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第一章:幼馴染たち

『広瀬慎吾①』

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「どんどん先に行かないでよ」 

 いつもと同じ。一人で突っ走ってしまう斗哉とおやに、身体の小さい美也みやは、息を切らせながら不満の声を上げた。
 小学校の裏山。新興住宅に囲まれた学校の裏手に、ひっそりと残る自然の林地は、僕たち三人の恰好の遊び場だった。

「おせーぞ、美也。慎吾」

 丘の上まで上り詰めた斗哉が、振り返って好奇心旺盛な瞳を向けてくる。

「大丈夫? 美也」

 彼女より少し先行していた僕が手を差し伸べると、美也は躊躇いがちに僕の指先を握った。小さくて、でも温かい手のひら。
 三人がまだ小学生だった当時、こんな何でもないことが楽しくて、こんな平穏な毎日が、これからもずっと続くと信じて疑わなかった。
 今となっては色あせてしまった、追憶の日々。


 第一章:幼馴染たち


「相変わらず音が乱れているな」

 高二の秋から吹奏楽部の部長に就任した僕、広瀬慎吾ひろせしんごは、気苦労の絶えない日々を送っていた。
 無論、やりたくて、部長というポジションに収まったわけでもない。
 自分としては、部員を引っ張る力があって、尚且つ性格も明るい上田律うえだりつにやって欲しいと切望していたのだが、顧問の小園先生に、広瀬は数少ない男子部員だし、トランペット奏者としての実力も一番だし、適任だの云々と理屈を並べられては、断ることもできなかったというそれだけの話。
 正直なところ、こんな時だけ『男でしょ』みたいに言われ面倒事を押し付けられることに関しては、なんとも釈然としないものだが。
 もっとも、吹奏楽への情熱がないのか、と問われるならば、決してそんなことはない。父親は趣味でやってるアマチュアではあるもののベーシストだし、彼いわく作曲用だという家の離れには、キーボードやドラムセットが置かれた専用の部屋すらある。幼い頃から父親の影響で様々な楽器に触れていた関係上、その気になればドラムだって叩ける。
 部活でパーカッションを担当しなかったのは、管楽器の音を安定して出せない女子に譲ったほうが効率がよかったから、とかそんな話。代役で叩けと言われれば直ぐにでも対応できる。

 まあ正直、自分の話はこの辺りでいいだろう。

 私立照葉学園。
 僕が通っているこの学校は、栃木県宇都宮市の中心部に存在している、県内でも有数の進学校である。文武両道をスローガンとして掲げてはいるものの、運動部は然程強くない。強いのは精々、インターハイ常連である女子バレーボール部くらいか。どちらかと言うと、文科系部活動の方が、活動が盛んだといえる。
 そのなかでも中堅どころである我が吹奏楽部は、三年生が引退して代替わりしてからというもの、様々な問題点が露呈し始めていた。
 現在の部員数は二十一人 (木管九人、金管十人、打楽器二人)。三年生在籍期間中の秋に行われた栃木県のコンクールでは、北関東大会にこそ進めなかったものの、金賞を受賞する程度にはレベルが高かった。
 ……ところが、である。三年生が抜けると同時に、目に見えて演奏の質が落ちた。
 木管のメンバーは真面目に練習しているので下手なりに出来は悪くないのだが、取り立てて金管が良くない。練習はサボりがちだし、そのせいで音量も音質も今一つ安定していない。
『上手いバンドは、金管に実力がある』と言われるのは本当だと思うし、金管が安定すれば演奏できる曲の幅も広がるはず。そんなわけで、金管のレベルアップに繋がる効果的な練習法を、模索している日々だった。
 特に改善しないといけないのは、音質「音が細い、汚く乱暴」、音量「音を割る奏法が出来ない」、音域「高音域で音が乱れる」こんなところか。

「で? ま~た恭子ってば、遠目に彼の背中を見ているだけなんでしょ? どうするつもりなのよホントのところ。さっさと告っちゃいなよ」
「また他人事ひとごとだと思って……。軽々しくそう言われても困るよ~。あたしが男の子に気軽に話しかけられるような性格じゃないの、知ってるでしょ?」

 パート練習をしている最中に聞こえてくる囁き声に、思わず眉間に皺が寄る。咳払いをしたのち、無駄話の張本人である、上田律と楠恭子くすのききょうこに話しかけた。

「律と恭子、無駄話ならパート練習が終わってからにしてくれないかな? みんなの迷惑になるんで。今僕が、何の練習をすると説明したか聞いてた?」
「はい……。低音域から中音域に移行していくロングトーン……」

 ちょっと長めのショートボブ。彫りが浅くてあっさりめの顔立ち。見た目からして大人しそうな恭子が、おずおずと挙手をして自信なさげに答える。

「大丈夫だよ、当たってる」

 サクソフォンを担当している彼女は、音量に課題を抱えてこそいるものの、練習態度は基本的に真面目だし、その甲斐があって音域のブレがなくなり最近安定してきた。ぼんやりとしているようで要領もよく、こんな感じに聞いていないようで、案外ちゃんと聞いている。
 むしろ問題なのは、恭子の発言に乗っかって相槌を打つコイツの方……

「律。お前はトランペットだから必然的にコンクールでは音の中心になるんだし、人一倍真面目にやってくれないと困るんだよ」
「ああ~……そうね、ロングトーンね。基礎からしっかりやるのは大事だよね~うんうん。ゴメンね部長、ちゃんとやるから」

