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第三章「新生、永青高校バドミントン部始動!」

【試合をボイコットしたわけ】

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 一学期の終業式が終わり、夏休みに入った。
 長期休暇というとゆっくり休めるイメージだが、部活動の中でも運動部は特にそのようなこともなく、毎日のように練習がある。
 新チームになってまだ日が浅いのだから、早急にチーム力を上げていかなければならない。この時期にどれだけ頑張れるかによって、まわりの学校と差が付いていく。休みだからといって、遊び惚けている暇などないのだ。そんなわけで、今日もサブアリーナで練習だ。
 監督とコーチに挨拶をしてから低速ランニングを開始する。準備体操、ストレッチ、体幹トレーニング、ラダーを使ったステップ練習、縄跳び、フットワーク練習と続く。数名はトレーニングルームで筋力トレーニング。ここまでで半日を使う。
 まだ誰もシャトルに触れていない。
 基礎打ちができるのは、午後になってからようやくだ。永青のバドミントン部はそこまで強豪ではないと思っていたのだが、夏休みに入ってからより厳しくなった練習に少し驚く。
 もっとも、紗枝ちゃんと朝のランニングを欠かさず行っていたのもあって、この厳しい練習メニューにも音を上げなくなっていた。紗枝ちゃんも、さすがの強健ぶりを披露している。
 昼食を終えると一時間ほど自由時間になる。お喋りに興じていてもスマホを弄っていてもとがめられない。なんなら、午後の練習までに戻ってくるなら学校を出てもいい。
 だが、ほとんどの部員はぼんやりと黄昏れているか昼寝をしている。口にはしないが、みんな結構きついのだ。
 サブアリーナの端のほう、休憩時間だけは解放されている扉の側に座って外を眺めていると、澤藤先輩がやってきて隣に腰かけた。

「どう、練習は? やっぱりちょっと厳しい?」

 澤藤先輩が流した視線の先には、仰向けで寝転がっている部員たちの姿がある。

「それとも、旭川第一で荒波にもまれてきた仁藤さんなら余裕かな?」
「そうですね……」

 いったん同意しかけて、そこから言葉を飲み込んでもう一度考える。
 旭川第一中は、強豪校だけあって練習はかなり厳しかった。部員も、こことは比べ物にならないくらい多くいた。だが。

「余裕ってことは、ないですね。むしろ旭川第一と比べても遜色ないくらい充実した練習ができていると思います。そこはまあ、ちょっと意外だったというか」
「コーチと監督が頑張ってくれているからね。コーチたちが厳しいぶん、私は優しいでしょ?」
「えーと……」
「そこで返答に困らない」

 眼鏡を外して澤藤先輩が汗を拭いた。
 澤藤先輩は、柔和で人当たりのいい人だ。だが、一見大人しそうでありながら、内側に熱い情熱を秘めているのを知っている。素っ気ないようでいて部員たちのことをよく見ているし、何かもめ事が起こりそうになると状況を素早く把握をして適切な対処法を考えてくれる。
 派手さがないのでわかりにくいが、堅実なタイプだ。
 だからこそ、彼女が主将に推挙されたのだと感じる。

「すみません。優しいっていうか、部員のことをとてもよく見ているなあ、と思います。さすが主将だけあるなというか」
「あはは、褒めても何も出ないわよ?」
「忖度なんてしていませんよ? あたし、そういうタイプでもないんで」
「そうね」
「そこで納得しないでください」
「あはは、でも、今年の一年生はみんな有望そうで良かった」

 今年の一年生は?
 わざわざそんな表現をしたことが、違和感となって喉元にひっかかる。

「ひとつ、質問いいですか?」

 そこで、これまでずっと気になっていたことを訊いてみることにした。

「なんなりと」
「どうして、二年生だけこんなに少ないんですか? 世代によって差があるのは珍しいことではないですが、それにしても少ないというか」

 春にあたしと紗枝ちゃんが部活動見学に訪れたとき、女子バドミントン部は十八人いた。それなのに今は、一年生を除くと五人しかいない。三年生が十三人と大所帯だったのに対して、二年生は極端に少なかったのだ。
 三年生が引退するまであまり気にしていなかったが、閑散として見える練習風景を目の当たりにすると、やはり気になる。

