どうかこのまま、連れ去って

ふゆ

文字の大きさ
上 下
3 / 5

【操】

しおりを挟む
 横抱きにされて、連れて来られたのはスヴェンヴィータ家の大邸宅。ぼんやりした意識の中、そう理解していた。

「ティア、婚儀は三ヶ月後にします。本当は明日にでも執り行いたいのですが、いきなりでは周囲も驚いてしまうでしょう」
「……」
「ティア、返事をなさってください」

 少し厳しめの声に、小さく返事をする。

 抗う意識と裏腹に、体はもう動かない。

 完全に油断してしまった。社交の場、加えてアイダからの紹介ともあって、まさか魔術を遣われるとは欠片も思っていなかったのだ。

 もしかしたら、アイダも、あの時点で操られていたのかもしれない。

 失いつつある自我の片隅、必死に感情を守るための術を生成する。それが終わるか否かの間際、という存在が闇へと沈んだ。

*  *  *

「ティア」
「……?」

 リイに呼ばれて振り返る。彼は、柔らかい笑みで歩み寄ってきた。その腕には白い布の塊が抱えられている。

「リイ、それは?」
「貴女のドレスですよ。明日の婚儀に使う予定です。一度合わせていただけませんか?」

 そう問われて、小さく頷く。彼は嬉しそうに声を弾ませた。

「では早速、参りましょうか」

 促されるままに歩き出すと、リイが呟く。

「本来なら明日まで堪えなければならないこと……。ですが、耐えられませんでした」

 その言葉に首を傾げると、彼は苦笑する。

「ダメですね、私は。貴女のことになると、どうにも我慢が効かなくなりそうになるんです。でもそれも、明日まで」

 伸ばしてくる手が、私の頬に触れる。そのまま顎に滑らせ、顔を上げさせられた。

 深い紅が、妖しく揺らめく。

「明日、婚儀を済ませれば……もう私たちを阻むものは何もなくなる。そう、何も……」

 近づく唇が触れる間際、部屋にノック音が響いた。動きを止めるリイ。彼は、私を見つめると、名残惜しげに微笑んで、そっと手を離した。

 静かに身を翻し、向かうのは音の響いた扉。開けながら、低い声を出す。

「用があるなら事前に通しておけと言っただろう。急ぎなら、セルシアに言えと……」

 でも、彼の言葉が途切れる。何かを耳打ちされたようだ。しばらくして、小さな舌打ちが聞こえた。

 そしてすぐ、私の元へと戻ってくる。

「すみません、ティア。またティラド様がいらっしゃったようです。出てくれますか?」
「分かりました」

 返事をし、背中に添えられた手に再び促され、扉へ向かう。その間、リイが不満を口にする。

「貴女の師匠というだけで毎日毎日飽きもせず、来られるものですね。正直、呆れますよ」
「ごめんなさい。私は家族がいないので、ティラド様が父代わりに育ててくださったので」

 今までに何度も返した言葉を、また告げる。リイは、盛大な溜め息を吐いた。

 けどすぐに、フッと声を軽くした。

「まあ……それも、あと少しの辛抱ですね。明日の婚儀が終われば、否応にも認めざるを得なくなるでしょう」
「……」

 少し前から感じる違和感。リイの言葉に疑問を持つことがなくなり、不思議と全てを受け入れてしまう。

 それはまるで……掠めた考えをリイが口にする。

「貴女は人形のように美しい。私の傍で、その身が朽ちるまで捧げる。それをあの方にも教えて差し上げなさい」

 ククッと、喉を鳴らして笑う。私はただ、それを見ていただけだった。

「……」

 扉を抜けた先、長い廊下を過ぎたところに大広間があった。客人は皆、この場所へ通される。豪華な椅子、テーブルに加えて、続き部屋の向こうは、小さな舞踏会がひらけるくらいの広さがあった。

 でも今は、ティラド様がいるだけ。

 わずかに白髪が混じり始めた藍の短い髪。金の肩被いと白の長衣は相変わらず。でも、眉間に皺の寄った難しい顔は、ここ最近のことだと思う。

 私が傍に行くと、いつもと同じ問いをされる。

「ティア、本当にそこが君の居場所なのか?」

 その意味が分からない。私はここにいる。ここにいるべきなのだ。それしか、ないのだから。

 一拍置いて、答える。

「ええ。私は明日、リイとの婚儀を迎えます。ずいぶんとご心配くださっているようですが、安心してください。明日を迎えたのち、改めてご挨拶に向かいますから」

 ふわりと笑みを添えて告げる。隣にリイも並び、口を開きかけた。けれどそれを、ティラド様の低い声が遮る。

「あの時から答えが変わらないな。だが、同じことを彼にも言えるのか?」
「彼?」

 逸早く、リイが反応する。私が首を傾げると、ティラド様が場を譲るように移動する。

 瞬間、鼓動が大きく響いた。

  おぼろげな記憶の中、それでも強く反応してしまう心。私は困惑のままに、名を口にする。

「タ、イガ……?」
「ティア」

 不安げに揺れるその黒い瞳に、感情が揺さぶられる。一歩後ずさると、気づいたリイが間に入った。

「申し訳ありませんが、彼女は婚儀の準備のため、失礼させていただきます。ではティラド様、また明日」
「すみません、リイさん。ティアと一度話をさせていただけませんか?」

