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番外編
バレンタイン騒動 其の弍 ※ちょっぴりBL的発言が含まれます。
しおりを挟む遠藤頼子教諭は早朝、出勤する前に幾つもの大きめの紙袋を用意した。
今日はきっと教育している新人教師にとって大変な一日になる筈だ。
過去に何度も目にしている、若いイケメンの教師が女子生徒達に囲まれてバレンタインチョコを抱えきれない程貰うシーンは、漫画の世界だけのことではなく現実に起きることなのだと、頼子は感心していた。
『おはようございます、如月先生』
新人らしく先に出勤して授業の準備をしていた健司は、まだ幼さの残る爽やかな笑顔を教育担当の頼子に見せて元気な挨拶を返した。
『おはようございます、遠藤先生!』
――眩しい。
過去類を見ない健司の笑顔。
『元気ですね? どうしたんです?』
『見てください! 皆さんからチョコを貰ったんです!! 凄いです!!』
紙袋に溢れんばかりの可愛らしくラッピングされたチョコ達。
ラッピングもピンク一色なら紙袋もピンクだ。
これを健司自ら用意したとは思えない。はて、誰だろうと首を傾げていると、悪寒が走った。
真柴幸子教諭だ。
視線を感じ恐る恐る振り返ると、睨むように幸子が見ている。
『この紙袋、真柴先生が?』
『ええ、そうなんですよ。気が利いてますよね!』
『……』
健司に恋心を気付いてもらえない幸子が不憫に思えた。
『あら、もう食べてるの?』
『あ、すみません。朝礼までまだ時間あるので……お腹空いてるし……』
悪戯が見付かった子供のように上目遣いする健司に、思わず頼子はときめいてしまった。可愛い、と。
『朝食は?』
『食べましたよ?』
でも足りないんですよねぇ、と手作りだろう一口サイズのチョコのカップケーキを口にする。
『大食いの割りに痩せてるわよね。本当羨ましいわ』
ずっと立っていたことに気付き、頼子は健司の隣の自分の席に落ち着いた。
『同居人にも、もっと太れぇって云われて凄い量のご飯を出されるんですが、全然なんですよ』
『それでも太らないんでしょ? どういう身体してんのよ。羨ましいわ。でも、油断してると三十代になったら痩せたくても痩せられなくなるわよ』
自分と旦那の体験談を切々と語ると健司は気を付けますと、苦笑した。
それから朝礼までの間、職員室にお目当ての男性教師を呼び出す女子生徒達がひっきりなしにやって来た。
幸子が渡した紙袋だけでは足りず、頼子も紙袋を渡すと健司はプレゼントを貰うように喜んでくれたが、こうしたちょっとしたことでも喜ぶから女子に人気になるのだろうな、と胸がドキドキした頼子は新人教師を観察していて飽きることを知らない。
『失礼しまぁす。如月先生いますか?』
男子生徒が数名、職員室のドアを開けて顔を覗かした。
『どうした?』
すぐさま生徒達の元に行く。
『こいつが先生に渡したい物があるって!』
女子生徒だけでなく男子生徒にも人気のある健司は教師と云うよりも、友達や近所のお兄さん的な存在なのだろう。それはそれで頼子は構わないと思っているが、教師という威厳を自身が持ってもらわなくては困る。
しかし近年社会問題になっている新人教師の精神面は、健司とは無縁であろう。
これだけすんなり、生徒の心に入っていける教師は滅多にいない。
頼子は健司を初めて見た時から適材だと直感していた。
『おお、ありがとな! お前から貰えるとはなぁ!』
市販ではあるがお菓子を渡した男子生徒は、はにかんでいる。
『先生大食いだからさ、女子から貰ったものじゃ足んないと思って!』
『よくご存知でぇ』
と、男子生徒の頭をめちゃくちゃに撫で回した。
『ちょ、やめろよ!』
『出た出た! 健ちゃんの撫で回し攻撃!』
周りの生徒達が笑っている。
『先生にやられると、鳥の巣みたいになるんだって!』
また始まった、頼子は溜め息を吐いた。
これさえ無ければ、と残念に思う。
直後、教頭の咳払いが聞こえ、健司と男子生徒の馬鹿騒ぎが収まった。
休み時間の度に健司への貢ぎ物は増え、頼子が用意した紙袋が役立った。
『袋六つ……私の教師人生で過去最高ね……』
健司の机の上にも床にも生徒や生徒の親から貰ったプレゼントが山になっている。これでも健司は尋常じゃない速度で腹に納めているのだ。
呆れて山を見ていると、ホームルームを終えて当人が戻って来た。
