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エピローグ

現役領主夫人は期間限定で宿屋を営業中1

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 ――五年後。

 ノアは王宮を訪れていた。
 指定された時間に王宮内の待合室で待っていると、もう顔なじみになった王の侍従がやってきて、うやうやしくお辞儀をする。
「ノア・ヌーニス様、ようこそお越し下さいました。陛下がお待ちです、こちらへ」
「はい」

 南部ルミノーでのスロラン戦、その後の王宮大広間での戦いの褒美として、ノアはアルヴィンから様々なものを贈られたが、そのうちの一つが『ヌーニス』の姓である。
 普通の平民は名字を持たない。
 だが名前だけで呼び合うのはなかなか不便なので、『楡の木荘』とか『鍛冶屋』みたいな屋号や職業やさもなくば出身地を名前の後に付けて呼ぶ。
 ヌーニスはノアの父親の出身地で、キャシーはノアの父親が死んだ後もその通り名を大切に使っていた。
 そんなヌーニスをノアはアルヴィンから正式に名字として賜ったのだ。
 平民が名字を授けられるのは名誉なことで、キャシーはとても喜んだが、ノアとミレイはちょっと複雑な気分だった。
 だってヌーニスは、ゴーランではかえるがたくさん住むかえる沼として有名なのだ。

 ノア・かえる沼。

「ちょっとかっこ悪いなぁ」と思うノアだが、王都ではゴーランの一地方の地名など誰も知らない。
 だから、
「キャー、ヌーニス様よ」
「カッコイイ!」
 とノアは魔法使い養成所では大人気だ。

 ノアは二年前、試験に受かって今は王都の魔法使い養成所に通っている。
 優秀な彼は特待生だ。
 さらに国王フィリップが「ノアは大切な親友だ」と公言し、ゴーラン領主アルヴィンの覚えめでたく、とどめに元セントラル騎士団の魔法騎士、今は竜の魔法使いと名高いリーディアの愛弟子なのだ。
 魔法使い養成所でもノアは将来有望な生徒と一目置かれている。
 ついでにセントラル騎士団団長のエミール・サーマスからも可愛がられて、「養成所を卒業したら、セントラル騎士団、入らない?」と誘われている。

 サーマスはセントラル騎士団の団長となった。
 セントラル騎士団は家柄と、その次に魔法の力が重要視されていたが、サーマス団長は魔法以外にも優れた才能を持つ者や平民出身者も積極的に採用している。
 一時は団員の数が半分以下まで減ってしまったセントラル騎士団だが、おかげで今は立て直しに成功している。
 でも今もサーマスは独身だ。


 ――おや?今日はこちらか。
 侍従はいつも王が執務をしている部屋ではなく、王の居住区にノアを連れて行く。
 王のプライベートな空間で、限られた人間しか入ることは出来ないが、ノアはこっちにも何度も通っている。
 フィリップは家族の時間も大切にしており、忙しい合間を縫って王妃の元を訪れていた。
 王宮の中庭の美しい四阿ガゼボに国王夫妻がいた。
 王妃の腕の中には一歳半になった小さな王子が抱かれている。

「しっ」
 フィリップはノアに向かって静かに唇に指を押し当てる。
 フィリップは二十一歳になった。
 結婚して子供もいるが、整った容姿と優しげな雰囲気が女性に大人気だ。
 だがこれでいて若い頃から辛酸をなめてきた男だ。外国からは油断ならない英明な国王として知られている。
 プライベートでも誠実に自身を支えてくれる妻を慈しんで愛妾などはいない。
 ノアは黙って頷く。
 そしてそっとすすめられた椅子に腰掛ける。

 王妃はそーっと眠る王子をゆりかごに寝かそうとするが、その直前で王子はパチッと目を開いた。

「うわわわあああん」
 大声で泣き出した幼児に周りは大慌てだ。

「かして」
 王妃の腕の中でエビのようにのけぞる王子をフィリップは受け取り、
「パパでしゅよー。泣き止んでくだしゃい」
 王の威厳のかけらもない声であやすが、王子は泣き止まない。

「駄目だ、ノア」
 とフィリップから王子はノアに渡された。

「アルヴィン様、王子様、ノアですよ。ノアが来ましたよ。泣かないで。かわいいお顔を見せてください」
 ノアの周囲には妹のミレイや他にも小さな子がいて面倒を見る機会が多い。子守は慣れているので、上手にあやす。

 くずぐすと泣きながらだが、一応アルヴィン王子は絶叫を止めた。
「ノゥァー」
 と目を擦りながら、ノアに抱きつく。
「はいはい、ノアですよ」

 一同、「ハー」と大きな息を吐いて安堵した。


 アルヴィン王子の名前はゴーラン領主アルヴィン・アストラテートから付けられた。
「腹黒に育ったらどうするんですか?」と反対というか不安の声はあったが、フィリップは「アルヴィンは私の命の恩人にして国の恩人、そして大切な兄のような人だ」と世継ぎとなる第一子にアルヴィンと名付けた。

