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来客

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朝が始まったばかりのハインス邸の当主夫妻の浴室は湯を運ぶ使用人が入れ替わり立ち替わり働き動く。ノアはすでに着替え終え寝台に座り音を待っていた。扉が鳴る音に返事をすると盆に朝食を乗せたロイが顔を出した。 

「ここに置きます」

 いつものように机に置かれた食事を見つめ、部屋を出ていくロイの背を見送り椅子へ向かう。食事の乗った皿を上げると紙が置かれていた。 

『客のなかに兄』

 ノアは読み終わった紙を口に入れ柔らかくして飲み込む。それから食事を始めた。食べながら昼過ぎの客のなかにゾルダーク公爵がいることを伝えるべきか悩むが特に害のない事態に黙ることを決めた。

 ベルが鳴り公爵夫妻の起床が知らされる。ノアは盆を持ち居室にいたメイドに渡し上着を着込んで呼ばれるまで部屋の端に立つ。少し待つと入室許可のベルが鳴る。起床のベルとは音程が違う音に足を進めて扉を叩き寝室へ入る。

寝台の上には乱れた髪のクレアがガウンを羽織った姿でボーマを撫で、その背後にルーカスが座る。 

「ノア、おはよう」 

「おはようございます」

 クレアはボーマを撫でながら挨拶をした。 

「ノア、風呂のあとテラスで食事をする。硝子の部屋にエイヴァたちを招く」 

「はい、聞いております。準備を始めています」 

ルーカスはクレアの肩にあごを乗せノアに伝える。 

「ダンテに驚く者がいるだろう…注視してくれ」 

「かしこまりました」

 浴室の慌ただしい音が寝室には届かない。 

「念のため…菓子や飲み物の確認を」

 ルーカスは毒見をさせるよう伝え、手を振りノアを下がらせた。 

「ノアさん、湯を張りました」

 ノアはメイドの言葉に寝室の扉を叩いてルーカスに報せる。少しだけ開けている扉から二人の気配が消えたことを察し、侍るメイドに合図を送り共に寝室に入る。

主の消えた寝室のテラスへ繋がる扉を開いたノアは寝台からシーツを剥ぎ取り新しいものに替えるメイドらを見つめる。その中には頬を染めながら汚れた布を籠に入れるメイドもいる。ノアの存在のせいかメイドらは声を発しない。ノアはメイドらの見張りを止めテラスの確認へ動く。机と椅子を布で拭いながら寝室のメイドらの声に耳を澄ます。 

『何度も吐き出して…ルーカス様は女性を知った…』 

『洗濯係が仕事が増えたと…ていたわ』 

『ゾルダークの執事が…』 

『狼が聞いて……ふふ…言葉なんて…』

 ノアはテラスから庭を眺める。ゾルダーク邸とは異なり贅を凝らした庭園には横長の池と橋、噴水に蔦花を潜るように作られた道、女性の裸体の彫刻などが飾られ美しく保たれている。 

