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【第十三章、第二幕の序章】

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 出発の朝、外が薄暗い中、屋敷をあとにした。
 アンナリーズからの依頼を含め、前向きな要素があまりない。
 憂鬱な気分のまま、帝都行きの馬車に乗り込んだ。
 乗客はレーヴを除けば、大人の男ばかり六人だ。
 商人や工夫のようで、互いに周りを気にすることなく、会話は丸聞こえだったが、おかげで緊張が少しほぐれた。
 朝から怪しかった空模様は、昼頃から本降りになる。
 道がぬかるみ出したのだろう、馬の脚でも進行が遅い。
 午後、木橋のかかる川に出た。
 濁った流れは速く、水面が欄干に当たるくらいまで水かさを増している。
 理由なく、嫌な気持ちになった。
 水の近くから早く離れたいという希望は、あっさり却下される。
 橋の状況を確認していた御者から、上流の石橋のほうへ、川沿いを迂回すると案内があったのだ。
 馬車が方向を変え、走り出して間もなくだった。
 雨音にまぎれ、遠くから、人の叫び声がした。
 馬車が停まり、乗客たちが前方に集まる。
「何があった」
 誰かの問いかけに、御者が指を向けた先には石橋があって、その上で、豪華というよりは華美な装飾の施された馬車が横倒しになっていた。客車は欄干にぶつかり、荷物が川に投げ出されてしまっている。
 声を上げた男だろう、そばには痩せて年老いた使用人らしき男がいて、震える両手で髪を掴み、欄干から流れを真っ青になって見下ろしていた。
 すぐに一人が馬車を飛び出し、それを見た残りの乗客も、顔を見合わせ、雨の中、救出に向かった。
 倒れた客車は、あれだけの人数がいれば立て直せるだろう。
 助けに加わるべきかと、外に出て、何かの違和感を覚えた。
 橋の上の老使用人は、集まってくる男たちが、まるで視界に入ってようで、それどころか、自ら川に飛び込むことを逡巡しているように見えたのだ。
 命を代償にするほど大切なものがいったい何かと、その視線を追ってしばらく、流れの中に見えた。
 人が一人、流されているのが。
 長い青紫色の髪で、女であることはわかった。
 首から上だけがかろうじて水面に浮いているが、それも波の高さによって、見えなくなる。
 彼女は必死に岸に向かおうとしていたが、大きく開けた口に、濁った水が流れ込む状況で、長くはもたないのは誰の目にも明らかだった。
 助けなければ、と考えるのと同時に、吐き気にも似た嫌悪感が、胸の中に広がる。連れて脈動が激しく打ち始めた。
 ここまでの恐怖を覚える理由はまるでわからなかったが――頭の中で、行くなら服を脱げと、誰かが叫んでいた。
 下着一枚になり、荷物をまとめていた荒縄を体に巻きつけ、一方を馬車に縛りつける。
 意を決して濁流に飛び込んだ。
 すでに水面に人の痕跡はなかった。ただ、最後に見た位置は記憶している。
 そこから流れを下ったあたりまで進み、立ち泳ぎで待ってすぐ、泥水には不似合いな、派手な花柄のドレスの生地が一瞬だけ見えた。
 目いっぱい伸ばした手の先に、スカートの端がぎりぎり引っかかり、どうにかたぐり寄せた。
 腕力を鍛えていなければ、こんな芸当は無理だったし、地味な服なら発見できなかった。
 速い流れにくじけそうになりながら、この強運を無駄にしてたまるかと、必死に川岸まで連れ戻った。
 だが、草の上に寝かせた、レーヴより年上に見える女は、息をしていなかった。
「こういうときって確か――」
 考えるより先に、体が動いた。
 顔にかかる緩やかに波打った髪を払う。
 彼女の胸のあたりに両手を添えて圧迫し、次に、鼻をつまんで首を傾け、息を強く吹き込んだ。
 同じ動作を二度繰り返した頃、老使用人がよろけながら駆けてきた。瀕死の状態の彼女を見て、膝をつき、天を仰ぐ。
「ああ、神様っ。どうかルセットお嬢様をお助け下さいっ」
 神がその声を聞き届けたのかどうか、ルセットと呼ばれた彼女は間もなく息を吹き返し、口からゲホゲホと水を吐き出した。
「お嬢様っ。私がわかりますかっ?!」
「え、ええ。あたし、助かったの……?」
 何が起きたのか理解している様子のないルセットの肩を支え、彼と二人で、雨の当たらぬ大木の下へと移動して間もなく、乗客の男たちも戻ってきた。
「頑丈な作りだな。ほとんど無傷だぞ、あれは」
 元に戻った馬車を見て、老使用人は、何度も彼らに頭を下げた。
 やがて雨は小振りになり、二人を残して、レーヴたちの馬車は移動を再開した。
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