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ゴーラン伯爵とチェリーボンボン

09.ゴーラン伯爵とリーディア

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 いつそのことに気付いたかというと、あの日の翌日、マドレーヌとチョコレートを役場に納品しに行った時である。
 役場の町長室には成人したゴーラン伯爵の肖像画が飾ってあった。
 見間違いようもなく、アルヴィンだった。
 ……思い返してみれば、不審な点はいくつもあるのだが、結局のところ私がそれに気付かなかったのは、『気が付きたくなかった』からだろう。
 アルヴィンはこの地に来て私が出会った得がたい友人だった。

「黙っていたのを怒っているのか?」
 問われて私は否定する。
「いいえ、ただ、お忙しいだろうに、なんでわざわざ来るかな?とは思います」
 アルヴィンは間髪入れず言った。
「君に会いたいからだ、リーディア」

 私はため息を吐く。
「酔狂だなと申しておるんですよ」
「……やはり怒っているのか?」
「怒ってはおりませんが、知っていたなら絶対に関わりませんでした」
 うっかり一夜を共にしてしまったのは、リーディア・ヴェネスカ最大の不覚である。

「それは、私にとっては最高の幸運だったな。ちなみになんでそんなに領主が嫌なんだ?悪い評判でも聞いたか?」
「いいえ、大変評判の良いご領主様ですよ。ですがね、私は引退後にのんびり暮らそうとここに来たんです。領主なんて面倒なお人の愛人になるつもりは毛頭ございませんでした。そうですよ、伯爵なんだから、愛人にするならもっと若くて可愛いのがよりどりみどり……」
「待ってくれ」
 彼は私の弁を遮った。
「何ですか?」
「その認識には誤りがある。私は君に求婚している。君が良い返事をくれるならすぐにでも結婚したい」
「……」
 そういえばそんなことを言ってたな。

「私が君の結婚の条件を満たせないから仕方なく情夫に甘んじているだけだ」
「条件?」
「言っただろう、宿屋の仕事を続けさせ、夫に合わせなくていい相手が良いと」
「あー」
「さすがにその条件を達成するのは今すぐは難しいからな」
「いや、領民としては領主様の妻は宿屋なんかやってないで、大人しく領主夫人として働いて欲しいですよ。無論私じゃない人が、ですが」

 アルヴィンはキッパリと断言した。
「私は君以外と結婚する気はない」
「……この領、それで大丈夫なんですか?」
 思わずそう尋ねた私である。


「後継には私の子が一番望ましいが、他にもアストラテートの一族はいる。私の祖父の兄弟の孫の誰が跡を継ぐことになると思う」
「…………」
 それを聞いて私は眉をひそめた。
 直系からかなり離れている。お家騒動が起こる原因の一つだ。
 領主の結婚は、『したいしたくない』ではなく、彼の義務の一つだ。
「あなたが然るべき貴族のご令嬢と結婚なされば済む話です」
「私は君以外と結婚する気はないよ、リーディア・ヴェネスカ」
 アルヴィンは私が彼に打ち明けていなかった姓を呼んだ。

「……やはりご存じでしたか」
「悪いが調べさせてもらった。勇気ある行動をたたえると共に、君のような優秀な騎士が引退を余儀なくされたことは誠に残念だと申し上げる」
 そう言うと、彼は私に向かって丁重に礼した。
「ありがとうございます」

「…………」
「…………」
 沈黙が落ちた。

「あのう」
 と声を上げたのは、私でもアルヴィンでもない。アルヴィンの供、デニスである。

「僕はお邪魔でしょうから、失礼します」
 振り返るとデニスは居心地悪そうにしている。
「居ていただいて結構ですよ、デニス卿。ターゲットの側から離れたら仕事にならんでしょう」
 声を掛けると彼はブンブンと首を振る。
「いえ、リーディア。ここが安全なのは分かってますし、正直言ってアルヴィン様は僕より断然強いんで、後はぜひぜひここはお二人で」
 言い捨てると脱兎のごとく逃げ出した。


 残ったアルヴィンに私は言った。
「我々も戻りますか?お茶でもお入れしましょう」
「いや、せっかく二人になれたんだ。もう少し話していかないか?」

 彼はしばらく牧草地を見つめた後、ポツリと話し始めた。


「黙っていたのは悪かったと思っている。だが、リーディアは私の名を知ればここから去って行ってしまうんではないかと怖かった」
「それは……」
 私は否定出来なかった。
 ここにきて日が浅い間なら、何もかも捨てて逃げ出したかもしれない。
「結婚はしたくないという君の主張には驚いたが、考えてみれば私も君と同意見で、結婚はしたくないが子供は欲しかった」
「うわぁ」
 人から聞くと最低な発言だな。
 いや、それ以前に。
「子供が出来ても渡す気はありませんよ」
 まだ影も形もないが、思わず釘を刺してしまった。
「君から子供を取り上げる気はないよ」
 アルヴィンの返事に安心はしたが、ならばゴーラン領は後継者に困るじゃないかと疑問が湧く。
「普通にどなたかと結婚する気はないんですか?」
「君となら万難排して結婚するが、君以外と結婚する気はない」
 アルヴィンは断言した。

