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エゼキエル3

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「欲を出しては駄目よ」

寝台に座りながら書類に目を通し捌いていく母からの言葉。

海から入る様々な物資を品目制限なくシャルマイノスに流通させることになってから数年、豊かで金のあるシャルマイノスとの貿易は関税が緩和されてもチェスターに潤いを流したが、謀略がなければ更に多かった利益。祖父が何を夢見ていたのか想像は容易い。隣国に火種を作り荒らす。その隙を突いてチェスターが上に立つか取り込むか。シャルマイノスを越えてレグルスやアムレも見ていたのだろう。失敗に終わった後に聞く母の言葉は重い。

「エゼキエル…貴方を生きにくくしてしまったわね」

母は申し訳なさそうに私に告げた。寝台で政務をこなす母に、そうだとは言えない。笑顔でそんなことないと告げるしかなかった。実際、母が一番の被害者だ。母は父上が二人いることを知らない。頭は切れるが変なところで鈍感だった。以前は日中二人が過ごすことは少なかった父母。父上は外遊を好んだし、臣下への忖度が上手くなく、そういう方面は王妃の母が纏めていた。父母はお互いを好いているようには見えなかった。それが一の父上をゾルダークに抑えられてから二の父上が長く表に出るようになり、蟄居が解かれて元の生活に戻った母は次第に二の父上を愛ある眼差しで見つめるようになった。二の父上と合う、そういうことだった。一の父上の不在が長引けば二の父上は少しずつ演技が崩れ、気安くなったのも原因かもしれない。二の父上も母を気にして王妃宮に足を運ぶ。最期は二の父上の手を握って眠りについた。穏やかで満足げな顔をしていた。


私は意志を固め、燻る想いを振り切るためと自身に言い訳をして最後にあの焦がれた少女に、母を亡くして悲しんでいるだろうクレアに会うためシャルマイノスに向かった。忍ばず堂々と王宮にもマルタン公爵家にも報せを送り馬車で向かった。道中通ったゾルダーク領を窓から眺めたとき記憶に残る映像が思い出された。厳つく険しい顔のハンク・ゾルダークに見下ろされ、その後ろに隠れるようにいたクレアの母。幼い私が馬上から見たのは大柄な男に腕を掴まれ抱き上げられ馬車に乗り込む小さな女。どんな事情があれ、夫の父親と通じる女。当時の私でも良い印象など持てないクレアの母が最期まで義父と共にいることを選んだと知り沸々と怒りが、クレアの感じる悲しみが押し寄せてきた。

時折現れる一の父上から彼女の様子は聞いていたが、ブランコに座り、揺れる度に靡く紺色の髪を見てしまっては自分の心を止めることができなかった。陽の下で見る黒い瞳には空色の筋が広がり美しさを際立たせ、空色の瞳は輝き私を捉えた瞬間、また落ちてしまった。片手で掴めてしまう小さな顔も細い腕も愛しく感じ、顔が火照る感覚に恥ずかしさを覚えた。令嬢と話すことは多々あった。仮面を被り微笑んで相手をすることなど容易かったのに彼女の前では言葉が上手く出なかった。断られることはわかっていた。連れて帰ることなど不可能なことだと知っていても奇跡にすがりたくなった。もし、頷いてくれたらどんな手を使っても臣下を黙らせるつもりだった。すげなく断られても理解する自分はいたが、嫌だと叫ぶ心もあった。触れた手は小さく脆い。これで諦めると自分に言い聞かせ素早く口を落とした。私の離れた直後、隠れていたテオ・ゾルダークが現れたんだろう。話す声が聞こえた。
私を待っていた一の父上とレオン・ゾルダークは困った顔をしていた。足を引きずり近づく父上が服の袖で私の頬を拭ったとき、泣いていたのだと気づいた。年老いた執事が差し出した紅茶には少し酒が入っていて、驚きで少し気持ちが落ち着き、辞することを伝えて馬車に乗り込みマルタン公爵家へ向かった。マルタン公爵家へ赴く建前は貿易の話だったが、邸に籠る彼女と会える従妹達を見ることも一つの目的だった。公爵が垂れ目を更に垂らして紹介した孫のオリヴィア嬢は彼女に似ていた。だからといってなんの想いも起こらないが彼女と仲がいいと聞いている。ふと過った考えが声に出ていた。弟ギデオンの婚約者にオリヴィア嬢をと願うとマルタン公爵の口許は大きく笑んだ。オリヴィア嬢もチェスターに興味を持ち、紫の瞳を輝かせて私の話を聞いていた。もしかしたら、いつか彼女が嫁いだオリヴィア嬢に会いに来るかもしれない。知り合いの少ない彼女はオリヴィア嬢と手紙のやり取りをするかもしれない。細い繋がりでもすがり付く自分が情けないが、その思い付きは彼女の意思を越えたものになり、私はそれを感じる度に彼女の存在に触れられるような感覚がした。
王宮へ向かう馬車の中、この婚約を裁定する書類を書きチェスターの騎士に持たせた。中央で議題に載せるがチェスター国内の貴族家との繋がりは私が果たしているのだから弟はシャルマイノスの令嬢でも反対の声は出ないだろう。仮でも形にしたかった。
自分でも呆れる。諦めると散々決意したくせに求めてしまう行動。結局、一人で想っているのはいいだろうと、彼女を守ると誓ったなら、もうそれは想いだろうと…辛くとも心が彼女を消すまで心のままに想うとエゼキエルは覚悟した。