『このお仕着せではルーカス様を誘いにくい……かしら』 

『奥様の月の物……近づい…』

 ノアは笑いだしそうになるが耐える。庭を眺め終えたころ手のひらに冷たい感触が触れる。白い体をノアに擦り付けるボーマの頭を撫で、懐に入っているブラシを取り出す。

「…お前はよく寝室で眠れるな」

 ノアはテラスの床に膝を突き白い毛にブラシを入れて整える。気持ち良さそうにあごを上げて赤い瞳を閉じる狼は返事をするように尾を振る。 

「箍が外れたか」

 ノアの呟きはボーマにしか届いていない。 




「ソーマさ…ん」 

「はい。ブルーノ様」

 ブルーノは少し困った顔をする。 

「様は結構です…私が様を付けたいくらいですから」 

「では、ブルーノさん」

 ブルーノは頷く。 

「昼過ぎのお客様ですが幼子が二人…エイヴァ王女と遊び相手のダンテと聞いておりますが…苦手な食べ物はないと事前にクレア様には聞いているのですが…」

 ソーマは微笑む。 

「エイヴァ様は王女といえ普通の子供です。愛らしい子です。クレア様の仰るとおりなんでも食べます」

 ソーマの言葉にブルーノは安堵の息を吐く。 

「レグルス王国の紅眼を持つ王族は王位継承者…剥奪されたといえ…私は毎回緊張します」 

ブルーノの素直な言葉にソーマは頷く。

「紅眼を持つ者がハインス邸に訪れた過去がありませんでした…それはチェスターの王族も…チェスター国王はいつか訪れるでしょうか?」

 ブルーノの言葉にエゼキエルの気持ちを知っているのかとソーマは察する。 

「あの方の行動は予測不可能です。ですが失礼のないよう接すれば機嫌を損ねはしません」

 ソーマはハインス公爵邸から支給された執事服を身につけている。老体であれ背筋を伸ばしにこやかに助言を吐くソーマにブルーノは頷く。 

「この邸の使用人がソーマさんを避けていることは承知していますが…」

 ルーカスはソーマに関して使用人らに指示を出していない。主のように命令をきけとも上司のように敬えとも伝えていない。

「なにもしないでください。気を遣い、話しかけられても答えるものがありません」

 ソーマからゾルダークのことを聞こうとする者がいてもおかしくはない。貴族家を背後に置く使用人の考えは二人とも理解している。 

「私はクレア様のそばに…体が働けないと言うまで…」 

「…わかりました…私は…寝室には呼ばれないので助かります」 

「ハインス公爵様が落ち着かれたら呼ぶでしょう」

 今は念願の存在を手にして全てに警戒しているような状態だとソーマは理解している。 

「ルーカス様の変わりように皆が驚いています」

 その経験をしたことがあるソーマは頷く。 

「慣れます」

 ブルーノはソーマの存在に驚き戸惑ったが、影のように静かに世話をする老執事に警戒を緩め、知りたいことは素直に尋ねることにすると気が楽になった。 

「エイヴァ王女と遊び相手の幼子は一部屋で?」 

「はい。共に眠れると喜ぶでしょう」 




「クレア!」

 亜麻色の髪を揺らしながら走るエイヴァがクレアの足に抱きつく。 

「エイヴァ、ふふっ…数日なのに久しぶりな感じだわ」 

「クレア…会いたかったの…ティも寂しそうに空を見上げて…ティ?」

 エイヴァはダンテが現れていないことに気づき馬車へ振り返る。 

「と…父様」 

「ゾルダーク公爵…?」

 漆黒の馬車からダンテを抱いたカイランが下りる。 

「クレア」 

「ふふ!クレア!驚いた?」

 クレアはルーカスを見上げるが絡んだ碧眼は知らないと首をふる。 

「クレア」

 カイランはクレアに近づき見下ろすと抱かれていたダンテが珍しく暴れ、クレアに向かって手を伸ばす。クレアは咄嗟に手を広げてダンテを受けとる。 

「ダンテ…寂しい思いをしたの?ダンテ」

 クレアは小さく丸まる背中を何度も撫でる。 

「クレア、重くないか?僕が抱こうか?」

「平気よ、ルーカス」

 少し重かったがダンテを抱いていたかったクレアは嘘を吐いた。 

「父様。もう…信じられないわ」 

「ハインス公爵」 

「ゾルダーク公爵」 

「忍んでも不問…感謝します」 

「ふふ!漆黒の馬車から登場して忍んだと言える?父様、部屋から出ないなんて信じられないわ」

 ルーカスは腕を上げるエイヴァを抱き上げ硝子の部屋へ向かう。 

「なんで知っているんだい?」 

「ふふ!はんにんはわたしよ」

 得意気に自白したエイヴァがルーカスの腕のなかで胸を張る。 

「ははっエイヴァか…」 

「エイヴァに父様の遊び相手になってと言っておいたの…心配させては駄目よ」

 クレアは歩きながらカイランを見上げる。 

「しんぱいはしてないわ。あきれていただけよ」

 エイヴァの言葉に三人は笑う。 ハインス公爵邸の使用人は並ばなかったが、遠巻きに様子を見ていた。にこやかに笑うゾルダーク公爵に皆が驚いている。


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