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第三章「少女の決意と魔族の影」

復讐者の影

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 ──待たせたね、姉さん。

 ──もうすぐだよ。もうすぐ、復讐が終わる。

 男性のものらしい、掠れた声が聞こえる。誰だろう、とだけコノハは思った。
 ぼんやりとしていた意識が、次第に覚醒方向へと浮上していく。水面から顔を出すように、唐突にコノハの目が覚めた。
 最初に見えたのは、灰色の床。頬に触れている固くて冷たい石の感触から、自分が、床の上に転がされているということは直ぐに分かった。
 後ろ手にロープで縛りあげられている。結び目はきつく、手を捻ったところで拘束が解ける様子はない。
 視線だけを動かして、周囲の様子をうかがうと、なにもない殺風景な地下室のような空間だとわかった。リンとカノンの姿は見えない。二人はどうしてしまったのだろうか、という疑問が不安に変わり、背筋がぞっと寒くなる。

「おや、お目覚めですか」

 どこかざらつきを感じる声が落ちてきたことに気づき顔を上げると、立ったまま、こちらに視線だけを落としているロイスの姿が見えた。

「騙したんですね……! どうしてこんなことをしたんですか」
「どうして? それはむしろ、こちらの台詞です」
「はぐらかさないでください。まったく意味がわかりません」

 敬語を使う必要なんてあるのかな、という怒りが沸々とわき上がるが、祖父の言いつけを思い出してコノハは浮かんだ邪念を振り払う。
『年上と、目上の人を敬いなさい』という、祖父の言いつけ。

「意味がわからない? はっはっは。まあ、そうだろうね。いつもそうだ。鮮明に覚えているのは、被害者の方だけ。実によくある話」
「被害者? 私たちが、何かしたっていうのですか?」
「レッド・ブラッドの流通を止めただろう」

 レッド・ブラッド? と考えを巡らせて、先日リリアンから聞いた麻薬の名称だと思い至る。

「ええ、そりゃあ止めましたよ。だってあれは、国から危険薬物に指定されているんです。あんな物が流通していたら、使ったみんなが不幸になってしまいます!」
「それだよそれ」

 彼はコノハの側まで寄ってくると、しゃがみこんで顎に手をかけてくる。
 ギラギラと睨み付けてくる目に嫌悪感がわきあがるが、押し殺してコノハは強く唇を噛んだ。両手を縛られている状態では魔法も使えない。完全に丸腰だ。

「正義の味方様は、いつも視野が狭い。みんなそうやって言うんだ。僕の姉さんがどれだけ追い詰められていたか。どれだけ薬の到着を待ち侘びていたか、なんにも知らない癖に」

 服用時に感じる高揚感。
 麻薬依存症。
 危険薬物……。
 リリアンから聞かされていた情報が単語の羅列となって浮かんでくると、錆びついたように動きが悪くなっていたコノハの頭でも、ある程度状況が飲み込めてきた。

「婚約破棄をされた姉さんにとって、薬だけが心の拠り所だったんだ」

 婚約破棄? とコノハは息を呑んだ。彼曰く、姉は、国の上級貴族の息子と婚約が決まっていたが、彼に横恋慕をしてきた令嬢に奪われるかたちで、婚約破棄をつきつけられたのだという。これが原因となり、彼の姉は心身を病んでしまい、レッド・ブラッドに手を出したのだという。でも。

「あれは薬なんかじゃありません。あれは麻薬なんです。だから最初こそ高揚感を得られていたとしても、そのまま服用を続けていたら──」
「黙れ!」

 部屋中を震わせるような大声に、コノハの背筋に悪寒が走る。鬼のような形相というのがこの世にあるとしたら、まさにそれだった。ぎらぎらと睨み付けてくる目は、狂っているようにしか見えない。

