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巡る季節
09.王都からの客人
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夏になると街道を行き交う人は更に増え、宿屋も忙しくなった。
例年、この時期になると山越えの人は増える傾向にあるが、去年と比べてもその数は多い。
南部は戦争の気配が濃厚で、毎日のように死人が出るほどの小競り合いが続いているそうだ。
商人達は危険を回避するため、ゴーランを通るルートを使うようになった。
中央もいよいよ重い腰を上げ、セントラル騎士団の派遣が決まったが、次は誰を総大将にするかで揉めているらしい。
政治というものが分からん私には「もう誰でも良いからさっさと行け」としか思えない。
戦争になれば、犠牲になるのは無辜の市民。やりきれん話だ。
南部には私も現役の頃何度か派遣された。
隣国に戦争好きの王が即位してから十五年以上、紛争は続いている。
幾度も和平協定が結ばれ、一年も経たぬうちにそれは破られる。その繰り返しだった。
とはいえ中央軍が動けば、隣国の兵力を圧倒出来る。ほんの少しの間かもしれないが南部は平和になるはずだ。
季節はうつろい、山裾には秋の気配がしてきた頃だった。
山の天候は変わりやすい。
直前まで晴れていたのに、ザーザーと音を立てて大粒の雨が降り出す。
あわてて私が洗濯物を取り込むのと時同じくして、どこかの商人らしい一行が転がり込んでくる。
「雨宿りさせて貰えるか?馬が十頭、人が八名だ」
「はいはい、よろしいですよ。雨宿りしていって下さい」
人間は食堂で休んで貰い、十頭の馬は少々きついが無事に馬小屋に入った。
運んでいた荷物は納屋に入れて雨を防ぐ。
「ありがとう助かったよ」
一行のリーダーらしい男はそう言いながら、私の方を振り返る。
男はその瞬間、凍り付いた。
彼の目が、まなじりが裂けるんじゃないかと思うほど、見開かれる。
「ヴェネスカ様……」
「?」
「リーディア・ヴェネスカ様ではありませんか?私です。ヘンリー・マリスです」
「マリス……マリス商会?」
ヘンリーは嬉しそうに頷く。
「はい、覚えていて下さいましたか」
セントラル騎士団が物品を購入する際に使う店はいくつかの指定の店舗と決められていた。その中で一番大きな商会はアクアティカスといい、王妃の実家、ギール家とねんごろで、大きな受注は大抵ここが持っていく。
マリス商会は中堅どころといったところだろう。
一団員としては、大商会でございとふんぞり返るアクアティカスより、小回りが利いて愛想も良いマリス商会に頼むことが多かった。
ヘンリーは商会の従業員に「若旦那」と呼ばれていた。
知識が豊富でよく買い物の相談に乗ってくれた。
ああ、そうだ。
重曹のことを教えてくれたのは、この男だった。
「リーディア様、どうして……」
久しぶりに出会った彼の瞳は潤んでいる。
「どうして一言もなく居なくなってしまったのです?ずっとあなたを探しておりました。騎士団を訪ねれば既に退団したと言われ、誰に聞いても行方は分からず、どうしていらっしゃるかと案じておりました。本当に無事で良かった」
ヘンリーは声を詰まらせ、泣き出してしまった。
ヘンリーによると私は行方不明の扱いだったらしい。
あの春、マリス商会で揃えた料理の道具と少しの旅支度と共に私は王都を出て行った。
「ああ、不義理をして済まなかったね。色々あって王都を離れたかったんだ」
王太子殿下の暗殺事件は箝口令が敷かれ、私の怪我も隠された。事件のことにも怪我のことにも触れずに退役の挨拶をするのは、あの時の私には荷が重すぎた。
結果として私は逃げるように王都を去った。
「そうですか。お仕事で何かあったのですね。いえ、答えなくて結構です。他の騎士様も突然退役されたのをとても驚いておいででした。皆、あなたのことを心配してましたよ。団長様も塞ぎ込んで、『後悔している』とおっしゃってました」
「団長が……」
長年に渡り勤めた団のことを聞けば、心が揺れるに違いないと思っていた。
だが、私の心は案外、穏やかだった。
王都のことはもはや、遠い過去の出来事に過ぎない。
「こちらで、宿屋をなさっておいでなのですか?」
「そうだ」