 そう言って、てへ、と舌をだす上田律。
 僅かに茶髪がかったポニーテールが楽しげに揺れる。顔の中心にあるそばかすと、好奇心の強そうな瞳が印象的な女の子。部のムードメーカーではあるものの、時折集中力を欠くのが玉にきずだ。
 いま思うと――彼女に部長を押し付けなかったのは正解だったんだろうか……思わず肩で溜め息を吐いた。

「じゃあ、もう一回全員でやってみよう。唇を柔らかくしてリラックスすることを心がけながら、腹式呼吸をするように、低音から吹いていこう」

 西日が差し始めた音楽室に、様々な楽器の奏でる音が低く、長く響き渡る。

 音をしっかり長く出すロングトーンの練習は、地味なようでとても重要だ。鋭い息で、それでもしっかりと吹く。これを二週間も真面目に続けていれば、音質はガラっと変わるはず。
 改めて評価するまでもなく、恭子は十分に上手い。本当に後は音量と苦手な高音域の伸びだけだと思う。先ほどは叱ったものの、律のトランペットだって悪くない。時々音が割れるのは難点だが、恭子とは対照的に中音から高音域に掛けての伸びは断然素晴らしい。
 問題は、案外と一年生かもしれない。構え方が不安定だし上達しようという意識が薄く、注意力が散漫になって音に乱れがでている。
 楽器は吹く人の気持ちをそのまま音にしてしまうので、とにかく楽しく、気持ちよく吹けるような環境造りも必要だな。
 そんなことを考えながら、今日の練習を終えた。楽器を片付けてる最中も頭が痛くなってくる。前途多難だ。鬱々とした感情を振り払い、帰り支度も終えて音楽室を出ようとしたとき律が話しかけてきた。

「慎吾ってさ、晃とは友だちなんだっけ?」
「晃って、野球部の福浦晃ふくうらあきらでしょ? いや……中学からは一緒だけど、そんなに親しくはないよ。僕は小学校で野球を辞めてしまったから、彼との接点はわりと薄いんだ」
「ああ~そうなんだ。じゃあ、ちょっと難しいかもね。いや、晃に付き合っている相手がいるのか。もしくは好きな女の子がいるのか。それとなく訊いて欲しかったんだけど……無理そうなら他をあたるわ」
「だってさ恭子」と振り返りながら言った律に、「ちょっと、こっちに話振らないでよ」と顔を真っ赤にした恭子が盛大にうろたえる。
 なるほど、そういうことね。
 恭子が福浦の奴をね。へ~と思った。
 もちろん彼女がそう言ったわけじゃないけれど、流石にバレバレだよ律。
 とはいえ、然程さほど仲がいいわけでもない福浦の恋愛事情に興味はない。むしろ野球の話を掘り下げられなかったことに安堵している自分に、辟易してしまう。

 僕も小学校時代は野球部に所属していたし、俊足を活かし一番打者としてそこそこの実績を残していた。けれども、中学進学後は野球の道を諦め、吹奏楽部へと転身する。
 元々音楽を好きだったのは確かだが、野球が嫌いになって辞めたわけでもない。小学校を卒業する段階で、なんとなく悟ってしまったんだ。野球の道では一流になれないと。
 小学校時代、僕には二人の親友がいた。スポーツ万能の阿久津斗哉あくつとおやと、僕の初恋の相手である渡辺美也わたなべみやだ。
 同じく野球部に所属していた斗哉とは、小学校の段階で明白な差が付き始めていたし、何よりも、美也に対してもスポーツでは適わないと感じてしまったのが、野球の道を諦めた要因だろうか。
 家が隣同士の美也はいわゆる幼馴染。彼女はクラスで一番背の低い女の子だったので、たびたび手を引いてエスコートしていたし、その事実が、僕の自尊心を多少なりとも満たしてくれていた。
 ところがだ……中学校に上がる時期を前後して、美也の身長はぐんぐん伸びだした。伝え聞いた話では、既に百七十一センチあるらしい。完全に僕と同じ背丈だ。
 この頃から美也のバレー選手としての才能が開花する。華々しく活躍を続ける彼女と、存在感を失っていく自分。
 斗哉はともかくとして、なんとなく美也ともギクシャクするようになり、今では三人の関係も相応に冷え切っていた。顔を合わせる機会があっても、二言、三言会話をするのが精々の、知り合い以上、友達未満の関係だった。
 告白なんて、とんでもない。

「ふう……」思わず、溜め息が漏れる。

 元を正せばきっと、僕の劣等感が原因なのだろう。
 だが、思い描いていた理想と現実がかけ離れてしまったショックは大きかった。故に、堂々と恋の話ができる律や恭子を、羨ましいと感じていたのも事実なわけで。
 僕と美也はこれまでも、そしてこれからも、運命が交わることはないのだろう。
 かぶりを振って気持ちを切り替える。鞄を抱えて音楽室を出ると、窓から明かりの灯っている体育館を見下ろした。そこにバレー部の練習風景と美也の姿を思い描き、もう一度頭を振った。
 ──どうかしてる。
 そのときだ。廊下のずっと先の方、丁度文芸部の部室の前に、一人の女生徒が佇んでいるのが目に入った。
 窓から射し込む月明かりが、彼女の銀色の髪に反射している。思わず二度見してしまうが、やっぱり銀色にしか見えない。
 彼女の名前は確か……桐原悠里きりはらゆうり。隣のクラスに在籍している、聴覚障害のある女の子だ。

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