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ドイル
しおりを挟む首から下げた鍵で門扉の錠を開けてまた閉じる。扉を叩くと中からハーマンが開けて頷いた。
「来た?」
「はい。ルーカス様が話され理解されたようです」
「ふーん」
やだなぁ…ジェイドは羨む目で見てくるんだろうなぁ。当分…いや、もう夕食はここで取ろうかなぁ。ジュリアンのことに気づいたかなぁ…別にいいけどさ。
回廊を進み庭を目指す。暮れかけた空は赤みがかり柔らかい風が頬を撫でる。四阿からはルシルに書物を読み聴かせる使用人の声が届く。王宮の離宮に移してからルシルが飽きないように使用人に命じて読ませ、時には俺も読んで聴かせている。今は騎士と王女の恋物語を聴いている。四阿にたどり着き、格子の間から黒髪が輝くルシルを見つめる。
「お帰りなさい」
ルシルの声に使用人は顔を上げて見回している。
「足音消したぞ?」
「まだまだね」
使用人は書物を机に置いて庭から離れる。ルシルの座る長椅子に寝そべり柔らかい膝に頭を乗せる。細い指が俺の髪を何度もすき心地がいい。
「見送れたよ…あいつ、目を閉じても顔は怖いんだ。眉間のしわは死んでもあったよ」
瞳を閉じているルシルは俺を見下ろし頬を撫でた。若草の瞳が少し見える。
「もう泣いてないよ。ちゃんと別れを言えたんだ。ハンカチで互いの手を縛って繋がってた…美しかったよ」
手を上げて白い頬に触れると擦り付けてくる。
「道中危なくなかった?」
「うん。夜営をしたんだ。ちゃんと平民の格好をしたぞ。近衛も変装して連れて行ったし…寂しかったろ?」
「ええ。一人寝が寂しかった。最近は毎日ドイルさんが離さないから…ごめんなさい。人って欲が増えるのね」
「いいんだ。本音だろ?俺に嘘を言う必要も、気を遣うこともしなくていい。ルシルはもっと欲を出していいよ。俺なんて掛け布をぐるぐる巻いて抱いて寝たぞ?」
ルシルの笑いで頭が揺れる。
「掛け布に口を落とした?」
「はははっ当たりだ。掛け布にルシルおやすみって言ったよ」
ルシルは頬に触れた俺の手のひらに口づけをする。その姿を見上げて見惚れる。ここは王宮の端だ。使用人は近づかないから静寂な場所だ。
「…聞こえたのか」
ルシルは俺の手を握り離さない。答えないなら何かは聞こえたんだろう。
「誰も、誰も入れない。ジェイドでさえ入れない。ここは俺の城だ。お前と俺の城。小さいけどな…出たいなんて言わないでくれ」
ルシルをここに連れてきた日を覚えている。睡薬を飲ませて眠っている間に俺が抱いて離宮に運んだ。目を覚ましたルシルは暮らしていた家ではないとすぐに気づいた。雑音が届かない離宮で目覚めたルシルの一言を覚えている。静かねと呟いて俺に身を寄せる姿は少し不安そうだった。
「ドイルさん、ジェイド様もルーカス様も貴方を心配してる」
「うん。知ってるよ。金髪碧眼は孤独だからなぁ仲間は大切なんだ」
「約束覚えてる?」
「ああ。無理も後悔もしてない。ルシルは?」
聞いても仕方ないことだが聞いてみたかった。後悔してると言われても謝ることしかできない。愛を囁くことしかできない。
「貴方と同じ。無理も後悔もない。けど私の存在に誰かが嫌な思いをしていないか不安よ」
それはジュリアンのことか。ルシルにはジュリアンが死んだことを話していない。死の鐘を鳴らしたくないから国葬は避けた。ここに来て数年経ってルシルの存在を知る者が増えたから不安なのか。なんて伝えたらいいのか悩んだが、もう話していいか。俺の欲のためにジュリアンに毒を盛って追い出した、なんて正直に言わないけど。
「ルシル、嫌な思いをしている奴はいない。本当だ」
今までジュリアンの話は一切しなかったルシル。俺が国王だと気づいたときから王妃がいることを知っていて聞かずにいてくれた。
「私は貴方を癒せてる?救えてる?」
「ああ!言ったろ?ただのドイルにしてくれるのはハンクとルシルだけなんだ。愛してるんだ…俺の初恋なんだ」
「嘘」
俺はルシルの細い腰に腕を巻き付けて腹に顔を擦り付ける。
「嘘じゃない…胸が高鳴るのは恋だろ?騎士がそう言ってる」
「ふふ、書物の中の騎士ね。王女とは結ばれないかも。途中なのよ…高鳴ってるの?」
ルシルは俺の背に手をあて黙った。
「本当ね。鼓動が早い…嘘じゃない」
「だろ?ルシル…」
ルシルは俺を愛していると言わない。でも俺を好いているのはわかってる。閉鎖的に生きてきたルシルは俺しか知らない。ハーマンはほとんど話しかけないし、使用人は女だけ。他の男を知ったら…怖いんだ。俺は五十五だし、老けたししわも増えたし勃ちも悪…
「ねぇゾルダーク領の話を聞きたいわ。少し孤児院で過ごしたけどよく知らないの」
腹に顔をつける俺の背を優しく撫でていた手が体をなぞり耳を捕まえた。
「ゾルダーク領の邸の話か?」
「ええ、広いと言っていたでしょう?」
「敷地の中に森と川と丘があるんだって…ルシル、連れていくよ。約束する。次はお前を連れていく」
ルシルは指で俺の耳をくすぐって優しく引っ張る。腰が震える。