勿論、手には名簿以外の物も持っている。
どうやら廊下を歩く度にすれ違う生徒から渡されるらしい。
『こりゃ女子生徒全員から貰う勢いですな!』
暢気な校長が笑った。
『保護者からも戴いているようです。ちょっとばかり問題ですね』
教頭が目を光らせている。
『お帰りなさい、如月先生』
『ただいまですぅ』
ぐだぁと上半身を机の上に放り投げた。
『ちょっと、だらしないですよ』
頼子に注意されると、健司は背筋をピシリと伸ばして見せるが、すぐに液体化してしまった。
『どうしたの? 何かあった?』
『いや、あのですね? ここに来て初めて挨拶した時と同じ……それ以上の質問攻めで』
ああ、と納得した。
『仕様がないわよ、人の色恋沙汰に敏感な時期ですもの。しかも如月先生だから余計女子は気になるんじゃないかしら?』
『あうう。会議まで持つかな……』
しっかりしなさい、と丸くなった健司の背を強めに叩いた。
『ひゃ!? い、痛いですよぉ』
涙目の新人はそう云いながら職員会議に使う資料を纏め始めた。
会議は五時から行う予定になっている。
会議室の準備を健司はせかせかと進め、万端に整えた。
その間も職員室では健司の姿を求める女子生徒がひっきりなしにやって来るが、勿論職員室に健司はいないし、幸子が門番の役目を勝手に担ってくれているおかげで、放課後遅くまで校内をイケメン教師を求めてさ迷う生徒の姿は無かった。
職員会議の準備をしている最中、健司は携帯電話を所持していなかった。
職員室に戻ることなく会議に突入したせいで、上総からのメールも電話も誰に気付かれることもなく、虚しく震動するだけだった。
『それでは、今日の会議はここまでと致しましょう』
校長の合図で教師達は散会する。片付けはやっぱり健司だが珍しいことに、普段手伝わない教師が数名残って片付けを手伝ってくれた。
感謝しながら最後の掃除をしていると、背後から体育教師の等々力純哉が健司の肩を抱き締めニヤツキながら訊いてきた。
『これから彼女と会うのか? 先輩に紹介しろよ?』
ガタイの良い男性教師の腕の重さに健司は身体を仰け反らせながら、首を傾げた。
『彼女?』
『オイオイ、シラを切ったって良いこと無いぞ? 彼女がいないわけないだろ?』
健司の容姿だ。
世の女性が放っておかないわけがない。
だが性格に難有りの健司に、現在彼女はいない。
いないことを知ると、等々力は大袈裟に驚き溜め息を吐いた。
『可哀想になぁ、紹介しようか? 良い店知ってるぞ』
『店?』
すぐに思い付かず聞き返すと、マジか、と云われてしまった。
『ちょっと何如月先生に吹き込んでるんですか? やめてください』
三十代の未婚女性教師が、引ったくるように等々力から引き剥がした。
『冗談ですって』
困った顔をして、健司の頭に大きな掌を乗せた。
『頭ちっせぇ!』
『ぐぬぬ……いずれ大きくなります』
『なるわけねぇだろ』
小学生のやり取りのような会話をしながら職員室に戻ると、携帯に着信があることに気付いて慌てて見れば、上総からだ。
顔が自然とニンマリして、行くよ、と返信しようとした時、例の等々力がまた頭に手を乗せて来た。
どうやら掌に収まってしまう健司の頭頂部を気に入ってしまったようだ。
『オラ、独り身! 呑みに行くぞ!』
『ええ?』
あからさまに嫌な顔をしてしまったのだろう。等々力は健司の頬をつねった。
『ひ、ひはひ……』
『先輩の誘いを断るたぁ百年早ぇよ! それともやっぱり彼女いるのか?』
『いませんけど、先客です』
つねられた頬を擦り、返信が出来ないことを悟る。
『……女か?』
『いや、男です』
『……もしかして……そっち系か? いや、お前の性格と容姿なら男も放っておかな、くもない? か……』
『何ですか? そっち系って?』
『いや……』
と、健司の全身を舐めるように見た。
『……女役だな』
『はい? 俺お芝居出来ませんよ?』
話が分からないが気まずい空気が流れる。
『あ、いや、俺も彼女いないしよ、如月先生を誘って呑みに行こうと思ったんだが、こんな日にムサイ男と呑みたくねぇよな』
『ムサイって……まぁ少しだけなら付き合いますよ。今先客に連絡するんで待っててください』
上総に送信しようとしていた内容を作り替えている後ろで、体育教師のムサイ男がガッツポーズをとったのを健司は知らない。
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