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第3話 術式

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「えっと、本当にあなたなんですか? その…あかの魔術師は」

「だからそう言ってるだろう。信じられないのか? それなら今ここで、お前を消し炭にしてやってもいいんだぞ?」 

「やめてください」

 真顔で恐ろしいことを淡々と言ってのける様子にさすがに恐怖を覚えたので、とりあえずあかの魔術師本人であることは認めることにした。だって、この人は本当に消しとばす気だったようで、右手に魔力を流しているのがはっきりと確認できた。しかもそれを隠そうともせずに、むしろ大っぴらに見せつけているようだ。とりあえず危険な人だと分かっただけでも良しとしよう。

「それにしても、僕がここに向かっているとよく分かりましたね」

 これに関しては単純に凄いと思った。やはり一流の魔術師というものはこんな傍から見たら常にだらけきったりしていそうに見えるが、実は常に周囲の状況に神経を尖らせ続けているものなのだろうか。

「あんな隠す気も無いような探知サーチ、別に意識せずとも逆探知くらい簡単にできる。次に使うときはもう少し分かりにくいようにした方がいいぞ。あれじゃあ簡単に接近が予測できるし、迎撃する準備もできる。それに君くらいの体格だと、返り討ちにすることぐらい簡単だからな」

 ユートの素朴な疑問とは裏腹に、シルヴィアはさも当然のことのように答えた。

「それに勘違いしているようだが、今の状況だと立場が上なのは私だからな。魔術も然り、身長も然り」

 そう言うとシルヴィアはユートの頭の上に手を置き、意地悪そうな笑みを浮かべた。確かにシルヴィアの方がユートよりも数センチばかり背が高い。それにしても170センチ以上あるユートの身長を超えるとは、やはりシルヴィアは女性の中ではかなり長身な方だろう。

 頭の上に置かれた手の撫でるような動きと、シルヴィアの顔に浮かぶにんまりとした厭らしい笑みがユートの胸の内に不快感を募らせていく。…よりにもよって女性に、しかもこんな人に頭を撫でられてしまうとは、不覚だった……まずい、屈辱的過ぎて何か泣きそうだよ。

「あっ。そういえば君、さっき魔術を使っていたということはもしかして魔術師なのか?もしそうなら何か展開して私を驚かせて見せてくれ」

 遂に訳の分からないことまで言い出した。

「なんでそうなるんですか! 魔術が見世物では無いということは貴女あなたが一番良く分かっているはずでしょう!?」

「まぁいいじゃないか。それに君、確かモルトピリアの軍人だったっけ?あんな国、私はもう二度と戻りたくないんだが、君の任務は私が護送される気にならなければダメってことだろう?もしそうだとしたら君の任務は失敗だな。あーあ、そちらのお国の上層部に極秘任務に失敗したと報告が入ったら、君はどうなってしまうんだろうな。辞任か? 追放か? はたまた極刑………? いずれにせよ、ろくなことにならないのは、火を見るより明らかだがな」

 なんでこんな事になってしまったんだ。仮に任務失敗の報告が皇帝陛下の耳に届いたとして、まぁ辞任は確実だ。それに、ただでさえ居場所が少ないのにこれ以上奪われてしまったらもう、どこかで野垂れ死んでしまうしかないだろう。…最後の言葉すら遺せないんだろうな。

「そんな人生崖っぷちの君に朗報だ。今、私はすごく退屈だ。それに機嫌もあまり良くはない。まぁ、どこの馬の骨とも知れない取り柄が顔くらいしかないような男が家に勝手に上がり込んできたんだ。当然だがな」

 何か救いを差し伸べるかのように、人差し指をピンと立てながらシルヴィアは話を始めた。この話の続きに本当に救いがあるような気がして、ユートは黙って一言一句、聞き逃さぬように聞く。

「だがもし、私が初めて見るような面白いことをやってのけたのなら、その任務とやらに協力してやらないこともないぞ。ただし、本当に面白くなかった場合は君をすぐに消し飛ばすからな」

 果たしてそれは救いだったのだろうか? 確かに先程よりかは状況がいい方向に動き始めたが。全く…僕は芸人じゃないってのに。

「…分かりました。やりますよ。その代わり、ちゃんと協力してくださいよ」

「あぁ。面白いやつを頼むよ」

 はぁ、とユートはため息をつく。見せるといってもこの術式は何年もの隠し通してきた秘術だ。今でも使えるかどうかわからない。まぁ物は試しと言うし、任務遂行の為だ。やってやる。ユートは精神を落ち着かせるとその目を閉じた。


 ——虚数術式イマジナリー・アーツ展開。周囲と自分の体から魔力をかき集めるとユートは右手を正面に突き出す。そしてその手の平に魔力を流していく。その様子をシルヴィアは黙って見つめていた。そうこうしているうちに手の平の空間に歪みが生じた。もう少しだ、ユートは右手を少しずつ回す。それに呼応するように空間の歪みは回転していき、やがて独立していきその回転をより加速させていく。そして空間に穴が開いた。ユート目の前には、小さくはあるものの、何よりも深く、そして何よりも昏い虚空が出来上がった。ユートは虚空に左手を近づけると、その深淵に向かって魔力を流した。

 そこからは美しくも何処か儚い、淡く光を反射する瑠璃ラピスラズリのネックレスが出てきた。それを見てユートはあの、もう遠くなってしまった日々を思い出した。夏の終わり、夕焼けが砂浜を照らす。空は晴れ渡り、風は凪いでいて今思い返せばこれ以上ないほどの美しいひと時だった。夕焼け色に染まる砂浜、その朱と金の色彩の上に浮かぶ二人の影、あの瞬間とき僕は、の輝きに初めて触れた。

