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夜中に近い時、王宮の使用人門から二頭の馬が手綱を引かれ静かに外へ向かっている。茶の鬘を被り使用人服を着込んだドイルと近衛隊長ハーマン・アルノが言葉なく歩み進む。王宮から離れ城下に続く街道に入る場所で二人は馬に乗り上げ、走らせず道を行く。

「夜中に悪いなハーマン」

「いいえ、お気持ちはわかります」

レディントの末息子に届けるはずの手紙を見た。ベンジャミンの予想通りレディントは愚かな行いをしていた。詳しく調べるために騎士団をレディント辺境に出立させたり、次の貴族院の日程を決めたり…各辺境に送る識者を選別…やることが増えて増えて、今日は会いに行くのを止めようと、遅いからもう寝てると自身を諌めたが、結局ハーマンを呼び城下の家に向かっている。一刻でもいい、ルシルを抱きしめ頭を休めたい。ハンク…知ってしまってはもう戻れないよ。心を慰めてくれる愛しい存在は手放せない。近衛の中でもハーマンのみがルシルの存在を知る。ルシルを囲う家の両隣はゾルダークの持ち家だ。ハーマンはそこで俺を待つ。王宮を出て半時もかからず小さな家に着いた。閉ざされた門を鍵を使って開け、また閉じる。馬は門の近くに繋げ、扉へ向かうと家の窓から灯りが漏れる。ルシルは音に敏感だ。門の開閉にいつも気づかれる。俺しか訪ねるものはいないが、夜は中から扉を開けるなと言ってある。俺は手にある鍵を使い扉を開けて中に入り、鍵をかける。持っていた燭台を棚に置いてコートを脱ぐと奥から夜着姿のルシルが歩いて近寄る。

「寝てたろ?ごめんな」

「いいえ…どうしたの?」

ルシルは俺に手を伸ばす。その手を掴み、外気で冷えた頬にあてる。

「冷たい…」

「うん。ルシル」

触れた手から腕をなぞり肩まで行きつき抱き寄せる。

「ごめんな。冷たいよな、でも放せないんだ」

ルシルの肩に顔を埋めてきつく抱きしめる。

「疲れているのね」

「うん。忙しかった…遅いから我慢しようとしたよ。でも」

「いいの。会えて嬉しい。座る?」

細い背を撫で、肩に顔を擦り付けてから膝の下に手を差し込んで抱き上げる。

「寝たい」

「一刻?」

「一刻と半…」

「ふふふ、わかったわ」

腕の中のルシルは手を上げて俺の頬に触れ、顔の輪郭をなぞり、被ったままの鬘を取る。狭い家の寝室はすぐ近くにある。開いている扉から中に入り、先ほどまでルシルが寝ていた暖かい寝台に抱いたまま横になる。

「掛け布をかけて、冷えるわ」

ルシルの言う通り、掛け布を俺たちにかける。

「何してた?」

「お庭の花の手入れと…掃除に洗濯。いつもと同じよ」

「…ごめんな。外に連れていけなくて…俺が来ないとお前は一人だ。寂しくないか?」

目の前にある閉じた瞳が現れ目尻が垂れる。若草が輝き俺の胸を熱くする。

「私が決めたの。謝らないでって言ってる」

頬に触れていた手が俺の額を叩いた。

「うんうん、ありがとうルシル」

「ドイルさん、庭の花を増やしてくれたのね。匂いが増えたわ。ありがとう」

「うん」

「蝋燭も新しい物ね、香りがする」

「うん」

俺はルシルの目蓋に触れ下ろす。その目蓋に口を落とし、出会いはじめより艶のよくなった唇に触れてなぞる。その唇と軽く合わせ、ルシルの額と俺の額を合わせて細い体に腕を巻き付ける。

