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第五章

 三、二人の陰陽師

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 『ふざけるな……』
 錬太郎は動かなくなった子供の手を握る。
 『ふざけるなよっ! 呪だか何だか知らないが、千年も昔の怨恨を未だに持ち続けやがって! 未練たらたらのクズ野郎がっ!』
 霊符を両手に持ち詠唱を始めた錬太郎に、呪は余裕の嘲笑を浴びせた。
 『なんとでも云え、俺は主の意向に従っているまでだ。それを完遂するまでは、どんな手も使う』
 手にベットリと付いた上総の血を舐め、恍惚に浸る。
 呪の創り手の念願が漸く叶う、と。
 『まだ血族はいるのであろう? こんな所もう用は無い』
 裸足を一歩踏み出した時、呪は呻きながら膝を崩した。
 『!?』
 『お、おのれっ……まだ足掻くか……道世めっ!!』
 胸を押さえ立てないでいる。
 『道世?』
 驚く暮雪に酒呑は云った。
 『チャンスだ』
 錬太郎が霊符で健司を取り囲み、魚籠ともしなかった結界が空間を歪めながら薄れていくのが目に見えて確認できた。
 『やれるっ!』
 酒呑と暮雪が同時に攻撃をすると、意図も簡単に健司の身は大きく揺らいだ。
 『ぐっ!』
 『やったか!?』
 地に伏した健司の身体を呪は起こそうとしているが、何かに押さえ付けられているように動くことが出来ない。
 『ぐぅぅっ! 許さぬ! 許さぬぞっ!』
 もがき苦しみながら口から大量の血を吐き散らす。
 『おのれっ! おのれぇっ!! 許さぬっ!!』
 『錬太郎! とどめを刺せ!』
 暮雪の言葉に霊符を手にしたが、健司の身体は痙攣を起こし白眼を剥いた。
 『許さないのは、こっちの台詞だ』
 容赦無く錬太郎は霊符を身体に張り付けると、印を結び声高らかに法術を詠唱する。
 『ぐあぁぁっ! 下等動物の分際でっ! 吾主に楯突こうとはっ!』
 口を大きく開けた呪は逃げる様に瘴気を放ち、健司の身体から脱出した。
 『呪が!?』
 まさかの展開に動転しながらも錬太郎はすぐに健司の身体に結界を張り、黒い気体が再び入り込まないように塞いだ。
 『健司君!』
 『うぅ……』
 『健司、しっかりしろ!』
 健司は頭を差さえながら茨木に上体を起こしてもらい、驚く錬太郎や識神達を見る。
 『……え?』
 瑞雪の腕に抱かれた上総を見て、ユラリと身を貫いた真っ赤な腕を伸ばした。
 『く、恭仁京……?』
 名を呼んでも、明るい返事は無い。
 『う、嘘だ……』
 黒い雲が大人しくしてる筈がなかった。
 健司から吐き出された気体は上空の黒い雲と合体すると、今度は上総に取り憑こうと迫ったのだ。
 錬太郎が霊符を張って防ごうとするが威力に負けて燃え散ってしまった。
 『瑞雪! 護りきれっ!』
 上総を抱き直し跳ねるように距離を取る。
 暮雪と酒呑も上総の護りに入った。
 『なんで……』
 その様子を健司は腕を伸ばしたまま茫然と見ていると、茨木がそっと下ろしてくれた。
 『健司、大丈夫か?』
 『あ……』
 茨木の鬼の姿を見たことがない。茨木が酒呑と併せて正体を簡単に説明した。
 『俺、俺が……く、恭仁京を……?』
 真っ白な髪の毛はそのままだ。
 『お、俺が……』
 上総を見たまま、身体が震える。
 『嘆くのは後だ。今は呪をどうにかしないといけない』
 狭い空間で識神達はなんとか呪から上総を護っている。
 『呪……どうにか、しないと……恭仁京も……』
 茨木に支えられ立ち上がった健司は、大きく深呼吸を繰り返した。
 『俺が、何とかしないと!』
 血に染まった両手で印を結ぶ。
 『!?』
 ただの人間でしかない筈の健司の気が大幅に跳ね上がり、かの大陰陽師を彷彿させる空気の痺れを茨木は感じた。
 『健司? お前……』
 陰陽師の修業を全くしていない筈の健司が、何の迷いもなく指を絡めて印を作り出した。
 『オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ』
 声高らかに法術を詠唱する。
 その目はしっかりと呪を見据えた、陰陽師そのものだ。
 『何っ!?』
 突然のことに、錬太郎も暮雪達も驚いた。
 両の小指を立てて独特の印を作る。
 『オン・マユラギ・ランテイ・ソワカ』
 『!!』
 真言を唱えると、健司を中心として紫色の風が巻き上がった。
 『羽?』
 風と共に鮮やかな羽が舞う。
 間近で見ている茨木は、あまりに優雅な姿に見惚れてしまっていた。他の識神も同様だ。千年も生きて来たが一度として見たことの無い光景は、既に神の領域に達している。
