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第1章 ステージに立てないダンサー
03 悪夢のその先
しおりを挟むSubだからと言って、絶対にステージに立てないというわけではない。
薬をうまく使うことで、表現者として舞台に立つSub性の人間は少なからず存在したし、純嶺もそれを知らないわけではなかった。
実際にその方法を試さなかったわけでもない。
むしろ誰よりも積極的に情報を集め、方法を模索し、どうにかしてステージに立つことを望んだ。
ダンサーでありたいと、一番に望んでいるのは純嶺自身だ。
だが、純嶺は何度も自分自身に裏切られた。
どれだけ〈効果がある〉と謳われている薬を飲んでもだめだった。
何度試しても効果は出ず、むしろ副作用にだけ苦しめられた。数年もの間、必死にもがき続けても解決策は見つからず、最終的に残ったのは絶望だけだった。
折れてしまっても、仕方がないと思う。
プライドだけでも保っておかないと、もう立っていることすら難しい。
ダンスを嫌いにだけはなりたくない――今、純嶺が必死で願っているのはそれだけだった。
「……返事、どうしよう」
アキラはギリギリまで待つと言っていた。
その期日まで、あと一日しかない。
断るにしても、きちんと連絡は入れておくべきだろう。
アキラもコウも、純嶺のことを考えてくれたからこそ、あの提案をしてくれたのだ。
それを理解しているだけに、無視はできない。
『やめておく』
その文面は、随分前からスマホの画面に入力されていた。
送信ボタンを押せないのは、まだどこかで迷っているからだ。
進むことも、諦めることもできない。
このまま、締切を過ぎてしまえば――そんな風に受動的に考えてしまいそうになる。だめだとわかっていても、楽なほうへ逃げたくなってしまう。
「……あー……くそ。決められるかよ」
ベッドに寝転がったまま、天井に向かって吐き出す。
一人きりの部屋に、純嶺の声は空しく響いた。
◇
「――い、おい! 純嶺、聞いてんのか?」
「え、あ……コウ?」
「何、お前寝ぼけてんの?」
目の前に立っているのは、まだ顔に幼さの残る、声変わりをしたばかりの頃のコウだ。
自分の声も随分高い気がする。
意味もわからず、ぼんやりとコウの顔を眺めていたら、まだ大きくなりきっていないコウの手にペチンと額を叩かれた。
「ほら。俺らの出番、次だぞ」
――あ、これ……あの時の夢か。
このセリフには聞き覚えがある。
もう何度も夢で見た――これは純嶺にとって、悪夢だった。
舞台袖に集まっているのは、一緒にダンススクールに通う仲間たちだ。
いくつもの審査を勝ち抜き、ようやく立つことが許された大舞台――有名アーティストたちが集まるフェスの前座の一つとして、純嶺たちのチームはこの大きな舞台に立たせてもらえることになっていた。
――おれは、立てなかったんだ。
この夢の結末はもう知っている。
わざわざ何度も見たいものではない――それなのに、もう何度もこの夢を見せられる。お前はステージに立っていい人間ではないと、そう純嶺に認めさせようとするかのように。
――もう、充分わかってるよ。
プライドだけではどうにもならない。
どれだけあがいても、自分はあの場所に立つことができないのだ。
一人でどれだけ踊れたとしても、無駄なこと――そんなこと、純嶺が一番わかっているのに、それを認めてもなお、この夢を見せられ続ける。
少しでも望もうとしたことを咎めるように、ただ夢を見ることすら許さないと言わんばかりだ。
「終わった。次、俺たちだ」
コウが弾んだ声を聞かせた。
これから立つステージを見つめるコウの瞳は、キラキラと輝いている。
あの日、純嶺も同じ気持ちで、同じような目をしてステージを見つめていたはずだった――だがもう、その気持ちを思い出すこともできない。
人前で踊るのは、これが初めてではなかった。
これまでも小さなステージでなら、何度もダンスを披露した経験がある。
純嶺にとって、人前で踊ることは緊張よりも高揚が増すもので――あの日だって、あの場で踊ることを純粋に楽しみにしていたはずだったのに。
――ここで、急に動けなくなったんだ。
ステージに向かおうとした瞬間、急に不安な気持ちに襲われた。
身体がガクガクと震え始め、すぐに立っていられなくなる。
「……純嶺?」
崩れ落ちるように座り込んだ純嶺を、心配そうな表情でコウが見つめていた。
後ろで見守っていたダンススクールのコーチが、純嶺の様子がおかしいことに気づいて、慌てて駆け寄ってくる。
「コウはステージに出て。純嶺はこっちに」
「嫌だ――ッ」
コーチの手に触れられることすら、怖くて仕方なかった。
自分の身に一体何が起こっているのかもわからなくて、ただ何か得体の知れない恐怖が次から次に襲ってきて――「ごめんなさい、許して」と誰ともなく、ずっと謝り続けていた気がする。
その記憶も、酷く曖昧だった。
舞台袖でぎゅっと小さく縮こまって、ガクガクと震えながら、涙を流し続け――このまま死ぬかもしれない、あのときは本当にそう感じていた。
――この後、どうなったんだっけ。
いつもなら、ここで飛び起きる羽目になる。
だが、今日の夢はまだ続くらしい。
純嶺はこの後のことを覚えていない。どうなったのか、誰にも聞いたことはなかった。あの日のことについては、これまでずっと触れないようにしてきたからだ。
「……大丈夫。ゆっくり息を吸って」
優しい声がすぐ傍から聞こえた。
同い年ぐらいの少年の声だ。
純嶺の肩を優しい力で撫でているのは、その声の持ち主のようだった。
コーチに触れられたときはあんなにも嫌だったのに、その手に触れられるのは不思議と嫌ではない。そこから染み込んでくるあたたかさが、純嶺の不安な気持ちを少しずつ取り去ってくれるかのようだった。
――これは、本当にあったことなのか?
