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暗雲

第31話 心までとは言わないから

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 ふと視界がぼやけていることに気付いて、ゆっくりと瞬きをする。

 睫毛の雫が流れ、俺の肩の上で震えている足の上に落ちた。
 泣いた時のような視界。
 でも今は、法悦が何度も何度も弾けた結果だ。

「っ゛……ん、ぁ……っ?」

 肌の上で弾けた雫に対して、ぼんやりと意識が定まっていない声音が微かな疑問符を零す。

 どれだけの回数、蠢く隘路に精を注ぎ込み続けたんだったか。
 いつもなら、俺が我に返った時には抱いている体は完全に反応がなくなっている。
 でも今日は、虚ろな黄金は薄らと開いていた。

「――旭陽」
「……っ゛……ッ、ぁ……」

 互いの唾液でてらてらと光っている唇に舌を這わせ、頬の輪郭や顎まで伝った跡を追い掛ける。
 顔を覗き込めば、僅かに眼球が動いて俺の方向へ向いた。
 辛うじてといった有様だが、意識も残っているようだ。

 がくがくと痙攣している腰を掴んで、慎重に腰を引いていく。

「っぁ゛、ア゛ッ――ひっ、ぅぁ……っ」

 途中で俺の腰に絡んでいられなくなっていた片足が、ソファの上で小刻みに跳ねている。
 栓になっていた男根が抜けると、ごぼりと大量の白濁がアナルから溢れ出した。

「ッぁっぁひっ! ぃっ、ァ゛、ぁあううっ……!」

 こちらも途中で力が入らなくなって落ちた両手が、互いの精液で濡れているソファに爪を立てた。
 はくはくと、二人ぶんの唾液で濡れた唇が空気を食んでいる。
 さっきまで味わい続けていた柔らかな感触に惹かれて、また唇に噛み付いた。

「っ ぁ、ッぅ゛っ、ッ!」

 ごぽごぽと下の口から俺の精液を吐き出し続けながら、上の口も塞がれた旭陽が弱い悲鳴をくぐもらせる。

 見下ろした先で、瞳がふらふらと揺れていた。
 今にも閉じそうな瞼を撫でれば、微かに目尻が反応を示す。

「ン゛ぅ、ゥッ……ふ、っ、んぁ……ッ」

 されるがままだった舌が動き、微かながら旭陽からも応えてきた。
 絡めた舌を動かす度に、とっくに力尽きて硬度を失っている陰茎が健気にひくついている。
 咥内を舐め回し、最後に軽く吸い付いてから口を離した。

「ッ、ァ……、っ……」
 口付けを解いた瞬間、何処か不満そうな声が旭陽の口から零れた。

 勝手にキスを止めたことが気に入らなかったらしい。
 ふやけていた眦に、微かながらはっきりと険が滲んだ。

「もっと?」
「……ん……ぁ」

 声を和らげて尋ねると、行動で肯定が返された。
 口付けを解いた時のまま開いている唇から、真っ赤な舌が伸びてくる。
 差し出された舌先を軽く吸えば、黄金から不服の色が溶けて甘さに変わった。

「ッンぁ、あっ……! ふッ、ぁ、んん……、っ」

 性感を煽る強さではなく、柔らかな触れ方で口腔をなぞっていく。
 肩や髪を撫でていると、旭陽の呼吸も少しずつ落ち着いてきた。
 俺も燃えるようだった体と頭から、徐々に獰猛な熱が抜けていくのを感じる。

 心身が醒めていく凍え方ではない。
 恋しい相手を労りたくなる、穏やかな熱が全身を満たしていた。

 都合がいいな。内心、自分でも自嘲してしまう。

 取り返しがつかないだけ傷付けてやりたい。
 俺がそうされて、酷い刻まれ方で旭陽を忘れられなくなったように。
 傷を刻んで、犯して、ぐちゃぐちゃに壊して、それまでの全部を奪い尽くして。俺以外の何もかも、分からなくさせてやる。

 確かに、そう願って――優しくできるはずだった道を捨てて、無抵抗のお前に手を伸ばしたはずだったのにな。

「ぁっ…………き、」
 黙って頭を撫でていると、少し焦点が合ってきた旭陽がぼんやりと呟く。

「ん?」

 項を掴んでいた跡が残っている首筋に唇を触れさせながら、名前を呼んできた男に視線を向けた。
 泣き腫らした目がふらりと揺れ、少し彷徨ってから俺と視線を合わせる。

「…………った、か?」

 何か、問いのような言葉が落とされた。
 よく聞こえなくて、旭陽の口元に耳を寄せる。

「き……もち、――よ、……った、か?」

 きもちよかったか、とは。
 一瞬、何故いきなりそんなことを問われたのか分からなくて混乱する。

 でもすぐに思い出した。嫌がる旭陽に「俺は気持ちいいから我慢して」と伝えたことを。
 キスしたら許すとの言葉通り、あれ以降旭陽は手を退けろとは言わなかった。

 旭陽も感じに感じてたから、流されてくれたのかと思った。
 キスは俺の要求をそのまま飲むのはプライドが許さなくて、咄嗟に自分の好きな行為を交換条件にしたんだろうって。

 でももしかして、本当に俺の快感のために我慢してたんだろうか。
 いや、俺のためだけに我慢する性格では絶対ないけど。むしろ我慢する性格でもねえけど。
 でも、少しは――俺のためでもあった?

「……あきら……?」

 答えることを忘れていると、涙で濡れた黄金に微かな翳りが過ぎった。
 即座に後頭部へ手を回し、旭陽の頭を抱き寄せる。
 お互い、全身汗で濡れている。額同士を触れ合わせ、至近距離で口元を緩めて見せた。

「すっげえ、気持ちよかった。またやっていいか」

 一音一音、感情を込めて発音する。
 我ながら、随分と甘ったるい声だった。

 僅かに怯んだ旭陽が、悩むように視線を彷徨わせようとする。
 先に頬へ手を添えて、目尻の涙を舐め取った。

「いいか?」

 もう一度、問いを重ねる。
 綺麗な形の眉が、困ったように垂れ下がった。

「……今日みてえにするなら、いい」

 吐息交じりに、旭陽が肯定を零した。
 今日みたい……キスしながら、ってことか。
 本当にキスが好きだな、こいつ。

 嬉しくなって、つい額を擦り寄せてしまった。
 俺も、好き。前は惨めになるから嫌だったけど、でも本当はずっと欲しかった。

 今は全部好き。
 旭陽と触れ合うぜんぶが、好きだ。

「旭陽も気持ちよかった?」

 頬に口付けながら尋ねる。
 紅潮している褐色が、少し温度を上げた気がした。

「…………ん」

 素直に認めるには難があるけど、まあ凄く悦くはあった。
 そんなちょっと拗ねた目で俺を睨んだ男が、聞き逃させようとするかのような小さすぎる一音で肯定してくる。
 お前、そんな目もできたのか。可愛いだけだぞ、それ。

「旭陽」
「ンだよ」
「キスしていい?」
「……ふ、はっ。クッ……しろよ。早く」

 濡れた頬を指で擦りながら、内緒話の調子で囁く。
 目を丸くした男が、酷く可笑しそうに噴き出した。

 ぶるぶると震えている腕を緩慢に持ち上げて、俺の目尻に指を擦り付けてくる。
 弧を描いている唇を塞げば、口の中に笑いの振動が伝わってきた。

 知らなかった。
 終わった後も旭陽の意識があったら、こんなに甘ったるいじゃれ合いも受け入れられるんだな。
 ちょっとだけ――すごく、損してた気分だ。
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