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第2章 正体不明のDom
06 Subとしての欲求 *
しおりを挟むしゃがんで前に手をつくおすわりの姿勢から、目の前に同じように座り込むDomに向かって身体を伸ばす。そのまま顔を近づけ、唇同士を触れ合わせた。
ふにりと柔らかく触れた唇の感触に、ぞくりと腰のあたりに気持ちよさが駆け抜ける。
ん、と短く鼻を鳴らした純嶺に気づいた男が、吐息を漏らすように笑った。
「ほら、さっきみたいに舌使えよ」
挑発するようにそう言いながら、純嶺の唇をがじがじと甘噛みする。
最後に噛んだ場所をぺろりと舐めてから、純嶺に見せつけるように、うっすらと唇を開いた。ちろりと動いた男の舌に誘われるように、純嶺も舌を伸ばす。
「ん、ぅ」
ぬるりと舌同士が触れ合った瞬間、またしてもさっきと同じような気持ちよさが純嶺を襲った。
今度はさっきより声が我慢できない。口を開いて、舌を伸ばしているせいだ。
ぴちゃぴちゃと濡れた音が部屋の中に響く。
夢中で男の舌を味わっていると、くしゃりと男の手が純嶺の頭を撫でた。犬を可愛がるように純嶺の髪を撫でまわした後、唇を離す。
「ったく。やっぱり、可愛いな、アンタ」
「……っ、あ……おれ」
「正気に戻んなよ。今の状態が気持ちいいなら、そのまま俺の命令聞いとけって。ほら、《いい子》」
いい子――そう褒められたら理性を保っていることなんてできなかった。
男の放つグレアが少し強くなったのもあるだろう。
純嶺の表情がとろりと緩む。近くにあった男の手に頬を擦り寄せていると、いきなり男の反対の手が純嶺の後頭部を強く押さえた。
そのまま、深く口づけられる。
咥内を蹂躙するような、息をも奪う深い口づけだ。
いきなりのことに驚きはしたが、不思議なことに抵抗する気は全く起きなかった。
指を無理やり捻じ込まれたときには不快感が伴っていたのに、今は全く嫌だと思わない。むしろ、この男に激しく求められていることに、腹の奥からこみ上げてくるゾクゾクが止まらない。
「……ッ、ん」
びくびくと全身の震えも止まらなかった。
身体にうまく力を入れることができず、おすわりの体勢を保っていることすら難しくなってくる。
純嶺は、男の身体に凭れるように脱力した。
「……っ、はぁ、はぁ」
「途中で嫌がるかと思ったのに――案外、被虐心は強めみたいだな」
「?」
酸欠のせいで頭が回らない。
くてんと首を傾げながら、至近距離の男の顔を見上げたが、やはりサングラスが邪魔をして男の表情を知ることはできなかった。
「なん、て……?」
「気にすんな。《いい子だ》って言ってんだよ」
「ん、ぁあ――ッ」
ビクン、と大きく身体が跳ねた。
男から放たれた、桁違いに強いグレアのせいだ。「悪い」と焦ったように謝る男の声が聞こえた気がしたが、それもすぐに遠くなる。
純嶺の視界は真っ白に塗りつぶされた。
◇
ふわふわと、いい気持ちだ。
背中に触れるスプリングの弾力も、肌に触れるシーツの感触も――それに、頭を優しく撫でる手のあたたかさも、すべてが心地よくてたまらない。
こんなにも穏やかな気持ちになったのは、いつ以来だろう。
自分がSubだとわかってから、いつだって純嶺の胸の内には不安が渦巻いていた。
だが、今はそれがない。
ただただ気持ちよくて、あたたかくて――それでいて、幸せで。
「……ん」
それでも、無情に目覚めはやってくる。
穏やかな気持ちよさは、急にぷつりと途切れた。
「目が覚めたか?」
「……ここ、は」
「プレイ中に意識が飛んだんだよ。気分はどうだ?」
――プレイ……そうだ。ここはプレイルームの。
話しかけてくる男の声に、少しずつ頭がはっきりしてくる。
横になったまま、ぐるりと周りを確認するとそこは純嶺の記憶どおり、あのプレイルームに間違いなかった。どうやら、部屋に備えつけられていたベッドに寝かされているようだ。
ベッドの縁に腰掛けている男の手が、ずっと純嶺に頭に触れている。優しく撫でる感触は慣れないもので、なんだか落ち着かない。
それでも、払いのける気にはなれなかった。
「悪かったな。グレアを強く当てすぎたみたいだ」
「これは、グレアの影響か……」
意識ははっきりしてきたが、まだ頭のふわふわは完全に治まっていない。
どこかが痛んだりするわけではないが、身体の調子もいつもとどこか違う気がした。動きを確かめるように自分の手を見つめていると、男が横から純嶺の顔を覗き込んでくる。
「起きられそうか?」
「たぶん、大丈夫……っと」
大丈夫と答えたのに、身体を起こした瞬間、くらりと大きな揺れの眩暈が純嶺を襲った。そのままバランスを崩して、ベッドから落っこちそうになる。
衝撃を覚悟して、純嶺はぎゅっと目をつぶったが、その身体は力強い腕に支えられた。
「あっぶねえな。ほら、そんな慌てんなって」
「…………悪い」
「いや、こっちが下手打ったんだ。謝るなら俺のほうだろ」
男は本心からそう思っているようだった。
穏やかな声色で純嶺のことを気遣いながら、身体を起こすのを手伝ってくれる。
「顔色は悪くねえし、ドロップしたわけじゃなさそうだな」
「……わかるのか?」
「ん?」
「そのサングラス越しに、顔色が」
「っふは。確かに」
