セダクティヴ・キス

百瀬圭井子

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葛城 祐介(かつらぎ ゆうすけ)
藤沢 航(ふじさわ わたる)
加賀見 久(かがみ ひさし)

*   *       *   *

 十二月に入った途端、街はクリスマスカラー一色になった。
 平日の夕方、東京都内の有名ホテルの広間では、大手出版社主催の華やかなクリスマス・パーティーが開催されていた。
 キッズからシニアまで、数種の女性向けファッション誌を抱える出版社の立食パーティーは、モデルやタレント、女優といった美しく装うことが仕事の煌びやかな出席者から、癖の強そうな業界人や如才のないスーツ姿のビジネスマンまで、多彩な顔ぶれが揃っていた。
 出版業界は不況といわれて久しいが、案外、聞こえてくる風聞よりも余裕があるのかもしれない。あるいは、いろいろな意味で切り詰められない部分でもあるのか……。
 とはいえ、今日のパーティーは有名人の結婚式に使われるような大広間ではなく───昨今はそのような催しも少なくなったそうだが───それよりも一回り小さい中広間が使われていた。
 今日は祐介が今までに受けたいくつかの取材のうちのひとつ、久が紹介してくれた出版社のパーティーだった。
 シェフという職業柄も含め、決してパーティーに不慣れではない祐介だったが、メディア業界とファッション業界が混ざったようないかにも派手な───あるいは軽薄な───雰囲気は不得手で、来て一時間も経っていなかったが、すでにもう帰る算段を始めていた。
 元々どうしても出席しなくてはならない類いのイベントではない。
 取材のときに世話になった編集者の一人に、紹介したい人がいるのでぜひにと著名な料理人の名前を挙げて誘われたので、つい承知してしまったのだ。
 だがその件の女性編集者は、テーブルをあちらこちらと忙しく飛び回っていて、祐介とは最初の挨拶以外、まともに言葉を交わしていなかった。
 周囲をざっと見回しても名前を出された料理人は見つからず、顔を知っているような料理界の関係者も見当たらなかった。
 今日はもともと彼の店『シャグリ』の貴重な定休日だったのだ。
 飲食業界の稼ぎ時の師走とはいえ、働いているスタッフのため、できるだけ定休日を減らさない、移動させない主義の祐介にとって、やりたい予定は山程あった。
 さて、出口はどこだったかと、霞のような人いきれの中、祐介が改めて会場を見回したときだった。
「!」
 気づいたのは向こうが先だった。
 祐介の視線が止まったことを認めた相手は、お喋りに夢中な人々を避け、口元に楽し気な笑みを浮かべながら彼の前まで歩いてきた。
「───」
 上品な濃茶のベロアのスーツに細い蝶々結びのタイがよく似合っていた。
 髪は艶やかな栗色。
 眉も自然に見える程度に整えられていた。
 全体的にあまりにも垢抜けしすぎた青年は、今売り出し中の二枚目俳優だと紹介されても誰も疑わなかっただろう。
 実際、彼はデビューしたばかりの新人モデルだ。
 元々の素材が良すぎたのだ───と思わざるを得ないくらい、半年という短い期間での驚くほどの変貌振りだった。
「お久しぶりです」
 聞き覚えのあるハスキーなトーン。
 しかし、言葉遣いが───いや、声音までツンと澄ましたよそ行きに聞こえてくるから不思議なもので……。
「………」
「忘れられちゃいました?」
 クリッとした瞳に、いたずらっ子めいた光が浮かんだ。
 それすら様になっている。
 過去二度の邂逅の、妖しい魅力を放つ青年の面影は全く見当たらなかった。

