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【前日譚】都筑家の事情
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家に帰って湯に浸かってゆっくり見ようと思っていた。招かれざる客が来るまでは。
「えらく熱心に見てるのね、映画?」
「いや」
見てるには見てるが、スマートフォンの小さな画面である。
映画か。見ようによっては歴史大作の設定イメージに見えないこともない。
それを言おうと思ったが、スマホにおさめたデータはまだ秘密なのでできない。
「それが終わったら自分の部屋に戻ってくれないか。僕はスクリーンで確かめたいんだ」
目の前に大きなスクリーンがあるのに、投影できないのだ。
「使わせてくれるって約束でしょ」
「今日じゃなくても」
「この部屋の方が広いし、眺めがいいんだもん」
同じビルに彼女の部屋がある。
そこにもトレーニングマシーンはあるにはあるが、この部屋にあるものとは物が違うらしい。
「いいな~、こんな広い部屋。まるでホテルのラウンジでエクササイズしてるみたい」
喜んでいただけるのは結構だが今日は遠慮してもらいたいのだが。
何て言おうか迷っていると、彼女はランニングマシーンを降り、タオルで汗を拭いた。
こちらに近づいてくるので、スマホの画面を消した。
「何なの? お仕事?」
「そうだね」
「ねえ、一緒に入っていい?」
「いや。僕は出るよ。使いたいなら使っていいけど、出来たら帰ってくれないか。キミの部屋にだって立派なシャワーはあるだろう」
「なによ、間が悪いってわけ?」
「そうだな」
と、さっさと湯から上がり、置いてあったローブを羽織った。
薄い麻の羽織で、モニター付きの寝室に着くころには水滴は無くなっている。
「つまんない」
彼女は指をぴちょんと湯につけた。
ジャグジーの泡がぶくぶくしている。
「もう食事を済ませてるし、外に出る気もないよ」
「少しぐらい話に付き合ってよ」
「何の話?」
「別に。いつもの会話よ」
「日本語を習得するための?」
「意地が悪いわね。でもここまで全部通じてるってことね」
素早くそばに来て、部屋というかその場所から去ることができなくなった。
彼女の言う通りホテルのラウンジのような、大理石の広いフロアにソファが何台も並び、様々な調度品と高い柱と壁で仕切られただだっ広い空間だ。部屋はいくつかあり、個室すべてにバスルームが備わっている。
「日本の映画に出たいのよ。それなら日本語を話せた方がいいでしょ」
「そうだね。そのために練習台にされてるんだものな」
「そうじゃないけど。偶然そうなったの。まさかこのビルの上階に住んでる人と知り合いになれるなんて思わなかったわ。こんなお城みたいな部屋…」
「狙ってやったかそうでないか、今のこの状況にはあんまり関係ないことだね」
「そうね。あなたとお知り合いになりたかったとはっきり言えばいいのかしら。本当はそうじゃないとしても」
世の中打算でいっぱいだ。近づいてくる女性はほぼそう。
…というか父の財力に寄ってくるのだ。
「有哪个女演员不向往过上超级富豪的生活呢?每个人都绝望了」
そんなはっきり言われてもね。
…本音を隠して清楚な女性の振りを演じられるよりはずっとましだが。
「如果你不回家,你可以留下来,但请不要打扰我。我会把它锁起来」
「え~、つまんな~い」
ブスッとむくれた顔を尻目に別室に向かった。
鍵をかけて籠って見よう。
テーマパークか素朴な公園か。
彼女がその全容を知るのはもう少し先だ。
目覚めて部屋を出ると、物音がする。どうやら泊っていったようだ。
「ああー、朝の景色も最高ね、おはよう、上海」
全方位上海の街が見える。彼女はスタスタ歩いて朝日が差し込む窓寄りのソファに座って足を組み、スマホをかざした。
「いいなぁ~、本当にホテルみたい。スイートよりもプレジデントよりも天井が高くて暖炉まで大理石…ライオンのレリーフの上はお部屋なの?」
彼女の見上げた先、分厚い石の壁に埋め込まれた3Mくらいのライオンの頭部が背後の同じ壁と向かい合って4体ある。
「そうだよ。ほぼオーディオルーム。入ったことなかった?」
彼女は首を振った。
「映画を見る用?」
「いや、それなら昨夜のが広いよ」
この部屋の端に扇形のジャグジーがあり、天井から互い違いにかかったカーテンで仕切られている。
プロジェクター投影もできる白い壁面の前にフロアクッションやソファがあり、寝ながら映像を楽しむ。
「朝食はどうする?」
「私、もう行かないと。とっても残念だわ」
一緒に出ようというのか? 寝起きの顔じゃない。
結局、その通りになった。
直通エレベーターで下に降り、エントランスの向こうの車を確認してドアマンが重い扉を開けたところでシャッター音がした。
―――しまった。
とっさに手を掲げ顔を隠した。
ついに来たか。
ほんの少し寒い思いをするだけで車に乗れる。
そのわずかな隙にあんなにフラッシュをたかれては。
「…だから君と歩くのは嫌なんだよ。何なんだ、ついに家がばれたのか」後部席に並んで、ちらっと窓の外を眺めた。寒い朝だ。気温も景色も東京とさして変わらない。
「そうかもね。つけられていたのかしら」
さほど驚かない彼女を見てこちらも居直った。
「こんな中心街に住むのはやめた方がいいかもな」
有名な上海金融街の摩天楼を眺める場所にあるもう一つの名所だ。