「それを説明しようとすると、少し話が長くなるんだよね」

 澤藤先輩が、サブアリーナの壁にかかっている額縁に目を向けた。

「今でこそ永青はこんな感じだけど、これでも昔は結構強かったんだってさ」
「みたいですね」

 額縁の中に入っているのは、北海道地区団体戦優勝を称える賞状だ。それが二枚ある。
 もっとも、それは十年前の話だ。ここ数年は札幌修栄か旭川勢が団体戦を制することが多かったので、ここで賞状を見るまでそんな過去があったとは露ほどにも思っていなかった。

「そこから段々とチーム力が落ちていって、今では地区予選会の突破も難しい中堅校になってしまった。落ちた青、なんて蔑称で呼ばれたりしてね」

 落ちた青、か。まるで今のあたしとみたいだな、と苦笑してしまう。

「そんな状況を打開するため、二年前にコーチがやってきたの。十年前の全盛期に現役だった人ね」
「ああ……」

 なんとなく、そこから先のストーリーが読めてしまった。
 十年前まで、永青高校バドミントン部は強豪校だった。二年連続でインターハイに出場するなど団体個人ともに好成績を残していて、部員が常に五十人以上いたらしい。
 国際大会で活躍した経験のある男性が、コーチとして在籍していたのがその理由だった。彼の指導を仰ぐため、あるいは噂を聞きつけた他県の選手たちが集まってくることで、永青高校バドミントン部は栄華を極めた。
 だが、彼が他校に引き抜かれると、永青高校バドミントン部の吸引力はあっという間に地に落ちた。

「部の強さって、なんだかんだ言って顧問であるとかコーチであるとか指導者の力にかなり左右されちゃうからね」

 彼を引き抜いたのが、修栄高校だった。
 そこから、永青のチーム力は緩やかに落ちていった。優秀な選手が入ってこなくなり、というよりは、代わって強豪校になった修栄に流れることで入ってこなくなった。
 こうして、二校のチーム力は数年であっさりと逆転してしまう。
 そのような状況を見かねてやってきたのが、全盛期の永青を知っているOBのコーチだった。彼は優秀な選手であり、優秀な指導者でもあった。ただ、自分の力の使い方を、たぶん間違えてしまった。
 団体戦でインターハイに出場する! という目標を掲げて、厳しい練習を部員たちに強いたのだ。

「もしかしたらそれは、他校では普通に行われている厳しめの練習メニューでしかなかったのかもしれない。現に、今行われている練習メニューも、去年行われていた内容を部分的に踏襲しているしね」

