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第5章 中間審査
17 前日
しおりを挟むオーディションが始まってから、あっという間に九日が過ぎた。
純嶺含め、オーディションメンバーはレッスン漬けの日々を送っている。
レッスンは多岐にわたっていた。
チームごとのダンスレッスンだけでなく、ボイストレーニングやラップのレクチャー、それ以外にも各々に合わせた個別レッスンが用意されている。
全員を同じように伸ばすのではなく、個々の長所を伸ばすというのがこのプロダクションのやり方のようだ。
本人の希望次第でいくらでもプロの講師から無料でレッスンが受けられるなんて、驚くほど恵まれた環境だ。
しかし、浮かれてばかりもいられない。
十日目である明日、オーディションの中間審査が行われることが決まっていた。
「いよいよ、明日かぁ……」
純嶺の向かいで朝食を食べていたドラも、さすがに緊張を隠せていなかった。
それでも食欲が落ちないのは、いかにもドラらしい。今日もプレートいっぱいに盛った朝食を、ぱくぱくとすごい勢いで食べ進めている。
「……勝てるかなぁ」
「やれるだけのことは、やったつもりだ」
「うん。だよね」
最初はどうなることかと思っていたチームの仕上がりも、純嶺の予想以上によくなっていた。
ダンス初心者の二人――ルーネと叶衣の頑張りはもちろんのこと、その二人を支える周りの働きのおかげもある。
特に真栄倉は驚くほど、チームのために動いてくれた。
基本的に初心者の二人にダンスを教えるのは純嶺だったが、純嶺の手が回らない部分に関して率先して動いてくれたのは真栄倉だった。
――あいつは目がいい。
他人の踊りを見て、だめな部分にすぐ気づけるというのも才能の一つだ。
なんとなくよくないというのは誰しも見てわかることだが、細かい部分に気づき、的確に指摘するというのは簡単にできることではない。
経験者であればこれまでの知識や経験を元にある程度、どの部分に問題があるか想像もできるが、真栄倉はそこまでダンス歴が長いわけではない。
持ち前の目のよさでそれに気づき、的確にアドバイスできるというのは彼の強みだった。
「おい、田中。何ちんたら食ってんだよ。朝練するんだろ?」
隣のテーブルから真栄倉の声が聞こえてくる。
手に持ったフォークを向かいに座る田中に突きつけ、どう見ても脅しているようにしか見えなかった。
「おーちゃーん……飯ぐらい、ゆっくり食べさせてえや」
「審査は明日なんだぞ。なんでお前はそんなに緊張感ないんだよ。クソが」
真栄倉の口が悪いのは相変わらずだが、それも彼らしさなのだと今ではチーム全員から受け入れられている。
叶衣とルーネは、そんな真栄倉を慕っているといってもいいほどだ。
「おい、そっちのお前らも朝練来るんだろ?」
純嶺の視線に気づいた真栄倉がこちらを見た。
突然声をかけられ驚いたのか、ドラがパンを喉に詰まらせて「んぐんぐ」と変な声を上げている。
「悪い。今日はちょっと用事がある」
朝練に参加したい気持ちは山々だったが、今日は先約があった。朝一に医務室に顔を出すよう、宮北に言われているのだ。
純嶺の答えに、真栄倉は一瞬不機嫌そうに顔を歪めた。
「…………ふーん。全体練習の時間には遅れんなよ」
純嶺の用事が気になっているはずなのに、無理に内容を聞き出してこないところが真栄倉らしい。
その辺りは気遣って遠慮するタイプなのだ。
「おい、ドラ。お前はあと五分で食え」
「え、え……ちょ、いくらオレでもこれ全部を五分で食べるのは無理だって」
「じゃあ、三分」
「短くなってるじゃん!!」
真栄倉とドラも随分仲良くなっていた。
ドラが弄られる側ということで落ち着いたらしい。田中と同じポジションだ。
「……なんか失礼なこと考えとるやろ、純嶺サン」
訝しげな視線をこちらに向ける田中を無視して、純嶺は残っていたアイスティーを一気に喉に流し込んだ。
◇
「おはよ」
