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【第十六章、空を飛ぶ獣鬼】

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 風紀係としての、最初の職務が与えられたのは、転入から二十日ほどが過ぎた頃だ。
「今日は蚤の市が立ちますから、どなたか、ヨーゼフさんと一緒に巡回に行って下さいませんか」
 フェリシアはひらの書記係で、形式的な生徒会長は別にいるが、この集会を実質的に仕切っているのはもちろん彼女だった。
 一度、どうしてそんな手間をかけるのか、聞いたことがあったが、学校にいる間は一人の生徒として過ごしたい、のだそうだ。
 そんな影の支配者の指示に、そこにいた全員が顔を見合わせる。
 どうやら面倒な仕事のようだ。そう思った瞬間、声が飛んできた。
「おい、お前が行けよ」
 ソファでくつろぐエリックが、目を合わせることなく、指を軽く向けただけで、レーヴが担当に決まる。
 たまにしか参加しない彼は、家が裕福で、年が一番上ということもあって、皇女を除くすべての人間に尊大な態度だ。学校の外で連れ歩く女子が、一度として同じであったことがない、などという噂も絶えない。
 正直、あまり好きなタイプではなかったが、もちろん、逆らうことなどできない。
 警備中と書かれた腕章を手渡され、立ち組の中の一人である、ヨーゼフのあとを追って、廊下へと出た。
 男爵家の彼は、様式科の三年次だ。背はレーヴより低く、大人しい雰囲気で、風紀係の補佐役という立場もあるのか、普段、会話にもほとんど参加していない。
 ただ――。
 彼は、サーチャーだった。
 この世で、獣鬼の次にそばにいたくない人間と、街を出歩くことになってしまったのだ。
 学校を出て、しばらく経っても、同行者は無言のまま、数歩先を歩いていた。
 蚤の市の巡回とは、いったいどんな仕事なのか、職務内容を確認するくらいは許されるだろう。
「巡回って、何をするんですか?」
 すると彼は、前を向いたまま、ささやくように何かを話し始めた。
 あまりに声量が小さく、しばらくは、ひとり言かと勘違いしたほどだ。
 すぐ隣まで移動して、どうにか聞き取ることができた。
 蚤の市は月に二度ほど開かれる。古物の売買が基本だが、時に、レネゲードがまぎれて商売していることがあるそうだ。
「連中の違法性が高いと判断すれば、帝国軍に報告するんだ」
「違法性って、どういう判断なんです?」
 ヨーゼフは、立ち止まり、小さくため息をついた。
「そういうの、前もって勉強しておいてくれないと。例えば闇医者。正規の病院より安い値段で治癒してる。そんなの、野放しにできないだろ。あと、火を使う連中は、安全面から、基本的に通報対象だ」
「なるほど。では、逆に、違法性が低いのは?」
灌漑かんがいの請け負いとかだよ」
 水の少ない農地に、給水する仕事があるそうだ。
 すべての農民の要求に公的に応えるには、予算がいくらあっても足りないため、彼らは罪に問われないという。
 他に見逃されるのは、婚約の儀の代行や、夏場の屋外作業に、氷を提供する場合など。
 貴族たちが手を挙げたがらないのは、過去に、通報したレネゲードが、報復で学校の設備を壊したことがあったからのようだ。
「どうして軍じゃなくて、生徒が巡回をするんでしょう。安全とは言えないですよね」
「学校運営の足しにするためだ。分校だって、薬を売ったりしてただろう?」
「確かに」
 市場は、帝都の中心にある、噴水広場と呼ばれるあたりで開かれていた。
 多くはガラクタのようだが、そんな中にお宝を発見しようとする人たちの熱気で、思っていたよりは賑わっていた。
「サーチはアビリティを使ったときに検知するって聞いたんですけど、どういうスタイルかまでわかるんですか?」
「そこまでは無理。最後は検知器の砂紋で見極めるんだ」
 本校の図書館には、数百年の間に蓄積された、多くのソーサラーたちの砂紋の記録があって、それと見比べ、どんなスタイルを有しているのかを判断するのだそうだ。
「捕まったレネゲードの人はどうなるんでしょう」
「たいていは、登録して正規の職人になるんだよ。連中のほとんどは、ただ税金を払いたくないだけだから。投獄されるよりはましだろう」
 ただ、中には人格的に不適格、つまりは危険人物と判断される場合もあって、その場合、本人の意思とは無関係に、エーテルが希薄な、牢獄の地下深くに囚われるのだそうだ。
「性格が暴力的で、しかも攻撃性の高いスタイルを持ってたら、即、処刑のケースもあるんだってさ」
 その言葉に、思わず胸の短剣に触れた。
 ここでレネゲードだと露見してしまえば、少なくとも、投獄は免れない気がする。
 皇女に打ち明けることの妥当性を真剣に考えていると、近くでしわがれた声がした。
「そこのお前さん、ちょっとこっちへおいで」
 見ると、性別のよくわからない老人が、顔まで隠れるような、いかにも怪しげな装束に身を包み、小さな机を前に座っていた。
 ヨーゼフと顔を見合わせる。
「オレですか?」
「そうじゃ。さっさとこっちに来なせ」
 仕方なくそばに寄ると、相手はいきなりレーヴの腕を掴み、ぐいと引き寄せた。
「お前さん、世にもまれな女難の相が出ておる」
 どうやら占い師らしい。
「え。女難、ですか?」
「わしゃ、人間の周りのエーテルの動きが見えるんじゃ。お前さん、尋常じゃあない」
 銀貨二枚で詳しく話してやるという。
 正直、先を聞きたい気持ちはあった。
 うしろに振り返ると、ヨーゼフは小さく首を振り、さっさと先を歩き出した。
「すみません、今、手持ちがないんです。また今度、オレだけで来ますから」
 小声で断ったつもりだったが、追いついたとき、彼はあきれ顔でこう言った。
「エーテルが見えるなんてウソに決まってる」
「そう、ですよね」
「女難って言ったのは、君の見た目がいいほうなのに、髪型とか、身なりに気を使ってないことからの推測だよ。シャツの袖のボタン、いっつも外してるよね」
 貴族たちは男女問わず、装身具や香水を身に着けるのが普通のようで、レーヴの腰の剣は、周囲からは無骨なアクセサリーとして認識されていることを知った。
 巡回は滞りなく終わる。
 寄宿舎に戻ったあと、ヨーゼフが話していた、砂紋のことが気になった。
 夜、ヤーマがいないときを見計らい、検知器を借りて砂紋を確認し、紙に書き写した。
 翌日、図書館で調べたが、どうやらレーヴに備わっているのは、一般様式では、光と風、火だけのようだ。
 ヘンドリカの母に治癒を使うことになるのなら、自力で習得することも考えていたが、それは無理のようだ。
 であれば、別の誰かを頼るしかなく、その候補の一番手は、今はあまり会いたくない人間だった。
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