「ご実家に戻られたという話だったのですが、そうではなかったのですね。同僚の騎士様がしばらく経ってご実家に手紙を出すと『こちらには帰ってない』というお返事だったと……」
「あー」
男性も女性も騎士団を辞めれば大抵、実家に戻る。だから皆、私が実家に身を寄せたと思っていたらしい。
何度か実家の両親宛に生存報告の手紙は出したが、その手紙にもゴーランにいることは知らせていない。
死亡説が流れても仕方ない状況だなと、今にして思うが、まあ、当時は本当に消えてしまいたいぐらいの気持ちだったのだ。
こうまで私が居場所を隠したのは、魔法騎士ではない自分を騎士団の同僚に知られるのは絶対に嫌だったからだ。
それはあの時の私に唯一残された矜恃だった。
同情や哀れみの視線で見られるのは、何より耐えがたいことだった。
「もう私は退役した人間だ。ここで宿屋を経営して細々と隠居暮らしをしている。だからマリスさん、私に会ったことは誰にも言わず忘れて欲しい」
と私は彼に頼んだ。
「そんな、リーディア様……」
「もう騎士ではないから、敬称はいらない。あなたには色々世話になったのに、挨拶も出来ずにすまなかった」
「あの、リーディア、……さん、ここで一人で宿屋を?」
「いいや、一人じゃないよ。同居人がいて、下宿人もいる。賑やかに暮らしているよ」
「そうですか……あの、ご結婚されたんですか?」
と何故かヘンリーは家族構成を聞いてくる。
そういえば、『ご両親が結婚しろと矢の催促なんですが、若旦那は好きな人がいるらしくて……』とマリス商会の従業員が言っていたな。
独身仲間だった私の結婚事情はヘンリーにとっては気になるのかも知れない。
「いいや、結婚はしてない」
ヘンリーはそれを聞いてホッとした様子で笑う。
「そうですか、結婚はまだですか」
雨は一時間もすると上がった。
ヘンリー達は窓の外の様子を見て立ち上がる。
「雨が上がったようです。我々はこれで失礼します」
「行くのか?」
「はい、お名残惜しいですが、ゴーランを通るんで随分と回り道になりました。すぐに発たないと約束に間に合いません」
「商会も大変だね、ご苦労様です」
「ですがそのお陰でリーディアさんに会えたんです。私は幸運です。あの、また来ます」
「はい、お待ちしてますよ。ですが、マリスさん」
呼びかけると、ヘンリーは首を横に振る。
「リーディアさん、ヘンリーです。ヘンリーと呼んで下さい」
「ではヘンリーさん、私のことは騎士団には内密にお願いします」
「リーディアさんがそうおっしゃるなら、秘密は守ります」
こうしてヘンリーは慌ただしく去って行く。
騎士団は私の行方を捜していたという。
ヘンリーはああ言ってくれたが、ヘンリーの他にも王都の商人達がこの道を使うようになってきた。
早晩元の同僚達に私の居場所は知れるだろうと私は思った。
だが、一年半経つと傷も癒えるものだ。
今更私の居場所を知ったところで、向こうも力を失った私に用もないはずだ。
今は「あいつ生きてたんだ」と近況を知られるくらいはいいんじゃないかと思えるようになった。
既に王都のことは私の中で遠い過去になった。
今はゴーランで生きている。
秋空の下、清々しい気分でそう思った私だが、事態は急展開を迎える。
――一月後。
深夜、いななく馬の声に反応したのは、隣で眠っていたアルヴィンの方が早かった。
彼はベッドから素早く飛び降り、ガウンを羽織った。そして剣を引っ掴むとすぐに階段を駆け下りる。
私はあわててその後を追った。
玄関先では深夜にもかかわらず、ドンドンとけたたましく扉を叩く音が響いていた。
「おい、開けてくれ!」
切羽詰まった男の声。
さらにその声は言った。
「おい、リーディア、ヴェネスカ、いるんだろう?開けてくれ、エミール・サーマスだ」
「は?サーマス?」
久方ぶりに聞いた元同僚の声に私は扉を開けようとしたが、それを制してアルヴィンがドアを開ける。
いつの間にか側に来ていたレファが何事があっても対応出来るよう、身構えている。
扉が開くとサーマス達は転がり込むようにして入ってきた。
「リーディア、夜分に済まない」
どうやら本当にかつての同僚エミール・サーマスのようだ。
セントラルの騎士らしく、それなりにキラキラした男なのだが、馬をかなり長く駆ったのか埃まみれでくたびれ果てていた。
そして。
「リーディア……」