 柔らかく右手を上総に伸ばし、風と羽がダンスを踊りながら上総を包み込むと、健司は深く深呼吸を一度して別の印を結んだ。
 『乾天元亢利貞けんてんげんこうりてい兌沢英雄兵だたくえいゆうへい坎水湧波濤かんすいゆうはとう離火駕焔輪りかかえんりん艮山封鬼路ごんさんふうきろ震雷霹靂声しんらいへきれきせい巽風吹山岳そんふうすいさんがく坤地進人門こんちしんじんもん吾在中宮立諸将護吾身ございちゅうぐうりつしょしょうごごしん吾奉太上老君勅ごほうだじょうろうくんちょく神兵火急如律令しんぺいかきゅうじょりつれい
 空中で不規則な動きをしていた呪はピタリと動きを止め、健司に向きを変える。
 『茨木! 健司を護れっ!』
 『云われなくとも!』
 前に出た茨木の目に、信じられないものが映った。
 『何っ!?』
 直ぐ様背後の健司を見ると、汗でぐっしょりと濡れた顔を茨木に向け、微笑んでいる。
 『健司、お前……道……』
 『を……頼んだよ……』
 『健司っ!?』
 崩れる健司を受け止めようとしたが、呪が突進してきた。
 『茨木っ!』
 酒呑が駆け付けるも呪のスピードに追い付けない。
 茨木と健司に衝突する寸前、呪は動きを止めた。
 『!?』
 『タニヤタ・アリ・ナリ・トナリ・アナロ・ナビ・クナビ・ソワカ』
 どこからか飛んできた霊符が呪に大量に貼り付いている。
 『ご、ご当主?』
 瑞雪は腕の中の少年を見下ろした。
 息絶えたと思われた少年が、パチリと両目を見開き印を結んだ指を口元に付けて法術を詠唱している。
 『龍虎差来欽天将りゅうこさらいきんてんしょう飛符走印随吾行ひふそういんずいごこう披頭散髪提堽起ひとうさんぱつていこうき雷霆黒暗鬼神驚らいていこくあんきしんきょう黄金鎖甲神通大おうごんさこうじんつうだい駆邪殺鬼救万民くじゃさつききゅうばんみん三頭六臂真身現さんとうろっぴしんしんげん拝請壇前欽天将はいせいだんぜんきんてんしょう侖刀舞剣斬妖精ろんとうぶけんざんようせい斬斬勅勅婆婆訶ざんざんちょくちょくばばか龍虎ニ将速降臨りゅうこにしょうそくこうりん神兵火急如律令しんぺいかきゅうじょりつれい
 『!!』
 雷が轟くと低く立ち込めた雲が淡く光り、稲光が呪に向かって走り抜けた。
 『オオオオオオ……』
 呪は今まで見たことの無い動きを見せている。
 大きく震え、呪の表面が塵の様に本体から剥がれ空に消えていった。
 『ま、さか……』
 瑞雪も暮雪も錬太郎も、突然の転機に頭が追い付いて来れない。
 『それ澄める天清、濁るは地清、陰陽交わって、万物と称す。悉く皆神仏性あり。故に人倫を選び、神仏となる。ここには八葉のうてなに台座し、二十八宿星を三界とす。行者ぎょうじゃ慎んで敬いて申す。火を焼くこと能わず。水もただ消すこと能わず。じゅうは百じゅうを保ち、百じゅうあきを得見ず――』
 『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
 音とも声とも取れない断末魔を上げる。
 呪の一部が空に流れ、消えて行く。
 段々と段々と小さくなっていった。
 『徳煌々として、諸天善神、こんりん奈落の底までもこれを照らし、阿吽の息風となり、衆生の苦しみ禍を吹き散らし、大地の圏の、上下四方を周囲、愚かなる心をして、恨みをなすものを払い清め、行者行道して、仏神応護の加持を以て、守護を頭に戴き、怨敵諸々の障礙しょうげをなすものを、悉くこれを退散せしむるなり』
 ――赦さん……。
 脳に直接男の声が響いた。
 『呪の声か?』
 ――幾ら吾を消しても、十年後再び吾は産まれる。
 『その前に、今度こそ呪の解除方法を探す!』
 上総は消え行く呪を見据え、力強く宣言した。
 ――愚か……愚かなり、恭仁京……。
 『……』
 『おお、おおおおお――……』
 跡形もなく、消えた。
 『……』
 『……』
 誰も言葉を発することが出来ない、なんとも後味の悪い終わり方だ。
 『ご当主……』
 抱き上げたままの上総を地面に降ろし、怪我の具合を見れば貫通した筈の腹には服が破れ痕が残っているだけで、傷口は綺麗に塞がっている。
 『痛みは? 違和感は?』
 暮雪が色々と質問してくるが、何ともない。
 寧ろ、法術を用いた時の疲労感もスッカリ無くなっている。
 『なんでだろう?』
 皆が首を捻っている時、離れた場所にいた健司は上総の無事に安堵すると、首と腹から大量の血を流して、ゆっくりと目を閉じた。
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