三択楼の番人

とかげのしっぽ

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14、お春(後)

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「に、二択問題……?」
「うん。私、バカですから。」
「ちょっと待って、なんでお春ちゃんが馬鹿だっていう結論になるのかな?」

 お春は目元の表情だけは涼しげに、お団子を頬張り出した。けれどもよっぽど恥ずかしかったのか、彼女は頬を赤く染めて下を向いている。

「あの、もうちょっと説明がないと分からないんだけど?」
「もぐもぐ。」
「誤魔化された?!」

 どうしよう、と途方に暮れていた私は、ふとお春がどこかから取り出した紙に鉛筆で文字を書き出したのに気がついた。
 とても喋ることなんて出来ない、とでもいうような真っ赤な顔を俯け、彼女は懸命にメッセージのようなものを書いてゆく。最後まで紙を埋めた時、鉛筆を置く。まるで『恥ずかしくて喋れないからこれ読んで』とでもいうように差し出され、私は戸惑いながらも、そこに書かれた文章の音読を始めた。

「えっと……『二択問題チャンピオン方式:たくさんの候補がある中から一つだけ選びたい時に、使う方法。具体的には、トーナメント形式で一つずつ戦わせて勝ち抜きの試合をする。例えば人参と大根とゴボウから買う物を選ぶ時は、まず人参と大根ならどっちがいいか考える。次に、そこで勝った方の野菜とゴボウを比べて、どっちを買うか決める。』と。……なるほど……。」
「……もぐもぐ。」
「ど、どうしたのお春ちゃん?これとっても役に立つアイディアだし、この決め方は決して恥ずかしがるようなものじゃないと思うんだけど?」

 私はふと隣を振り向いて、びっくり仰天した。
 お春はいつの間にか、染まりに染まって真っ赤っかの林檎そっくりになっていた。いや、赤い風船だろうか。それともボール?オバケに熱というものがあるとしたら大変な高熱でお湯も沸かせそうになっているはずのお春は、まるでアリに向かって喋るつもりかというほど小さな声で言った。

「………でも私、三つ以上のものをいっぺんに頭に思い浮かべることが出来ない……馬鹿な子ですから。」
「そ、そんなことないと思うけど?」
「だからこうやって決めるしかないの。洗濯物も、アイロン掛けも、お皿洗いも、料理も、全部一個ずつ片付ける。何かを選ぶ時は、二つだけを頑張って思い浮かべて、決める。……とっても未熟で恥ずかしいです。」

 言うなりお春はしゅん、と落ち込んだ。
 私は驚くより、もはや呆れてしまった。そして、次第に怒りにも似た感情が湧いてくる。
 どうしてこう、自己肯定感が低いオバケが多いのだろうか。

——————ふむ。我ながら詰まらん例だ。何の参考にもならないだろうな。
——————今の話が貴重だと?酔狂な野郎だな。

 闇笠も。彼もそうだった。あんなにかっこいいオバケなのに。
 あんなにも憧れの感情を生み出すオバケなのに。それなのに、自らの手で己を貶めようとする。
 私は我慢が出来なくなった。俯くお春のそばへ行ってしゃがみ込むと、下からその顔を覗き込む。真剣な表情で、私は言った。

「本当に貴重な話を、ありがとう。」
「……え?」
「お礼に、私の折り紙を一つ、あげる。」
「……な。そ、そんな…」
「お春ちゃんには、桃ツバメちゃんとかどうかな?春にやってきて巣をかける、春の風物詩だよ。」
「い、いいんですか?」
「もちろん。」

 私は半ば強引に話を進める。そのまま、懐からピンク色の折り紙を取り出して折り始めた。丁寧に折り筋をつけて、ピッタリと端を合わせる。途中まではほとんど鶴を折る時の手順そのままで、最後に尾に切り込みを入れる。
そっと手に乗せて、念を籠める。

「準備はいい?」
「は、はい。」
「……いくよ。」

 そっと、手を離す。ふわりと舞い上がる薄桃色の鳥。ゆっくりと旋回して、天井近くの棚の上へ止まる。
 まるで魔法のような、否、魔法が生み出した光景に、お春は目を見張って呆けていた。

「私なんかより、お春ちゃんの方がずっと凄いと思う。」

 私がそう言うと、お春は信じられないような目でこちらを見つめてきた。

「私は働いてない。それどころか、仕事を選ぶことすら出来ていない。自分自身で決断したことがないんだよ。」
「で、でも……。」
「でも?」
「人間の可能性の深さには、全然敵わないですよ……。」
「そう。」