「楽しみね。手を繋いで歩いて、ドイルさん」
「ああ。一緒に墓参りだ」
ハンク。土の中は寒いか?あの子となら平気か?ハンク。お前に礼を言ってなかった。ルシルを俺への生け贄にしてくれた礼をしたかった。ルシルがいなかったら俺は荒れたよ。あの子よりルシルは縛られてる。盲目という枷がよりきつく強く俺に縛りつけた。こんな小さな城で囲っても文句を言わない。俺のために犠牲になったルシル。
「嘘つき」
「え?」
「泣いてるわ」
ルシルの服が涙で色を変えていた。
「ちっ違う!よだれ!じゃなくて!ルシルを舐めてた!」
ルシルは声を上げて笑った。いつも微笑むくらいなのに、口を開けて笑ってる。間近で見たくて細い体から腕を外して起き上がり見つめる。
「ルシルは可愛いなぁこんな風に笑うんだなぁ」
ルシルは笑いを消してしまった。美しい面差しが赤くなっていく。
「み…見てるの?」
「うん」
「恥ずかしい」
「可愛い。赤い」
手を頬にあてる姿も可愛い。
「愛してるよ…」
俺は解放する。ルシルを俺から解放する。死ぬまで離さないけど、それは許してほしいけど、その後は好きなように暮らせる。安全にもっと贅沢もできる手筈は整えてある。
「ルシル、愛してる」
薄暗くなった庭の四阿でルシルと向かいあい、黒い髪を撫でる。
「ルシルが泣いてるじゃないか」
閉じられた瞳から流れる涙を唇で吸う。しょっぱいけど好きだ。
「私が貴方を愛していいの?」
もしかしてルシルはジュリアンのことを気にしていたのか。後ろめたい想いをしていたのか。ジェイドの声はそんなことを言ったのか。聞いたのか。貴族なら愛人なんて気にしないがルシルは世間知らずな平民だ。心の底でジュリアンに謝っていたのか。そんな想いをさせていたのか。
「ごめん。黙ってたけど…もういないんだよ。数年前に病気で」
「鐘が…」
「ごめん。鳴らさなかった。ここは鐘が近いだろ?お前が驚く…耳がいいもんな」
小さな頭を引き寄せて抱き締める。ルシルに見えなくても嫌だった。俺は今、ジュリアンを思い出して醜悪な顔をしてるはずだ。ジュリアンに毒を与えたとき、何も感じなかった。なんなら少し喜びが湧いたもんだ。俺もハンクのことは言えないなぁ。非情な人間だ。ルーカスに連れられていくジュリアンに笑顔で手を振りたかったくらいだ。ルシルにこんな俺は知られたくないよ。
「ごめんなさい…愛してるの」
俺の腕の中でルシルの小さな呟きが聞こえた。俺の胸が満ちていく。ハンクのせいで空いた俺の心が温かくなる。
「謝ることない。俺は嬉しい」
ああ…ルシルを孕ませたかったなぁ。きっと可愛い子が生まれたろうなぁ。腹の中にいるときから可愛いんだろうなぁ。まだいけるんじゃね?ゾルダークの避妊薬は…ハンク!俺のためか!?いつかルシルとの子を欲しがる俺のために…なわけないか。まぁあの避妊薬には助けられたな。俺の年で秘薬を飲むなら…勃たなくなるかもなんて…王宮の医師に聞いちゃったら飲めないよ。ふー…まだ情緒が不安定だなドイル。
「ルシル、友を失った王様は心を癒すために当分離宮に籠るんだって…」
「…盲目の孤児が癒してあげるのね」
「ルシル、俺に若草の瞳を見せてくれる?」
腕を緩めてルシルに願う。ルシルは顔を上げて綺麗な若草色を輝かせて俺を見つめてくれる。
「ああ、綺麗だよ。ありがとう、閉じて」
若草の瞳は垂れて赤い唇は弧を描いて笑んだ。
「俺には高名な医師団が付いてる。長生きしちゃうぞ?譲位したら、心配が消えたらゾルダーク領に行こうか。遊びじゃない、飽きるまで過ごすんだ。俺も急いで戻ったからよく見てない。森と川と丘を一緒に歩く。川に足を入れよう…きっと気持ちいい。ルシル、ごめんな。俺の我が儘に当分付き合わせる」
ハンクと違って棺には一緒に入れないし、ルシルは王家の墓地には入れないから一人ぼっちだ。何十年お前を俺に付き合わせるのかなぁ。
「私はここが好きよ。夜会の音楽が聞こえるの。川は入ってみたいわね。けど広すぎる森は怖いわ」
「今度庭園に楽団を呼ぶよ。ここで一緒に聴こう」
「私は幸せよ。ドイルさんは信じていないみたいだけど」
ああ、お前が自分に言い聞かせていると思ってる。俺の心はお見通しなのか。
「私は目が見えないのよ。字も読めないし書けない。その私を囲っていることに罪悪感を持たないで…貴方を愛していいんでしょう?私の想いは誰も不快にさせない…なら声に出してもいい…愛してる…書物の騎士はここで王女に口づけをしたわ。ほら」
可愛いなぁ…唇に指差して可愛いなぁ。
「動かないで…見惚れてるから」
俺の願いを叶えようと顔を赤くして止まってるルシルは本当に可愛い。本気で孕ませたい…孕んだルシル…絶対可愛い。
「ルシルは幸せなんだな?」
「そうよ。まだ?」
可愛い…誰にも見せられないだろ!見せないけどな。唇を差す指を咥えて舐める。文句を言われる前に口づけをする。俺は憔悴してるからな…薬飲んで籠ろ。
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