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第一章:楠恭子の日記(サイドA)

20**/06/04(水)新たな恋のライバル?

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◆20**年6月4日 (水曜日)

 二時限目が終わった後の休み時間。三年A組の教室前にやって来た女生徒の姿に、クラスメイトの男子数名がざわついていた。

「あの美人、誰?」
「さあー知らねー。全然見たことない顔だな」

 教室から出入りする生徒たちが、彼女の姿に好奇の眼差しを向けている。特に男子は、視線を送っている時間が長かった。
 誰とも目を合わせることなく教室に入ってきたその女生徒は、立花玲だ。目的地を目指して一直線に歩く彼女の背筋はぴんと伸び、見ているだけでも神々しい。ただ歩くだけでも絵になるって、不公平すぎませんかね神様。

 ──って言うか、あれ、こっち来る!?

 ところが彼女はこちらには目もくれず、斜め前の席、晃君の机の脇で止まった。一方の彼はというと、朝練の疲れだろうか? 机に突っ伏したままで寝息を立てている。

「晃、起きて。数学の教科書を貸して欲しいんだけど」

 玲が、彼の肩を叩いた。呼び捨てなんだ、とあたしは軽く狼狽える。

「むにゃむにゃ……うん?」
「数学の教科書」

 読みかけの小説のページを捲るのも忘れ、二人の様子を呆けたように見守っていた。玲の事務的な問いかけに、思わず忍び笑いが漏れてしまう。
 けれど、最早疑う余地もない――二人は知り合いだったんだと、あたしは少し驚いていた。

「なんだ……玲か。また教科書忘れたの? これで何度目よ……」

 眠そうに大きく伸びをしてから、晃君は数学の教科書を机の中から取り出すと、彼女に渡した。

「何度目って……たぶん、半年振りなんだけど。しょうがないじゃない、滅多に登校しないから、時間割をすぐ忘れてしまうのよ」
「それも、そうだね……。いや、そうか? ちゃんと確認すればいいだけじゃん」
「私としては、ちゃんと確認してるつもりなんだけどね」
「お前、ちゃんとしてるようで、案外抜けてるからな」

 失礼ね、という玲の苦情を受け流し、晃君は再び夢の中に落ちようと試みる。そんな彼を見下ろしたまま、玲は前後の脈絡もなく言った。

「ところで話は変わるんだけど……晃、告られたんだって?」

 晃君は驚いたように跳ね起きると、あわてて玲の口を塞いだ。

「本当に唐突だね……! でも、その話はお願いだから大きい声でしないで……その相手、このクラスの奴だから」

 極限まで潜めた声。それでも聞き耳を立ててたあたしの耳には届き、心臓がどくんと飛び跳ねる。

「でも、断ったと聞いたけれど?」

 悪びれる様子もなくいい放つ玲に、きっとこちらが彼女の本当の用件だなと腹落ちする。

「当たり前でしょ。俺は今、野球一本に絞ってんの。女に構ってる暇なんてないんだよ」

 告白してきた相手の名前、聞かなくても下平早百合だろうと予測がついた。そうか、早百合は振られたんだ。
 その事実に一瞬喜んだのち、先に告白されてたことにショックを受ける。何もしていない自分に、早百合の結果をとやかく言う資格なんてあるんだろうか? 結局あたしは、劣等感を腹の底に溜めていくしかない。

「ふ~ん……良い口実が見つかったものね。噂では、結構可愛い子らしいじゃない、付き合っちゃえば良かったのに」
「ま~た無責任なことばっかり言う……他人事ひとごとだと思ってからかってるんでしょ?」
「だって、他人事ひとごとですもの」

 むくれた顔で抗議を続ける彼。それを無視して笑う玲は、なんだかとても楽しそうだ。目的をすべて終えたのか、戻ろうとした彼女とここでようやく目が合った。
 あたしと玲の口が、「あ」の形で固まった。

「そっか。恭子もA組なの忘れてた」と玲は、恥ずかしそうに口元を隠した。「なんか、無視してたみたいでゴメンね。そうか……これからは、教科書を借りられる相手が一人増えたのね」

 やっぱりちょっとズレてる感性に、うっかり笑いそうになる。

「そうそう、いつでも借りに来てね。それはそうと」
「うん?」

 玲が不思議そうに首を傾げる。

「福浦君と、知り合いだったんだね?」
「ええ、晃とは中学が一緒だからね。私がこの学校で話せる、数少ない友人の一人」
「それで二人は、仲が良いのね」
「そうよ」

 友人──か。
 余計な詮索をするつもりもないし、中学からの知り合いとなれば、仲が良いのも普通のこと。理解できてるはずなのに、自然に話し掛けられる彼女に嫉妬の感情が渦を巻く。

「ああ、そうだ。恭子」
「なに?」

 今度はあたしが首を傾げる番だった。

「……今日の放課後なんだけど、一緒に駅まで帰らない?」
「別に……良いけど。あたし吹奏楽の部活動あるから、たぶん十八時くらいになる」
「全然大丈夫。それまで図書館で時間潰してるから。終わったら、声掛けに来てね」

 手を振り去って行く玲の背中を見送ったのち、う~んと考え込んでしまう。
 彼女とあたしは、契約友達とかいう不可思議な関係で繋がってまだ二日目。駅まで向かう帰り道で、いったい何の話をしたらいいんだろう?
 緊張から、冷たい汗が背筋を伝う。気のせいだろうか? 気温も一~二度、下がったように感じられた。

