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第五章「あたしの心が折れた日」
【あたしと、姫子と】
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夢の中で、あたしは小さな鳥だった。
小さな体に、それでも風をいっぱいに受けて、空に向けて強く羽ばたいた。電線の隙間と、雑居ビルの隙間とを潜り抜け高く舞い上がる。眼下に夜景が広がる。
夜だった。
みるみるうちに地上は遠く離れ、頭上に星屑が広がって、視界を埋め尽くしている街の灯が、こちらも星のように輝いていた。
風をまとっている、とあたしは思う。
この空の向こうに、母がいるんだとそう思った。
鳥であるこの小さな体に、高揚感と多幸感とがみなぎった。
しかし、どこからか飛来した銃弾が鳥の片翼を打ち抜くと、あたしは空中でバランスを崩してしまう。浮遊感が急になくなって、そのまま重力に引かれて落下を始める。
そうだ。失念していた。
あたしは、片翼の鳥なのだ。
コートの中を自由に舞っていた『風をまとう者』は、母という翼を失って地に落ちたのだ。
きりもみしながら落下していく途中で、なんとかバランスを取り戻して滑空の体勢に入る。
――もう一度羽ばたこう。
耳元で聞こえたその声に引き上げられるようにして、左の翼が再び開いた。自由は全然効かないけれど、滑空していくだけならなんとかできる。
そうだ。今こうして飛べているのは、心が傷ついた片翼の代わりとなってくれているからだ。
心がいなければ、あたしは。
◇ ◇ ◇
旭川第一中学校。
中学女子バドミントン界において北海道最強に君臨しているこの学校において、あたしと神宮寺姫子は間違いなくチームの二枚看板だった。
最強と準最強。そのわりに二人でペアを組むことはなく、個人戦でも、団体戦でも、常にあたしたちはシングルスでのみ出場した。あたしたちがダブルスを組む必要に迫られなかったのは、それだけチーム力が高かったからだ。ダブルスで出なくても、必ず他の誰かが勝ってくれた。
団体戦において、トップシングルスで出場するのは常にあたしだった。第二シングルスが、姫子。
二人の実力は拮抗していると新聞紙や雑誌などで報道されていたが、中学時代の三年間において、あたしは一度も姫子に負けなかった。公式試合でも、練習試合でも。
二人の実力差は、きっと周りが見ている以上に大きかった。
姫子が、そのことを引け目に感じているのは知っていた。それでも、二人の関係がぎくしゃくすることはなかった。二番に甘んじることを姫子は納得していたから。その上で、いつかあたしを実力で凌駕するんだと、そう息巻いていたから。
そうしてあの日がやってくる。
中三の夏。あたしが肩を負傷して、姫子の父が懲戒免職処分となった悪夢の一日が。
それでも、姫子があたしを咎めることはなかった。それどころか、一週間ほどの入院期間の間に、何度もお見舞いに来てくれたのだ。
そんな、二人の間が今ぎくしゃくしてしまっているのは、このとき心をうまく開けなかったあたしのせいだ。
あたしは、姫子の好意を無下にしたのだ。
『肩が上がらなくてもさ、どうにか工夫してプレーを続けることはできないの? あるいは、マネージャーとしてチームに残る手もあるし』
そう言って、姫子は繰り返しあたしを説得した。
今思うとこれは、遠回しにダブルスをやらないか? との誘いだったのかもしれない。
姫子の父親だけが悪いわけじゃない。原因を作ったのは間違いなくあたしだ。
それなのにあたしは、自分の運命を呪ってばかりいた。どうしてあたしなのかと。どうしてあたしの母なのかと。他責思考にばかりとらわれていた。
姫子の提案を素直に飲めるほど、この頃のあたしは大人じゃなかったのだ。
二本あった柱のうちの一本を失ったチームは、来たるべきインターミドルに向けて、性急な立て直しを要求されていた。
あたしに代わって、新主将に就任したのは姫子。
だからこそ、精神的な支えを姫子は欲していたのかもしれない。このとき辛かったのは、絶対にあたしだけではなかったのだから。それなのに、諦めずに何度も説得してくる姫子に、ついぞあたしが首を縦に振ることはなかった。
姫子の声にいっさい耳を傾けることなく、あたしはバドミントン部を退部した。
大変だったのは、残されたチームメイト――とりわけ姫子だ。
絶対的なエースを失い、あたしに対する不満と疑心とが渦巻き、崩壊しかけていたチームをまとめたのは間違いなく姫子だ。
その後のインターミドルで残念ながら三回戦で負けてしまうとはいえ、チームを最後まで鼓舞し続けていたのは姫子だったのだ。
チームの内情と姫子の家庭とを、ぐちゃぐちゃにしたあたしにバドミントンを続ける資格なんてない。
そう、思っていた。もう二度と、ラケットは握るまいと。
それなのに、ダブルスという舞台に、心とペアを組んであたしは戻ってきた。
あたしに勝ちたいという気持ちを『不戦勝』というかたちで踏みにじられ、旭川第一に仁藤紬がいないことを受け入れ、もしかしたら、半ば目的を失いながら、それでも強くなるために必死にラケットを振ってきた姫子の前に。
