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 第31話

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 『久し振りね、恭仁京上総』
 女の声がどこからか聞こえて来る。
 大老會の親睦会で上総を襲撃した里という女だ。
 『お前……』
 鬼の後ろから現れた里は不敵な笑みを湛え、手に持った何かを前に差し出した。
 白い――……。
 『暮雪っ!?』
 白い猿だ。
 健司の識神の。
 暮雪は意識を飛ばしているのか里に首を掴まれ、こちらが呼び掛けても反応はない。
 『暮雪に何をしたんだっ!』
 『フッ、軽く眠ってもらっているだけよ。それよりも、こいつを返してほしかったら云うことを聞いてもらおうかしら』 
 『云うことを?』
 『そう。何簡単なこと。恭仁京姶良を連れて来なさい』
 『!!』
 清水と対峙していた鬼がゆっくりと腕を降ろし、里の横に付く。
 『今すぐに。そうすれば、この猿は返してもいいわよ』
 『――俺ならここにいるよ』
 『!?』
 振り返ると、白い大きな狼と健司がこちらに歩いて来た。
 『先生!?』
 『暮雪を迎えに来たんだ。それに蛟君も』
 巨大な鬼を見上げる。
 『蛟君、一緒に帰ろう?』
 しかし鬼は低く威嚇するだけ。
 里は腰に手をあて笑っている。
 『分かっていないようね、恭仁京姶良。この場の主導権は私にある。この猿がどうなっても構わないの?』
 『分かっていないのは貴女の方です』
 『!?』
 手に掴んでいた猿が里を睨んで牙を剥き出している。
 里と鬼を囲んで、左京、右京、清水、瑞雪が戦闘体勢をとって主達の合図を待っていた。
 『ふっ……ふふふ!』
 里は何が面白いのか、大きく口を開けて笑い出した。
 『愚かね。この時を待っていたわ』
 里の言葉が合図となり、健司と上総の回りに陰陽師の格好をした男達が囲んだ。
 『上総君! 健司君!』
 錬太郎が助けに入ろうとするが、羽交い締めにされ手が出せない。
 『くっそ! 離しやがれ!!』
 『用があるのは恭仁京姶良だけ。五月蝿い鼠は姶良を手に入れたらお望み通り始末してあげる』
 『誰も望んでねぇよ!』
 『れ、錬太郎さん』
 笑う里に対して、健司は無表情だ。
 『姶良を手に入れたら? 普通の陰陽師の方々がいるってことは、大老會関係者の方々であってますか?』
 取り囲んだ陰陽師達は何も云わない。
 健司の周りに六人、上総と錬太郎の方にも同人数が押さえつけている。
 健司はゆっくりと品定めするように囲んだ陰陽師達を見た。
 『何も仰ってくださらないんですね? まぁ――良いです』
 健司の拳が右横にいた陰陽師の腹を殴る。
 『!?』
 低い悲鳴が上がって、水溜まりの中に沈んだ。
 『うっそ……』
 里の横にいる右京が驚いて声を出した。
 『陰陽師って術や識神に頼るから腕は大して強くないんですよね』
 健司は云って、左側にいた動揺している陰陽師に回し蹴りを喰らわせた。
 『ぐはっ』
 『まさか俺がこんな人間だって大老會は知らなかったでしょう?』
 右横の男に肘鉄をおみまいすると、男の口から折れた歯が飛んだ。
 『ああ、済みません。でも、最近身体を動かしてないから大分鈍っていて心配でしたが、陰陽師の皆さん相手になら通用するみたいですね』
 残った陰陽師達はたじろぎながら霊符を取り出そうと懐に手を入れたが、健司が鋭く見つけると拳と足が次々と繰り出され、霊符を活用する間もなく地面に倒れて行った。
 『ふぅ』
 額を流れる汗を乱暴に拭い立ち上がる。
 健司を囲んでいた六人もの陰陽師は白目を剥いて気絶していた。
 『せ、先生、強っ』
 『格好いい!』
 自分達の置かれている状況を忘れて騒ぐ上総達に苦笑し、その二人を捕まえている陰陽師達に視線を向けると、数名が怯えたような声を出した。
 『さて、怪我したくなかったら、お二人から手を退いてくれませんかねぇ』
 わざとらしく指を鳴らす。
 『何をしているの!? 相手は一人なのよ!』
 里が陰陽師達を叱責する。
 『貴方達が俺を怪我させられないのは知ってるんですよ。上の偉い方々から云われているんでしょ?』
 里が舌打ちをした。
 『諦めて帰ってくれませんか? 俺は恭仁京の当主になる気も陰陽師になる気もないので身体を張るだけ無駄ですよ』
 一歩、前に足を踏み出すと、陰陽師達の身体がびくついた。
 『恭仁京の当主は、そこの上総です。その上総を傷付けるんですか?』
 一人が掴んでいた上総の腕を離した。
 『幹部の制裁を恐れているなら大老會の會長の藤堂美舟に云えば保護してくれます。既に確約してあるので、その足で會長に泣き付いてください』
 『先生なんで――?』
 『大老會のトップは美舟さんですよ。内部で起きようとしていることは予測してますし、事を荒立てたくないと云っています』
 結局上総と錬太郎の回りにいた陰陽師全員が離れ逃げて行った。
 『使えない奴等』
 『そこまで大老會にも恭仁京家にも忠誠を誓っている訳じゃないんですよ。さて、残るは貴女方だけですけど、どうします?』
 『……』
 健司はにっこりと微笑む。
 『胡散臭い顔』
 里は云って暮雪を離した。
 『初めて云われました』
 『お前が最初から当主ならば、こんなことにはならない』
 里は懐から小刀を出して健司に向けた。
 『お生憎ですが、恭仁京から俺を離したのは大老會なんですよ? どうしようもないことです』
 二十年前の『恭仁京の呪』で生死をさ迷った健司が目覚めた場所は、恭仁京家から遠い東京の地。
 それから昨年まで何も知らず生きてきた。
 『貴女は恭仁京を憎んでいるんじゃないんですか? なのに大老會の一部の幹部の命令で動いている。何故です?』
 『よく喋る男は嫌われるわよ』
 健司は笑顔崩さない。
 『今回はこれで退くわ』
 小刀を向けたまま後退る。
 清水や左京達は体勢を低く構えた。
 『この鬼も私と一緒に来てもらうけど……』
 里はニヤリと口の端を大きく歪めた。
 『置き土産だけはさせてもらうから』
 片手で印を結ぶと、鬼が雄叫びを上げて近くの清水に拳を振るった。  
 『清水!』
 『っんの、馬鹿力がっ!』
 上手く防いで鬼の腕を振り払う。
 『フフフ』
 里は背を向けて笑った。
 『里、待て!』
 足元の水溜まりが大きく弾け、捕まえようとする健司は走り出す。
 手を大きく伸ばし、里の腕を掴む寸前。
 健司は違和感を覚えた。
 込み上げてくる吐き気。
 景色が歪み、眼球が小刻みに痙攣する。
 『――う……』
 脳が眼球に合わせて揺れた。
 『健司!?』
 突然動きを止めた主に瑞雪は眉を潜める。
 ゆっくりと曇り空を見上げ、健司は目を見開いた。
 『――し、呪……が?』
 『!?』
 小さな声は側にいた瑞雪にしか聞こえなかった。
 『先生!?』
 近寄る上総を鋭く睨む。
 『来るなっ!』
 健司の制止も虚しく、ドクン、と恭仁京の血を持つ二人の身体が大きく脈打ち、上総と健司の意識が一気に断たれた。
  



 
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