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終章:そして別れの春がくる

【終話:旅の終わりは、思い出の宇都宮の花火①】

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 連休の初日、あたしは地元宇都宮に最近出来たホテルに、親の車で向かっていた。今日が同期会の日なのだ。学校のある宇都宮で行われるので結構参加者が多いと、律からは事前に聞いていた。
 会場となっているホテルに到着する。車から降りて直ぐに、友人の渡辺美也わたなべみやを見つけて合流した。
 高校時代はバレー部に所属していたこともあり、ショートカットでボーイッシュだった彼女だが、髪も肩まで伸びたことで、なかなかのエキゾチック美人になっていた。長身なので、真っ赤なスーツ姿も様になる。

「美也、久しぶり!」
「おー恭子、久しぶり。……なんか、あんまり変わんないね?」
「あはは……そうかも。そういう美也は、だいぶ雰囲気変わったね。女っぽくなった」

 正直に褒めたつもりだったが、「じゃあ、女になる前は何だったんだよ?」と皮肉で返された。

「ところで律は?」
「さあ、私もまだ見てないね?」

 おかしいな、幹事なのにまだ来てないの? と首を傾げた矢先、あたしのスマホに着信があった。着信の主は、噂の上田律うえだりつだ。

「もしもし、律? 今何処?」
『ごめん、恭子。私、今日欠席になった』
「え!? なんで!」
『風邪だよ。情けない話なんだけど、三十八度も熱がある。とてもじゃないけど、参加は無理だね』
「そんな~律が居ないと盛り上がらないよ」

 電話口の声からも、彼女が酷く憔悴してるのが伝わってくる。

『すまんね。ああ、そうだ、ちゃんと晃と話をすること。あと、美也にも宜しく言っといて』

 それじゃ、と言って一方的に電話は切られた。思わず全身で溜め息をついてしまう。

「恭子。そんなに溜め息ついてたら、幸せが逃げるよ」
「それ、トオル君にも言われた」

 反射的に漏れでた元カレの名前に、慌てて口を塞いだ。

「なになに誰それ? もしかして彼氏?」

 聞き逃さなかった美也が食いついてきた。好奇心旺盛な瞳が向けられている。

「ううん、違うよ。ただのボーイフレンド」

 しばし悩んで、そう答えておく。彼氏、で間違いないんだろうけど、あんな別れ方をしておいて彼女面をするのは、なんとなく引け目を感じてしまう。「それを世間一般では、彼氏って言うんじゃないの?」呟いた美也の声は、どことなく不満そうだ。

「で、律どうしたって?」
「風邪だってさ。結構熱があるみたいで、欠席」
「マジで? しょ~もな。警察官が風邪なんかひくなよな」
「警察官、関係あるの?」

 美也と二人でホテルに入ると、受付で名前を書いて会費を払う。会場となっているセレモニーホールの中には、思い思いにドレスアップしたかつての同級生達が顔を揃えていた。キョロキョロと落ち着きなく視線を彷徨わせてると、最初に声を掛けてきたのは、大塚瑠衣おおつかるい下平早百合しもひらさゆりだった。

「久しぶりだね楠。ちゃんと来たんだ。こういう場所、苦手かと思ってた」

 幾分か気後れするように言った瑠衣は、高校時代よりも表情が柔和になったようだ。黒いスーツに身を包み、背中まで伸ばされた髪も、以前より艶っぽく目に映る。最近の話を訊くと、地元のショッピングモールで勤務しているんだ、と彼女は笑って言った。
 一方で早百合は、ショートボブだった髪の毛は肩の下まで伸び、パーマでも掛けたのか緩やかに波打っていた。大き目のくりっとした瞳は相変わらずで、「可愛くなった」と褒めると、必要以上に照れてみせた。
 高校時代も彼女はなかなかにモテたが、今もそれは変わらないのだろう。あたしと別れた後も、絶えず複数の男子に囲まれていた。早百合は大人しい性格ではあるけれど、自分の容姿が良いことを心得ている。あたしもあのくらい、あざとくなれればいいんだけど。
 そんなことを考えて苦笑い。
 あたしの気持ちはただ一人。彼にだけ届けばいいのだから。視線を左右に走らせて、晃君の姿を探してみる。

