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イノセンシア国立学園高等部

デフォルト化

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校門からイヴァンの馬車で植物園へ向かう途中、向かいの席に腰かけたイヴァンは何も話さなかった。時折、こちらをちらちらと窺うものの、言葉が出てこないのか口をつぐんだままだ。
「……何か?」
「いや……。君の行動力に少しばかり驚いていた」
「緊急事態ですから」
特別に私が行動的なのではない、と思う。この人の中で、『普通』の貴族令嬢とは、何もせずに座っている綺麗なお人形のようなものなのだろうか。
「それほどまでに急を要するとは、一体何があった?」
緊急と聞いて、騎士の瞳に熱が灯る。自分がやらねばとでも思ったのか。別に、誘ったのは行きがかり上なんだけどね。
「植物園に行って、……引導を渡してこないといけないので」
「引導、か。それは穏やかではないな」
誰に、と訊かれる前に話を続ける。
「先ほど、ホアキン様と廊下でお会いした時、私は何者かに尾行されていました。イヴァン様が捕縛なさった者達を調べれば分かるかもしれませんが、おそらく雇い主の名を言う前に命を奪われるでしょう」
「奪われる?あの者達を捕らえた我々が拷問するとでも?」
一瞬、黒い看守服に身を包んだイヴァン様が鞭を持って笑う姿が脳裏に浮かび、似合いすぎるコスプレ姿に唇の端が上がりそうになる。妄想している場合ではない。
「いいえ。彼らが金で雇われたならまだ救いはありますが、もしかしたら凶悪な魔法にかけられているのではないかと思うのです」
「魔法か……グランディア王国で研究が進んでいると聞いたことがあるが、我が国には神力がある。魔導士に癒してもらえばいいのではないか」
「人を操る魔法は、癒しだけでは解けないかと」
ゲームの中で、メラニアは自分がヒロインであるのをいいことに、『人たらし』の術、つまり『魅了』の魔法を知らず知らずのうちに使っているのだろう。そうでなければ複数の攻略対象キャラが一人の少女に絶対服従するなんてありえない。私が会ったメラニアは、自分がヒロインだと分かって行動している。つまり、意図的に魅了の魔法を使っていると考えられる。経済的な後ろ盾が十分ではない中で、私を襲うゴロツキを雇う余裕はないだろう。あの男たちは多少なりと『魅了』の魔法にかけられていると思っていい。魔法のチート能力があればこの世界は思うがままだ。ゲームでは重要な要素だった能力値を上げなくても、攻略対象を魔法で魅了すればいい。逆ハーレムエンドは可能だ。最初に足掛かりとして、クラウディオが選ばれたのだとしたら……。
「魔法が解けたとしても、強い魔力にさらされた者には様々な悪影響が出ると本で読みました。最悪、命を落とすこともあるとか」
「魔法について、随分と知識を身に着けているようだな」
また私を疑っているのか、この人。
「確かに、あの者達が真実を語った瞬間、息絶える可能性もある。何らかの暗示にかかっているとすれば、頑なに口を割らないことも考えられる。……魔法は、どこで学んだ?」
図書室に入り浸ってても読書以外にすることがないから、この世界のことを調べたのよ。もっと前からしっかり勉強しておけばよかったと思った。メラニアが何をしようとしているか、乙女ゲームの知識だけで太刀打ちしようとしたのが誤りだった。校内の噂や、廊下に張られた試験の成績を見ても、多分、ヒロインのメラニアには、学力も運動もこれといったチート能力は授けられていない気がする。ゲームの舞台となる学校へ入るために、何らかの方法で自分を周囲に認めさせるには、『魅了』するのが手っ取り早い。本で読んだところでは、魔法研究が盛んなグランディア王国では、『魅了』の魔法は光魔法の一つとされていて、『神力』として光魔法のみを使うこの国でも習得は可能らしい。どうやってマスターしたかは知らないけどね。
「学校の図書室の本です。敵を知らなければ、対策も立てられませんもの」
「ああ。その通りだ」
ん?
ほんの少し温かみを持った声に顔を上げれば、イヴァンは怜悧な美貌を崩し、破壊力抜群の微笑を浮かべていた。カルロータ様が見たらきゃあきゃあと喜びそうだ。
「……何ですか?」
「勤勉なところが実に好ましいと思っただけだ」
「好ま……コホン」
微妙な空気な流れたところで、馬車が植物園の前に着いた。

