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最終章 ステージ上の《Attract》
43 繋がり
しおりを挟む真栄倉はドラとは違い、すでに本番用の衣装に着替え終えていた。
こちらを睨みつけるように見下ろしていた真栄倉が純嶺の顔を見るなり、くしゃりと表情を歪める。
だが、それも見間違いかと思うほどすぐに表情に戻すと、純嶺たちのいるロビーに繋がる螺旋階段を下りてきた。
大股でこちらに近づいてくる。
二人の前に立つと純嶺とドラの顔を交互に見て、呆れたようにわざとらしく大きな溜め息をついた。
「ったく……お前らが遅いから呼びにくる羽目になっただろ」
「ごめんごめん」
謝りつつも、ドラに悪びれた様子はない。
真栄倉に対してにっこり微笑んだ後、純嶺の体調を気遣うようにぽんぽんと背中に優しく触れた。
「お前……やっぱりまだ、本調子じゃないのか?」
真栄倉も、横目でちらりと純嶺のほうを見た。
ぎゅっと眉間に皺を寄せた表情は一見すると不機嫌そうだが、これは心配してくれている顔だろう。
相変わらずわかりにくいが、これが真栄倉だった。
「あの、さ」
「マエくん!! オレ、ひとっ走りステージまで行って、田中くん呼んでくるね!!」
「あ、ああ……」
純嶺に向かって何か言いかけた真栄倉に被せるように、ドラがそう宣言した。
戸惑いながら頷く真栄倉と、まだ不安症が治まりきっていない純嶺をその場に置いて、ドラは先ほど真栄倉が下りてきた螺旋階段を駆け上がっていく。
その後ろ姿を目で追っていると、先ほどまでドラが握っていた手のひらに新たな温もりを感じた。
真栄倉の手だった。
「……ついてこい」
そのまま、純嶺の手を引いて歩き出す。
真栄倉からこんな風に触れてくるのは珍しい。いつもはどこか距離を取るような態度だったのに。
そうしなければいけないと思わせてしまうぐらい、こちらの体調が優れないように見えたのだろうか。だとしたら申し訳ないと思いながらも、今はこうして誰かが触れていてくれたほうが落ち着く気持ちもあった。
――少し、マシになってきたみたいだな。
鼓動はまだ早い気がするが、呼吸が深くまで吸えるようになってきたおかげで、頭の奥が痺れるような感じはもうなくなっていた。
原因となるグレアから遠ざかったからだろう。
「…………ちょっと、いいか?」
ロビーを横切り、関係者用の通路を少し進んだところで真栄倉が突然足を止めた。
周りには、誰もいない場所だ。
「どうした?」
一緒に立ち止まり、後ろから声を掛けたが真栄倉に反応はない。
不思議に思っていると、急に動いた真栄倉がまだ握ったままだった純嶺の手を、ぐっと自分のほうへと引き寄せた。
「お、っと」
純嶺は思わずバランスを崩す。
気づけば、真栄倉が純嶺の身体を支えるような格好になっていた。抱きしめられているようにも見える体勢だ。
「悪い」
慌てて謝ったが、やはり真栄倉に反応はなかった。
身体を離そうとしても、背中に回された真栄倉の腕がそれを許してくれない。
「真栄倉……?」
「お前……来んのが遅いんだよ……」
純嶺の肩口に顔を埋めた真栄倉が、ぽつりと呟いた。
一瞬なんのことを言われたのかわからなかったが、続いた「ごめん」という謝罪の言葉に、真栄倉が純嶺に抱いている感情に気づく。
――責任を感じてたんだな。
それでも、そんな言い方をするのが真栄倉らしい。
ずっと純嶺のことを心配して、こうして顔を見るまで安心できなかったのだろう。さっき純嶺を見て一瞬顔を歪めたのだって、安堵からきた表情だったのかもしれない。
「……俺が、一緒に行けばよかったんだ。田中の言うことなんか無視して」
その声は涙ぐんでいるように聞こえた。
普段の真栄倉なら絶対にこんな感情を見せることはないのに、今回ばかりは我慢できなかったようだ。
身体も小刻みに震えている。
「……真栄倉」
純嶺からも、真栄倉の背中に腕を回した。
