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乙女ゲーム以前

祈り

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――僕はっ……、す、きなんだっ、……君がっ!

頭の中で何度もこだまする。
久しぶりに聞いた、クラウディオの声だった。
耳まで真っ赤になって、強弱を忘れたような大声で。
震えながら……叫んでいた。私に向かって。

眠れない夜は長かった。
枕の形を変えてみても、古典的に羊を数えてみても眠れない。
面と向かって好きだと言われたのは初めてだ。前世では告白したことはあっても、された経験はなかったから。
「……好き?」
私を好きなら、今までの態度は何なの?
言ってることとやってることが違いすぎて理解できないんですけど?
あー!腹立つ!
あんな奴のことで悩んで、眠れないなんて最悪。
しかも、告白も結局あいつの言い逃げだし。こっちの気持ちなんてお構いなしなのは平常運転ね。

転生者の王女殿下と繋がりができたのは嬉しい偶然だった。
『クラウディオの婚約者』でなければ王宮に呼ばれることもなかっただろうと思うと、複雑な気持ちになってくるけど。
「最推し、かあ……。うーん……」
王女殿下の言葉を思い出す。彼女ははっきりと、フィリベールが最押しだと言っていた。
そう言えば、私って誰が推しだったのかな。腹黒イルデフォンソは、顔が綺麗だけど絶対なしだと思う。筋肉フェチじゃないから、脳筋ニコラスも多分なし。じゃあ、やっぱりメインの王太子殿下?
「はあ……」
無意識に、クラウディオを外している自分がいる。目を背けてしまいたいのだ。
推しが王太子殿下だったら、殿下にはなかなか会えないから、前世の記憶に気づかずに過ごせたかもしれない。初めて出会った攻略対象がクラウディオだったから、私の記憶が鮮明に甦ったわけで……?
認めたくない。絶対、あり得ない。
仮に、前世でクラウディオを好きだったとしても、生身の彼は最低男だ。
今世は、絶対に好きじゃない。

――本当に、ないと言えるのかしら?外国まで婚約者を追って来るほど、彼を想っていると思っていたけれど……。

――時間は無限ではないの。大切なことが伝えられないまま、終わりが来ることだってあるのよ。

ミレイユ様の言葉が思い出された。
あれは誤解、……うん、誤解よね。
クラウディオを好きだったことなんてないし、この先も絶対に好きになんかならない。
幼い私が彼に嫌われないようにしていたのも、バッドエンドの先を恐れていたからだし。
好きじゃない。
慕っていたわけじゃない。
何度告白されたって、私はあんな奴を好きになったりしないんだから。

   ◆◆◆

翌日。
朝食の時間にフィリベールは姿を見せなかった。
ミレイユ様は急ぎの仕事があるらしく、私達が朝食を取る時間より随分早くにお邸を出たと聞いた。フィリベールと話をするなら今だ。
午前中の適当な時間を見計らって、暇つぶしの読書を終えたところで彼の部屋を訪ねることにした。いくらなんでも、もう起きているでしょう?

「キャー!」
え?悲鳴?
事件の予感がして身体が震えた。
私の横を従僕数名が走り抜けていく。彼らの行先は、私が目指すフィリベールの部屋だった。
「大変だ!閣下にお知らせせねば!」
「すぐに医師を呼べ!」
「王女殿下にも……」
がやがやと言い争う声が聞こえる。
十数名の使用人の間をくぐり抜け、最前列にいると思われる従僕の背中を押した。坊ちゃまが坊ちゃまがと言って泣いていた彼だ。
「エレナ様、来てはなりません」
「フィリベールに何が……?」
「坊ちゃまは……毒薬を呷られたようです。私が、坊ちゃまが倉庫を探していたと閣下にお伝えしに……ううっ、うう……」
震える声で告げ、従僕は声を上げて泣き出した。

   ◆◆◆

ノイムフェーダの『医師』とは、治癒魔法を使う魔導士だ。イノセンシアでは治癒魔法を使う者は限られ、皆神殿に仕える神官となっている。イルデフォンソの家系は、強力な治癒魔法を使う一族として有名だ。治癒魔法だけでなく攻撃魔法も使いそうだけど。
呼ばれた医師はかなりの高齢で、ベッドの脇に転がっていた薬瓶を拾い、字を読むのにも苦労していた。あれでは心もとない。解毒薬が正しく処方されるの?

フィリベールの姿をちらりと見たけれど、苦しそうにしていた。
王女を監禁する方向には行かず、彼は恋に悩んで自らを葬り去ろうとしたのだ。
状況をリセットしようと二階から飛び降りた私とは違う……はずよね?
彼と私の想いは全然違う。……絶望したのが同じだとしても。
解毒薬をすぐに飲めば、フィリベールは助かるのだと聞いた。裏を返せば、すぐに解毒薬が用意できなければ、彼の命はないということだ。薬瓶を見て顔を顰めていた老医師を思い出す。
「あれは……よくないわね」
フィリベールは倉庫を探していたと従僕は言った。毒薬は倉庫にあったのか。それなら……。

混乱している使用人達の目を盗み、私はあっさり倉庫に侵入した。
フィリベールが中を見た形跡がある薬品庫は、ガタつく取っ手を回すとすぐに開いた。こんなに管理が緩くていいのかしら?
「いっぱいありすぎて迷う……」
棚には数多くの『毒』と書かれた瓶が並ぶ。どういう『毒』なのか、瓶を見ても分からない。毒の数だけ解毒薬は常備するものだと思っていたのに、当てが外れたわ。解毒薬なんて一つもない。
「そうだわ!」
私は瓶の一つを手に取り、老医師に分析してもらうことにした。飲み干された瓶を眺めているより、少しでも手がかりが見つけられそうだ。

「毒は毒、中身を分析なんてできんなあ」
首をひねるだけの老人を前に、私の努力は無に帰した。
「どうにかできませんか?フィリベールを助けたいんです」
「うーん……しかしなあ……」
暖簾に腕押し的な会話を繰り広げていると、お邸の表玄関が騒がしくなった。きっとミレイユ様がお戻りになったのだ。当主の彼女なら、解毒薬の隠し場所も知っているはず。
玄関に向かって小走りに進む。……と、張りのある声がした。
「フィリベールのお部屋は何処ですの!すぐに案内なさい!」
髪を振り乱し、籠に大量の草を持ったシルヴェーヌ殿下がそこにいた。従僕を脅して、正面の階段を駆け上がり、二階へと上がってくる。ピンク色のドレスはスカートが泥にまみれている。彼女の後ろに数名の医師が続いた。踊り場ですれ違っても、殿下は私に気づかなかった。
それくらい必死なのだ。
どんなに冷たい態度を取っていても、彼を前にするとうまく話せなかったとしても、殿下は彼を想っているのだ。こうして、態度で示している。
「愛していますわ!フィリベール!死なないで!」
泣きそうな彼女の声が聞こえ、私はぎゅっと瞳を閉じて天に祈った。

王女殿下は可哀想なくらい必死だった。
大好きな人が死にかけているを目の当たりにして、酷く動揺したと思う。
……クラウディオは動揺なんてしていないと思う。
私が二階から飛び降りても、あいつは……。

「殿下!」
侍医がシルヴェーヌ殿下を呼ぶ声がした。
「殿下がお倒れになった。すぐに王宮へ……!」
家令が指示している。
……ああ、何てこと!
王女様の想いはフィリベールに届かなかったのか。
自分でも知らないうちに涙が流れた。雫が頬を伝うままにして、私は廊下に座り込んだ。
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