 万難排すとは大袈裟な。
「私みたいな騎士崩れなんかより、しかるべきご身分のお嬢様と結婚してくれた方が領民は安心するでしょうけどねぇ」
「そうかな?私の結婚はそう簡単なものではない。私の親の敵は王都の中央貴族、ギール侯爵家だ。宰相家、そして王妃の里ということもあり、絶大な権勢を誇っている。まあギール家については、君の方が詳しいだろうから説明はいらないな。あの家はまだゴーランを狙っている。奴らに隙を見せるわけにはいかない。高位貴族の令嬢は私の結婚相手にはなり得ないのだ」
 当たり前だが、アルヴィンのギール家に対する憎しみは深い。
 親を殺され家を乗っ取られ掛けた挙げ句に、その復讐を晴らせていないのだ。
 ギール家はのうのうと王都で我が世の春を謳歌している。

「確かに王妃派はこの国の最大派閥と言っていいでしょうが、それでもヨリル公爵を始め反対派の貴族はいますよ。反対派の貴族の令嬢を妻に貰うという手は?」
 王妃派は宮廷を牛耳っているが、それをよく思わない勢力もまた存在するのだ。
 だがアルヴィンは否定した。
「貴族同士はしがらみが強い。遠く離れた辺境でなら突っぱねることも出来るが、王都に住む中央貴族にとって、王妃からの『お願い』はほとんど強制だ」
「まあそうでしょうね」
 私は王妃に直接関わる立場にいなかったが、見聞きはしている。
 無邪気そうに振る舞っているが相当にしたたかな女性というのが私の彼女に対する印象だ。
 公私を上手く使い分けて、欲しい物は何でも手に入れている。
 アルヴィンの言う通り、『王妃様のお願い』を断れる貴族なんていないのだ。

「……叔父がそうだったのだ。中央貴族の娘を妻にして、実家と板挟みになる妻に何とか寄り添おうとして、結局叔父は父を裏切り殺した」
「アルヴィン……」
「私にとって反王妃派も気を許すことの出来ない存在だ。彼らは王妃を恐れ、ギール家が後ろで糸を引いているのを知りながら、見て見ぬ振りをしたのだから。当時の中央には私の味方になってくれる者は誰も居なかった」

 アルヴィンのみならず、ゴーランの土地の者は大抵中央貴族を嫌っている。領主家に起こった惨劇を誰が引き起こしたのか、この地ではそれを誰もが忘れていない。

「では地方の、例えば他の辺境伯家のご令嬢なんてどうです?」
 私は別にアルヴィンにすごく結婚して欲しいわけではない。
 私だって結婚してないのだから、彼に結婚しろと言える立場でないのだ。
 しかし高位貴族のご令嬢という誰もが憧れる高嶺の花と結婚したくないというこの男が、結婚相手は求める条件には興味が湧いた。

「確かに他の辺境伯家に年回りが合う令嬢はいた。だが私が出会った令嬢はどの女性もあまり王都の令嬢と変わりなかった」
 と若い頃のアルヴィンは一応婚活したらしい。
「そうなんですか?」
「私に胸襟を開いてくれなかっただけかもしれないが、これから先の人生を助け合い、ともに歩んでいきたいとは到底思えなかった。辺境伯家とはいっても、彼女達のほとんどが母親は中央貴族出だ。彼女達は母親の影響下にあるように感じられた」
「あー」
 何となく想像出来てしまう。
 ゴーランの自治を保つためには、王妃に屈しない女性でなくてはならない。そうでなければアルヴィンにとってもゴーラン領にとっても気の毒な結果にしかならない。
 アルヴィンが結婚に慎重になるのも無理はないなと、私はようやく納得した。

 国内が駄目なら、国外はどうだろう。
「外国の貴族家は?」
 と言い掛けて、私は気付いた。
 駄目だ。そういえば、この人は。
「私の母が隣国の辺境伯家の娘だ。二代続けて外国の血が入るのは好ましくない」
 すでにその手は彼の父親が使っていたらしい。
 お陰で隣国とゴーランの関係はすこぶる良いのだが。

「私にとって理想の結婚相手は、王都から離れたせいぜい伯爵家までの貴族令嬢だ。高位貴族ではない貴族と彼らは接点が薄い。貴族以外であれば今度は一族の年寄りがうるさい」
「なるほど」
 中央の下位貴族は大抵大貴族の派閥に属しているが、地方の貴族はその土地に深く根付いている。土地の有力者やせいぜい近隣の領地の領主家と縁を繋ぐ程度で、中央貴族とはあまり関わりがない。
 かといって下級とはいえ貴族。平民にするようなやり口は出来ない。
 大貴族ギール家では身分差がありすぎて逆に手を回しづらい相手だ。無理を通せばもちろん可能だが、それでは悪目立ちする。
 ギール家は敵も多い。下級貴族苛めと取られかねない事態を、反対派がみすみす見過ごす訳がない。

「さらに親兄弟と縁が薄い人が望ましい。婚家から過剰な要求をされても突っぱねやすいし、王妃派に実家を使われるリスクが下がる」
 身も蓋もない言い方だが、ごもっともといったところだ。

「私はこの条件を満たす相手以外とは結婚しない方が領のためなのだ。少なくとも現国王が王位にいる間は独身でいるつもりだ」
 王太子殿下は外国の王女だった前王妃の子で、現王妃の子ではない。
 王太子殿下が王位に即けば、自然と王妃の影響力も下がるだろうが、王太子殿下は御年十五歳。
 ……先が長い話だ。

 辺境伯というのは、国の壁。軍事力を持った特別な貴族であり、押しも押されもせぬ高位貴族である。
 ゴーランは領地経営も上手くいって金持ちで、アルヴィンはとんでもない美形ではないが、普通に男前だ。
 本来美人の嫁と幸せな生活を送って良いポジションなんだが。

「苦労してますね」
 と私は思わず彼に言った。
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