 ノアはそのままアルヴィン王子を抱っこして、お茶会は始まった。

 フィリップはノアに対し気さくに声をかける。
「忙しいところ悪いが、向こうに戻ってしまう前に一度どうしても会いたくてね」
「いえ、こちらこそ、呼んでもらって良かったです。陛下のご様子をアルヴィン様もリーディアさんも知りたがるでしょうから」
 ノアの返事に王の護衛騎士ガイエンは「不敬だぞ」ともの申したいが、十五歳になったばかりのノアには国王に対する最上級の敬語、いわゆる宮廷言葉はまだ難しいのも知っているので黙っていた。
 何よりフィリップが、そう望んでいる。
 五年の歳月が流れたが、二人は親友のままだ。


 ノアは養成所の休暇に合わせて半年に一度はゴーランに帰る。
 学期が今日終わったので、明日には王都を出るつもりだ。
 フィリップはノアに伝言を頼んだ。
「ゴーランに帰ったらリーディアとアルヴィンによろしく」
「はい、お伝えします」

「リーディア様のご体調は?順調なの?」
 王妃がそう尋ねる。
 フィリップの妃は、国内貴族から選ばれた。
 フィリップが求婚したのは、フィリップが王太子だった頃から彼を支えた貴族サーマス伯爵家の令嬢だった。
 エミールとレナードの年の離れた妹である。

「はい、そう聞いてます」
 ノアはそう王妃に答えた。

 リーディアは五年ぶりに第二子を妊娠中だ。
 皆生まれてくるのを楽しみにしている。
「女の子ならアルヴィンのお嫁さんにしたいな」
 フィリップはリーディアのお腹に宿ったまだ生まれてもいない命に期待している。

「それ、レファさんも言ってましたよ」

 この前会った時、レファも「リーディアさんの娘、うちのアルヴィンのところにお嫁にきてくれないかなぁ」と言っていた。
 ゴーラン騎士団の女性騎士レファ・ローリエは、ルミノー辺境伯キラーニーと結婚した。
 レファに命を助けられて一気に彼女に惚れ込んだキラーニーが是非にと求婚したのだ。
 レファはどっちかというとアルヴィンみたいな抜け目なくてお金儲けが大好きで計算高いタイプより不器用だが実直なキラーニーの方が好みだった。
「リーディアさんは変な人好きだな」と思っている。
 リーディアも「キラーニー伯か、いい人だけど、ないな」と思っているのでお互い様である。
 求婚は嬉しかったが、レファは「身分も違うし、ライカンスロープだし……」と悩んでいた。
 しばらく両片思いが続いていたが、とどめはレファの手作りクッキーをキラーニーが食べたことだ。
 リーディアがいたら絶対止めたが、遠い南部のことである。どうしようもなかった。

 リーディアはそれを聞いて、「あの見ただけでまずそうなレファの作ったものを食べるとは……」とおののいていた。
 愛とは深く、尊く、恐ろしい。
 もちろんキラーニーはただでは済まず、寝込んだ。
 レファは泣きながら看病し、想いを伝えた。
 そんな命がけのプロポーズが功を奏し、すぐに結婚した二人の間には、四年前に最初の男の子、翌年には男女の双子が生まれている。
 夫妻の最初の男の子に付けられた名が、アルヴィンだ。

 それを聞いて、ゴーランのアルヴィンは「同名多いと紛らわしい」と嘆きながらもまんざらではなさそうだった。


 そのルミノーのアルヴィンと王都のアルヴィン王子の双方の親達は愛息の婚約者にリーディアのお腹の子を望んでいる。
 リーディア自身はそれを聞いて、
「辺境伯夫人はともかく王妃は荷が重そうだなぁ。だがそれより男の子かもしれないじゃないか」
 とげんなりしていた。
 レファもフィリップもリーディアの第二子は女の子だと何故か信じている。
 ノアはどっちでもいい。女の子でも男の子でもきっとかわいいに違いないから。


 ノアはこの五年間の内に幾度か南部に行った。
 リーディアやアルヴィンと一緒の時もあったし、フィリップに同行したり、国王が派遣した使節団の下っ端として行くこともあった。
「君、ノア君かい?」
 ある時、ノアは一人の男性に声を掛けられた。
「はい、そうです」
 と答えたが、相手は知らない男性だ。
 服装はこざっぱりしていて、それにとても穏やかな目をした男性だった。

