上 下
10 / 49
第一章「天空よりくるもの」

ひとつめの懸念事項

しおりを挟む
 結局リンは、布団に潜り込んだ後も、殆ど眠れないまま朝を迎えた。
 あれから散々悩んだ挙句、昨晩聞いた話を、オルハとシャンの二人にのみ伝えた。シャンは驚いた顔をしながらも、「警戒しましょう」と同意を示し、オルハは普段と変わらぬ冷静な顔でただ頷いた。
 コノハに対しては、遺跡周辺に居るやもしれぬ、魔族の件のみ伝えておいた。
 僅か二日ほどの間で、コノハの情はすっかりルティスに移ってしまっているし、加えて彼女は感情が直ぐ表にでるタイプなので隠し事ができない。ルティスに対してぎこちない対応をされた日にはいささか不味い。
 ルティスが魔族としての素性を隠していたとしても、あるいは、全てが自分の勘違いであったとしても、みんなが疑いの眼差しを向けている、と悟られることにメリットは存在しないだろう。

 禁忌の場所にたどり着くまでの道中は、おおよそ半日といったところ。野営をするための準備と、数日分の食料とを持っていよいよ出発だ。

 懸念事項の一つ目。
 遺跡周辺の森で目撃されたという魔獣とは、意外とあっさり遭遇できた。
 鬱そうと生い茂る森の中に入って数時間もした頃合だったろうか。木々の隙間に身をひそめていた『それ』は、唐突に襲い掛かってきた。
 老人の顔にライオンの胴体。背中に一対の蝙蝠の翼を持ち、蛇の尻尾を持つという禍々しい姿。魔術によって生み出された合成獣のひとつ、『マンティコア』だ。
 高い知性を持ち、強い魔力をも兼ね備えた難敵ではあったが、慎重に戦えばヒートストロークの一行が遅れをとる程の相手でもない。
 リンが果敢に接近戦を挑んで魔獣の攻撃に対して矢面に立ち、シャンは追撃する機会をうかがいつつも支援と癒しの魔法に集中。その間に、オルハの弓とコノハの魔法による遠距離からの攻撃が、確実に魔獣の体力を奪い去っていく。
 第一、魔獣の魔法による攻撃がリンに致命傷を負わせられない時点で、戦いは既に雌雄を決しているも同然だった。
 ライオンの爪による重い一撃も、牙による噛み付きも、段々と勢いを失い──退路を塞ぐように接敵してきたシャンに矛先を変えるも、やはり標的をとらえるには至らない。

 やがて魔獣は断末魔の咆哮を上げ地に落ちる。十数分に渡る戦いは、ここに終結した。

「いたたた……」

 それでも、危険な魔獣と正面から渡り合ったリンは、無傷という訳にはいかなかった。魔法で開いてしまった傷口は、シャンが癒しの奇跡を神に祈り治療した。
 修道僧モンクであるシャンは、素手による格闘戦闘能力を持っていると同時に、神に祈りを捧げることにより様々な奇跡を願うことができる。負傷者の傷を癒したり、怪物からの攻撃を防ぐ障壁シールドを展開したりと、パーティのサポート役を一手に担う存在だった。

「魔獣の正体がマンティコアとは、少々意外でしたね。人工的に造られた魔獣であるマンティコアが、人里にほど近い森の中に生息しているとは少々考えにくいのですが」

 塞がったリンの腕の傷を確認しながらシャンが言う。
 合成獣であるアンティコアは、確かに魔術で生み出された産物なのだが、生成技術の大半は遠い過去の時代に失われてしまっている。現在においては同じ魔獣を作り出すのは非常に困難であるし、たとえ再現できたとしても粗悪品にしかならないだろう。
 どう考えても、人里近い場所に出没するような魔獣ではない。この事実は、マンティコアが、何者かの手によって放たれた可能性が高いことを、暗に示していた。
 間髪入れずに魔族による襲撃があるんじゃないかと一行は警戒を強めたが、以後、何物かと遭遇することはなかった。

◇◇◇

 森を抜けると開けた平原に出る。残暑を感じさせる、じめっとした湿気をおびた風が頬を撫でるなか、草地の上を進んで行くと、やがて小高い丘陵地が見えてくる。丘のふもと、その一角に、巨大な扉の姿が見えた。大きさは、人の背丈の三倍ほどはあるだろうか。
 光沢のある、黒い石材でできた重厚な扉。想像以上の大きさに、初見ではないリン以外の全員が圧倒されていた。
 そして、扉の中央部分に掘られていたのは、ルティスの手首にあるチップに浮かんでいるものと同じ紋章。
 やはり間違いなさそうだな、とリンは思う。