「…ほう、虚数術式きょすうじゅつしきか。確かに珍しい代物だな」

 シルヴィアの呟きに、ユートは我に返った。彼女はユートの顔を上から覗き込んでいる。

「これが君の神授術式オリジナルか?」

 神授術式とは文字通り神から与えられた…というかこの世に生を受けた時に持つかどうかが決まるためそう呼ばれている。そしてこれを持つ魔術師と持たざる魔術師では雲泥の差だ。即ち、魔術師にとっての最大の武器ということだ。

、と言われると語弊がありますけど、一応僕の術式ではあることになっています」

 そう言った時、ユートの胸に心臓掴まれたようなズキリとした鈍い痛みが走る。あぁそうだ、僕はあの時、を………  

「…これ以上掘り下げるのは野暮なようだな」

 ユートの心情を察してか、シルヴィアは先程とは違う、優しい声で告げる。

「人は誰しもが過去に悔いて生きている。それはお前も私も同じだ」

 彼女の瞳には暗い影がかかっているようなが気がした。なんだか悲しいような、困り果てた子供のような。

「だからこの話は終わりにしよう。過去を振り返って悔いてみても、辛いだけだ」

 それは贖罪のような、悲壮に満ちた悲しい声だった。何か言おうと思ったが何も言えない。ユートは言葉を探したが、その開いた口からは言葉が出てくることはなかった。

「それに、さっきは面白いものを見せてもらったことだし、いいだろう、その護送任務とやらに協力してやろう。ありがたく思えよ?」




「おい、そこの二人、止まれ」
 
 急に声を掛けられ、ユートはビクッと小さく震える。先程家を出た後、ユートとシルヴィアの二人は大使館に向かって歩いて行った。そしてあと少しでシティ・グレイの出口というところで背後から声をかけられた。背後にいたのは黒いコートに身を包んだ男だった。

 ヴン、と探知サーチの音が聞こえた。…この人、魔術師だ。ユートはすぐさま戦闘態勢をとる。自然な探知にこちらが戦闘態勢をとっても動じている様子がない。この人、かなりの手練れだ。

「おいそこの女。お前、魔術師だな?」

「私は魔術師だが、実は横のこいつも魔術師なんだがな」

 シルヴィアは余裕たっぷりに答える。

「その餓鬼はどうでもいい。おい女、お前の首をが欲しがってんだよ」

 男の言うとは何のことなのだろうか。

「だが、私の首は誰にもくれてやるつもりは無いんでね、残念だったな。お生憎様」

 男の体から殺意が溢れ出している。このままでは危険だ。ユートはシルヴィアの前に立つ。

「おやおや、まさかこんな美男に身を挺して護って頂けるとはな。嬉しいねぇ。惚れてしまいそうだ」

「下がってください」

 シルヴィアの軽口も無視して気を引き締める。男は体に魔力を流している。

「ならその餓鬼ごとあの世に送ってやるよ」

 そう言うと男は距離を詰める。そして急加速、ユートに岩石のような拳を突き出してくる。ユートはそれを左手で受け流すと男の脇腹に蹴りを入れる。そしてすぐさま男の顔に渾身の掌底を食らわせた。男は少しよろめいたがすぐに立ち直すとユートに前蹴りを放つ。ユートは眼前に両手を交差させて身を守るが、強烈な蹴りにひるんでしまった。その隙に、男はユートに強化エンチャントされた右手で殴り掛かってくる。防御しようとしても間に合わず、鳩尾みぞおちに強烈なパンチを食らい、ユートはその場に膝をついた。意識が飛びそうなほどの衝撃に、ユートの胃の中のものが吐き出される。

 そして男はシルヴィアの方を向くと指をさす。まずい、魔弾まだんを撃つ気だ。

「…!? 待て!」

「お前はこの女の次だ! 今、お前の目の前で、この女を殺してやる!」

 ユートの叫びも聞いていないようで、男の指先に光が集まっていく。どうする? どうしたら止められる? どうすればシルヴィアを護れる? ユートは限られた時間の中で必死に考える。


 …一つだけ思いついた。シルヴィアを護るためにはこれしかない。今回の任務は護送だ。彼女の身を護りきるためなら、。ユートは足に魔力を集中させると加速する、そして男とシルヴィアの間に体を滑り込ませた。



 閃光、男の指先から魔弾が放たれる。

 魔弾はユートの腹部に直撃。どうやら貫通はしなかったらしく、シルヴィアを護ることには成功した。激痛がユートの体を突き刺す。腹部からは血が流れだしているようで、触った手を見ると、赤色で染まりきっていた。

「…なっ!? おい!」

 シルヴィアの慌てた声が聞こえる。彼女は駆け寄って来るとユートの腹部に触れ、応急で治療術式を展開していた。彼女はユートの血に濡れた手を強く握った。

「大丈夫か! ? 気をしっかり持て!」

 その言葉とは裏腹に、ユートの手を握るシルヴィアの白い、今は血の色に染まってしまった手は震えていた。

「…僕は大丈夫です。それよりも早く…逃げてください」

「馬鹿! お前を放っておけるわけないだろ! 安心しろ、すぐに病院に連れて行ってやるからな…!」

 そう聞こえたのを最後に、シルヴィアの声が遠くなる。ユートの意識も無くなりそうだ。あーあ、死んだかなコレ。まだまだ長生きしたかったんだけどな。

 最期の時くらい笑ってやろうと、ユートはその顔に笑みを浮かべた。


 そして光が遠ざかる。ユートの意識は黒い奔流に塗りつぶされていった。
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