 私はゆっくりと息を吐いて、そして言った。

「じゃあ。もしも私がその可能性を存分に生かすことが出来たなら——————きっとその一部は、お春ちゃんのお陰だね。」








「……また会いましたね。」
「ふふ。わしは、ここの魚が好きじゃけん。」

 私は川辺に腰を下ろして、糸を紡いでは投げている胡麻ねえさんの隣に並んだ。
 家を訪ねたら留守だったので、仕方なく家に帰ってきたのだが。とても間のいいことに、初対面の時と同じ川のほとりで彼女に出会うことが出来たのだ。水面にはゆらゆらと葉の影がかかり、複雑な鼠色の紋様を描き出している。これがこの前も見た、魚を獲るための網の正体だったのか、と私は思った。

「何か良いことでもあったんかい?」
「そうでしょうか。」
「そういう風に見えるじゃけんねぇ。」
「……実は、優しくて可愛いオバケと友達になりました。」
「ふふ。それは何よりじゃけん。」

 日焼けした顔をくしゃりと幸福そうに歪める。胡麻ねえさんの表情は、いつも通り穏やかなものだった。
 私は静かに川面を眺めて問いかけた。

「……胡麻ねえさんは、どんな魚が好きなんですか?」
「色の綺麗なもん。」
「色?」

 私が首を傾げると、胡麻ねえさんはニコニコと微笑んで言った。

「おうおう。薄緑色の縞々、黄色の水玉、往々にして美しか魚は味わいも面白う感じるんじゃけん。」
「不思議な美学ですね。」
「そうかいな。」
「ええ。」

 私はしばらく黙ったまま、岩にぶつかって飛沫を立てる水を眺めていた。濡れた岩は烏の濡れ羽のように濃い黒色で、うっすらと苔に覆われている。転がっている岩や石ころの数々は全て角が取れて丸くなり、灰色の砂粒が敷き詰められた岸辺に打ち上げられる。
 長い長い大地の歴史を感じる光景だった。

「……一つ。質問をしてもいいですか?」
「無論じゃけん、柚子ちゃん。遠慮せんとじゃんじゃん聞いて良かよ。」
「ありがとうございます。」

 私はハラハラと舞い落ち、川の水に乗って流れてゆく紅葉を眺めながら、ゆっくりと口を開いた。

「スエキチくんに会えなくなったんです。最初は彼に会えないのは私だけなのかなって思ったんですけど、誰もがスエキチくんは消えたって言います。どうして……こんなことになったんでしょう。」
「あー、そりゃ、わしにも分からん。」
「……そうですか。」

 胡麻ねえさんは、困ったように目を伏せた。

「最近はどこかおかしかよ。消えたオバケはスエキチだけじゃなか。そうなりゃ、家屋敷も一緒にどっか行く。あっちこっちで樹は燃えて灰色になるし、極め付きは、雨。ずっと降らん日が続いてる……。」
「日照り、ですか?」
「ほれ。川の水かさが減っとる。柚子ちゃん、こっちへ来てから一度も雨を見たことないじゃろ?この多雨の秋カカシの森ですら雨が降らんのじゃけん。きっといつか……。」

 ハッと胡麻ねえさんが口を閉じた。
 珍しく、狼狽したような表情だった。聞かせはならないことを聞かせてしまった、というような表情。動揺……いや、むしろ何かを悲しがっているような、そんな顔。

「わかりました。」

 私ははっきりと言った。深く突っ込まないことにしますと、言外に伝える。胡麻ねえさんは、明らかにほっとしたような顔をしていた。

「そういえば、他にも気になっていたことがあるんです。」

 全く別の話を振ろうと懸命に頭を回転させて、そして思いついたのがこれだった。またしても雨に関係のある話題になってしまっているが、きっと大丈夫だろう。

「ん。何じゃろか?」
「私、会う人ごとに“雨の香がする”って言われる理由が知りたいんです。全然自覚がないんですけど、私って本当にそんな……その、オバケと勘違いされちゃうくらい強く匂ってるんでしょうか。」

 私が言うと、胡麻ねえさんは、うーんと唸った。

「……どうなんだろ。」
「………え?」

 胡麻ねえさんは、川に糸を投げる手は休ませずに、のんびりと首を傾げる。

「柚子ちゃんに会った時は、確かに雨の匂いのする女子だと思ったとよ。でも、改めて聞かれると、なんだか違うような気もするんじゃけん。」

 金色の輝きの混じった黒の瞳が、底なしの沼の如き深い光を湛えてどこか遠くを見つめていた。

「案外、匂いなんて当てにならないまやかしかもしれんなぁ。」

 その言葉の深い意味を尋ねようとした時だった。向こう岸のブナの梢に、ちらりと灰色の影が見えたのは。

「……ん?どうした、柚子ちゃん?」
「あれ。何でしょうか。」
「む。」

 遠くのことなので、よく見えない。しかし、小さな紙が———そう、まさに折り紙の鶴のような灰色の何かが———踊っているように見える。私が作った折り紙かとも思ったが、私はあのような色の作品を作った覚えがなかった。