シャルマイノス王宮の庭園を歩くエゼキエルの手はロザリンドから離れていた。熱の籠る瞳で見ていることは知っていたが放っておくしかなかった。

「君に話したのは誰だろうね」

エゼキエルの言葉に体を揺らすロザリンドは動揺し躓いた。倒れそうになるロザリンドに手を伸ばすのは後ろを歩く従者だった。体勢を立て直したロザリンドはエゼキエルの腕に手を添える。

「何を仰って?」

「誤魔化すのか」

「陛下」

「適度な距離とはよく言ったものだね」

「申し訳…」

「誰だろうね」

寝室に飾られた絵の話をした者を言えと告げている。

「あ…の、メイド長が」

長年城に仕えている者の名にエゼキエルはため息を吐いた。絵師に伝えながら描かせた絵を宝物のように見つめる主を心配したのか、他に理由があるのか。

「そうか。綺麗な紺色だろう?会ったのは数回だが焼き付いてね。ロザリンド、優秀な王妃でいてくれ」

そうでなければ捨て置く。ロザリンドの父親は嫉妬心を持つような育て方をしていない。行きすぎたことをするなら叱責する男だ。

「まだ!あんな…少女ですのに!瞳だけが珍しくて、特に美しい娘ではない…」

「先に帰れ」

エゼキエルは腕を掴むロザリンドの手を振り払う。

「私は選ぶ者を間違えたのか?」

ロザリンドは体は震え、顔は紅潮していた。きつく結んだ唇が醜く歪む。

「ロザリンド、失望させるな」

愛するなとは言わない。愛することはやめられないと知っている。愛を理由に他者に醜い感情を悟らせるなと緑の瞳を見下ろして伝える。

「エゼキエル様…お慕いしております」

エゼキエルは後ろを歩く従者に手を振り離れるよう命じる。

「そうか」

エゼキエルはそう答えるしかなかった。

「エゼキエル様…」

名を呼ぶことを許した覚えはなかった。けれど妻だから何も言わずにいる。

「私はなんと答えればいい?応えなくてはならないか?」

「私の方が!あんな…子供」

「やめてくれ。何を想像してる?…ロザリンド、生家に戻りたいなら止めはしない。君の父君は理解するだろう」

申し訳ないが愛しているから愛してくれと願われても無理な話だ。どれだけ想っても返らない想いは長く味わっている。

「冷静になれ。明日、先に戻りなさい」

「……承知しました」

婚姻当初はこうではなかった。王妃としてやる気に満ちて傲慢な態度も見せず、求めることもしなかったのに。
エゼキエルはうつむくロザリンドを置いて会場に戻った。


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