姫子があたしを敵視するのは、ある意味当然なのだ。
◇ ◇ ◇
小さな体に、それでも風をいっぱいに受けて、空に向けて強く羽ばたいた。電線の隙間と、雑居ビルの隙間とを潜り抜け高く舞い上がる。眼下に夜景が広がる。
夜だった。
みるみるうちに地上は遠く離れ、頭上に星屑が広がって、視界を埋め尽くしている街の灯が、こちらも星のように輝いていた。
風をまとっている、とあたしは思う。
この空の向こうに、母がいるんだとそう思った。
鳥であるこの小さな体に、高揚感と多幸感とがみなぎった。
しかし、どこからか飛来した銃弾が鳥の片翼を打ち抜くと、あたしは空中でバランスを崩してしまう。浮遊感が急になくなって、そのまま重力に引かれて落下を始める。
そうだ。失念していた。
あたしは、片翼の鳥なのだ。
コートの中を自由に舞っていた『風をまとう者』は、母という翼を失って地に落ちたのだ。
きりもみしながら落下していく途中で、なんとかバランスを取り戻して滑空の体勢に入る。
――もう一度羽ばたこう。
耳元で聞こえたその声に引き上げられるようにして、左の翼が再び開いた。自由は全然効かないけれど、滑空していくだけならなんとかできる。
そうだ。今こうして飛べているのは、心が傷ついた片翼の代わりとなってくれているからだ。
心がいなければ、あたしは。
◇ ◇ ◇
旭川第一中学校。
中学女子バドミントン界において北海道最強に君臨しているこの学校において、あたしと神宮寺姫子は間違いなくチームの二枚看板だった。
最強と準最強。そのわりに二人でペアを組むことはなく、個人戦でも、団体戦でも、常にあたしたちはシングルスでのみ出場した。あたしたちがダブルスを組む必要に迫られなかったのは、それだけチーム力が高かったからだ。ダブルスで出なくても、必ず他の誰かが勝ってくれた。
団体戦において、トップシングルスで出場するのは常にあたしだった。第二シングルスが、姫子。
二人の実力は拮抗していると新聞紙や雑誌などで報道されていたが、中学時代の三年間において、あたしは一度も姫子に負けなかった。公式試合でも、練習試合でも。
二人の実力差は、きっと周りが見ている以上に大きかった。
姫子が、そのことを引け目に感じているのは知っていた。それでも、二人の関係がぎくしゃくすることはなかった。二番に甘んじることを姫子は納得していたから。その上で、いつかあたしを実力で凌駕するんだと、そう息巻いていたから。
そうしてあの日がやってくる。
中三の夏。あたしが肩を負傷して、姫子の父が懲戒免職処分となった悪夢の一日が。
それでも、姫子があたしを咎めることはなかった。それどころか、一週間ほどの入院期間の間に、何度もお見舞いに来てくれたのだ。
そんな、二人の間が今ぎくしゃくしてしまっているのは、このとき心をうまく開けなかったあたしのせいだ。
あたしは、姫子の好意を無下にしたのだ。
『肩が上がらなくてもさ、どうにか工夫してプレーを続けることはできないの? あるいは、マネージャーとしてチームに残る手もあるし』
そう言って、姫子は繰り返しあたしを説得した。
今思うとこれは、遠回しにダブルスをやらないか? との誘いだったのかもしれない。
姫子の父親だけが悪いわけじゃない。原因を作ったのは間違いなくあたしだ。
それなのにあたしは、自分の運命を呪ってばかりいた。どうしてあたしなのかと。どうしてあたしの母なのかと。他責思考にばかりとらわれていた。
姫子の提案を素直に飲めるほど、この頃のあたしは大人じゃなかったのだ。
二本あった柱のうちの一本を失ったチームは、来たるべきインターミドルに向けて、性急な立て直しを要求されていた。
あたしに代わって、新主将に就任したのは姫子。
だからこそ、精神的な支えを姫子は欲していたのかもしれない。このとき辛かったのは、絶対にあたしだけではなかったのだから。それなのに、諦めずに何度も説得してくる姫子に、ついぞあたしが首を縦に振ることはなかった。
姫子の声にいっさい耳を傾けることなく、あたしはバドミントン部を退部した。
大変だったのは、残されたチームメイト――とりわけ姫子だ。
絶対的なエースを失い、あたしに対する不満と疑心とが渦巻き、崩壊しかけていたチームをまとめたのは間違いなく姫子だ。
その後のインターミドルで残念ながら三回戦で負けてしまうとはいえ、チームを最後まで鼓舞し続けていたのは姫子だったのだ。
チームの内情と姫子の家庭とを、ぐちゃぐちゃにしたあたしにバドミントンを続ける資格なんてない。
そう、思っていた。もう二度と、ラケットは握るまいと。
それなのに、ダブルスという舞台に、心とペアを組んであたしは戻ってきた。
あたしに勝ちたいという気持ちを『不戦勝』というかたちで踏みにじられ、旭川第一に仁藤紬がいないことを受け入れ、もしかしたら、半ば目的を失いながら、それでも強くなるために必死にラケットを振ってきた姫子の前に。
姫子があたしを敵視するのは、ある意味当然なのだ。
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