 進み出るタイガに、リイが露骨に嫌そうな顔をする。

「貴方が誰か知らないが、彼女は私の婚約者だ。そう易々と」
「彼はレイミアの救世主だぞ。加えてティアは、元パーティメンバーだ。貴殿に断る術はあるまい?」
「…………」

 ティラド様の言葉に、リイが押し黙る。見上げると、悔しげに表情を歪めている。少しして彼は、私から僅かに距離をとった。

「五分。それ以上になれば、ティアが不義の罪を被ることになります」
「分かりました。必ず守ります。ティア」

 手を差し出されて、リイの方に視線を向ける。彼が間を置いて小さく頷き、私はその手を取った。

 触れた箇所から、わずかに熱を帯びて胸の奥が温かくなる。

 そのまま窓際まで連れられると、疑問が口をついて出てしまった。

「何故ここにいるの? まさかまた脅威が?」

 だからティラド様が呼んだのだ、と思った。けど彼は、ゆるやかに首を振る。そして時計を一瞥し、短く言葉を返した。

「時間がないんだ、ティア。良く聞いて欲しい。君は今、術にかけられている」
「術?」
「そうだ。ティラドさんが気づいたんだ。だが、それを破るには君の意思が必要になる」
「……」

 彼の言葉が、何かを呼び起こそうとしている。心の奥底にある、とても大切な…何か。

 タイガが私の頬に手を添える。

「っ!」

 再度、鼓動が跳ねる。

 私は、この温もりを知っていた。そしてなにより……求めていた。

 そう自覚した直後、微かなガラスの割れる音を感じる。

 同時に溢れる想い。切なさや苦しさ、でも今は愛しさと嬉しさが胸に広がる。そんな感情からか、顔に熱が集まってしまった。慌てて顔を逸らしたけど、タイガに抱き寄せられる。

「ティア、頼む。今だけは、意思を強く持ってくれ。君の想いを取り戻して欲しい」
「私、の……?」

 溢れた感情と共に、記憶が徐々に補われていく。リイに邸宅へ連れてこられる前、私がどんな想いを抱えて過ごしていたのか、何を思って行動していたのか。

「……」

 術にかけられたのは、油断してたから……だけじゃない。

 本当は……。

 本当は、相手なんて誰でも良かったのだ。私は自身の魔力を引き継げれば、それで良かった。きっかけも愛情も何もいらない。

 相手が、貴方じゃないのなら。

 視線を戻すと、タイガの瞳とぶつかる。それに、今まで以上の苦しさを感じてしまう。ぎゅっと噛み締める唇。どんなに想っても、彼には戻るべき場所がある。

 ならばもう、関わらない方がいい。彼のためにも……私のためにも。私の心をもう、かき乱さないで欲しいのだ。そんな想いがこぼれて落ちていく。

「貴方に伝えるべきことは……無いわ。レイミアには、私の守るべきものがあるの。私と貴方は住む世界が違う。それは……貴方には超えられない。だから私は、リイと結婚するの。これが、私の意思だから」

 口にすると、胸が締め付けられるように痛んだ。タイガが何かを言いかけて口を開いたけど、すかさずリイが近づいてきた。

「いい加減にしてくれないか。話すことは許可したが、触れることまで許した覚えはない。早く彼女から離れてくれ」

 肩を押されて、躊躇いがちにタイガが離れる。それを見計らい、リイに素早く手を引かれた。突然のことに、体がよろめいてしまう。倒れ込むように腕の中へ落ちると、リイは私の肩を抱いて身を翻した。

「ではティラド様、そちらの望みは全て叶えました。我々は退室させていただきます」
「待ちなさい、スヴェンヴィータ殿!」

 ティラド様の声が響く中、タイガへと、わずかに目を向ける。彼は、一度閉じた瞳を開け、真っ直ぐ私を見つめた。

 それは、何かを秘めた強い眼差しにも思えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

旦那様が不倫をしていますので

杉本凪咲
恋愛
隣の部屋から音がした。 男女がベッドの上で乱れるような音。 耳を澄ますと、愉し気な声まで聞こえてくる。 私は咄嗟に両手を耳に当てた。 この世界の全ての音を拒否するように。 しかし音は一向に消えない。 私の体を蝕むように、脳裏に永遠と響いていた。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

私があなたを好きだったころ

豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」 ※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。

病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。

恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。 キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。 けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。 セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。 キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。 『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』 キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。   そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。 ※ゆるふわ設定 ※ご都合主義 ※一話の長さがバラバラになりがち。 ※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。 ※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。

最悪なお見合いと、執念の再会

当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。 しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。 それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。 相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。 最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。

処理中です...