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3月31日金曜 その2
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侑子は、自転車を、Q棟の駐輪場に仮置きして、その娘の方へ歩みを進めた。
「こんにちは。」
その娘は、侑子を見返した。手にはスケッチブックが握られていた。
「こんにちは。」
堅い表情だったが、その娘は、ちゃんと侑子に向けて笑顔を返した。驚いた…。この子、こっち向いてあいさつしながら、絵を描いている。そして、彼女の髪の色は侑子がずっと憧れている漆黒の美しい黒髪だった。それをショートボブできれいに整えている。
「絵、上手なのね。」
その娘は照れながら、コンテで汚れた右手を、タオルで拭いた。スケッチブックにはQ棟の全景が描かれている。
「私、伊藤奈美。よろしくね。」
侑子は、差し出された彼女の右手を、ぎゅっと握ってみた。不思議だ。ツー君の手の感触に似ている。もっとも、握られた手は確かに女の子の柔らかい手だったが。
「私、満川侑子。5年2組。」
「そうぉ、じゃ私の一年下なのね。」
「いや、4月から、6年生。一緒の学年だよ。」
「あ、そうなるのか。…うんうん。この棟に住んでいるの?」
そこで侑子は目をそらした。そして、一息ついて、答えた。「私はL街区のN棟に住んでる。…」侑子の表情が少し曇ったようだったが、伊藤奈美という少女は、それには触れなかった。
「私、Q棟の201号に今日から住み始めるの。よろしくね。同じクラスになれるとうれしいわ。」
侑子は、『この子が…。』そう、津山孝典の住んでいた部屋に新たに住み始めるのだ。この子が、ツー君の代わりに…。侑子の思考は、無限のループのごとく、ぐるぐる回っていた。言葉を発することもできない彼女を見ていた伊藤奈美は、喋りながらコンテを右手に握り直した。津山孝典によく似た彼女の手の感触が、侑子の右手に生々しく残った。
「じゃ、またね。」
「うん、満川さん。これからもよろしくね。」
あの子が、ツー君の代わりなのか…。侑子は、悲しい別れの1週間後に起きた現実を受け止められるか、自信がなかった。
完
「こんにちは。」
その娘は、侑子を見返した。手にはスケッチブックが握られていた。
「こんにちは。」
堅い表情だったが、その娘は、ちゃんと侑子に向けて笑顔を返した。驚いた…。この子、こっち向いてあいさつしながら、絵を描いている。そして、彼女の髪の色は侑子がずっと憧れている漆黒の美しい黒髪だった。それをショートボブできれいに整えている。
「絵、上手なのね。」
その娘は照れながら、コンテで汚れた右手を、タオルで拭いた。スケッチブックにはQ棟の全景が描かれている。
「私、伊藤奈美。よろしくね。」
侑子は、差し出された彼女の右手を、ぎゅっと握ってみた。不思議だ。ツー君の手の感触に似ている。もっとも、握られた手は確かに女の子の柔らかい手だったが。
「私、満川侑子。5年2組。」
「そうぉ、じゃ私の一年下なのね。」
「いや、4月から、6年生。一緒の学年だよ。」
「あ、そうなるのか。…うんうん。この棟に住んでいるの?」
そこで侑子は目をそらした。そして、一息ついて、答えた。「私はL街区のN棟に住んでる。…」侑子の表情が少し曇ったようだったが、伊藤奈美という少女は、それには触れなかった。
「私、Q棟の201号に今日から住み始めるの。よろしくね。同じクラスになれるとうれしいわ。」
侑子は、『この子が…。』そう、津山孝典の住んでいた部屋に新たに住み始めるのだ。この子が、ツー君の代わりに…。侑子の思考は、無限のループのごとく、ぐるぐる回っていた。言葉を発することもできない彼女を見ていた伊藤奈美は、喋りながらコンテを右手に握り直した。津山孝典によく似た彼女の手の感触が、侑子の右手に生々しく残った。
「じゃ、またね。」
「うん、満川さん。これからもよろしくね。」
あの子が、ツー君の代わりなのか…。侑子は、悲しい別れの1週間後に起きた現実を受け止められるか、自信がなかった。
完
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