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ゴーラン伯爵とチェリーボンボン

10.春の宵1

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 夕食の仕込みを始める時間になった。
 家に向かって歩きながら、「最後に一つだけ」とアルヴィンは言った。
「リーディア、君に求婚したのは、私の結婚相手の条件と合うからではない。君を愛しているからだ」

 私は王都を挟んだこの国の向こう側、東北に位置する男爵家の出だ。辺境ではないが中央から遠い小さな領土を守る弱小男爵家である。
 幼い頃に家から離れ、両親は亡くなっていないが隠居状態で、既に兄が領主代行を担っている。兄は結婚しており数人の子もいる。
 不仲ではないと思うが、遠方なのでもう十年以上、帰省していない。
 何かの拍子に元の同僚に居場所が知れてしまうのを怖れて今の正確な住所も知らせていない。
 端的に言って疎遠である。
 確かにアルヴィンの結婚相手の条件は私にピッタリ当てはまる。

 だが。
「いや、まあどうでもいいですよ」
「どうでもよくはないだろう」
 と言い返された。
「だって当分結婚しないとご自身でおっしゃったじゃないですか。結婚しないんだから結婚の条件に当てはまろうが当てはまるまいがそんなのどっちでも……」
「君が求婚を受け入れてくれればいつでも結婚するつもりだ」
「嫌ですよ、引退してまで王妃様に睨まれるのはごめんです、領主様」
「領主様はやめてくれ。アルヴィンだ」
「アルヴィン様、今日はどうなさいます?お食事だけですか?」
「情夫にする話を反故にする気はないだろうな。泊まっていく、君の部屋に」
「忙しくないんですか?」
「死ぬほど忙しい」
「私のせいで過労死されたら迷惑なんでお帰り下さい」
 一応は客相手だしと、それらしく取り繕ってきたが、前職がバレた今となっては、そんな気分になれず、ぞんざいに言った。
 女性騎士は口が悪いのだ。
 アルヴィンは特に気にするそぶりなく、返事を返してくる。
「対策は考えている。リーディアは心配しなくても大丈夫だ」
「心配してません」

 言い合っているうちに家に着いてしまった。

「手伝おう」
「はぁ、アルヴィン様、包丁持ったことあります?」
「騎士見習い時代には一通りの雑用をこなしたぞ。イモの皮むきは得意だった」
「そうなんですか……」
 ゴーラン騎士団は領主の息子でもちゃんと見習い期間に雑用させるのか。
 私は少し感心した。
 王都では魔法騎士はそのほとんどが貴族子女なので、見習い期間であっても雑務はしない。

 アルヴィンは慣れた手つきでイモをむきながら、私に尋ねた。
「ところで今夜のメニューは?」
 私はメニューをそらんじる。
「前菜はロマネスコ、ブロッコリー、アスパラガス、赤大根、人参、春の野菜をバーニャカウダソースで。お次はガーリックシュリンプ」
 野菜はどれも畑で取れたばかりの新鮮なものだ。
 そして近くの湖ではこの時期海老が良く採れる。あまり身が大きくないのでニンニクとさっと炒めて皮ごと食べるのがおすすめだ。
「旨そうだな」
「旨いです」
 私は自信たっぷりに頷いた。
「それから……」
 と私は一拍置いてもったい付けてから言った。
「今日はビーフシチューです」
 アルヴィンは微笑んだ。
「それは、楽しみだな」





 ***

 夕食の席で、アルヴィンはノアとミレイ、ついでにデニスに向かって、
「リーディアと付き合うことになった」
 と交際を宣言していた。
「えっ、本当?すごい!」
 とノアは何故か興奮し、
「つきあうってなにー?」
 ミレイの問いにアルヴィンは、
「私とリーディアは恋人だ」
 と説明した。
 デニスの目は気まずそうに泳いでいた。
 二十八歳の領主が宿屋の女主人と付き合うってどういう事態だ。

 給仕をしながら会話を聞いていたキャシーが鍋を掻き回す私にそっと囁いた。
「結婚はしないの?」
「面倒だからしない」
「それでいいの?」
「ええ、付き合うなんて言っても彼も早々飽きるでしょうよ」
 キャシーはアルヴィンを振り返った。
 私も釣られてアルヴィンを見る。
「恋人?リーディアさんと愛し合ってるのねー」
 こまっしゃくれたことを言うミレイにアルヴィンはことのほか嬉しそうに頷いていた。
「ああ、ミレイはよく知っているな。私達は愛し合っている」

 キャシーはくすりと笑った。
「そうは見えないけど」


 夕食の後、アルヴィンは用意した客室には行かず、そのまませっせと片付けを始めた。
 いつもより早く片付けが終わってしまうと、アルヴィンは満面の笑みで言った。
「リーディア、君の部屋を案内してくれ」
「まさか、本当に私の部屋で寝るおつもりで?」
 アルヴィンはさらりと言った。
「私達は恋人なのだからいいだろう」
「……そうですか」
 上手い返しが出来ずにつまらんことを口走ってしまった。

 なんか勢いに飲まれてアルヴィンを部屋に向かい入れた。
「どうぞ」
「失礼する」
 アルヴィンは興味深げに私の部屋を見回した。
 ちなみにベッドがあり、書き物をするための机があり、本棚があり、クローゼットがある。ごく普通の部屋だろう。

「へえ」
「なんですか?」
「母の部屋以外の女性の私室に入ったのは初めてなんだ」
「付き合った女性はいらっしゃらなかったんですか?」
「恥ずかしながら部屋に招かれるような関係になれたのは君だけだ」
「そうですか」
 辺境伯はもっと華やかなイメージがあったが、意外とそうでもないな。
 まあ人のことは言えないが。

「リーディア」
 呼ばれて振り返ると、アルヴィンは私を見つめていた。
 アルヴィンは私の頬に手を添え抱き寄せると、唇に唇を押し当てた。

「アルヴィン……」
 唇を離すと彼は、私にいつもとは違う甘い声で囁いた。
「いいか?」
「何を?」
 問いかける前に彼はもう一度私を抱き締めて、口付けする。
 今度は息が止まる程激しい口付けだった。
「……んっ」
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