「姉さんのために僕は、日夜薬を探し求めた」

 そうして、彼の話は始まった。
 現在は危険薬物として国から指定されている麻薬──レッド・ブラッドの流通が始まったのは、一年ほど前からだったろうか。
 服用時に得られる高揚感から、ストレスの緩和、または現実逃避する為の手段として口コミで噂が広がり始めると、利用者は爆発的に増えていった。利用者が増えたことにより、需要と供給のバランスが崩れ始める。そうして薬の価格は日を追うごとに高騰し、今度は薬を扱うビジネスが発展していく。
 こうした背景のもと暗躍を始めたのが、困窮していた生活費の足しにしようとカノンが一時いっとき席を置いていた盗賊団だった。
 だが、この流れも長くは続かない。効果が切れた際の倦怠感。免疫力の低下、といった様々な副作用や常習性が明らかとなり、なによりも、自暴自棄になったり凶暴性が増したり等々、服用者の精神錯乱による異常行動が認められ問題になると、ほぼ全ての国において禁止薬物に指定される。
 結果として、ヒートストロークを始め幾つかの冒険者グループが、流通ルート殲滅のため名乗りを上げることになった。

「それでも薬は見つからなかった。金額の問題じゃない。そもそも薬が無いんだよ! いくら探してもない!」
「……」
「そうしているうちに姉さんの症状は日に日に酷くなっていった。薬が手に入らなかったのだから当然だ。そして姉さんは──」

 ここで彼は、一度言葉を切った。憎悪の念をはらんだ瞳が、コノハをまっすぐ捉える。

「自ら命を絶ったんだ。全部、お前らのせいだ」

 違います、と言うことはできなかった。
 直接的な責任はなかったとしても。それがたとえ薬のせいであったとしても。自分たちが盗賊団を壊滅させ、結果として薬の流通を止めたという事実だけは間違いない。
 私のせいで、彼の姉が死んだも同然なんだ、とコノハはうなだれる。
 この場に、もしシャンかリンが居てくれたなら、『そんなことはありません。情に流されることなく、しっかり現実を見なさい』と叱責もしてくれただろうが、生憎今はいない。コノハのマイナス思考を止めてくれる者は誰もいない。

「でも、もう大丈夫だよお姉ちゃん。今からこの娘の命を貰うから」
「命を貰うから?」

 嫌な予感がしてコノハが眉をひそめたとき、がちゃりと音がして扉が開く。御者に扮していた魔族の男が、するりと部屋に入ってきた。

「おお、これは神官様よい所に。どうです? この娘であれば、姉の魂を受け入れる器として、十分な資格を持っていると思うのですが、どうでしょう?」
「おや。まだ足掻いていたのか。諦めない姿勢は関心関心」

 声をかけてきたロイスをまったく無視し、魔族は縄をほどこうともがくコノハに一直線に歩み寄った。

「魔族……! 邪悪確定です!」

 髪の毛に触ろうとしてきた魔族に噛み付く勢いで、コノハは拒絶した。
 神官。魂。器。これらから、どうしてもよくない単語を彼女は連想してしまう。
 もしかして──生贄? 
 それにしても、神官とはどういうことか。魔族に邪神を信仰する習慣などなかったはず。因果関係がまったく読めない。

「ははは、威勢がいい。そうでなくては面白くない。あなたには後で、こちらを受け取っていただきます」

 何時の間に部屋に入ってきたのか。メイド姿の女が、小さな水差しを大事そうに手に持っている。
 中に入っているのは、真っ黒な液体。
 ──なんなの、あれは。もしかして、レッド・ブラッド?
 コノハの全身に緊張が走る。

「ところで、どうなんですか、ザウート様」

 なるほど。それがこの魔族の名前なのか、とコノハは思う。はたしてこの記憶が役に立つときが来るかなと、彼女らしくもない後ろ向きな思考を頭に浮かべながら。
 ロイスに声を掛けられたことで、魔族は面倒そうに立ち上がった。

「そうですねぇ……。悪くはありませんが、この娘には興味がありません」

 酷く下卑た声。魔族の表情には、ロイスを蔑むような色が滲んで見える。

「それはいったい、どういう」
「興味があるのはむしろ、もう一人の娘の方です」

 もう一人の娘って、カノンのこと? とコノハは思う。

「なるほど……!」とロイスの瞳が輝いた。「では、カノンを邪神の生贄に捧げて、姉の魂を蘇らせてくれるのですね?」

 ははは、まさか、と魔族が嘲るように笑う。

「できるかもしれない、と言っただけのことです」
「そんな! それでは話が違うでじゃありませんか! 私はこの間、ちゃんと対価を支払ったではありませんか。その見返りとして、姉を蘇らせてくれる話だったはず!」
「ああ、そういえば、伝えるのを忘れていましたね。たった今、できなくなりました──というか、考えが変わりました」
「出来なくなったって……どうしてですか! 活動拠点としてこの別荘をあなた方に提供し、娘と冒険者に声を掛けて約束通り連れてきたのに!」