「久しぶりだね。覚えているかな、昔、山賊をやっていて、奥様達に捕まったことがあるんだ」

「えっ?」
 とノアは驚いた。
 何年も前にきのこダンジョンに行った時、山賊に襲われたことがある。
 その時の山賊らしい。
 あの頃の南部は大変だった。
 山賊達にもいろいろな事情があったのはノアも分かっているが、男達の目はどろりと濁って、そのくせギラギラとやけに輝いていてなんだかとても怖かったのを覚えている。
『奥様』はここ、ルミノーの辺境伯夫人になったレファのことだろう。

 ノアはドギマギしながら尋ねた。
「えっ、あ、の、こちらに戻ってたんですか?」
「ああ、刑期を終える前にこっちの農地開拓に志願したんだ。おかげで刑期を短縮してもらえて、今は南部のダンジョン農園で働いている」
「そうだったんですか……」
「奥様にはお目に掛かって謝罪が出来たんだが、ノア君やリーディアさん……いや、リーディア・アストラテート伯夫人にあの時のことを謝りたかったんだ。本当に、悪かった」
 と男は深々頭を下げる。
「いえ、僕は怪我もしてませんし、もういいですよ」
 ノアはそう言って謝罪を受け入れた。


「リーディア様にも謝っていたと伝えて欲しい」と言われ、後日伝言をリーディアに伝えると彼女はポツリと話し出した。
「スロラン戦の翌年、ゴーランは少し不作だったんだ」
「ふうん、そうだったんだ」
 ノアはその頃とても忙しかったのであまりよく覚えていない。
「ゴーランだけではなく、周辺も皆駄目でね。どこもよそに売れる小麦はなかったんだよ。だけどあの年、南部は豊作だった。南部のおかげでゴーランや中央は飢えることはなく、無事にあの年を乗り越えられたんだ」
「そうだったんだ」
 ノアが覚えてなかったのは、アルヴィン達が小麦の流通をなんとかやりくりしたからだろう。

「あの秋の日に、ゴーランの農民が急いで南部に行って種まきをしないと翌年の晩春の小麦は収穫出来なかった。あの時は大勢の人達が協力してくれてね、ノアが会ったあの農園の受刑者達も『絶対に逃げない。隷属魔法を掛けてくれてもいい』と言って志願で南部に向かったんだ。残った受刑者達もその分仕事がきつくなるのは分かっていて快く送り出してくれた。放棄されて長い農地もあったけど、皆で頑張って種をまき終えたそうだよ」
「そうだったんだ」
「戦場にいた私達だけではなく、皆自分の場所で必死に自分の役目を果たしていたんだよ。そのおかげで翌年のゴーランは飢えずにすんだ。親切は巡り巡って自分のところに必ず帰ってくるものだ」
 リーディアはしみじみした口調でそう言い、腕に抱いた幼児に語りかけた。
「ああみえて優しいんだ。君のお父さんは」

 ノアが忙しかったのは、あの年、リーディアの妊娠が発覚したからだ。
 皆大喜びで結婚式の準備や出産の準備、それに領主の館への引っ越しと、駆け回った。
 リーディアは翌年、無事に第一子となる男の子を産んだ。


 ・
 ・
 ・

「うー」
 しばらくノアの膝で大人しくしていたアルヴィン王子は大人達の会話に飽きたらしい。機嫌を悪くする。
「アルヴィン王子」
 あわててノアがあやすが、アルヴィン王子はどんどんむくれていく。
「仕方ないな、はい、ガイエンさん」
 ノアは最後の切り札ガイエンにアルヴィン王子を渡した。
 アルヴィン王子は何故か厳つい顔と体つきのガイエンがお気に入りなのだ。

「おい、私は勤務中だぞ」
 口では文句を言いながら、ガイエンは大事そうにアルヴィン王子を抱く。
「そう言わないで助けてくれ、ガイエン」
 フィリップまで頼んでくるので、ガイエンは渋々「陛下がそうおっしゃいますなら」とアルヴィン王子を抱き直す。
 アルヴィン王子は大好きなガイエンに抱かれ、途端に元気に目を輝かす。
「がいえん!がいえん!」
「おお、アルヴィン様、また少し大きくなりましたな」
 ガイエンの顔は嬉しそうににやけている。





 ***

 フィリップの元から辞したノアは王宮の大広間を通り抜ける。
 舞踏会に使われるこの豪華な大広間の扉は昼間は大抵、閉まっているのだが、今日は珍しく空いていた。
 そういう時、ノアは大広間を通るのを楽しみにしている。
 そしてノアは大シャンデリアのベガを見上げる。
 ベガは遙か上で静かに輝いてる。
 そうして、いつかまた誰かが光を必要とする時をベガは待っている。
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