タイムリミット

シナモン

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【前日譚】都筑家の事情 

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「先生、お疲れさまでした」
「お疲れ様」
「はぁー、つかの間の休憩ですね」

取材を終え、二人はビルの中のオープンカフェの広いソファ席に腰かけた。雑誌ライターの関のぶえは香港に来るといつもここに寄るという。年の功ということもあり、この度のまとめ役をやっている。
「あら、私もよ」玲子は私服のパンツスーツに着替え、パンプスのヒールは低めだが、姿勢を崩すことなく座り膝の上に手を置いた。
「そうですか? 勝手にお連れしちゃってよかったですか?」
「ええ、もちろん。何度かお店は変わったけどいつも来るの」
ここは香港島の複合商業施設。老舗であり、4つの高級ホテルと連結したブランドショップで有名だ。
「…いいですよね、ここ。香港らしくて」
「ええ。私はそんないい思い出じゃないんだけど。辛いことがあると逃げてきたわ、息子を連れて」
「息子さん?」
「あら、言っちゃったわ」
玲子は苦笑した。
「大丈夫ですよ、もう取材は終わりましたし、誰にも言いません」
「いいのよ、そんな、重要機密でもないし。もうとっくに成人してるし」
そして目線が緩んだ。
「ご結婚されてるんですか?」
関は遠慮がちに口調をおさえた。
「いいえ。女の子の話もしたことはないわ」
「というと、よく会われているんですか? 息子さんと」
「ええ、そうね」
そう言って背中を伸ばし、ソファにもたれた。
「気持ちいいわねー、ここ」
空を見上げた。
「都会の中のオアシスね」木立の向こうはビルが立ち並び中庭のようになっている。
「いいですよね。まわりは摩天楼、湾の向こうも摩天楼」‥
「…私も香港に何度か来てたのよ。結婚する前」
「そうでしたか」
「嫌なことがあると逃げる場所…。いつのまにかそうなってたわ」
「嫌なこと多かったですか」
「そうね。結婚後はね。慣れないことばかりで」
舅によく責められた。子供が生まれてもそれは変わらず、息子と過ごす憩いの場だった。
「前はね、日本のデパートがあったのよね」
「知ってます、もうアラフィフなもので」
「あら」
「私も子持ちなんです」
「ああ、そうなの」
「娘が一人ですけど」
「大変でしょ、女手一人で。すごいことよ」
「ええ。正直大変です(笑)」
「尊敬するわ。私なんて息子を置いて出ちゃったのよ。ひどい母親よ」
「でも仲が良くてらっしゃるんでしょ? いいじゃないですか。利用できるものはしないと」
「そうね。息子を連れて家を出るなんて許してもらえなかったわ。根負けしてしまったのもあるけど、息子のためには主人に任せた方が…って気持ちに傾いていったわ」
「そうですよねえ。子供のために頑張ると言ってもね、親の心子知らずですよ。私なんて、『お母さんみたいになりたくない』ってはっきり言われますよ。髪の毛ひっつめて、家もきれいにしてられないでしょう、仕事と娘の世話、弁当、部活、毎日のプリント、もうぐちゃぐちゃ、女じゃないですよ」
「そんなことないわよ。いつもメイクしてりゃいいってものじゃないわ」
目の前の関は抑え目のメイクと最低限きちんと見えるシンプルシャツにパンツスタイルで身なりを整えている。
「立派に育ててらっしゃるわ。そのうち娘さんにも伝わるでしょう」
「いえいえ、『お父さんに育ててもらえばよかった』って平気で言いますからね」
「まあ。それじゃご主人は…」
「そんな大した男じゃないですけどね、貿易やってるみたい。娘には言ってないけど。たまにまとまった金送ってくるんですよ」
「へええ」それはまだ良い方と言っていいのだろうか。
「博打(商売)が当たったんでしょう、そう思うことにしてます。香港人なんですよ」
「まあ」
「銀行口座で繋がってる仲です(笑)」
笑っているが相当苦労しただろう。異国の男性と結婚して離婚、一人で子育て…。
「ドラマしてましたわー、ビクトリアハーバーは私のロケ地(笑)。相手が浮気して、東京と香港往復して、何度人前で大ゲンカしたことか。でもね、責めても変わらないんですよね、男って。一応メイクして高い服着て頑張ってましたけど、今はこんなです(笑)。正直、私も娘にはこうなってほしくない。若い子にエラソーなこといってるけど、本当は驚かされてますよ。あの子たち、決断がはやい、私にない観察眼を持っている、流行りに敏感。それでいて固執しない」
「そうね、見習うところは多いわ」
「もうね、古いんですよね。何もかも。頭の中古い言い回しで一杯でどうしても説教臭くなっちゃう」
「そうねえ、時の流れはどうしようもないわ。私もね、若い子から見ればいつまでもバブルを追っかけてるババアって思われてるんでしょうね」
「やだ、先生がババアって…それじゃ私なんかどうなるんですか」
「まだお若いわ」
「いえいえ、もしここで彼に会ったとしても見向きもされませんよ。面影なくて」
「そうかしら」
「そういうの、娘に全部伝わっちゃうんでしょうねえ、悲しいけど。先生がうらやましいです」
「私なんて。本当に普通にデザインしてただけだから」
「でも素敵なデザインです」
「それも全部息子のおかげだわ」
「え?」
「息子がね、好きだったのよ、いつごろからかしら、SFの世界に興味を持ち始めてね…。円盤型や球体の宇宙船ていうの? 未来的なお部屋やアンモナイトの形をしたコロニーや、いっぱい絵に描いて見せてくれたわ」
「それで曲線の多いデザインが…」
「そうね。そこから来てるの」
「それって、もしかしてここの大きな吹き抜けの影響もあるんじゃないですか?」のぶえは通ってきたホールを思い浮かべた。
「え?」
「ここの下って丸い広場になってるじゃないですか。古いけど、このモールがちょっと他と違うのはところどころ丸みを帯びたデザインてのもありますよね」
「ああ、そういえばそうね」
「息子さん、お母さまに連れてこられた記憶が残ってるんですよ、きっと」
「つながってるのかしらね、無意識に」
「そうかもしれませんね。親の背を見て育つんですよね、子供って」
「離れていても…」
「ええ、きっと。うちの娘がガツガツしてるのも私の影響。…なんだかんだバブルの流れ汲んでますもん、ブランドやグルメや海外旅行バンバン行ってたし…。ℤ世代から嘲笑される立場なんですよ。ホントはね」
「あら、それなら私なんてもろにバブル世代よ。あんまり派手にしてた覚えはなかったけど、結婚する前はね。…実はよく知らなくて、バブル世代が私の年代だって知ったときは驚愕したわよ」
「それでもご結婚されてからは…」
「そうね。バブル(笑)」
しばらく思い出話が続いた。
「ホンコン…ある意味バブルの象徴でした…東京よりもどこよりも。私にとってはね」
関の寂しそうなほほえみの先に摩天楼がそびえる。
「私もだわ…」
もしもあのまま耐えて離婚していなかったらどんな女になっていただろう…。
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