 哀れになるほど取り乱して、ロイスが魔族につめよる。だが、魔族は手で軽く彼を払いのけた。
 冒険者というのが自分たちのことで、娘というのがカノンのことか、とコノハは思う。自分たちがディルガライスに恨みを買っているのはわかる。でも、どうしてカノンまで巻きこまれたのだろう。

「それに関しては、御礼申し上げますよ。本当にありがとうございます。助かりました、とね」
「酷い……! それがディルガライスのやり方なんですか!」

 主人の狼狽えた声が響く。魔族は口角をニヤリと吊り上げた。

「なにか勘違いをしているようだ。そもそも我々は、ディルライス帝国に仕えているわけでもない」
「なんだって……! じゃあ、全部が嘘」

 震えた声で魔族を問い詰めるロイスだったが、もはやここまでだった。

「当たり前でしょう? 私の正体を知り、それでも信じていたのですか? とんだお人よしだ」

 はっきりと言い切られると、彼はたまらず床にくず折れた。
 泣き崩れてしまったロイスを、メイドの二人が両脇から抱えるようにして部屋から引き摺りだしていく。抵抗する気力も残っていないのだろう。完全になすがままである。

「私たちをどうするつもりなの?」
「どうもこうも。このまま、暫くの間、大人しくしていてくれれば良いのです。ラガン王国の機能が完全に覚醒する前に、邪魔をされると面倒なことになりますからね」
「覚醒って、あの国はまだ何か力を秘めているというの?」
「もちろん」

 そんな話聞いたことない、とコノハは戦慄した。もっとも、かの国への捜索隊派遣はまだ検討段階でしかなく──というか、周囲を厚く覆った雷雲が障害となって接近する手段がないのだという。
 稲妻で黒漕げでなったのではたまらないのだし。そんな訳で、現在は監視対象になってこそいるが、どの国も目立った動きは見せていない。
 だが──何者かアクセスできる存在がいて、その人物がラガン王国の機能を再生する術を持っていたとしたらどうか?
 ここまで考えが及んだ瞬間、コノハの頭に一人の人物の姿が浮かんだ。

「そうか、青い瞳の少年。あの子がラガンの内部に侵入し、何かしようとしているのね?」

 あの圧倒的な力を持ってすれば、周辺を覆っている雷雲を突破するのも造作もないことなのだろう。

「そうとも言えるし、違うとも言える」
「どういうこと?」
「知る必要はありません。あなたはこのまま、ここで朽ち果てる運命なのだから」

 そう呟くと魔族は、持ってこさせた水差しを手に取った。中に入っているのは、琥珀色をしたどろりとした粘土の高い液体。まるで、濃くした蜂蜜のようだとコノハは思う。

「これが何かおわかりですか?」
「毒──?」
「そうですね。似て非なるもの、とだけお答えしておきましょう」

 魔族──ザウートは、コノハの顎関節に手をかけ、力づくで口を開けさせると、水差しを口に突っ込んだ。

「ん~~!!」

 コノハの呻き声があがる。しかし、後ろ手に拘束された身体ではたいした抵抗もできない。
 必死に頭を振って逃れたが、また直ぐに捕まってしまう。

「往生際が悪いですね」

 再びコノハの顎をがっしりと掴むと、水差しの中の液体を口の中に注ぎ込んだ。飲み込まないように堪えていた彼女だが、息苦しさに耐えかねて、口の中の液体を飲んでしまった。蜂蜜のような色からは想像もでいない苦さに、思わず顔をしかめてしまう。

「ほう? まだ意識を失いませんか。たいしたものです。ですがそれも時間の問題。意識を手放す瞬間のそれが、あなたが冒険者でいられた最後の記憶となるでしょう。それと、あなた方を探す者たちがまもなくここにやってきます。その時は、私たちに手を貸してもらいますよ」

 誰がお前たちに手を貸したりするもんか、とコノハは必死に抗う。だが、息苦しさのせいか妙な液体のせいか。段々と頭がぼうっとしてくる。
 一度目を閉じてしまうと、そのまま彼女の意識は闇のなかに呑まれた。
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