ずずっ、と鼻を啜る音が肩越しに聞こえてくる。宥めるようにその背中を撫でていると、突然、真栄倉が勢いよく顔を上げた。
慌てた様子で純嶺から身体を離す。
意外なことに、その顔に涙の跡は見当たらなかった。
「なんや、こんなとこにおったんか」
廊下の向こうから田中が現れた。
田中は純嶺たちのことを探していたのか、手を振りながらこちらに駆け寄ってくる。
真栄倉は田中に顔を見られたくないのか、そちらに背を向け、不機嫌そうに眉根を寄せていた。
だが、田中のほうが一枚上手だ。
素早い動きで反対側に回り込んで、真栄倉の顔を覗き込む。元々細い目をさらに細めて、呆れたような笑顔を浮かべた。
「おーちゃん、泣いたらあかんって言うたやん。もうすぐ本番やのに」
「泣いてねえし」
純嶺には見つけられなかった真栄倉の涙の痕跡を、田中は一瞬で見つけたようだ。
揶揄われた真栄倉が、田中の肩にパンチを繰り出している。田中が「痛い痛い」と悲鳴を上げるところまでが、二人のお約束のやり取りだ。
途中から笑い出した田中に釣られて、純嶺も表情を緩めた。
「せや。おーちゃんのこと、蘭紗サンが探しとったで。本番前に確認したいことあるって」
「ああ。わかった」
「ほんじゃ、純嶺サンはこっちな」
蘭紗の名前が聞こえて気になっていたのに、話を聞く暇はなさそうだった。
田中にちょいちょい、と手招きされる。
隣に立つと、さっきまで真栄倉に握られていた手を今度は田中が掴んだ。
「おれらも着替えて、はよ準備せなあかんやろ」
真栄倉が廊下の角を曲がったのを確認してから、田中が笑顔で告げる。
反対に、純嶺は表情を曇らせた。
「…………田中、おれは」
「聞かへんで。みんなが信じてんねんから、純嶺サンも信じなあかん」
田中は純嶺が何を言おうとしたのか、わかっているようだった。
ぴしゃりと強めに言葉の続きを封じられる。
「信じる……?」
「純嶺サンの性格的に、自分のこと信じんのは難しんかもしれんけど……仲間のことなら信じられへん?」
「でも……みんなに迷惑をかけるかもしれない」
「かけてほしいねんって。そもそも純嶺サンは、おーちゃんのことも、蘭紗サンのことも、別に迷惑やったなんて思ってへんねやろ?」
「ああ。思ってない」
「ほんなら、みんなもそう思てるって信じてくれへんかな」
「……そういうことか」
相変わらず、自分は周囲の感情の機微に疎いのだと気づかされる。
前にドラにも同じようなことを注意されたのに、また同じように自分から一歩引いてしまうところだった。
「ほんなら、行くで。時間ないねんから」
「……ああ」
田中と一緒に早足で廊下を進む。
純嶺の中で渦巻いていた迷いは、もうほとんどなくなっていた。
「おっしゃ。メイクはこれで完璧やろ」
「じゃあ、次は僕の出番ですね!」
「おう、ルーネ。衣装は任せた」
田中のメイクは毎回、驚くほどの早技だ。
それでいて仕上がりは、自分で何倍も時間をかけるよりも出来がいい。
メイクを終えた純嶺を、今度はルーネが手伝ってくれるようだった。田中に変わって純嶺の手を取ったルーネが、同じ楽屋の中にある更衣スペースに純嶺を案内する。
「それにしても……いいのか? 手伝ってもらったりして。別のチームなのに」
ルーネは田中と同じチームだ。
自分のメイクと着替えが先に終わっているとはいえ、自分たちの準備だってまだ残っているはずなのに、こんなことをしていていいのだろうか。
「水くさいですよ! 僕だって純嶺さんの力になりたくてここにいるんですから。それにチームは別でも、僕と純嶺さんが仲間であることに変わりはありません!」
力説されてしまった。
ルーネも心の底からそう思ってくれているのが伝わってくる。
「この衣装、本当に素敵ですよね」
純嶺のために用意された衣装を、ルーネがうっとりとした表情で見つめていた。
純嶺は羽織っていたジャージと入院着を脱ぐと、早速着替えに移る。