「俺はルシルの元に来るから…待ってて」

決めたんだ。ハンクとあの子が逝って、レオンが成人したら…国王を辞めて……長くね?…

「待ってる」

「ルシルに子を与えられない…ごめんな」

「また謝る」

ルシルの唇が顎に当たる。唇にしようとしたんだよな。へへ可愛い。

「金髪碧眼が生まれても私には見えない。きっと見たくなる。だから子はいらないの」

ルシルの言葉に息を呑む。

「…ルシル…知ってたのか…聞いたのか」

いや…ゾルダークの者は言わない。

「だって鬘を被ったドイルよ?ゾルダーク公爵の友人のドイルが平民じゃないなら…わかるわ。耳がいいのよ。庭にいると外の声が届くの。いつもより多く人が集まったのね」

目を閉じて微笑むルシルの顔に触れて答える。

「うん」

「大変だったのね」

「うん。ルシルに会いたいって思いながら耐えたんだ」

「ふふ、私を想ってくれたの?」

「うん。俺をドイルにするのはハンクとルシルだけなんだ…頼む…離れないで…くれ…真実を知っても…頼む…頼む」

ルシルは手を伸ばして俺の瞳から流れる涙を払う。

「いいわ…貴方が私を放さないと誓うなら…ここで貴方を待つわ…必ず」

「誓う、誓うよ…誓うから」

「痕を残して」

ルシルの首にきつく吸い付く。吸い付きすぎた首には鮮やかな赤が、蝋燭の灯りで見える。

「ついた?」

「うん」

俺にもつけて欲しい…でも人に見られてしまう。国王の体は人の目に晒される。ルシルの存在が知られたら…奪われる。利用される。

「どこ?教えて」

ルシルの指を持ち、首を彩る赤を教える。

「嬉しい、毎日触れるわ」

「うん」

こんなの失ったら辛いよな。ハンクは迷いなく後を追うと言った。今の俺は追えない…おかしくなるけど追えない。俺の私財でルシルを守れば、存在に気づく者がいつか現れる。ハンクはそれを理解してる…俺がルシルを手放せない状態はハンクの思惑通りだろうけど、俺はルシルをハンクに守ってもらわないとならない。国王なんて早く辞めたい。でも、ハンクに誓ったからな…

「ルシル…ルシル」

「はい」

「扉が鳴るまで側に」

「いるわ」

ルシルは俺の頭を抱きしめ、金髪に口を落とす。ルシルの匂いを吸い込んで目蓋を閉じると意識は暗くなる。ここにいたい…ルシルと朝を迎えたい。ハンクはあの子と毎日会えるんだよなぁ…いいなぁ…羨ましいなぁ。面倒な貴族を纏めるのは疲れる…腹が立つ…ああ…ルシルを王宮に…危険か…ジュリアンは倒れたらいい…アーロンは黙らせる…駄目だ…願望が膨れ上がる。ここが好きだ。ルシルと二人だけのこの家が…王宮の端に離宮を作るか…信頼できる者だけしか入れない、会いたいときに会える……俺の城!

「ルシル、俺が呼んだら…来てくれる?」

ルシルは答えない。国王の愛妾になる意味を理解している。でも俺はここより庭も広い、陽射しの中を二人で歩きたい。

「ドイルさん…私…孤児よ」

「知ってる」

「正直、不安よ」

「うん、守る。数年かかるけど、ルシルと共に朝を迎えたい。可愛い願いだろ?」

ハンクが死ぬのは何年先だ、五年?十年?十五年は長くね?十五年なら俺何歳だよ…ルシルを抱けなくなっちゃ…俺が死んじゃうよ。そうだよ…疲れて頭が暗くなってた…ルシルを守るために離宮を作ろ。名目はジュリアンの静養だ。元気出てきた。