医務室のある別棟に続く渡り廊下を歩いていると、後ろからポンッと肩を叩かれる。
立ち止まって振り返り、純嶺はきゅっと眉根を寄せた。嫌そうな表情を浮かべる純嶺とは反対に、目を合わせた染は嬉しそうに目を細める。
「アンタ。相変わらず、物騒なツラだな」
「……お前は軽薄そうだ」
「言うじゃん」
純嶺の軽口に、染は楽しんでいるようだった。
朝練に向かうところだったのか、染はシューズとタオルを手にぶら下げている。
あの夜、スタジオで踊りを見せ合って以来、染はこうして純嶺に話しかけてくることが増えた。
ただでさえ、目立つ男なのに――それが毎度こんな風に寄ってくるのは、純嶺としては落ち着かない。珍しい獣に懐かれたような気分だ。
「いよいよ明日だな」
歩き始めた純嶺の隣に、染は当たり前のように並んで歩きながら話しかけてきた。
「お前でも、緊張するのか?」
「いや、楽しみなだけ」
本当に微塵も緊張を感じさせない横顔だった。
楽しみというのは強がりではないのだろう。
――少し、羨ましいな。
純嶺はそんな風には思えない。
オーディションに関しては、何もかも不安だらけだ。
その感情の揺れを見抜かれたからこそ、こうして審査前日に医務室に来るよう宮北にも言われてしまったのだろう。
他の二次性より、Subは不安をうまく処理できない。
「っつうか、緊張したり悩んだとこで評価するやつの正解なんてわかんねえしな。今、自分が表現したいものをやるだけだ」
「まあ、それはそうだな」
染の言うことは理解できる。
やれるだけの準備をして、当日最高の表現を見せる――それ以外にできることなどない。
ただそう考えたとしても、漠然とした不安が付き纏う。この不安の根がどこにあるのか、自分自身のことなのに純嶺本人もまだ掴めないでいた。
「じゃあ……おれはこっちだから」
「ああ。またな」
医務室はスタジオを通り過ぎた先にあったが、純嶺はあえてその手前で染と別れた。
医務室に向かうところを人に見られたくはない。少し遠回りをして医務室へと向かう。
途中、給湯室の前で宮北とばったり遭遇した。
「おはよう、芦谷くん」
「……はようございます」
宮北は今日もニコニコと話しかけてきた。
純嶺は少し視線を外しながら挨拶を返す。相手が医者だからなのか、どうにも気まずい気持ちになる。
「コーヒーを淹れたらすぐに行くから、部屋で待っていてくれる?」
「……わかりました」
ぺこっと軽く頭を下げて、純嶺は足早にその場を離れた。
在室中という札のかかっている医務室の扉をノックすると、すぐに宮北の助手である城戸が姿を現す。
「おはようございます、芦谷さん。どうぞお入りください」
城戸とも診察のたびに会っていた。
宮北より城戸のほうが薬の種類や飲み合わせに詳しいらしく、宮北が城戸に助言を求めているところをよく見る。
「体調はどうですか? 副作用とか」
「特に自覚症状はないと思う……ただ、効果もよくわからないが」
「副作用がないのはよかったです。効果についてはなかなか自覚しにくいでしょうね。先生が戻ってくる前に、いつもの数値だけ測っておきましょうか」
そう言って城戸が差し出したのは、検査に用いられる器具だ。
太いボールペンのような見た目のそれは、お尻の部分にあるボタン押すとペン先から細く短い針が飛び出してくる仕組みになっていた。それを指先に突き刺し、採取した少量の血液中に含まれる何やら小難しい名称の数値を計測するものらしい。
純嶺はそれが他のSubより高く、恐らくはそれがこの症状を起こしている原因ではないかと前に説明されていた。
「チクッとしますよ」
何度やっても、この瞬間は慣れない。
そこまで痛い検査ではないとわかっているのに、どうしても身構えてしまう。
バチンと大袈裟な音が部屋に響く。やはり痛みはそれほどではなかったが、無事検査が終わったことに純嶺はほっと胸を撫で下ろした。
「先に始めてたんだね。どうだった?」
そこに宮北が戻ってきた。
コーヒーのいい香りが一瞬で部屋に充満する。
