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心の痛む夜。

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 殿下との婚儀の日が早まると言われ、さらにエドへの接近禁止令を出されてしまったアタシは、数日抜け殻のようになっていた。

 それでもなんとか気力を奮い立たせ、アタシは最後の仕事に取りかかる。

 それは……………エドとの決別。

 あー、考えただけでも泣きそうだ。嘘、もう散々泣いた。それでも、涙が溢れてくるのだから、どうしようもない。

 けどもう、彼に危険が及ぶようなことはしたくない。綺麗さっぱりアタシとの縁を切って、他の人と幸せになって欲しいのだ。

「…………」

 うん。それも嘘。本当は誰のものにもなって欲しくない。でもそんなの、ただの我が儘だから、グッと我慢する。

 また視界が滲みそうになって、大きく深呼吸した。

 そのタイミングで、部屋の扉がノックされる。返事をすれば、愛しい声が聞こえた。

「御嬢様、エドアルドです。話があると聞きました」
「エド……」

 ノロノロとソファから立ち上がり、扉の前に行く。だけど、開ける決心が付かずに、そのまま声をかけた。

「エド、そこには誰かいる?」
「いえ。皆、休憩に入っております。御嬢様、具合が悪いのなら医師をお呼びしますよ?」

 エドの、その優しさが今は辛い。アタシは、気持ちを抑えるように静かに瞳を閉じた。

「違うの、エド。悪いけど、そのまま聞いてくれないかしら」
「……」

 何かを察したのか、少しの間沈黙する。「かしこまりました」と聞こえたところで、口を開いた。

「エド、貴方に……」

 大きく息を吸い込み、続ける。

「貴方に、暇を出します。実家に戻りなさい。期間は……アタシが、殿下の元へ嫁ぐまで……」

 コツンと扉に額をつける。その向こうから、戸惑いを感じた。

「な、にを……何を仰ってるのですか! 御嬢様! 何故今更…殿下の元になど! 今一度話をしましょう!」
「これはもう決まったことなのよ。さあ、エド。話は終わったわ。部屋に戻りなさい」
「出来ません! ちゃんと話をさせていただくまでは、ここを動きません!」
「エド……」

 何度扉を叩かれても、応えることが出来ない。唇を噛み締めて、その扉に手の平を添えた。

 こんなところで……こんなことで、悪役だったシャーロットを使うことになるなんて、皮肉なものだと思う。でももう、彼を拒む、これ以上の言葉が見つからなかった。

 ギリッと歯を食い縛り、声を絞り出す。

「……エド。貴方は、以前のアタシを知っているでしょう?」
「それが今なんの関係があるのですか!」
「アタシは、変わらないの。以前と同じ、人を欺いて生きてる。貴方とのことも……ただ一時いっとき愉しんだ戯れだっただけよ」
「…………」

 静まり返る沈黙が痛い。しばらくして、聞いたことがないほど低い声が響いた。

「本気で……言っているのですか?」
「…………」

 本気じゃない。本気のわけがない。
 でも、これしか……貴方を守る方法が他に浮かばないから、アタシは肯定を返した。

「そうよ。今までのことは……ただのお遊びだったの。だから、さよなら……エド」

 酷い女だったと、最低な奴だったと……思って欲しい。それでも、貴方の記憶に残れるのなら、アタシは……。

 そう、思っていたのに。

 なのに……エドは、二人でいるときと同じ優しい声を出した。

「俺は……遊びでも、短い間でも、貴女の傍にいられて幸せでした。夢を見せてくれて、ありがとう……シャル」

 直後、微かな音と共に足音がした。エドが行ってしまったのだろう。自分から選んだことなのに、込み上げてくる感情が抑えきれない。

 力なくその場にしゃがみこみ、両手で顔を覆う。それでも溢れる想いが、後から後から涙となってこぼれ落ちていった。

*  *  *

「…………様、……嬢様、御嬢様!」
「ほえ? あ、なに?」

 ハッと意識を取り戻す。真正面から、ミーシャが顔を覗き込んできていた。

 あれ、何が起きた?と、周囲をキョロキョロと見渡す。すると、自室で着替えを終えたようだった。

 同じことをミーシャも言う。

「シャーロット御嬢様、お茶会のお支度が出来ました。迎えも来ておりますので、移動をお願い致します」
「え、ああ、そうね。今行くわ」

 慌てて立ち上がり、ドレスの裾を持ち上げる。横からミーシャと、もう一人も手伝ってくれた。

 ていうか、たかが殿下の元に行くのに、こんなに着飾る必要なんてあるのかしら?

 うんざりしつつ、階下に降りる。ミーシャの言った通り、外ではすでに馬車が待機していた。

 近づくと、付き人として一緒にくる予定の男性が手を差しのべる。

 以前までなら、これはエドの役割だったはず。なのに……。

 エドが邸を出てから、アタシの世界はずいぶん色褪せてしまった。どこを見ても、心は動かないし、何も思わない。

 ただ彼が、いてくれれば……。

「……エド……」
「はい?」

 呟いたことに反応されて、慌てて首を振る。そのまま、全てを振り切るように馬車へと乗り込んだ。
 
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