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第五章

 八、大好き

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 深夜までまだ時間がある。 
 あまり会いたくはないが、もしかしたら立花壮介は健司を覚えているかもしれない、と彼等が住んでいたマンションを訪ねた。以前から確認しなければと思っていたのだが、どうにも勇気が出なかったのと体調が万全でなかったのとで、一週間も先伸ばしにしてしまったのだが、いつまでも逃げていては何も始まらない。
 会うのは怖い、それよりも、早く健司と会いたい。
 重い足を引き摺るように知ったマンションまで辿り着くと、壮介はまるで来るのが分かっていたかのように外で待ち構えていた。
 『壮介さん……』
 驚いて立ち止まると、向こうも驚いているのか目を丸くしている。が、すぐに厳しい顔を作ると近付いて来た。
 着流しに黒い長髪のトレードマークは変わっていない。 
 『まさか恭仁京のご当主がいらっしゃるとは考えも付かなかった。それに、下の名で呼ぶとは随分私と親しい間柄のようだが?』
 『え?』
 腕を組んで不満げな顔を向けている壮介は、上総との数々の接触を忘れてしまったようだ。六徳会と知る前は上総が慕っていたことも。
 ――と、云うことは。
 会った途端の絶望。
 『私と一緒にいる所を誰かに見られてはマズイのではないか?』
 『え? あ、いえ、多分、大丈夫です……』
 大老會と六徳会だ。
 下手に一緒にいる所を情報屋が嗅ぎ付けて写真を撮られれば、黙って見過ごしてくれる世間ではない。
 特に壮介はどんなバッシングを受け排除されるか。
 『……多分、か。まぁいい、立ち話もなんだし、お招きしよう』
 着いて来なさい、と壮介はマンションの中にさっさと入って行ってしまった。
 『誰かが来る、と予感めいたものがあってね、外で待っていたんだ。もしかしたら私の疑問を解決出来る人物ではないか、と』 
 『疑問?』
 そうだ、と玄関前の真っ直ぐな廊下の右手にある、取っ手が大きく破壊さた部屋を指差した。
 『こ、これは……一体何が?』
 ドアを撫でるように触れる。
 『鍵がどうしても見つからなく壊したんだが、部屋はこの通り誰かに使用されていたらしい。しかし家主の私は誰が使っていたのか全く記憶に無いんだ。この答えを君は知っているかい?』
 『……』
 上総は無言で健司の部屋を覗いた。
 きちんと片付けられている部屋は以前入った時と変わらず、清潔感があって柔らかい空気が流れている。例え部屋の主人がいなくとも。部屋はいつでも彼が帰って来るのを待っているようだ。
 『ドアの内側に霊符が貼ってあるだろ? あれは確かに私が作ったものだ。だが本当に記憶に無い。この霊符は魔を滅する物でなく避ける物』
 取り憑かれ易い健司のために壮介が貼った物だと自らが以前云っていた。
 『先生……』
 『先生?』
 つい口に出してしまい慌てて口に手をやっても遅過ぎた。壮介は顔を覗き込んで来た。
 『知っているんだな?』
 『僕は――貴方が忘れてしまったことにショックを受けています。先生は幼馴染みの貴方を大切にしていました。どれだけ貴方に酷い目に遭わされても信じていました。それなのに貴方は忘れてしまうなんて……』
 睨んだ。
 強く強く、睨んだ。 
 『忘れる? 私の幼馴染み、を……?』
 部屋を見回す。
 『もしかして――健? 如月健司?』
 『思い出したんですかっ!?』
 『いや……健は死んだ。とっくの昔に。有り得ない』
 静かな部屋に音もなく入り、目を細め家具や小物、洋服を一つ一つ見ていく。動揺を隠せない壮介は譫言のように誰に云うでもなく喋る。
 『ああ、有り得ない。でも――健……なのか? ここに住んでいたのは……本当に……まさか、そんな筈は……健は死んだんだ。十年も前に……だから、生きている筈がない』
 『壮介さん』
 『幼稚園の頃からずっと一緒だった。遊ぶ時も悪戯する時も怒られる時も……ずっと一緒だった。だが、アイツは中学生の時に死んだ。事故で……親の実家から東京に戻る際に……』
 それは偽りの記憶だ。
 目の前の部屋が物語るように、如月健司は生きていた。
 壮介と共に大人に成長し、仕事を持ち、ここで息をしていた。
 『……君の話だけでは信じ難い、他に誰かいないのか? 如月健司が生きていたと云える人間が』
 上総は肩を落として首を振った。
 錬太郎も左京も、大老會も覚えていなかったのだ。
 本当に、上総だけ。
 『なんで僕一人が覚えているのか分かりません。だけど、僕一人だけでも覚えていて良かったです。僕さえ覚えていれば、先生が生きていた証を残せるし、先生を探せる』
 『探せる? 健はどこかにいるのか?』
 『分かりません。だけど、どこかに絶体生きていると信じています』
 『君は……どうして、そこまで? 皆が覚えていない中で君は一人で不安にならなかったのか? 自分が間違っているんじゃないか、と自分を疑ったりしなかったのか? 何故探し出せるか分からない人間を確証もなく――』
 上総は小さく笑った。
 『確かに不安が無かった、と云えば嘘になります。今だって。でも、先生が存在した証拠を学校にも住んでいたマンションにも見付けることができました。信じるに値する確かな証拠です。それに』
 壮介に倣って部屋に足を踏み入れる。
 『僕は先生が大好きなんです。この大好きな気持ちを嘘にしたくありません』
 『恭仁京君……』
 『だから、先生を信じているし、先生が自力で戻って来れないなら、帰れるように助けてあげたい。壮介さん、先生は壮介さんのことが大好きなんです。きっとここにまた戻りたいと願っていると思います』
 『――……』
 云いきった後になって、恥ずかしくなって顔を真っ赤にさせた。
 健司に会う前の上総だったら、他人に大好きなんて感情が芽生えることも無かったであろう。
 それだけの影響力を持った人物なのだ。
 きっと健司がいだかせた、上総と同じような感情は関わった人間全ての心に宿っていて、いなくなっても心の片隅に残って人々に違和感を与えていることだろう。
 壮介のように。
 『僕は諦めません』
 『!!』
 『絶体に諦めません』
 誰かに何かをしてあげたい、そう自分の意思で思えたのも健司のお陰だ。
 『――恭仁京君、私も君のお手伝いをしても良いかい?』
 『え?』
 『君の真っ直ぐな瞳を見て、君を信じても良いと思えたんだ。それに』
 壮介の頬を涙が伝った。
 『あのやんちゃな健がどんな人間に成長したのか、見たい。こんなにも生徒に慕われる立派な教師になったのか……』
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