もしかして……僕には、紫紺の魔力が宿った魔剣が使えるってこと?」

 紫紺が頷く。
 アロイヴは慌ててポーチから食材として買ってあった魔獣の肉を取り出した。
 その肉に、そっとナイフの刃を当てる。

「え、嘘……すごい切れ味」

 驚くほどの切れ味の変化に目を丸くした。

「本当にすごいよ、これ! あ、でも……もし、今日みたいな失敗をしたときに危ないんじゃ」

 今日と同じ失敗を二度とするつもりはないが、もしうっかり手を滑らせてしまった場合、このナイフの切れ味だと大怪我をしてしまうのではないだろうか。

 ――ナイフを使うときは防御魔法を使うとか? いや……効率悪すぎだよね。

 あれこれ考えていたときだった。
 紫紺が素早い動作でアロイヴの手からナイフを奪う。一瞬も躊躇うことなく、自分の手の甲にそのナイフを突き立てた。

「うわぁっ!! 何してるの、紫紺!」

 慌てるアロイヴとは対照的に、紫紺は顔色ひとつ変えていない。
 涼しい表情でナイフを抜き取ると、手の甲をアロイヴに見せつけた。

「……どうして、なんともないの?」

 間違いなく刺さっていたはずなのに、そこに傷はなかった。血も出ていない。

「え……手品?」

 紫紺は首を横に振る。
 今度はアロイヴにナイフを握らせると、刃の先端に指先を当てた。ナイフの刃は指先に刺さっているようにしか見えないのに、紫紺の指に傷はつかない。

「もしかして……」

 アロイヴも同じように指先を刃に近づける。触れようとしてみたが、ナイフの刃がアロイヴの指に触れることはなかった。
 確かにそこにあるのに、どうやっても触れない。

「これ……僕たちには触れない刃ってこと?」

 信じられない現象に、アロイヴは口をぽかんと開いたまま、目をぱちぱちと何度も瞬かせた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

英雄の元婚約者は魔塔で怠惰に暮らしたいだけ。

氷雨そら
恋愛
魔塔で怠惰に暮らしているエレノアは、王国では魔女と呼ばれている魔塔の長。 だが、そのダラダラとした生活は、突然終わりを告げる。 戦地から英雄として帰還した元婚約者のせいで。 「え? 婚約破棄されてなかった?」 連れ去られたエレノアは、怠惰な部屋で溺愛される。本人はそのことに気が付かないけれど。 小説家になろう様にも投稿しています。

【完結】25妹は、私のものを欲しがるので、全部あげます。

華蓮
恋愛
妹は私のものを欲しがる。両親もお姉ちゃんだから我慢しなさいという。 私は、妹思いの良い姉を演じている。

とびきりのクズに一目惚れし人生が変わった俺のこと

未瑠
BL
端正な容姿と圧倒的なオーラをもつタクトに一目惚れしたミコト。ただタクトは金にも女にも男にもだらしがないクズだった。それでも惹かれてしまうタクトに唐突に「付き合おう」と言われたミコト。付き合い出してもタクトはクズのまま。そして付き合って初めての誕生日にミコトは冷たい言葉で振られてしまう。 それなのにどうして連絡してくるの……?

A Caged Bird ――籠の鳥【改訂版】

夏生青波(なついあおば)
BL
 因習に囚われた一族の当主に目をつけられた高遠遥は背に刺青を施された後、逃亡した。  再び捕まった遥は当主加賀谷隆人の調教を受け、男に抱かれることに慣らされていく。隆人にはそうすべき目的があった。  青年と男が出会い、周囲の人間模様も含めて、重ねられていく時の流れを書き続けている作品です。  この作品は自サイト「Katharsis」で公開しています。また、fujossy・エブリスタとも同一です。 ※投稿サイトでは、主人公高遠遥視点の作品のみアップします。他の人物の視点作品は自サイト「Katharsis」に置いてあります。 ※表紙絵は、松本コウ様の作品です。(2021/07/22) ※タイトル英語部分を、全角から半角に変更しました。(2021/07/22)

【完結】何度時(とき)が戻っても、私を殺し続けた家族へ贈る言葉「みんな死んでください」

リオール
恋愛
「リリア、お前は要らない子だ」 「リリア、可愛いミリスの為に死んでくれ」 「リリア、お前が死んでも誰も悲しまないさ」  リリア  リリア  リリア  何度も名前を呼ばれた。  何度呼ばれても、けして目が合うことは無かった。  何度話しかけられても、彼らが見つめる視線の先はただ一人。  血の繋がらない、義理の妹ミリス。  父も母も兄も弟も。  誰も彼もが彼女を愛した。  実の娘である、妹である私ではなく。  真っ赤な他人のミリスを。  そして私は彼女の身代わりに死ぬのだ。  何度も何度も何度だって。苦しめられて殺されて。  そして、何度死んでも過去に戻る。繰り返される苦しみ、死の恐怖。私はけしてそこから逃れられない。  だけど、もういい、と思うの。  どうせ繰り返すならば、同じように生きなくて良いと思うの。  どうして貴方達だけ好き勝手生きてるの? どうして幸せになることが許されるの?  そんなこと、許さない。私が許さない。  もう何度目か数える事もしなかった時間の戻りを経て──私はようやく家族に告げる事が出来た。  最初で最後の贈り物。私から贈る、大切な言葉。 「お父様、お母様、兄弟にミリス」  みんなみんな 「死んでください」  どうぞ受け取ってくださいませ。 ※ダークシリアス基本に途中明るかったりもします ※他サイトにも掲載してます

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

欲情しないと仰いましたので白い結婚でお願いします

ユユ
恋愛
他国の王太子の第三妃として望まれたはずが、 王太子からは拒絶されてしまった。 欲情しない? ならば白い結婚で。 同伴公務も拒否します。 だけど王太子が何故か付き纏い出す。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ

SMクラブの女王様が悪役令嬢に異世界転生した結果

きみいち
恋愛
侯爵令嬢ゼノヴィアは、前世でプレイしていた乙女ゲームに転生する前は、SMクラブの女王様だった。今世での婚約者は第二王子アルバート。つまり殿下ルートの悪役令嬢という立ち位置にいる。M男でもないアルバートを相手に緊縛プレイの楽しい日々。そんなゼノヴィアの前に、ついにヒロインが現れた。 ※ただのえろラブコメです ※小説家になろう、にも掲載中

処理中です...