覚えていないはずの記憶。
これがあの日、純嶺の身に本当に起こった出来事なのかどうかは判断がつかなかった。
自分に都合のいい夢の続きを見ているだけかもしれない。
それでも、この夢の中で初めて安心できる今の状況を――この少年の存在を疑う気にはなれなかった。
「そう。ゆっくり……上手だよ、《いい子だ》」
「……ん、ぁ」
「そうか。君……怖がらなくていいから。俺のことを信じて」
いい子だ――彼のその言葉に、一気に気持ちが凪いでいくのを感じた。
震えも治まっている。
あの得体の知れない恐怖も、もう感じていなかった。
――今のは、コマンド?
気持ちが落ち着いてくるのと同時に、今度は極度の疲労が純嶺を襲った。
酷い脱力感で、瞼すら開けていられない。
でも、怖い場所に引きずり込まれる感じはしなかった。
ここは安全な場所だと不思議とそう思える。
「大丈夫だから、そのまま眠って……このことは忘れてもいい。だから、恐れずにまたステージに立ってほしい。俺は、君のダンスが好きなんだ」
震える瞼の隙間から、涙があふれて止まらなかった。
◇
目が覚めて、一番にしたのはアキラにメッセージを送ることだった。
『オーディション、受けてみようと思う』
そんな短いメッセージに、まだ早朝の四時だというのにアキラからは速攻で返信が届いた。『ありがとう』なんて、本当に言うべきは純嶺のほうなのに、こんなところまで気遣ってくれるアキラの思いに胸が痛くなる。
すぐにコウからも連絡がきた。
アキラが連絡したのだろう。
『これでまたライバルだな』なんて、気の早すぎるメッセージに『バカかよ』と短く送り返す。
それでも、純嶺の表情は自然と笑顔になっていた。
現実でも眠ったまま泣いてしまっていたらしく、目が腫れぼったくて仕方なかったけれど、不思議と気分はすっきりとしている。
――全部、ただの夢かもしれないけど。
でも、その夢に背中を押されたのは本当だ。
同じセリフをコウやアキラから、今まで言われなかったわけではない。二人はいつだって、純嶺の背中を押そうとしてくれていた。
その気持ちを素直に受け取れなかったのは、純嶺自身の心の弱さだ。
そうだと気づいていても、身近な存在の二人の言葉は素直に受け取ることができなかった。
でも、夢の中の少年の言葉は違った。
他の誰とも違う、特別な言葉に聞こえた。
「誰、だったんだ?」
もし、現実に彼がいたとしたら――一体、あれは誰だったのだろう。
同じ舞台袖にいたということは、あのステージの関係者ということになる。年の近い人物があの日、あの場所に同じダンススクールの人間以外でいただろうか。
「……コウに聞いたら、わかるかな」
あの日のことを話題に出す勇気はまだない。
コウがずっと、それを避けていることも気づいていた。
――いつか、聞ける日がくれば聞いてみたい。
そう思えたことすら、純嶺にとっては大きな一歩だった。
◇
「待て。アキラ……お前、今なんて?」
「だから、通ったんだって。オーディションの第一審査」
二週間後。
純嶺はアキラに呼び出されて、アキラの自宅兼事務所を訪れていた。
その机の上には、合格と書かれてた書類が置かれている。純嶺の名前が入ったその書類は、紛れもなくオーディションの合格通知だった。
「……それは、ちゃんと聞こえた。その後だ」
「ん? 『来週から一か月間の合宿審査が始まるから、出発日までにちゃんと準備しておいてよね』ってやつ?」
アキラは首を傾げながらも、先ほども言ったセリフをもう一度、一言一句変えずに繰り返してくれた。
だがやはり、すぐには理解できない。
「一か月……合宿審査?」
「そう。景プロの合宿所に泊まり込みでね。その合宿の中で、さらに審査が進められるらしいよ」
「ずっと、泊まり込みで?」
「あれ? その話、してなかったっけ」
「聞いてない!」
すべて初耳だった。
アキラは全部説明したつもりだったらしい。
純嶺が声を荒げると、申し訳なさそうに眉尻を下げている。その顔は、飼い主に怒られている犬のようだ。
「……純嶺ちゃん。やっぱりやめるとか、言わないよね?」
「ここまで来て、そんなこと言えるわけないだろ。というか……本当に通ったんだな」
まだどこか信じられない。
合格通知を目の前にしても、地に足のつかないような、ふわふわとした感覚が続いている。
――でも、現実なんだよな。
もしかしたら、最終的には落とすつもりなのかもしれない。
話題性のためだけにSubを審査に残した可能性が全くないとは言い切れない。
それでも、初めて同じ土俵に立てるチャンスに恵まれたのだ。ダンスを見てもらえるのとそうでないのとでは、雲泥の差がある。
「……勝ち抜いてやる」
小さな声で、決意を呟く。
純嶺のその声が聞こえたのだろう。視界の端で、アキラが嬉しそうに破顔するのが見えた。
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