   ◆◆◆

人目を気にしている余裕はない。
あのぼんやりクラウディオが、メラニアの手駒にされる前に見つけ出さなければ。
私はスカートを持ち上げて植物園の順路を走った。すれ違うのは恋人同士らしき男女ばかり。何度かぶつかりそうになり、軽く文句を言われた。

自分が危ないって分かってるの?
何度も注意しろって言ったのに!
「――っ、あのボケ!」
苛立って呟いた言葉に、少し遅れて私を追いかけてきたイヴァンが驚いた。令嬢らしくないから驚くのも無理はない。だけど、こんな時に令嬢らしくしてなんかいられない。

少し奥へ進むと、蔦の絡まる木の向こうに人影が見えた。葉の間から透けて見えるのは、珍しいピンクゴールドの髪だ。
――いた!!
角を曲がってメラニアのいる場所へと回り込む。
「ちょっと!何やっ……」
何やってるのよ、と言おうとして、言葉がつかえた。
ベンチの上に寝そべったクラウディオは、自分を押し倒すようにしているメラニアの頬を撫で、うっとりと彼女を見つめている。
――遅かった!?
優しい指先をそっと掴んで、メラニアはフッと笑いかけた後、視線をクラウディオから私に移した。
「あら?」
二人の世界を作っていて気づかなかったとでもいうつもり?
「行きましょう、クラウディオ様。あのお二人にこのベンチを譲って差し上げないと」
はあ?
二人って、と思ってふと見れば、隣には涼しい顔のイヴァンが立っている。息の上がった私とは大違いだ。
「ああ。そうだな。行こうか、メラニア」
クラウディオは私に視線一つ寄越さずに、起き上がってメラニアのピンクの髪を撫でた。
「……!」
青い瞳は暗く、生命の輝きが感じられない。
「クラウディオに何をしたの?」
声が震えた。
訳が分からない。私、動揺してる?
「モブの……部外者のあなたが知らなくてもいいことよ。ねえ、クラウディオ様?」
そこでやっと、クラウディオは私を見た。
視線が合った瞬間、音を立てた心臓が凍り付いた気がした。
「……ああ。そのリボンの色は中等部生か。悪いが、俺達は急いでいるんだ。失礼する」
俺?
今、俺って言った?
私を見ても顔色一つ変えなかった。お前は誰だって顔だった。
ゲームの中のクラウディオそのままに、無表情で冷たい言葉を投げつけてきた。
「嘘……」
去って行く二人の背中を見つめ、私は少しも動くことができなかった。

   ◆◆◆

イヴァンは私を家まで送り届けてくれた。
……と思う。
もう、何が何やら分からないうちに、気づけば朝になっていた。
制服のまま寝てしまったらしい。どれだけショックだったんだ、私。
何やってるんだろう……。
メラニアにあっさりとクラウディオを奪われ、捨てられたみじめな婚約者として好奇の噂に耐え、どこかのじいさんの再婚相手になるのかしら。
「……そんなの嫌!」
嫌だ。
全力で回避してきたのに、何なの!?
あの馬鹿、クラウディオの奴が、不用意にメラニアに近づくから……!
私には冷たい視線を寄越したくせに、メラニアを見る瞳はとんでもなく優しかった。
許せない。許せない許せない許せない!
イライラして枕を殴りつけていると、侍女が様子を見に入ってきた。
「起きていらっしゃったのですね、お嬢様」
「おはよう。今起きたところよ。……あら、手紙?」
「はい。昨日届いておりましたが、お嬢様は早くにお休みになられたので」
渡しそびれた、と。
受け取った手紙は、何の飾りもない白い封筒だった。見慣れた文字と封蝋に目が行く。
「……クラウディオね」
「はい。お嬢様がお休みになられた後、モンタネール公爵様が旦那様を訪ねておいでになり、何かご相談されていたようです。それで、お嬢様が起きていらっしゃるようなら、書斎へお連れするようにと。お話があるそうです」
家族が集まる居間が大好きなお父様が、わざわざ書斎に呼び出すなんて、一体何だろう。
……何となく脳裏をかすめる予感に頭を振り、私は廊下へ出た。
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