「居た……」

 高校時代と違って髪の毛を少し立てた彼は、グレーのスーツを着て、元野球部の友だちと談笑していた。じっと見つめていると、一度目が合った。数回瞳を瞬かせた後に彼は、少々気まずそうに目を逸らした。

 ──わあ、晃君。久しぶりだね、全然変わんない。

 ……なんて、話しかけられたらどんなにいいことか。結局、複数の男子に囲まれてる彼の元に出向く勇気もなくて、気がつけばテーブルに突っ伏して幹事の乾杯の挨拶を聞いていたわけで。

『かんぱーい』

 こうして同期会は始まった。
 テーブルには、後に合流した菊地悠里きくちゆうり、あたし、美也の並びで着いた。律が居れば彼女が中心になるんだけど、今日は欠席なんであたしが真ん中。美也は手話を使えないので必然なのだろうけど、なんだか棚ぼたでのセンターゲットみたいで不思議な気分。

「二十歳で入籍なんて、笑っちゃうよね」

 と美也がビールをあおりながら言った。先ほどの、幹事の挨拶の話だ。

「まあ、必ずクラスに一人は居るよね。やたらと早く結婚する同級生」

 同意を示しつつも、幹事の挨拶で結婚報告をされたことには複雑だった。あたしはいまだに処女バージンなのに。

『そういう恭子は、晃君と話したの?』

 悠里は美也にビールを勧めながら、質問を投げてくる。

『いや……まあ、そのうち』

 私が答えると、悠里は目を丸くして、それから瞳を伏せて嘆息した。気を取り直したように顔を上げると、親指だけを立ててあたしの方に向けて突き出した。
 意味は……『ダメだよ』

『うん、分かってる』

 答えながらあたしは思う。本当に分かってるんだろうかと。

 暫くはあたしが二人の会話を通訳してそれなりに良い雰囲気だったけど、悠里の元カレ阿久津君がやって来ると、彼女は『ごめんね』と告げて席を立った。
 それからちょっと気まずくなる。
 あたしが口下手なのも相まって、美也との会話は思ったほど弾まない。
 やがて美也も他の友人に呼ばれて席を立つと、ぽつんと取り残されてしまう。最初から予測してたことだけど、なんとも気まずい。
 気を遣ってくれてるのだろう。時々瑠衣や早百合がやって来て話し相手になってくれたけど、そのうちにあたしは会場を離れた。相変わらず野球部の子と盛り上がる晃君を横目に見ながら。
 
 一度トイレに寄ってから広いバルコニーに出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。強い風が吹いていたので捲れそうになるワンピースの裾を抑えながら、手摺りのある場所まで進んでみる。手摺りの上に手を乗せ、外の景色に目を配った。
 遠目に、照葉学園の校舎が見えた。あの頃は晃君とも普通に会話出来たはずなのに、数年の時を経て余所余所しい風が吹いている二人の関係に、胸が痛くなる。
 急に視界が滲んだ。こんなみっともないところを玲に見られたら、怒られるのかな。それとも笑われるのかな。告白のチャンスを何度もあたしに譲り、そして死んでいった彼女の無念を思うと、涙が溢れそうになる。
 そのまま、しばらく俯いていた。
 不意に、手すりに触れていたあたしの手に、誰かの手が重なった。驚嘆して顔を上げると、隣にはいつの間にか悠里が居て、あたしの手を握ってた。

