上 下
64 / 66
番外編

 バレンタイン騒動 其の弍 ※ちょっぴりBL的発言が含まれます。

しおりを挟む

 遠藤頼子教諭は早朝、出勤する前に幾つもの大きめの紙袋を用意した。
 今日はきっと教育している新人教師にとって大変な一日になる筈だ。
 過去に何度も目にしている、若いイケメンの教師が女子生徒達に囲まれてバレンタインチョコを抱えきれない程貰うシーンは、漫画の世界だけのことではなく現実に起きることなのだと、頼子は感心していた。
 『おはようございます、如月先生』
 新人らしく先に出勤して授業の準備をしていた健司は、まだ幼さの残る爽やかな笑顔を教育担当の頼子に見せて元気な挨拶を返した。
 『おはようございます、遠藤先生!』
 ――眩しい。
 過去類を見ない健司の笑顔。
 『元気ですね? どうしたんです?』
 『見てください! 皆さんからチョコを貰ったんです!! 凄いです!!』
 紙袋に溢れんばかりの可愛らしくラッピングされたチョコ達。 
 ラッピングもピンク一色なら紙袋もピンクだ。
 これを健司自ら用意したとは思えない。はて、誰だろうと首を傾げていると、悪寒が走った。
 真柴幸子教諭だ。
 視線を感じ恐る恐る振り返ると、睨むように幸子が見ている。
 『この紙袋、真柴先生が?』
 『ええ、そうなんですよ。気が利いてますよね!』
 『……』
 健司に恋心を気付いてもらえない幸子が不憫に思えた。
 『あら、もう食べてるの?』
 『あ、すみません。朝礼までまだ時間あるので……お腹空いてるし……』
 悪戯が見付かった子供のように上目遣いする健司に、思わず頼子はときめいてしまった。可愛い、と。
 『朝食は?』
 『食べましたよ?』
 でも足りないんですよねぇ、と手作りだろう一口サイズのチョコのカップケーキを口にする。
 『大食いの割りに痩せてるわよね。本当羨ましいわ』
 ずっと立っていたことに気付き、頼子は健司の隣の自分の席に落ち着いた。
 『同居人にも、もっと太れぇって云われて凄い量のご飯を出されるんですが、全然なんですよ』
 『それでも太らないんでしょ? どういう身体してんのよ。羨ましいわ。でも、油断してると三十代になったら痩せたくても痩せられなくなるわよ』
 自分と旦那の体験談を切々と語ると健司は気を付けますと、苦笑した。
 それから朝礼までの間、職員室にお目当ての男性教師を呼び出す女子生徒達がひっきりなしにやって来た。
 幸子が渡した紙袋だけでは足りず、頼子も紙袋を渡すと健司はプレゼントを貰うように喜んでくれたが、こうしたちょっとしたことでも喜ぶから女子に人気になるのだろうな、と胸がドキドキした頼子は新人教師を観察していて飽きることを知らない。
 『失礼しまぁす。如月先生いますか?』
 男子生徒が数名、職員室のドアを開けて顔を覗かした。
 『どうした?』
 すぐさま生徒達の元に行く。
 『こいつが先生に渡したい物があるって!』
 女子生徒だけでなく男子生徒にも人気のある健司は教師と云うよりも、友達や近所のお兄さん的な存在なのだろう。それはそれで頼子は構わないと思っているが、教師という威厳を自身が持ってもらわなくては困る。
 しかし近年社会問題になっている新人教師の精神面は、健司とは無縁であろう。
 これだけすんなり、生徒の心に入っていける教師は滅多にいない。
 頼子は健司を初めて見た時から適材だと直感していた。
 『おお、ありがとな! お前から貰えるとはなぁ!』
 市販ではあるがお菓子を渡した男子生徒は、はにかんでいる。
 『先生大食いだからさ、女子から貰ったものじゃ足んないと思って!』
 『よくご存知でぇ』
 と、男子生徒の頭をめちゃくちゃに撫で回した。
 『ちょ、やめろよ!』
 『出た出た! 健ちゃんの撫で回し攻撃!』
 周りの生徒達が笑っている。
 『先生にやられると、鳥の巣みたいになるんだって!』
 また始まった、頼子は溜め息を吐いた。
 これさえ無ければ、と残念に思う。
 直後、教頭の咳払いが聞こえ、健司と男子生徒の馬鹿騒ぎが収まった。
 休み時間の度に健司への貢ぎ物は増え、頼子が用意した紙袋が役立った。
 『袋六つ……私の教師人生で過去最高ね……』
 健司の机の上にも床にも生徒や生徒の親から貰ったプレゼントが山になっている。これでも健司は尋常じゃない速度で腹に納めているのだ。
 呆れて山を見ていると、ホームルームを終えて当人が戻って来た。 
 勿論、手には名簿以外の物も持っている。
 どうやら廊下を歩く度にすれ違う生徒から渡されるらしい。