「決めた!ルシルを俺の側に置く。扉の鳴る音に悲しくなるのはもう嫌だ。ルシル…頷いて…お願い…お願いだ」

優しく俺の頭を撫でるルシルは考えてる。

「ルシル…ルシル…答えてくれ」

ルシルの可愛い胸に顔を擦り付ける。

「私達だけ?」

「うん」

ルシルがそれを望むなら使用人も入れない。外に騎士を立たせるだけにする。

「無理しないで」

「うん」

「後悔しないで」

「しない」

この年で未来を夢見てる。ああ…希望が見える。

「ルシル!元気出てきた」

「ふふ、単純な人ね」

うん、そうだな。俺はもっと幸せになれる。へへ、ハンクに相談しよ。

「ルシル…大切なんだ。愛してるんだ」

顔に当たるルシルの鼓動が速まる。

「ドイルさん…私…愛ってわからないの。貴方が来てくれると嬉しい、会えると胸が熱くなる…触れると恥ずかしい…けど心が喜んでいる。会えないと寂しい…貴方が可愛い…この気持ちは愛なの?初めてでわからない」

ルシルは親に捨てられた。孤児院でも目が見えないせいで虐められていた。綺麗な見た目のせいで院長に売られそうになったのを、リード辺境伯が止めた。ゾルダーク領には騙して連れてきた。愛なんて知る機会はなかった。

「愛だよ。ルシルが他の男に見られないように俺は頑張る。俺はルシルと二十も年が離れてる…ルシルの心を奪われたら…」

「ふふふ…見えないのよ?私にはドイルさんが年上に感じないのに…本当に二十も離れているの?信じられないわ」

「へへ…ルシル…好きだ」

ああ…ハンク、感謝するよ。これだ、これが幸せだ。俺だけの幸せだ。上を向くと若草が俺を見つめていた。

「痛めるぞ」

「輪郭だけでも見たいの、金に輝いて…綺麗よ。私は好きよ」

俺の頭を撫で微笑む顔は美しい。この金はルシルに見えているのか。首を伸ばして口を合わせる。こうしていたいなぁ。戻ったら忙しいんだろうなぁ。

「ルシル…二、三日庭にも出ないで…リードが来てる…」

リード…武骨なお前が孤児院の事情に耳敏いなんて信じられないんだ。リードの年老いた白髪は黒髪だった…不安は嫌いだ。少しの可能性も俺は案ずる。

「リード辺境伯様?懐かしいわ」

「会ったのか」

「小さい頃ね。視察に来たのよ」

「約束だ、家から出ないで」

「わかったわ」

「ルシル…好きだ…」

「知ってる…扉が鳴るまで休んで」

うん…うん…ごめんな…待っててくれ。俺を待っててくれ。

ルシルの体を抱きしめて目蓋を閉じて一刻経つころ、扉の鳴る音が耳のいいルシルに届き、俺を揺らして起こす。もう少し…ハーマンが待ってる…暗い内に戻らないと…

「また来る…待ってて」

俺の頭を撫でながら、わかったと答えてくれる。本気で離宮を建てる。顔を上げてルシルを見つめると、閉じた目蓋から涙が流れていた。

「どうした?」

本当は王宮に来るのが嫌なのか?俺が国王だから断れない?

「貴方と朝を迎えたい」

こんなに嬉しいもんなのか…愛する人が俺を愛してくれる。同じ気持ちを持っている。

「うん…必ず叶える…ルシル」

ルシルの初めての願いだ。叶えるよ。ああ…深みにはまったなぁ。

茶の鬘を被り扉を開けて外から鍵をかける。ハーマンに頷き、門まで歩く。門は鍵で固く閉ざして馬に乗り上げる。暗闇の中、燭台を手に馬を歩かせる。

「離宮を作って囲うと決めた」

「…伝えたのですか」

「気づいていた…ハーマン…譲位したい…けど、ジェイドはまだ未熟なんだ…辺境を見せるか…回らせると四月は戻れないだろうけど、現実を学べばいい」

「レディントに送った騎士団と合流させて回らせますか」

「大層な一団になるな…はは…そうしよう」


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