 澤藤先輩のその声で、中堅校にしては練習が厳しいな、と感じた違和感の正体がわかった。

「スポーツにおいて、勝利を目指すことは最低限の前提条件であり、ルールでもある。でも、『勝利至上主義』に毒されてしまっては本末転倒なのよね」

 勝利至上主義と勝利主義は似て非なるものだ。シンプルに『勝つこと』を目標とする勝利主義に対して、勝利至上主義とは『勝つこと以外』にスポーツの価値を認めない考え方だ。
 この考え方に支配されると、負けることを良しとしなくなる。最終的に負けないチームは一つしかない。スポーツとは、ほとんどの人が負けるものだ。だからこそ、負けてもそこから何かを得ていくのが本当のスポーツのあり方だ。
 この切り替えが、うまくできなかった。
 勝つために、厳しい練習をいとわない空気が部内に蔓延していった。勝つことにこだわるあまり、威圧的な指導が増えていった。さまざまな罵詈雑言がコーチの口から部員たちにかけられた。
 結果を出そうと急な方針転換をしたところで、ついてこられる部員は少ない。実際に結果もついてこなかった。結果が出ないことでコーチの焦りが強くなっていく。次第に体罰が出るようになって、部員たちから笑顔が消えた。
 そして、昨年の夏。ついにほころびが現れる。
 一年生のうちの数人が、指導の厳しさを理由に部活をサボるようになったのだ。それを怒ったコーチと監督が、サボっていた一年生全員を強制退部処分としてしまう。これに異を唱えたのが、先代の主将。処分が重すぎるんじゃないか、そもそも、指導が厳し過ぎるせいじゃないのか、とうったえたのだ。だが、耳を傾けてもらえることはなく、それどころか、元主将が団体戦メンバーから外されてしまう事態に。
 元主将は、部員たちにすごく人気があった。そんな彼女が、自分たちのために立ち上がったことで団体戦に出られなくなる。そんな理不尽な仕打ちに耐えられるだろうか? 少なくともあたしは耐えられない。それは澤藤先輩らも同じだった。
 そこで部員たちは結託して、ある計画を実行に移すことにした。
 大会への参加をボイコットしたのだ。

「ボイコットですか……?」
「うん。秋に行われた地区予選会の当日に、無断で欠席したんだよ。計画に加担したのは、団体戦メンバーだった人たちと、一年生の全員。退部者が出たことに端を発した一連の騒動に、不満を持っていたグループだね」

 大会当日、ごく少数の部員しか会場に来なかった。これでは団体戦は棄権するほかない。個人戦でも多くの不戦敗を記録した。会場はちょっとした騒ぎになり、悪い意味で、永青高校の名前が有名になった。
 これにより、部内でさまざまな問題が起きていることが顕在化した。責任を取らされるかたちでコーチと顧問の教師の二人がチームを去ることになった。
 こうして、復讐は無事成功した。しかしこのときの選択を、ボイコットしたメンバー全員がのちにすごく後悔することになる。

「保護者から抗議の声が上がったんだ。厳しい練習が元で、うちの子の人生が狂わされたとかまあいろいろとね」

 部内で起きたことは、部活全体で責任を取らされる。バドミントン部は男女問わず一定期間活動休止処分となった。顧問がいなくなったのだから、次のコーチを学校側は探してくれない。元主将と澤藤先輩らは、新しい体制作りのために奔走することになった。

「この騒ぎを受けて、ボイコットしたメンバーからさらに退部者がでた。予想以上に騒ぎが大きくなったことで、みんな責任を感じていたんだね。気がつけば一年生は、私たち五人しかいなくなっていた」

 部内の空気が悪くなっていたのがコーチのせいだったとしても、復讐を実行したことで払った代償は大きかった。特に現三年生たちにとっては、大事な時期だったはずだから。計画を扇動していた面々が、どれだけ後悔したかは想像に難くない。

「今のコーチがきて、今でこそ立て直すことはできたけれど、あれからしばらく部内の空気がギクシャクしていた。勝つために部活動をするのか、人生を豊かにするため部活動をするのか、相反する目標の狭間でみんなが揺れていたから。突然押し付けられた勝利至上主義を突っぱねて、その先で後悔をして、何が正解なのか、みんなわからなくなっていたんだね」

 二年生が少ないわけと、三年生が、人数のわりに優秀な選手が少なかった理由が腑に落ちた。
 なるほどなあ、と思う。
 いき過ぎた勝利至上主義は確かに問題だが、勝利にこだわること自体は悪いことじゃない。勝ったその先でしか、得られないものが確かにあるから。問題は、そこに至るまでのプロセスのほうだ。
 話し疲れたのか、澤藤先輩が脇に置いてあったスポーツドリンクで喉を潤した。遠くで、市川姉妹とコーチがじゃれ合っていた。
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