『こんなところで何してるの』
『いや、別に。ちょっと黄昏てただけ』

 ふうん、と悠里は握ってた手を解くと、あたしに倣って視線を外に移した。

『悠里はさ、阿久津君と話してきた?』
『うん、ちゃんと話し合ったよ』
『それで?』
『結論から言うと、もう一回やり直そうってことになった。あと最低でも一年半は遠距離恋愛になるから、どうなるか、分かんないけどね。卒業後に取り合ってた連絡だって、一年ほどで自然消滅してたんだし』

 そう言って悠里は自嘲気味に笑った。遠距離恋愛への不安を滲ませながらも、彼女の瞳は逸らされない。控えめながらも意思の強い悠里らしいなと、意図せず自分の惨めさが浮き彫りになる。

『一年も続いてたらいいじゃん。あたしらなんて、半年で終わった』

 言って直ぐに後悔した、これじゃただの皮肉だなって。

『長さじゃないよ。密度だよ』と言った後で、悠里の瞳が再びあたしを捉えた。『それこそ恭子はどうするの? 今日一度も福浦君と話してないんでしょ?』

 全部見られてたのか。苦い顔になってしまう。

『してないよ。あたし達の事情は、ちょっと複雑だからね。晃君は玲のことが好きで、でももう、彼女は居なくて。だからと言って、あたしじゃ玲の代わりにはなれなかったし』

 だからこそ、取り合ってた連絡も半年で途絶えた。不甲斐無い自分達に溜め息を落としそうになってしまう。すんでの所で溜め息を飲み込んだあたしの代わりに、悠里が深く溜め息を落とした。

『もう、終わったんだよ』
 と言った直後。
『本当は苦手なんだけど』
 と悠里が言った。
『本当はこういうの、苦手なんだけど』
 と悠里が反芻した。
『なんの話』と彼女の顔色を窺った瞬間、平手打ちが飛んできた。乾いた音が響き夜空に溶ける。

『悠里……』

『バカ』と悠里は言った。『全然、複雑なんかじゃない』

 決して強い力じゃなかった。頬が腫れるほど痛い、なんてこともない。でも、彼女がこんなに怒った顔を見せるのも、もちろん平手打ちされるのも初めての経験で、あたしは驚いた姿勢のまま固まってしまう。

『立花さんが彼の事をどう思っていようとも。福浦君が、どれだけ彼女のことを引き摺っていようとも。そんなの全然関係ないじゃない!』
「え……」

 手話も忘れて、思わず肉声が漏れてしまう。

『大事なのは、恭子が、
いまどうしたいかなんだよ!? 恭子の気持ちをどう受け止めるかは、福浦君が考えて決める選択。恭子が気持ちをハッキリさせなかったら、立花さんいつまで経っても成仏できないよ!!』

 後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が走る。大切なのは自分の気持ち。そんな簡単なことすらも、あたしは見失ってたのか。あれから二年も経ってるのに、あたしはまだこんなとこでつまづき塞ぎ込んでいたのか。
 それから悠里はスマホを取り出してぽちぽちとメッセージを打つと、『ごめん、阿久津君に呼ばれたから』と言って背を向けた。
 そのまま数歩歩いて立ち止まると、振り返って自分の前でコブシを握る。そして軽く二回下に下ろした。あの、三年前の花火の夜に交わした、二人だけの会話。

 意味は──『頑張って』
 あたしは力強く肯いた。

 その直後、バルコニーから出て行く悠里と入れ違いになるようにして、晃君がやって来た。二人がすれ違う瞬間、晃君が彼女に、なにか一言声を掛けるのが聞こえた。
 そうか──とあたしは唐突に思い至る。

 全部、悠里の演出。

 こちらに近づいてくると晃君は、「飲むか?」と言って返答も待たずに缶ジュースを投げて寄こす。「わっ、わっ」と慌てながら両手で受け取って、予想と違って缶が熱かったのに驚いてそのまま落とした。

「熱っつい。なにこれ……」

 気を取り直して拾い上げた缶ジュースに書かれていた文字は『ミルクセーキ』
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