純嶺の素朴な疑問に、男は再び噴き出した。
この男は笑い上戸なのだろうか。面白いことを言ったつもりはないのに、いったん笑い出したら止まらないのか、身体を小刻みに揺らして笑っている。
「スペースに入った感じでもなかったし、ちょっと焦ったけどな。本当にグレアに影響されやすいんだな、アンタ」
「……ああ」
笑いをおさめた男がそう言いながら、純嶺の刈り上げ部分をサリサリと指で撫でる。
こうして自然に触れてくるのも、この男の癖なのかもしれない。慣れない純嶺としてはどう反応していいかわからなかったが、触れてほしくないわけではない。
男の言葉に短く同意しながら、視線を彷徨わせる。
「ここまでグレアに敏感だと、いろいろ大変じゃねえの?」
「まあ、な」
男の言うとおり、この症状には嫌というほど悩まされてきた。
意識的に向けられたグレアだけでなく、Domの視線に微量に含まれるグレアすら純嶺には影響がある。
相手が一人ならまだしも、大人数ともなれば感情を大きく揺さぶられてしまうほどに――それが、純嶺がずっとステージに立てない理由だった。
「そんな不安そうな顔すんなよ。不安はSubの大敵だぞ」
合宿の間、Subの欲求に悩まされないように――それを発散するためにこの店に来たのに、嫌な現実を突きつけられてしまった。
動けなくなってしまうだけでも厄介だというのに、まさかグレアで気を失ってしまうなんて。
こんな状態の自分が合宿に参加して、本当に大丈夫なのだろうか。
ダンサーとして舞台に立つという夢を諦めたいわけではない。
今度こそ、前に進みたい――そう思ったはずなのに、この挑戦は誰のためにもならないのではないのかと考えてしまう。
「――ッ、お前、何して」
サングラス越しに感じていた男の視線にグレアが混ざったのがわかった。
ぞくりと背中を駆け抜けた独特の感覚に、純嶺は吐く息を震わせながら非難の声を上げる。だが、男はわずかに唇を持ち上げて笑っただけで、グレアを引くことはしなかった。
「アンタがずっと暗い顔してるからじゃん。まだプレイ中なんだからいいだろ?」
「プレイ中って……もう、終了時間じゃ」
「こっちの過失で気絶させちまったのに、その時間を料金に含んでたら優良店とは言えねえからな。ほら、ちゃんと満足させてやる――《ここに横になれ》」
せっかく身体を起こしたところだというのに、男はコマンドを使ってそう言うと自分の太腿をぽんぽんと叩いた。
抵抗できそうにない。
純嶺は男の太腿を枕にするように、ごろりと横になった。
「……つっても、あんまり激しいことはしねえから、力抜いとけ」
「何、を」
「いいから。ほら、目瞑って」
男が何をしようとしているのか、全くもって想像がつかない。それでも、この状況を嫌だと思っていないのも事実だった。
相手は出会ったばかりの金で買ったDomだというのに、男に命じられることに身体が慣れてきている。
「今は難しいこと考えんなって。俺の命令だけ聞いて――この時間、アンタは俺のSubだろ?」
「……お前の、Sub?」
「そう。だから全部、俺のせいにしていい。アンタは悪くねえよ」
――なんだ、その理屈は。
馬鹿げている――理性的に考えればそう思うのに、本能は違うようだった。
いつだって自分に重くのしかかっていた得体の知れない〈何か〉が、男の言葉ですっと軽くなったような気がする。自分で一人で考えなければいけない、答えを出さなければいけないと思っていたものを全部、この男が代わりに持つと言ってくれたおかげだ。
ただそれだけのことなのに、こんなにも救われた気持ちになるなんて――。
「そういえば、まだアンタの希望を聞いてなかったな」
「おれの希望……?」
「Subとして、アンタは俺に何を求める?」
「……Subが、Domに何かを求めていいものなのか?」
プレイとはDomが主導権を握り、一方的にSubを支配し、痛めつけるようなものなのだと思っていた。Domの言うことは絶対でSubには拒否権すらないものなのだと。
それなのに、まさかSubである自分の求めるものを聞かれるなんて考えてもみなかった。
「もちろん相手にもよるけどな。俺はDomとしてSubのアンタを満たしてやりたい。だから、してほしいこととか、やりたいことがあるなら、ちゃんと言ってほしい」
「……まだ、あんまりわからない……けど」
「けど?」
「…………いや」
男のグレアのせいか、それとも目を閉じているせいか。
どこかふわふわとして、考えがまとまらない。
だが、男の質問を聞いて一つだけ、純嶺の頭には思い浮かんだことがあった。一瞬、口にしかけたが、それがおかしな欲求だと先に気づいて、純嶺はすぐに言葉を呑み込む。
「なんだよ。そこで止めんなよ」
「……でも、これは、Subとしてはおかしいから」
「《言えよ》」
「――ッ」
突然のコマンドに純嶺は小さく息を呑んだ。
Domに従いたいと望むSubの本能を偽ることはできない――ゆっくりと、口を開く。
「……噛みたい」
「噛みたい? 『噛まれたい』じゃなくて?」
「だから……こんなのは、変だって」
「いいんじゃねえの。それがアンタの欲求だっていうなら、付き合ってやる」
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