「青鶴ちゃんは家でお留守番させてるし……桃ツバメちゃんはのっぺらぼうのお春ちゃんの家に巣を作って貰ったはずだから……。」

 考えてみても、思い当たる節がない。何だろうな、と思っているうちに、その影は見えなくなった。

「……何かの虫、とかじゃろ。」
「そう、でしょうか。」
「あぁ。珍しくはなかと。」

 やっぱり今日の胡麻ねえさんの挙動はおかしい。
 私は、エレー神殿に行けと言った時、強引に話を逸らした桜婆ちゃんを思い出した。
 私が眉を顰めた、その時。唐突に胡麻ねえさんが「おっ。」と短く声を上げて立ち上がった。川面の向こう側で銀色の魚がピションと跳ねる。「かかった!結構大きか。」胡麻ねえさんの手によって紡がれた糸が水の中で網となり、上手く魚を絡め取ったのだ。

「ちょいとごめんよぉ柚子ちゃん!」

 くるり、宙返りをしたと思ったら、胡麻ねえさんは妖狐の姿へと早変わり。黄金色の毛並みが太陽の光に照らされて輝いた。ぴょんっと勢いをつけて川へと疾走してゆき、最後にジャンプ。美しい流線を描いてダイブした時、胡麻ねえさんは既に獲物をその牙へと捕らえていた。

 ……全く、タイミングが悪い。

 すっかり私との会話なんか忘れているだろう胡麻ねえさんを、私は苦笑いを浮かべて見守る。人間の姿へ戻ってから、嬉しそうにその魚へかぶりついたのを見て、私は深くため息をついた。

「………やっぱり生で食べるんですね。」

 まあ、オバケがお腹を壊すことはないだろう。
 私は一人、岩へと背を預けるように寄りかかって、ゆっくりと目を閉じた。



♢ 



 いつも通りに鐘に導かれ、『三択楼』の文字を描く巨大な筆のそばを通り過ぎた私が、図書館に入った時。空蝉が熱心に読み耽っていた本は“金魚の育て方“についてのいかにも分かりやすそうな図解だった。

 暗闇の中。銀砂の如き美しく小さな星々の灯りに照らされて、静かに本を読む空蝉。しかし不思議だった。彼が手にしている本の種類が、あまりにも毎回異なっているのだ。彼の趣向は一体どうなっていて、どのような基準で読む本を選んでいるのだろうか。気になって気になって、私はとうとう、直接理由を尋ねてみることにした。

「僕はサンタクロースを探してるんだ。」

 空蝉は、目も上げずにそう答えた。ゆっくりと吟味するようにページ全体を眺めて、ペラリと捲る。

「え……サンタ?」

 思ってもみなかった単語が転がり出てきた。私は戸惑った。
 空蝉は、またゆっくりとページを捲る。ペラリ、という静かな音が、闇に満ちた空間に溶けていった。

「……意外かい?」
「う、うん。意外というか、よく意味が分からないっていうか……。あの、クリスマスの日にプレゼントを持ってきてくれる、伝説のお爺さんのことだよね?」
「“子供たちの元に“という条件を忘れちゃいけないよ。」
「そ、そっか。」

 しばし、本を捲る音だけが支配する沈黙が流れた。

「そうやって本を読めば、いつかサンタに出会えるの?」
「分からない。」
「……それじゃ、分からないのにやってるの?」
「そうだよ。」

 空蝉は静かに顔を上げると、椅子から立ち上がった。瞬間、手元の本や椅子は、まるで溶けるように闇のうちへと消え去る。
 その場に佇んだまま、ゆっくりと目を瞑る空蝉。
 彼は真っ白な麻衣の袖を持ち上げ、十字架の形に両腕を広げた。おかっぱの黒髪がサラリと揺れ、仁王立ちに踏ん張った彼の閉じた瞼は凪いでいる。空蝉はまるで降臨を果たした天使の如く荘厳な表情で、ゆっくりと唇を開いた。

「ここの本棚は、宇宙そのもの。ここにある本たちは、星屑の光となって保存されている。」

 空蝉の声は、いつも通りに穏やかな春の海だった。
 彼はどこまでも優しく温かい、まるで幼子の揺り籠のような存在だった。

「この星の海の中のどこかに、サンタクロースが埋まっている。僕の夢は、それを見つけることなんだよ。」

 目を閉じたまま、彼は言う。
 その唇は、青ざめた薄紫色。その肌は、病的なまでに血の気のない白色。その声音だけは、どこまでも温かく響いてゆく。

「……宇宙にある星は、数え切れないね。」
「それでも、見つける希望は失われない。」
「うん。本当に、その通りだね。」
「あぁ。」

 ゆっくりと、空蝉が目を開ける。
 紅くガラス玉のように透明な瞳。彼の目はいつもよりも暖かく、穏やかな輝きを湛えているように思えた。

「それじゃあ、検索を始めよう。」

 ずっとずっと変わらない毎夜の習慣。
 私はまた三番を選び、無事にこの夜を乗り越える。

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