私は息を呑んだ。
「殿下」
その隣にいたのは、我が国の王太子、フィリップ殿下だったのだ。
例年、この時期になると山越えの人は増える傾向にあるが、去年と比べてもその数は多い。
南部は戦争の気配が濃厚で、毎日のように死人が出るほどの小競り合いが続いているそうだ。
商人達は危険を回避するため、ゴーランを通るルートを使うようになった。
中央もいよいよ重い腰を上げ、セントラル騎士団の派遣が決まったが、次は誰を総大将にするかで揉めているらしい。
政治というものが分からん私には「もう誰でも良いからさっさと行け」としか思えない。
戦争になれば、犠牲になるのは無辜の市民。やりきれん話だ。
南部には私も現役の頃何度か派遣された。
隣国に戦争好きの王が即位してから十五年以上、紛争は続いている。
幾度も和平協定が結ばれ、一年も経たぬうちにそれは破られる。その繰り返しだった。
とはいえ中央軍が動けば、隣国の兵力を圧倒出来る。ほんの少しの間かもしれないが南部は平和になるはずだ。
季節はうつろい、山裾には秋の気配がしてきた頃だった。
山の天候は変わりやすい。
直前まで晴れていたのに、ザーザーと音を立てて大粒の雨が降り出す。
あわてて私が洗濯物を取り込むのと時同じくして、どこかの商人らしい一行が転がり込んでくる。
「雨宿りさせて貰えるか?馬が十頭、人が八名だ」
「はいはい、よろしいですよ。雨宿りしていって下さい」
人間は食堂で休んで貰い、十頭の馬は少々きついが無事に馬小屋に入った。
運んでいた荷物は納屋に入れて雨を防ぐ。
「ありがとう助かったよ」
一行のリーダーらしい男はそう言いながら、私の方を振り返る。
男はその瞬間、凍り付いた。
彼の目が、まなじりが裂けるんじゃないかと思うほど、見開かれる。
「ヴェネスカ様……」
「?」
「リーディア・ヴェネスカ様ではありませんか?私です。ヘンリー・マリスです」
「マリス……マリス商会?」
ヘンリーは嬉しそうに頷く。
「はい、覚えていて下さいましたか」
セントラル騎士団が物品を購入する際に使う店はいくつかの指定の店舗と決められていた。その中で一番大きな商会はアクアティカスといい、王妃の実家、ギール家とねんごろで、大きな受注は大抵ここが持っていく。
マリス商会は中堅どころといったところだろう。
一団員としては、大商会でございとふんぞり返るアクアティカスより、小回りが利いて愛想も良いマリス商会に頼むことが多かった。
ヘンリーは商会の従業員に「若旦那」と呼ばれていた。
知識が豊富でよく買い物の相談に乗ってくれた。
ああ、そうだ。
重曹のことを教えてくれたのは、この男だった。
「リーディア様、どうして……」
久しぶりに出会った彼の瞳は潤んでいる。
「どうして一言もなく居なくなってしまったのです?ずっとあなたを探しておりました。騎士団を訪ねれば既に退団したと言われ、誰に聞いても行方は分からず、どうしていらっしゃるかと案じておりました。本当に無事で良かった」
ヘンリーは声を詰まらせ、泣き出してしまった。
ヘンリーによると私は行方不明の扱いだったらしい。
あの春、マリス商会で揃えた料理の道具と少しの旅支度と共に私は王都を出て行った。
「ああ、不義理をして済まなかったね。色々あって王都を離れたかったんだ」
王太子殿下の暗殺事件は箝口令が敷かれ、私の怪我も隠された。事件のことにも怪我のことにも触れずに退役の挨拶をするのは、あの時の私には荷が重すぎた。
結果として私は逃げるように王都を去った。
「そうですか。お仕事で何かあったのですね。いえ、答えなくて結構です。他の騎士様も突然退役されたのをとても驚いておいででした。皆、あなたのことを心配してましたよ。団長様も塞ぎ込んで、『後悔している』とおっしゃってました」
「団長が……」
長年に渡り勤めた団のことを聞けば、心が揺れるに違いないと思っていた。
だが、私の心は案外、穏やかだった。
王都のことはもはや、遠い過去の出来事に過ぎない。
「こちらで、宿屋をなさっておいでなのですか?」
「そうだ」
「ご実家に戻られたという話だったのですが、そうではなかったのですね。同僚の騎士様がしばらく経ってご実家に手紙を出すと『こちらには帰ってない』というお返事だったと……」
「あー」