「……罠があると危険ですから、合図をするまで近づいてはダメですよ」

 遺跡の探索は、しかけられた罠を発見し、また解除するスキルに長けた盗賊スカウトの独壇場だ。オルハは扉の側まで警戒しながら近づくと、扉と周辺の探索を始める。見て触れて時には軽く押してみたりと、視覚と触覚を頼りに丹念に調べていく。
 その間、手持ち無沙汰になったリンたちは、オルハの作業をただ見守っていた。はしゃいでいるのは、ルティスの手首を握り締め、宝石と扉の紋章を対比させて歓声をあげるコノハくらいのもの。
 五月蝿いですね、と言わんばかりにシャンが眉をひそめて胡坐あぐらをかいた。

 一通り調査を終えたのか、オルハは立ち上がるとみんなの方に顔を向けた。

「……そうねぇ……罠はないみたいねぇ。ただ、扉を開けるためには何段階かに渡ってかけられている鍵を外さないとダメみたい。なかなかに手の込んだ仕掛けだわ」

 オルハいわく、複数の仕掛けをある決められた手順で操作し解除していく必要があるようで、一つでも順番を誤ると、全て振り出しに戻ってしまうらしい。
 眉間に深く皺をよせ、なおも作業を続けるオルハ。こんなに真剣な表情をみせる彼女を、久しく見た記憶がないな、とリンは思う。
 幾度となく失敗を繰り返したのだろう。十数分にも及ぶ格闘の末、扉の仕掛けは解除された。

「おお~」という感嘆の声がコノハから漏れる。
「……でも、問題はここからよ」
「え、どういうこと?」
「……魔法の鍵が、かかっているの」
 オルハが扉を押してみるが、動く気配はない。
「解錠の魔法を、使えばいいの……あ」
 コノハの声と同時に、全員の視線がルティスに集中した。
「血の封印」
「……そういうことです」

 オルハの声に応じ、ルティスが扉の側に立ち手のひらをかざしたその時だった。
〝ヴン……!〟という音とともに、扉全体が淡い光を放ち始めた。
 おお、とコノハが歓声をあげる中、ゴゴゴ……と先ほどまでびくともしなかった扉が開いていった。

「ルティスに反応して扉が開いた? やはりこの扉は師匠が言うように、血の封印とやらで封じられていたみたいだな」

 リンは呟きを落とし、同時にこう思った。ということはつまり、ルティスは封印を施した者たちと何らかの繋がりがあるということ。
 そんなリンの不安を他所に、数百年閉ざされ続けた扉が開いていく。それはまるで、ルティスの帰りを待ちわびていたかのように。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にざまぁされた王子のその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。 その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。 そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。 マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。 人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。

最低最悪の悪役令息に転生しましたが、神スキル構成を引き当てたので思うままに突き進みます! 〜何やら転生者の勇者から強いヘイトを買っている模様

コレゼン
ファンタジー
「おいおい、嘘だろ」  ある日、目が覚めて鏡を見ると俺はゲーム「ブレイス・オブ・ワールド」の公爵家三男の悪役令息グレイスに転生していた。  幸いにも「ブレイス・オブ・ワールド」は転生前にやりこんだゲームだった。  早速、どんなスキルを授かったのかとステータスを確認してみると―― 「超低確率の神スキル構成、コピースキルとスキル融合の組み合わせを神引きしてるじゃん!!」  やったね! この神スキル構成なら処刑エンドを回避して、かなり有利にゲーム世界を進めることができるはず。  一方で、別の転生者の勇者であり、元エリートで地方自治体の首長でもあったアルフレッドは、 「なんでモブキャラの悪役令息があんなに強力なスキルを複数持ってるんだ! しかも俺が目指してる国王エンドを邪魔するような行動ばかり取りやがって!!」  悪役令息のグレイスに対して日々不満を高まらせていた。  なんか俺、勇者のアルフレッドからものすごいヘイト買ってる?  でもまあ、勇者が最強なのは検証が進む前の攻略情報だから大丈夫っしょ。  というわけで、ゲーム知識と神スキル構成で思うままにこのゲーム世界を突き進んでいきます!

絶対婚約いたしません。させられました。案の定、婚約破棄されました

toyjoy11
ファンタジー
婚約破棄ものではあるのだけど、どちらかと言うと反乱もの。 残酷シーンが多く含まれます。 誰も高位貴族が婚約者になりたがらない第一王子と婚約者になったミルフィーユ・レモナンド侯爵令嬢。 両親に 「絶対アレと婚約しません。もしも、させるんでしたら、私は、クーデターを起こしてやります。」 と宣言した彼女は有言実行をするのだった。 一応、転生者ではあるものの元10歳児。チートはありません。 4/5 21時完結予定。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...