「……怪我は、そこまでひどくないんですよね?」
あらわになった純嶺の身体を見て、ルーネが心配そうに尋ねてきた。
純嶺も改めて自分の身体を見下ろす。
よく見ると、あちこち痣だらけだった。転倒したときに擦れてできた傷だろうか、かさぶたになっているところもある。
「平気だ。痛みもないから忘れてたぐらいだ」
「無理はしないでほしいですけど……でも、ステージに立ってる純嶺さんは見たいです」
「……ああ」
――本当に立てるのだろうか。
そんな不安が一瞬よぎる。
でも、仲間と仲間の信じてくれている自分を信じると決めたのだ。自分一人だけでは起こせない奇跡も、この仲間たちとならば起こせると信じたい。
「でも、本当に間に合ってよかったです。みんなすごかったんですよ。またその話も聞いてくださいね!」
「みんな……?」
「はい! 公演がここまで押してる理由はみんなの頑張りのおかげなので! 僕たちだけじゃなく、ファンの人たちも協力してくれたんですよ。すごいですよね」
二時間以上も開演が予定が遅れているのは、ただ開始時間をずらしただけではなかったようだ。
オーディションメンバーだけでなく、ファンも巻き込んでいたなんて――一体、どんなことが行われたのだろうか。気にはなるが、今は詳しい話を聞いている状況ではなさそうだった。
「よし、完璧ですね! この衣装を着てる純嶺さんが見れて、よかっ、た……っ」
「コラッ。泣いたらあかんて言うたやろ」
言葉の途中で感極まってしまったルーネの後頭部に、ぺしりと田中の平手が入る。
「っ、泣いて、ません!!」
「ほんま、おーちゃんもルーネも。まだ始まってへんのやで。あ、純嶺サンも泣いたらあかんからな?」
「……わかってる」
「絶対! 約束やからな! ほんじゃ、純嶺サンはこの廊下まっすぐ進んで右手な。そこで待ってるやつおるから」
ここから先は、純嶺一人のようだった。
田中とルーネは純嶺の背にそれぞれ手を添えると、とんっと優しく背中を押してくれる。
この廊下の先で待っている相手が誰なのか、純嶺には予想がついていた。
――何を、言われるだろう。
歩きながら考える。
自分の選択に後悔はなかったが、もしそれを咎められたらと考えると、どうしても足が重く感じた。
こんなところで立ち止まっている場合でないのはわかっていたが、それでも不安に沈みそうな気持ちは簡単にどうにかできるものではない。
それでも、少しずつ前に進む。
もうすぐ曲がり角というところで、向こうから伸びてきた手に手首を掴まれた。
そのまま、強い力で抱きしめられる。
すんと吸い込んだその香りだけで、ぎゅっと心臓を押し潰されるような痛みが走った。
「――アンタは絶対に来るって信じてたけど、やっぱ待つのはキツかった」
夢うつつに聞いていた声が、すぐ傍から聞こえる。
純嶺も無意識に身体を擦り寄せていた。
「…………染」
名前を呼ぶと、頭を撫でられた。
――そうだ、この手に触れてほしかったんだ。
気持ちが楽になっていくのがわかる。
重なって一つに聞こえる染の鼓動が、純嶺の不安だった気持ちを鎮めてくれる。
しばらくしてから身体を離すと、染がじっと純嶺の顔を覗き込んできた。
「顔色は悪くねえな」
「……心配をかけたな」
「まあな。でも絶対にアンタをこのステージに立たせるって決めてたから」
そう言いながら、染は自分の後ろを振り返る。
どうやらこの先にある扉が、ステージへと繋がっているらしい。
扉に近づくと、向こう側の熱気が伝わってくる気がする。
うっすらとだが、観客の歓声も聞こえてきていた。
「じゃ、行くか」
「それなんだが…………」
口を開いたものの、うまく言葉が出てこなかった。
残されたままの大きな問題が、不安となって容赦なく純嶺にのしかかってくる。再び不安症の発作が出そうになった純嶺の手を、染が包み込むように握った。
伝わってくるぬくもりに、ここまでもたくさんの人が同じように手を引いて、背中を押してくれたことを思い出す。