* * *

 放課後。立花玲と二人でやって来たのは、駅前にあるハンバーガーショップ。
 当初は駅まで一緒に帰るだけのつもりだったのだが、彼女の提案によりこの場所にやって来たのだ。夕刻から夜に掛ける時間帯だったこともあり、店内はそこそこ混雑して活気があった。
 会計を済ませると、店の一番奥に空きテーブルを見つけて、向かい合わせで腰を落ち着けた。
 玲が注文したのは、小さめのバーガー一つとコーヒー。あたしは、バーガーにポテトとコーラのセットだった。
 忙しく動き回る店員を眺め、あたしはぼんやりと思う。
 学校から、このハンバーガーショップまでたどり着く間に交わした会話。果たしていくつあっただろうか。

「ごめん、待った?」
「いいえ。本を読んでたらすぐだったわ」
「そっか」
「ねえ、恭子。ついでに駅前のバーガーショップ寄りたいんだけど、いいかしら?」
「うん……。構わないけど」

 ……おしまいだろうか。
 流石にヤバいでしょ、これは。
 店内が騒々しかったことに救われている。もし、自分達しか客が居なかったとしたら、張り詰めた緊張感と静寂で、精神を病んでしまいそう。あたしは気まずさを紛らわす目的で、意図的に音を立ててコーラを啜った。
 次第に空気がよどんでいく中、会話の口火を切ったのは玲だった。

「恭子はさ、晃のことが好きなの?」

 ど真ん中直球の質問に、盛大にコーラを噴きだした。周りの視線が集中したことに気づいて頭を抱えた。

「え……なんで!?」
「だって晃と話をしている間、ずっとこちらの様子を窺ってたじゃない」

 気付いていない振りをしながら、実はちゃんと見てたのか……。コイツ、案外と食えない奴かもしれない。

「晃君と仲が良いの知らなかったから、興味があって見ていただけだよ。そもそもあたしと晃君は、今年まで殆ど会話すらした事ないし同じクラスになったのも初めてだし……好きとか、そんなんじゃないから」

 しどろもどろに言葉を繋ぐ。不味いな、全然弁解になってない気がする。

「そうなの? ふーん」

 信じてません、そんな瞳で見つめてくる。あんまりみないで、顔色の変化でバレるから。

「まあ、別に良いのだけれど。ところで晃の奴さ、野球に専念するために告白を断ったと言ってたけれど、真相は少し違うみたいなのよね」
「え!? そうなの?」

 驚いて、ポテトを持つ手が止まった。しなしなになったポテトは行き場を失い、考え込むように首を垂れた。大袈裟なリアクションをした自分に呆れて、あたしも同じく項垂れた。

「私が聞いた話だと、って言って断ったみたいよ。晃が気にしている女の子って、実は恭子のことなんじゃないかしら?」

 指を一本たて、からかうように玲が言う。あたしは慌てて否定した。

「ないから! そんなの有り得ないよ。あたしはそんなに可愛くもないんだし」
「そうかしら? 私は、あの早百合とかいう女よりも、恭子の方が数倍可愛いと思ってるのだけれど」

 なんの他意もなさそうに「可愛い」と伝えてくる玲に、心底驚いてしまう。あたしを持ち上げた所でなんの得もないだろうに、いったい彼女の本心はどこにあるのか。

「……告白したのが早百合なのも、知ってたんだね」
「もちろんよ。今日晃と話をした時は、知らない振りをして、わざと大きい声で話したけどね。早百合とかいう女に嫌味なところは然程感じないけど、取り巻きの方の女──名前なんだっけ? アイツは心底嫌いだもん」
「瑠衣、だよ。それにしてもハッキリ言うんだね。確かにあたしも、彼女のことは苦手だけれど」

 でしょう? と玲が身を乗り出してくる。

「恭子も、あの女嫌いでしょう? それに、私は別に遠慮するつもり無いもん。どうせ卒業したら合わなくなる程度の関係、どうでもいいわ」 

 玲はちょっと変わっているし食えない奴だと正直思う。でも、彼女は自分の言いたいことをなんでもぴしゃりと口にする。容姿も性格も自分と正反対であるからこそ、羨ましくも感じてしまう。
 早百合に遠慮なんてやめなさい、ときっちり前置きをした上で玲が言った。

「恭子もさ、思い切って告白しちゃいなさいよ」
「いやいや、無理だって~~。あたしなんか、相手にもされないよ」

 次の瞬間。「ふ~ん」と言う呟きと共に、玲の瞳は悪戯をする前の子供のように細められた。彼女はカップの底に残されていたコーヒーを飲み干すと、カバンを抱えて立ち上がる。

「じゃあ、私そろそろ電車の時間だから先に出るわね──。まあ、頑張りなさいよ。恋する乙女」

 じゃあね、と言いあたしの肩を叩くと、玲はぱっと背中を向ける。艶のある黒髪が、彼女の動きに合わせてはらりと舞った。足早に去って行く背中を、ただ呆然と見送った。

 ──恋する乙女。

 そこで、一拍遅れて気がついた。完全に、彼女の誘導尋問に引っ掛かってしまっていたことに。
 絶対に、食えない奴だ。
 心の底から、そう思った。
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