「引っ越せって言うの? 嫌よ、やっとの思いで手に入れたのに」
君じゃないよ、僕の方がだ。
「えらく熱心に見てるのね、映画?」
「いや」
見てるには見てるが、スマートフォンの小さな画面である。
映画か。見ようによっては歴史大作の設定イメージに見えないこともない。
それを言おうと思ったが、スマホにおさめたデータはまだ秘密なのでできない。
「それが終わったら自分の部屋に戻ってくれないか。僕はスクリーンで確かめたいんだ」
目の前に大きなスクリーンがあるのに、投影できないのだ。
「使わせてくれるって約束でしょ」
「今日じゃなくても」
「この部屋の方が広いし、眺めがいいんだもん」
同じビルに彼女の部屋がある。
そこにもトレーニングマシーンはあるにはあるが、この部屋にあるものとは物が違うらしい。
「いいな~、こんな広い部屋。まるでホテルのラウンジでエクササイズしてるみたい」
喜んでいただけるのは結構だが今日は遠慮してもらいたいのだが。
何て言おうか迷っていると、彼女はランニングマシーンを降り、タオルで汗を拭いた。
こちらに近づいてくるので、スマホの画面を消した。
「何なの? お仕事?」
「そうだね」
「ねえ、一緒に入っていい?」
「いや。僕は出るよ。使いたいなら使っていいけど、出来たら帰ってくれないか。キミの部屋にだって立派なシャワーはあるだろう」
「なによ、間が悪いってわけ?」
「そうだな」
と、さっさと湯から上がり、置いてあったローブを羽織った。
薄い麻の羽織で、モニター付きの寝室に着くころには水滴は無くなっている。
「つまんない」
彼女は指をぴちょんと湯につけた。
ジャグジーの泡がぶくぶくしている。
「もう食事を済ませてるし、外に出る気もないよ」
「少しぐらい話に付き合ってよ」
「何の話?」
「別に。いつもの会話よ」
「日本語を習得するための?」
「意地が悪いわね。でもここまで全部通じてるってことね」
素早くそばに来て、部屋というかその場所から去ることができなくなった。
彼女の言う通りホテルのラウンジのような、大理石の広いフロアにソファが何台も並び、様々な調度品と高い柱と壁で仕切られただだっ広い空間だ。部屋はいくつかあり、個室すべてにバスルームが備わっている。
「日本の映画に出たいのよ。それなら日本語を話せた方がいいでしょ」
「そうだね。そのために練習台にされてるんだものな」
「そうじゃないけど。偶然そうなったの。まさかこのビルの上階に住んでる人と知り合いになれるなんて思わなかったわ。こんなお城みたいな部屋…」
「狙ってやったかそうでないか、今のこの状況にはあんまり関係ないことだね」
「そうね。あなたとお知り合いになりたかったとはっきり言えばいいのかしら。本当はそうじゃないとしても」
世の中打算でいっぱいだ。近づいてくる女性はほぼそう。
…というか父の財力に寄ってくるのだ。
「有哪个女演员不向往过上超级富豪的生活呢?每个人都绝望了」
そんなはっきり言われてもね。
…本音を隠して清楚な女性の振りを演じられるよりはずっとましだが。
「如果你不回家,你可以留下来,但请不要打扰我。我会把它锁起来」
「え~、つまんな~い」
ブスッとむくれた顔を尻目に別室に向かった。
鍵をかけて籠って見よう。
テーマパークか素朴な公園か。
彼女がその全容を知るのはもう少し先だ。
目覚めて部屋を出ると、物音がする。どうやら泊っていったようだ。
「ああー、朝の景色も最高ね、おはよう、上海」
全方位上海の街が見える。彼女はスタスタ歩いて朝日が差し込む窓寄りのソファに座って足を組み、スマホをかざした。
「いいなぁ~、本当にホテルみたい。スイートよりもプレジデントよりも天井が高くて暖炉まで大理石…ライオンのレリーフの上はお部屋なの?」
彼女の見上げた先、分厚い石の壁に埋め込まれた3Mくらいのライオンの頭部が背後の同じ壁と向かい合って4体ある。
「そうだよ。ほぼオーディオルーム。入ったことなかった?」
彼女は首を振った。
「映画を見る用?」
「いや、それなら昨夜のが広いよ」
この部屋の端に扇形のジャグジーがあり、天井から互い違いにかかったカーテンで仕切られている。
プロジェクター投影もできる白い壁面の前にフロアクッションやソファがあり、寝ながら映像を楽しむ。
「朝食はどうする?」
「私、もう行かないと。とっても残念だわ」
一緒に出ようというのか? 寝起きの顔じゃない。
結局、その通りになった。
直通エレベーターで下に降り、エントランスの向こうの車を確認してドアマンが重い扉を開けたところでシャッター音がした。
―――しまった。
とっさに手を掲げ顔を隠した。
ついに来たか。
ほんの少し寒い思いをするだけで車に乗れる。
そのわずかな隙にあんなにフラッシュをたかれては。
「…だから君と歩くのは嫌なんだよ。何なんだ、ついに家がばれたのか」後部席に並んで、ちらっと窓の外を眺めた。寒い朝だ。気温も景色も東京とさして変わらない。
「そうかもね。つけられていたのかしら」
さほど驚かない彼女を見てこちらも居直った。
「こんな中心街に住むのはやめた方がいいかもな」
有名な上海金融街の摩天楼を眺める場所にあるもう一つの名所だ。
「引っ越せって言うの? 嫌よ、やっとの思いで手に入れたのに」
君じゃないよ、僕の方がだ。
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