コウ、アキラ、ドラ、真栄倉、田中、ルーネ――そして、染。
自分は一人でここまで来たわけではない。
たくさんの人が支えてくれたおかげで、ここにいるのだ。
染の手をぎゅっと握り返し、顔を上げる。ステージに繋がる扉が開かれた。
扉をくぐると、一気にステージの空気に近くなった。
舞台袖でせわしなく動き回っている人たちが見える。スタッフたちは純嶺を見かけると「おかえり」と優しく声を掛けてくれたが、純嶺はそれどころではなかった。
一歩ステージに近づくにつれ、気分が悪くなってくる。
やはりこれだけは、染が隣にいてもどうにかなるものではないようだった。
純嶺の身体の震えは、繋いだ手から染にも伝わっているだろう。身体から急速に熱を失われていくのがわかる。
また、気を失ってしまいそうだった。
「――なあ、純嶺」
染が足を止めた。
こちらを振り返った染の目から、グレアの気配を感じる。
それが恐れる必要のないものだとわかっているのに、びくりと身体が過剰に反応してしまった。
「……俺のこと、信じてくれる?」
染が半歩こちらに歩み寄り、至近距離まで顔を近づける。
周りは音にあふれているのに、染の声だけはどの音にもかき消されることなく、純嶺の耳に届いた。
「……お前のことが信じられないなら、もう、他の誰のことも信じられなくなる」
「なんだよ、それ。殺し文句かよ」
染が気の抜けたような笑顔を見せる。
舞台袖に明かりは少ないのに、染の表情の変化だけはだけは手に取るようにわかった。
不思議な感覚だった。
「じゃあさ、目ぇ閉じて」
コマンドではないのに、身体が素直に染の言葉に従う。
「みんなの声、聞こえんだろ?」
「ああ……」
「あれ全部、アンタが到着したって聞いて、喜んでる声だよ」
観客の一人ひとりが何を言っているかまではわからない。
でも、その感情は確かに伝わってきた。
染の言うとおりだ。みんな喜んでくれている。
「あーあー……蘭紗のやつ、泣いてんな。こっからが本番だってのに」
ステージの上で、純嶺の到着をファンに報告したのは蘭紗だった。
嗚咽混じりの声に、純嶺も感情が揺さぶられる。
その声が、少しずつ遠ざかっていくようだった。周りの声の大きさは変わっていないはずなのに――不思議と、染の声だけに純嶺の意識は集中していく。
「純嶺――俺は、アンタと一緒にこのステージに立ちたい。アンタがひどい状態で病院に運ばれてきたとき、少しだけ……もうだめかって諦めかけたけど、でも……アンタが俺を信じてくれたから」
「……おれ、が?」
「ずっと俺の名前を呼んでたの覚えてない? 意識のない一番無防備なときでも、アンタは俺が傍にいることを許してくれた。だから俺は、アンタのその信頼に応えたいと思った」
名前は、確かにずっと呼んでいた。
染が近くにいるのを感じていたからだ。
「アンタが目を覚ましたとき、ちゃんと踊れるように――このステージに立てるようにって」
――そう、誰よりも信じていてくれたのか。
目頭が熱い。
田中に絶対に泣くなと念を押されていなければ、涙はあふれてしまっていただろう。
「俺はアンタの踊る姿が好きだ。初めて見たときから、ずっと好きで憧れてた。いつかアンタと同じステージで一緒に踊るんだって、それを目標に今日まで踊ってきたんだ」
染の突然の告白に、純嶺は驚いて目を開いた。
照れくさそうに笑う染と視線が絡む。
「……それ、って」
「前に話しただろ。俺にはこの世界に進むきっかけになった相手がいるって。あれはアンタだよ。だから、責任取れって話」
染の瞳から放たれるグレアが強くなった。
自分のすべてが染に支配されていくのがわかる――でも、もうそれが恐ろしいと感じることはない。
「純嶺、一緒に《魅せつけるぞ》」
ぴたり、と身体の震えが止まった。
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