 剣呑な雰囲気を漂わせる不夜城。
 海の底にいるようなダークブルーのナイトクラブ。
 ビジネスホテルの一室。
 濃厚な探り合い。
 妹───。

「───……久しぶりだな」
 祐介にとっては、忘れてしまっても問題のない、むしろ積極的に忘れたい相手だった。
 しかしなぜか、二人の間には共通の知人ができていて……。
「半年ぶりですね」
「ずいぶん変わったな」
 祐介は正直な感想を口にした。
「そうですか?」
 ───もちろんその原型に変わりはない。
 もともと本人も今時の若者らしく身なりに気を遣う方だったが、今は明らかにプロの手により磨きがかかっていた。
 とはいえ、彼の本分は勉学が第一の大学生だ。
 そのせいか芯まで業界慣れした風になっていないのが、今の彼の清冽な魅力にもなっていた。
「大学でなにか言われないか?」
 祐介が気遣った声を出すと、途端、航はクククッと笑い出し、面白そうに彼を見つめ返してきた。
「あなたこそ、ホント二枚目風のカッコいいヒトなのに、ホントおカタいんだよね。言うことが」
 そう言って彼はチラリと、わざとらしく相手の全身に目を走らせた。
 祐介はネクタイを締めたスーツ姿だ。
 正式なパーティー・コードからは外れていたが、華やかな人種が多かろうが、地味な男性陣はこんな格好だろうと踏んだ通り、周囲にはちらほら、いかにも営業回りを抜け出して来たかのような背広姿の人間も見受けられた。
 そういった意味では、この“クリスマス・パーティー”は、「この一年お疲れ様」といった日本的な“忘年会”の役割も兼ね備えているのだ。
 そんな中で、祐介は地味すぎるという意味では悪目立ちもせず、またもちろん派手すぎもせず、本人の意図した通りにうまく周囲に溶け込んでいた。
「大学、ちゃんと行ってるのか?」
「行ってるよ。あやちゃんから聞いてない?」
「……大学、授業やレポートが大変なんだろ? バイトしてる暇はないってあやは言っていた」
「大げさだな。今まで夜遊びする時間はあったし……。オレとあやちゃんは違うよ」
「………」
「なに? 心配してくれてんの? それとも、ちゃんと大学行けってお節介されてんの?」
「どっちでもない」
 迷いのない即答に、
「残念だな。ちょっとでも関心持ってくれたら嬉しいのに」
 航は愛想良く言った。
「───んな嫌そうな顔しなくても」
「いろんな雑誌出てるって聞いた。必要だからか、面白いからか知らないけど、本当にちゃんと大学行ってるんならいい。───それ以上、おまえに興味はないよ」
 こんな時でも誠実そうな、裏表のない声音に、
「言うね」
  航はわずかに笑みを弱めた。
「───オレだって傷つくよ?」
「どういう……」
「それは───」
 航が笑顔を消し、何か言いかけたとき、
「あ、航くん!」
 通りすがりの誰か───女性の声が二人の間に割り込んできた。
「───」
 航は口を噤み、表情を止めて、そちらを振り返る。
「舟山さんが探してたよ」
「え? ああ───」
 その隙に、祐介は黙って彼から離れた。
 航は一瞬そちらを見やったが、
「あ、舟山さん、こっちこっち───」
 女性が手を上げ、誰かを呼ぶと、
「どこ行ってたんですか?」
 明るい声を出した。
「悪い悪い。電話長引いちゃって───」
「なんだ、舟山さんの方がいなくなってたの?」
「───」
 航は外野に悟られないように、さりげなく祐介が消えた方向を見つめた。



 「つれないねぇ~」
 招待してくれた編集者への挨拶を諦めて、そのまままっすぐ出口へ向かおう思っていた祐介は、今度は友人の久に捕まった。
 彼はフリーのカメラマンで、航にモデルの仕事を紹介した人物だ。
 祐介は今日彼が来ていたことは知らなかった。
「久か、久しぶ───」
「久しぶりなんて言うなよ。オメー」
 いつも言われる冗談なのか、相手は露骨に顔を顰めた。
 久はブラックスーツに蝶ネクタイという格好だ。日本人の目には少し大げさに映るかもしれないが、本来はこちらが正しい服装なのだ。それを臆面もなく着こなしているのが、いかにも彼らしかった。
「まっ、オレは久しぶりって感じはしないけどな」
 彼は無愛想な旧友に頓着せずに話しかけた。
「なんでかっつーと、結構おまえの話題が出てくんだよ。航くんと話してると」
「………」
「あの時、おまえ、あやちゃんの彼氏って紹介してたけど、ただの友だちなんだって?」
「………」
「どういう風に知り合ったのかは詳しく聞いてないけど、不思議な関係だな」
「………」
「可哀想に、今おまえ、航くんになんかけんもほろろな態度取ってなかったか? 遠目からだったけど」
「───」
 ちらっとどころではなく、それなりに自分たち二人が観察されていたことを知って、祐介は不愉快な思いを隠しもせずに相手に強い視線をやった。
 航は久とどんな話をしていたのか……。
 久は性的にはストレートだが、カメラマンといった芸術系の職業柄、多様なセクシュアリティには鷹揚で、そしてまた敏感だった。
 間違っても無神経な男ではない。
 航が自分からゲイであることを話したのか、なんとなく察したのか、あるいはただ祐介を揶揄っているだけなのか……。
 デリケートな話題である以上、祐介は不必要な情報を相手に与えてしまうことを警戒した。
「まー、おまえはもともときっつい性格してっけどな~。つか、なんでそんな男がこんな実直そうな二枚目ヅラしてんだか」
「………」
 そこまで言われる筋合いはない、とばかりに祐介は不機嫌な表情を見せて押し黙った。
 ある程度それは演技だ。
 あまりに反応が薄いと、それはそれで久の言動がエスカレートしていく───というのを彼は長い付き合いの中で知っていた。
「それはそうと、おまえ、この後の予定は? つか、おまえ、誰と来たんだ?」
「誰だっていいだろ。もう帰る。帰るところだったんだ」
「えー、折角だし、飲みに行こうぜ。航くんも空いてれば誘って」
「今日はいい」
「あらま、機嫌悪いな」
「………」
「はいはい。んじゃまたな」
 さすがに祐介のことをよく知っている古い友人はあっさりと彼を解放して手を上げた。
 それに反応もせず、祐介は足早にその場から離れた。
 もう誰からも声をかけられたくない。
 ───なんだかいろいろと水を差された気分だった。
 本当は気が進まなかったのに、前から興味のあったベテラン同業者とさり気なく話せる機会が得られるかも知れない───なんて都合のいいことを考えたことと、結局は貴重な時間を無駄に潰しただけだったという今の状況が彼を憂鬱にさせていた。
 まさにこんな時、探していた編集者にでも見つかったら───という思いに駆られた彼は、目についた地味なドアに歩み寄ると、素早くそこから抜け出した。
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