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イノセンシア国立学園高等部

スキャンダル?

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「はあ……」
自己嫌悪ってこういうことを言うのね。
メラニアや他の令嬢に目をつけられないように、図書室で一緒に過ごしてほしいと言われ、クラウディオの誘いを受けたのが失敗だった気がする。何だかんだで話もしたし、本の内容についてああだこうだ言いあうのも、昔に戻ったような錯覚に陥った。

あの頃は、うまくいっていた……よね?
彼に気に入られようと頑張っていたせいもあるかもしれない。でも、年上のクラウディオが教えてくれることは何でも興味深かったし、一緒にいるのも嫌……ではなかったと思う。時々変な態度をとる点を除いては。

今は猛烈に腹が立って仕方がない。
何なのよ、あいつ!
ひたすら枕を殴って、中身が少し漏れたのを見て我に返った。
何やってるのよ、私……。

   ◆◆◆

「俺は彼女と過ごしたいんだ。君に時間を割く気はない!」
私が止めるのも聞かず、クラウディオはメラニアにそう言った。自分が愛されると確信していたヒロインは、少なからず動揺したようで、
「そんな地味女、どこがいいのよ!」
と媚びるのも忘れて食ってかかった。
「どこが?……語りつくせないくらい素晴らしいよ」
ふっ、と笑ったクラウディオの横顔が忘れられない。それから五分、彼はマシンガントークで婚約者――つまり私――のいいところを挙げ連ねた。そうよ、忘れようもないじゃない。留学で身に着けた、フィリベール直伝の美辞麗句よ。全身が痒くなりそうでたまらず、
「いい加減にしてくださらない?」
と低くゆっくりと言ってやると、クラウディオははっと我に返った。
無意識であれだけ話せるなんてどれだけ……って、考えなくもなかった。彼の気持ちを否定しようとしていた自分に気づいて、簡単に次の言葉が出てこなかった。
「……ああ、すまない」
こちらを見て謝るクラウディオの頬がうっすらと赤く、それでいて寄越す視線には色気が滲んでいた。少し涙目になっていたわね。
「と、とにかく……俺は君と過ごすつもりはない。誰より大事な婚約者がいる」
「親の決めた相手なのに?」
メラニアが食い下がった。
「出会いの場を設けたのは双方の親の思惑だったとしても、ぼ……俺はあれが運命の出会いだと思っている」
運命?
ドキン。心臓がうるさく音を立てた。
そうだ。私は……。
乙女ゲームがどうのと自分の中で言い訳をして、クラウディオを一人の人間として見ていなかった。私達の出会いも、ヒロインと彼が出会うイベントの前段階の、取るに足らないできごとだと片付けていた。
「相手はそう思っていないかもしれないじゃない!」
「彼女にとって、ぼ……俺が運命の相手でなくても構わない。例え、永遠に俺の片想いだとしても、それが運命だから」
ぶつぶつとメラニアが呟いた。そんな相手がいるなんて知らないとか何とか。私も転生して初めて、クラウディオの婚約者の存在を知ったくらいだもの、知らなくて当然だわ。
でも。
何なのかしら。
さっきから動悸が止まらない。心臓が止まったら困るけど、やけにうるさいのよね。
「残念です……クラウディオ様」
やっと観念したのね。とっととお帰りいただいて……。
「分かってくれたか」
「ええ。やっぱり、クラウディオ様の運命の相手は私ですね」
「は……?」
「だって、あなたは私を好きになる運命なんですもの。筋書き通りにね」
メラニアはヒロイン然としてにっこり笑い、クラウディオの制服のネクタイをぐいっと引くと、驚いている彼の唇を奪った。