宮北は自分の席に腰を下ろすと、城戸の手の中にある検査器具の数値を覗き込んだ。
「数値は前と変わってませんね。四日前に測ったときは大きく変化があったので、もう少し変わるかと思ったんですが……でも、許容範囲だと思います」
「芦谷くんは元々この数値が高いのかもしれないしね」
「それも考えられますね」
二人は話しながら、純嶺のカルテに何やら書き込んでいる。
しばらくして、宮北が純嶺のほうに向き直った。
「芦谷くんの自覚としてはどうかな?」
「えっと、さっきも城戸さんには話しましたけど……あんまり、よくわかんないです」
「わからない、かぁ。前はDomに視線を向けられるだけで気になるって話してたけど、それも変わらない?」
「……あ、そういえば」
宮北に言われて気がついた。
前は気になって仕方なかった染の視線が、最近は全く気にならない。慣れただけかと思っていたが、それが薬の効果である可能性はあった。
「何か思い当たる節があるんだね。ってことは、この薬で様子を見てもいいかもしれないな」
「そうですね。副作用も出ていないようなので、量も回数もこのままで」
――もしかしすると、今回はいい結果が出るかもしれない。
これまでには一度もなかった手ごたえだ。
まだ手放しで喜ぶには早いのだろうが、期待してしまう気持ちを抑えることは難しかった。
◇
他のメンバーに一時間近く遅れて、純嶺はスタジオに到着した。
すぐに準備運動を済ませ、練習に合流する。全員揃ったということで早速、曲に合わせて踊ることになった。
――一週間ちょっとで、ここまでできるようになるとはな。
全員、パフォーマンスのレベルが格段に上がっていた。
振付を完璧にマスターしているのはもちろんのこと、歌のパートに合わせたポジションチェンジやマイクの持ち替え、観客へのアピールを想定した動きなど、ステージでの魅せ方を意識できている。
各々の個性を存分に発揮できるレベルには到達できていなかったが、それでもまずはここまで合わせられるようになっただけ及第点だろう。
上を見ればキリがない。
別の二チームのことを考えない日はなかったが、レベルの違う経験者と初心者のいる自分たちのチームを比べるのは無駄なことだ。
――大丈夫だ、負けない。
今は、そう信じて踊るしかない。
「……こんなもんか」
踊り終えて、そう呟いたのは真栄倉だ。
録画用にと設置してあったタブレットを手に取って、すぐに先ほどのパフォーマンスを確認し始める。
「叶衣、サビのここ。歌いながら、この振り入れるのはやっぱ難しいか?」
「……うー、やっぱりズレてますよね」
このチームでメインボーカルを務めているのは叶衣だ。他のメンバーにもそれぞれソロパートはあったが、一番多くのパートを引き受けてくれている。
理由はもちろん、この中でダントツに歌がうまいからだ。
歌いながら踊るということが、こんな難しいだなんて知らなかった。
軽く口ずさみながら踊るのとは違う。
コウたちのステージを見てやり方はわかっているつもりでいたが、彼らは全員それを難なくこなす人間ばかりだったので、ここまで大変だとは思っていなかった。
ただマイクを持って歌えばいいというものではない。その動きすら、パフォーマンスとして魅せなければいけないのだ。
それを自然に見せることに、どれだけ練習を費やしたかわからない。
「ルーネ、まだ時々表情が硬くなるから気をつけろ。モデルなら、そういうハッタリは得意だろ?」
「わかった。気をつける」
こういった細かい部分の指摘は真栄倉に任せていた。
俳優という仕事柄か、真栄倉はそういった表情や動きの演出がうまい。
「――おい、お前も眺めてないで意見聞かせろ」
「ああ」
真栄倉に呼ばれ、純嶺も一緒にタブレットを覗き込む。
クオリティアップの話し合いは、レッスン最終日の今日もかなりの熱がこもっていた。
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