 『こりゃ女子生徒全員から貰う勢いですな!』
 暢気な校長が笑った。
 『保護者からも戴いているようです。ちょっとばかり問題ですね』
 教頭が目を光らせている。
 『お帰りなさい、如月先生』
 『ただいまですぅ』
 ぐだぁと上半身を机の上に放り投げた。
 『ちょっと、だらしないですよ』
 頼子に注意されると、健司は背筋をピシリと伸ばして見せるが、すぐに液体化してしまった。
 『どうしたの? 何かあった?』
 『いや、あのですね? ここに来て初めて挨拶した時と同じ……それ以上の質問攻めで』 
 ああ、と納得した。
 『仕様がないわよ、人の色恋沙汰に敏感な時期ですもの。しかも如月先生だから余計女子は気になるんじゃないかしら?』
 『あうう。会議まで持つかな……』
 しっかりしなさい、と丸くなった健司の背を強めに叩いた。
 『ひゃ!? い、痛いですよぉ』
 涙目の新人はそう云いながら職員会議に使う資料を纏め始めた。
 会議は五時から行う予定になっている。
 会議室の準備を健司はせかせかと進め、万端に整えた。
 その間も職員室では健司の姿を求める女子生徒がひっきりなしにやって来るが、勿論職員室に健司はいないし、幸子が門番の役目を勝手に担ってくれているおかげで、放課後遅くまで校内をイケメン教師を求めてさ迷う生徒の姿は無かった。
 職員会議の準備をしている最中、健司は携帯電話を所持していなかった。
 職員室に戻ることなく会議に突入したせいで、上総からのメールも電話も誰に気付かれることもなく、虚しく震動するだけだった。
 『それでは、今日の会議はここまでと致しましょう』
 校長の合図で教師達は散会する。片付けはやっぱり健司だが珍しいことに、普段手伝わない教師が数名残って片付けを手伝ってくれた。
 感謝しながら最後の掃除をしていると、背後から体育教師の等々力純哉が健司の肩を抱き締めニヤツキながら訊いてきた。
 『これから彼女と会うのか? 先輩に紹介しろよ?』
 ガタイの良い男性教師の腕の重さに健司は身体を仰け反らせながら、首を傾げた。
 『彼女?』
 『オイオイ、シラを切ったって良いこと無いぞ? 彼女がいないわけないだろ?』
 健司の容姿だ。
 世の女性が放っておかないわけがない。
 だが性格に難有りの健司に、現在彼女はいない。
 いないことを知ると、等々力は大袈裟に驚き溜め息を吐いた。
 『可哀想になぁ、紹介しようか? 良い店知ってるぞ』
 『店?』
 すぐに思い付かず聞き返すと、マジか、と云われてしまった。
 『ちょっと何如月先生に吹き込んでるんですか? やめてください』
 三十代の未婚女性教師が、引ったくるように等々力から引き剥がした。
 『冗談ですって』
 困った顔をして、健司の頭に大きな掌を乗せた。
 『頭ちっせぇ!』
 『ぐぬぬ……いずれ大きくなります』
 『なるわけねぇだろ』
 小学生のやり取りのような会話をしながら職員室に戻ると、携帯に着信があることに気付いて慌てて見れば、上総からだ。
 顔が自然とニンマリして、行くよ、と返信しようとした時、例の等々力がまた頭に手を乗せて来た。
 どうやら掌に収まってしまう健司の頭頂部を気に入ってしまったようだ。
 『オラ、独り身! 呑みに行くぞ!』
 『ええ?』
 あからさまに嫌な顔をしてしまったのだろう。等々力は健司の頬をつねった。
 『ひ、ひはひ……』
 『先輩の誘いを断るたぁ百年早ぇよ! それともやっぱり彼女いるのか?』
 『いませんけど、先客です』 
 つねられた頬を擦り、返信が出来ないことを悟る。
 『……女か?』
 『いや、男です』
 『……もしかして……か? いや、お前の性格と容姿なら男も放っておかな、くもない? か……』
 『何ですか? そっち系って?』
 『いや……』
 と、健司の全身を舐めるように見た。
 『……女役だな』
 『はい? 俺お芝居出来ませんよ?』
 話が分からないが気まずい空気が流れる。
 『あ、いや、俺も彼女いないしよ、如月先生を誘って呑みに行こうと思ったんだが、こんな日にムサイ男と呑みたくねぇよな』 
 『ムサイって……まぁ少しだけなら付き合いますよ。今先客に連絡するんで待っててください』
 上総に送信しようとしていた内容を作り替えている後ろで、体育教師のムサイ男がガッツポーズをとったのを健司は知らない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】「お姉様は出かけています。」そう言っていたら、お姉様の婚約者と結婚する事になりました。