   ◆◆◆

「だから、あれほど言ったじゃない。あなたは迂闊すぎるって」
人気のない倉庫兼教材室に忍び込み、私はクラウディオをそこに呼び出した。
図書室でキスをされて茫然としていた彼に、
「二股なんて最低」
と言い残して去ったのは昨日のこと。
彼がどれだけ落ち込んで一晩を過ごしたかは、一目瞭然だった。翌朝目の下にクマを作ってきたクラウディオに、物陰から呼びかけて手招きをすると、ぱあっと彼の表情が輝いた。倉庫で私に説教されようが、とにかく嬉しいらしい。なんなの?ドMなの?
「私はあなたの婚約者のエレナではなくて、高等部の一般生徒なの。分かっているわよね?」
「うん。変装して……」
「そう、変装しているの。中等部の生徒が潜り込んでいるってバレたら、どんな処分を受けるか分からないのよ。なのにあなたは、あの場で『エレナ』について語って聞かせた。メラニアが私=エレナだって気づいてもおかしくなかったわ。敵に正体を知られたら、どれだけ危険か分かっているの?」
「ごめん……」
クラウディオは椅子に座って項垂れた。彼の前に仁王立ちになり、私は右足を踏み鳴らした。
「……!」
「いい?二度とあんな真似しないで」
「は、はい……」
「恥ずかしくて……嫌なの」
「ぅ、うん」
「それと、キスされるのもなしだから!」
二人のキスシーンを思い出すと、説明できないもやもやが心の中に広がる。胸を掻きむしりたい気持ちってこういうこと?
「ろくに言葉も交わさないうちから、キスされるって……」
「ごめんなさい。あれは僕がぼんやりしていたから」
「そうね。あなたがとんだ間抜けだって知らない中等部の生徒は、あなたがメラニアにキスしたって信じているけれどね」
「嘘!」
「嘘なんて言っていないわ。噂はいくらでも面白おかしく脚色されるものよ。公爵令息クラウディオは、留学先で愛人を作り子供までいるが、今度は学院内で遊び相手を物色している。図書室にいる初心な女子生徒を誑かそうとしていたが、別の遊び相手である平民出の伯爵令嬢に『婚約者にバラしてやる』と脅され、口封じに……文字通りね、キスをしたって」
「うわぁあああ」
クラウディオは頭を抱えて小さくなった。
「違う、違うのにぃいい」
「分かっているわよ。あなたには留学先で愛人を作る度胸なんて……」
「信じてほしい。お願いだよ」
半べそをかいて私の手を取り、クラウディオはキリッとした表情を浮かべた。
「正真正銘、僕の初めては君のも……ぶっ!」
「馬鹿!」
移動教室用に持っていた辞書が、彼の横っ面にクリティカルヒットした。掴まれた手を振り払い、私は呼吸を整えた。
「変な噂は噂で消すしかないわ」
「噂で?」
頬をさすりながらクラウディオが首を傾げた。
「幸い、あなたの不埒な噂はまだ爆発的に広まっていないわ。中等部で知っているのも、高等部に兄や姉がいる一部の生徒だけ。高等部の中で、それ以上のスキャンダルを起こせば……」
「待ってよ、エレナ。スキャンダルって、簡単には……」
青い瞳を揺らして彼は私を見つめた。

   ◆◆◆

「まさか、君が……」
王太子セレドニオ殿下は、したたかな微笑を浮かべて私を迎えた。
翌日の昼休み。
クラウディオから殿下の行き先を聞いていた私は、一般生徒のふりをして生徒会室を訪問した。アポなし、電撃訪問だ。
「折り入って、殿下にお願いしたいことがございます」
「ふうん。それは、ルカがいては言えないことかな」
「はい。できれば、一対一でお話ししたいのです」
殿下がルカに合図を送る。ルカは不満そうだ。
「殿下、いいんですか?名前を名乗りもしない奴に」
「いいんだよ。私は彼女が誰か分かっている。少し外してくれないか」

ルカが出て行った後、殿下は机に肘をつき、身を乗り出して私を見つめた。
「さあ。話してもらおうか、エレナ嬢」
入室した時から気づいていたのね。流石だわ。
「私は一度会った相手の顔は忘れないんだよ。変装していてもね」
ウィッグと眼鏡をはずし、私はセレドニオ殿下の美しすぎる顔を直視した。
「アレハンドリナ様のことです」
「アレハンドリナ……リエラ家の令嬢だね」
「殿下と同じ三年生ですよね」
「そうだね。彼女がどうしたのかな」
よし。
少しは興味を持ってくれたわ。
「クラウディオが留学した経緯はご存じですか?」
「少しね。イルデフォンソから聞いたよ」
「では、私がアレハンドリナ様と親しくできないこともご存じですね」
「公爵家の意向で、君達は文通すらできなくなったとか」
イルデフォンソはどこまで話したのだろう。アレハンドリナに近づくなとやんわり釘を刺しながら、殿下を牽制したに違いない。
「はい。アレハンドリナ……リナお姉様は、あの通り、少し普通の令嬢方とは違った視点をお持ちの方です。年齢の近いポルラス家のダフネ様が開かれたお茶会などにも参加されず、親しくしているご令嬢もいらっしゃいません」
「リエラ伯爵があまり外出させなかったようだしね。学院に通わせるのも相当渋ったそうだ。イルデフォンソ……アレセス侯爵の説得があったから通えているが。そうか、君はアレハンドリナが心配なんだね」
「はい。お姉様がお一人で、心細くていらっしゃるかと思うと……。イルデフォンソ様は二年生で、最近は殿下と行動を共にしていらっしゃるご様子。私は学年も違って、中等部に在籍する身ですから、話をすることもできないのです」
俯いて何度も瞬きをして見せる。王太子殿下がくすっと笑った気配がした。
「うん。分かったよ。私が彼女の友達になろう」
「本当に?ありがとうございます、殿下!」
「面白そうだしね。……彼女も、君も」
「?」
「いや、気にしないでくれ。部屋を出たらルカに声をかけてやって。今頃、ドアで聞き耳を立てているはずだからね」
私が一礼してドアを開けると、殿下が予言した通りにルカが転がり込んできた。私の前で立ち上がり、じっと目を見られた。
「あ、お前……もしかして……」
バレた!?
「ははーん。そうか。うんうん、そうだよなー。クラウディオが心配だもんな」
「勘違いしないでください!……失礼します」
少し強めにドアを閉め、殿下に無礼だったかと反省した。
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