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エピローグ

Last Episode──大切なもの

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 遺跡の街ブレストに向かって真っ直ぐのびる街道沿いに、一人の少女が立っていた。
 雲ひとつ無い突き抜けるような晴天の空を、少女は仰ぎ見る。春めいた暖かい風が吹き、彼女の長い髪がふわりと舞った。
 少女が立っている場所は小高い丘となっている。見下ろすと、雪解けで僅かに地盤が緩んだ街道が、緑色の草地を貫くように帯を引いてみえた。街道脇に立ち並ぶのは、ピンク色の花を咲かせている木々だ。
 それがこの地上において、『桜』と呼ばれている花であることを、少女は知っていた。

「綺麗」
 
 そんな呟きが漏れたとき、後方から近づいてくる車輪の音が聞こえ少女は振り返る。

「お嬢ちゃん、一人で何処まで行くんだい?」

 肩越しに見えたのは、大きな荷台を引いた一頭立ての馬車。御者席に座っているお爺さんが、心配をして声を掛けてきたようだ。

「ブレストの街まで、なのですよ」
「ここからじゃ結構距離があるだろうに。荷台で良ければ、乗っていくかい?」

 お爺さんは優しく笑い、少女にそう提案してくれた。

「いいのですか?」
「困っているときは、お互い様じゃろうて」
「すいません。では、お世話になります」

 歩いていくことも覚悟していた少女であったが、人間の体になってしまった今では、正直この距離は堪えるだろうな、と思う。
 渡りに船の申し出。断る理由なんてなかった。

「……とっても楽チンなの」

 両足をパタパタさせながら、視界いっぱいに広がる景観を眺めた。
 少女の翡翠色の髪とスカートの裾が、吹いた春風になびく。
 地平線まで果てしなく続く、新緑の山々。その裾野にやがて見えてきたのは、気の遠くなるくらい古くからある街並み。
 この街でしか、見られないものがある。
 この街でしか、出会えない人が居る。
 少女は、この街のことが、大好きだった。
 たとえそれが、少女が生きた長い年月の中で、ほんの瞬きほどの時間であったとしても。
 人生とは、思い出とは、長さではなく密度。そう語っていたのは、誰だったろうか。

 ところが、街の姿が近づくにつれ、少女の心中に不安の雲が広がってくる。
 私が帰る場所は、本当にこの街で良かったのだろうか? 私を受け入れてくれる人たちは、今も変わらずこの街に居るのだろうか?

「今日は、新王国歴何年ですか?」

 不安を紛らわせる目的で、少女はお爺さんにそう尋ねてみた。
 彼は首を回して、驚いたような顔を向けたのち、笑ってこう答えてくれた。

「こりゃまた、随分と不思議なことを訊いてくるお嬢さんだ」

 続いたお爺さんの解答を聞き、少しだけ安堵した。えへへ、と愛想笑いを浮かべて、少女は握った拳に視線を落とした。

「そうか……あれから六ヶ月」

 意図せずもれた呟きは、先ほどまでとは打って変わって低い声。驚かせてしまっただろうか、と案じて少女はお爺さんの方を見たが、別段驚いた様子はなかった。
 長くもなく、決して短くもない六ヶ月という曖昧な時間に、不安と期待と、双方の感情が少女の中で交じり合って渦をまく。
 その時、もう一度風が吹いた。
 私が感じている不安も、この風に乗って攫われてしまえばいいのに、と少女は思う。
 回り続ける車輪の音だけが響き、春の陽気に溶けて消えた。

* * *

「……起きて」

 誰かの声が聞こえる。馴染みのある、高い声だ。

「……ほら、起きて~」

 もう一度。今度はさっきよりもしっかりした声で。

「ふえ!?」

 そこで唐突に目が覚めた。
 驚いたように跳ね起きた私を、赤毛の少女が覗き込んでいた。よく知っている顔。エメラルドグリーンの瞳。

「大丈夫~? もしかして、ちょっとうなされてた?」
「うわ……本気で寝てたぞこいつ。店番になってね~じゃん」

 コノハの後ろから顔を覗かせた、銀髪の女性が呆れたような口調で言う。

「コノハ。リン……。恥ずかしいところを見られてしまったのです」

 嘆息して、けれども辛抱たまらんとばかりに吹き出したリンを見上げて、私は照れ隠しに後頭部をかいた。

 ここは、偉大な錬金術師だった祖父の跡を継いだコノハが、趣味で作った自身の発明品を並べている『プロスペロ工房』の店内。
 彼女が不在時の店番を、暇を持て余していた私が名乗りでたのだ。
 もっとも、レジを置いてあるカウンターに突っ伏して居眠りしていたのだから、店番になっていないのは明白なんだけど。

「コノハ。これやっぱり、記述を変えた方が良いと思いますよ。火薬の量がおかしい。これじゃ威力がネズミ駆除なんて生易しい物じゃすまない」

 二列並んでいる商品棚から商品の一つをつまみ上げて、シャンが露骨に眉をひそめた。

「……ネズミ捕りですか」と、シャンの手元を覗きこみながらオルハが言った。
「……けど、これは効果範囲と火力の詐称。適切な記述に改めないと、強制捜査のメスが入りますねえ」
「おお……。ということは、この情報を売れば金になりますかね」

 思いついたような顔で呟き、シャンは手のひらの上で拳をぽんと叩く。実際コノハの発明品は、発想が突飛すぎるものや、些か効果の強すぎるものが多い。

「うるさい! うるさい! それでも毎月売れてるもん! 評価してくれている人だってちゃんと居るもん! ……まあ、ちょっとだけ……だけど」

 真っ赤な顔で反論しつつも、自信なさげに語尾が弱くなっていくコノハを見て、オルハやシャンが大声で笑う。
 いつもの光景。これは、私が望んでいた光景。
 そんな彼女らの様子を見ながら、私は隣のリンに囁いた。

「夢を見ていました」
「ふうん……どんな?」

 丸椅子の位置を整え、隣に腰を下ろしたリンは、優しい声で私に尋ねた。

 私の名前はルティス。
 ラガン王国の第一王女アデリシアが一度世界から消え、『そのあとに起こった奇跡』により、新たに生まれ出でた存在。
 二度目の命だから、名乗る名前もセカンドネーム。
 どうして私がこうしてここにいるのか。論理的に説明するのは少々難しい。
 けれどこれは、私のために父が残してくれた、最後の奇跡による結果なのだと思う。いや──そう思うことにしている。

 アデリシアが持っていた物──力も、権力も、富も名声も─それら全てを私は失い、ただの女の子になった。
 ……それでも。

 五百年と数ヶ月にも及ぶ旅路の果てに私は見つけた。
 大事なものを。
 大切なものを。
 守るべきものを。

 そして──帰るべきトコロを。

「……とても楽しい夢だったのです」

 それは、決して忘れてはいけない想い。

 いつでも側に、仲間がいるということ。

 私は、二度目か三度目かわからないこの人生を謳歌したいと思う。アデリシア改め、一人の人間の少女ルティスとして。

 リンが満足そうに笑んで、言い争いをしていた三人の瞳もこちらに向いた。暖かい初夏の日差しが、柔らかく窓から入り込んでいた。

~FIN~
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