男性も女性も騎士団を辞めれば大抵、実家に戻る。だから皆、私が実家に身を寄せたと思っていたらしい。
何度か実家の両親宛に生存報告の手紙は出したが、その手紙にもゴーランにいることは知らせていない。
死亡説が流れても仕方ない状況だなと、今にして思うが、まあ、当時は本当に消えてしまいたいぐらいの気持ちだったのだ。
こうまで私が居場所を隠したのは、魔法騎士ではない自分を騎士団の同僚に知られるのは絶対に嫌だったからだ。
それはあの時の私に唯一残された矜恃だった。
同情や哀れみの視線で見られるのは、何より耐えがたいことだった。
「もう私は退役した人間だ。ここで宿屋を経営して細々と隠居暮らしをしている。だからマリスさん、私に会ったことは誰にも言わず忘れて欲しい」
と私は彼に頼んだ。
「そんな、リーディア様……」
「もう騎士ではないから、敬称はいらない。あなたには色々世話になったのに、挨拶も出来ずにすまなかった」
「あの、リーディア、……さん、ここで一人で宿屋を?」
「いいや、一人じゃないよ。同居人がいて、下宿人もいる。賑やかに暮らしているよ」
「そうですか……あの、ご結婚されたんですか?」
と何故かヘンリーは家族構成を聞いてくる。
そういえば、『ご両親が結婚しろと矢の催促なんですが、若旦那は好きな人がいるらしくて……』とマリス商会の従業員が言っていたな。
独身仲間だった私の結婚事情はヘンリーにとっては気になるのかも知れない。
「いいや、結婚はしてない」
ヘンリーはそれを聞いてホッとした様子で笑う。
「そうですか、結婚はまだですか」
雨は一時間もすると上がった。
ヘンリー達は窓の外の様子を見て立ち上がる。
「雨が上がったようです。我々はこれで失礼します」
「行くのか?」
「はい、お名残惜しいですが、ゴーランを通るんで随分と回り道になりました。すぐに発たないと約束に間に合いません」
「商会も大変だね、ご苦労様です」
「ですがそのお陰でリーディアさんに会えたんです。私は幸運です。あの、また来ます」
「はい、お待ちしてますよ。ですが、マリスさん」
呼びかけると、ヘンリーは首を横に振る。
「リーディアさん、ヘンリーです。ヘンリーと呼んで下さい」
「ではヘンリーさん、私のことは騎士団には内密にお願いします」
「リーディアさんがそうおっしゃるなら、秘密は守ります」
こうしてヘンリーは慌ただしく去って行く。
騎士団は私の行方を捜していたという。
ヘンリーはああ言ってくれたが、ヘンリーの他にも王都の商人達がこの道を使うようになってきた。
早晩元の同僚達に私の居場所は知れるだろうと私は思った。
だが、一年半経つと傷も癒えるものだ。
今更私の居場所を知ったところで、向こうも力を失った私に用もないはずだ。
今は「あいつ生きてたんだ」と近況を知られるくらいはいいんじゃないかと思えるようになった。
既に王都のことは私の中で遠い過去になった。
今はゴーランで生きている。
秋空の下、清々しい気分でそう思った私だが、事態は急展開を迎える。
――一月後。
深夜、いななく馬の声に反応したのは、隣で眠っていたアルヴィンの方が早かった。
彼はベッドから素早く飛び降り、ガウンを羽織った。そして剣を引っ掴むとすぐに階段を駆け下りる。
私はあわててその後を追った。
玄関先では深夜にもかかわらず、ドンドンとけたたましく扉を叩く音が響いていた。
「おい、開けてくれ!」
切羽詰まった男の声。
さらにその声は言った。
「おい、リーディア、ヴェネスカ、いるんだろう?開けてくれ、エミール・サーマスだ」
「は?サーマス?」
久方ぶりに聞いた元同僚の声に私は扉を開けようとしたが、それを制してアルヴィンがドアを開ける。
いつの間にか側に来ていたレファが何事があっても対応出来るよう、身構えている。
扉が開くとサーマス達は転がり込むようにして入ってきた。
「リーディア、夜分に済まない」
どうやら本当にかつての同僚エミール・サーマスのようだ。
セントラルの騎士らしく、それなりにキラキラした男なのだが、馬をかなり長く駆ったのか埃まみれでくたびれ果てていた。
そして。
「リーディア……」
私は息を呑んだ。
「殿下」
その隣にいたのは、我が国の王太子、フィリップ殿下だったのだ。
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