まりぃべる
恋愛
「お姉様は…出かけています。」 お姉様の婚約者は、お姉様に会いに屋敷へ来て下さるのですけれど、お姉様は不在なのです。 ある時、お姉様が帰ってきたと思ったら…!? ☆★ 全8話です。もう完成していますので、随時更新していきます。 読んでいただけると嬉しいです。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

夫に隠し子がいました〜彼が選んだのは私じゃなかった〜

白山さくら
恋愛
「ずっと黙っていたが、俺には子供が2人いるんだ。上の子が病気でどうしても支えてあげたいから君とは別れたい」

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

虐げられた無能の姉は、あやかし統領に溺愛されています

木村 真理
キャラ文芸
【書籍化、決定しました!発売中です。ありがとうございます! 】←new 【「第6回キャラ文芸大賞」大賞と読者賞をw受賞いたしました。読んでくださった方、応援してくださった方のおかげです。ありがとうございます】 【本編完結しました!ありがとうございます】 初音は、あやかし使いの名門・西園寺家の長女。西園寺家はあやかしを従える術を操ることで、大統国でも有数の名家として名を馳せている。 けれど初音はあやかしを見ることはできるものの、彼らを従えるための術がなにも使えないため「無能」の娘として虐げられていた。優秀な妹・華代とは同じ名門女学校に通うものの、そこでも家での待遇の差が明白であるため、遠巻きにされている。 けれどある日、あやかしたちの統領である高雄が初音の前にあらわれ、彼女に愛をささやくが……。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

就職先は、あやかし専門の衣装店でした

有賀 千紗
キャラ文芸
 あやかし×ウエディングドレス  相沢 蛍火は内定取り消しをされてしまった。新たな就職先を探しても、既にどこも募集を終えていて……。  見かねた実業家の叔父が、自身が手掛けるお店の従業員として雇ってくれる事に。  しかしそこは、あやかし専門の衣装店!?  蛍火は、妖しくも刺激的な世界に足を踏み入れる事となった。   ◆◆◆  『第4回キャラ文芸大賞』の応募作品となります。  完結後も沢山の方に読んで頂けて嬉しいです( *´艸`)  ※ベースは物の怪や神族ですが、現代に合わせた設定に変えています。 外見的にも能力的にも、かなり『人間寄り』のお話となります。  ※表紙はpixabayよりお借りしてます

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~

矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。 隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。 周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。 ※設定はゆるいです。

処理中です...