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学院編 9 王太子の誕生日
273 王太子は横暴な命令を下す
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【セドリック視点】
試験の結果が貼られた日、僕は職員室の前で嬉しさに震えた。
二年生の総合成績の一番上に僕の名前がある。入学以来、この場所を譲ったことはないが、今回ほど嬉しいと思ったことはなかった。
満点だ。
マリナからご褒美をもらえると思うと、自然に浮き足立ってしまう。軽くステップを踏んでしまい、生徒達から遠巻きにされた。
――いけない。王族は常に、民の手本となるべく……。
一年生の成績を目にして、引き締めかけた顔が緩んでしまう。一番上にあるマリナの名前を確認し、王太子と妃候補はお似合いだと言われるのを想像して息が荒くなる。
「殿下、お加減が優れないのですか?」
心配した一年生が声をかけてきた。
「いや、何でもないよ?ありがとう」
とりあえず礼を言う。彼がぱっと顔を赤らめて去って行ったのを見送り、再び掲示板に視線を戻す。
ドン。
「あ、ごめん。よく見てなかったから……」
「私の方こそ不注意でしたわ。申し訳ございません」
深々と頭を下げた女子生徒は、オレンジの髪に緑の瞳……アリッサの友達のフローラだった。
「フローラも見に来たの?」
「はい。今回はわたくし、かなり頑張りましたの」
「自信があるんだ?」
「もちろんですわ!」
彼女の視線の先を追い、再び一年生の成績を見る。一位のマリナ以外はどうでもよかったが、フローラはマリナの下に名前があった。
「二位じゃないか!すごいね。頑張った甲斐があったね」
「……」
「フローラ?」
ぼんやりと掲示を見ていたフローラは、はっと表情を明るくし、二年生の成績に軽く目をやった後、
「殿下は素晴らしいですわね。満点だなんて。お妃候補のマリナ様と揃って一位ですもの」
と胸に手を当てながら微笑んだ。
「ありがとう。そう言われるのが一番嬉しいよ」
「……あら、急がないと三時間目に遅れてしまいますわ。確かアスタシフォン語……遅れたら大目玉ですわね」
廊下の時計を見てフローラがそわそわする。
「僕もそろそろ戻るよ」
「御前失礼いたしますわ、殿下」
軽く礼をし、オレンジ色の髪を靡かせて廊下を走っていく。廊下を走らないマリナとは対照的だと思った。
教室に戻ろうかと一歩を踏み出した時、足の先に異物感がした。
「生徒手帳……?」
ぶつかった時に落としたのだろうか。フローラのものに違いないが、念のため開いて中を確認する。
――え……?
校則のページ、校舎の配置図が描かれているページを捲り、無地のページに差し掛かった時、僕は身体の内から来る震えが止まらなかった。
「な、んだ……これは?」
びっしりと書かれたそれは、入学した日から続く、誰かの行動記録のようだった。彼女自身の日記に代わるものかと思ったが、違う。王宮の晩餐会にはフローラは行っていないのだ。一時間目、二時間目、順を追って書かれた授業科目、二時間目と三時間目の間には、……二年一組に『行く』?『行く』と書くからには、二年一組にいる僕の記録ではないはずだ。
――まさか……。フローラが行動を追っている人物は……。
授業が始まるまで時間がないと分かってはいたが、僕は三年一組の教室へ急いだ。
◆◆◆
「レイモンド様ぁ、アイリーンね、今日はお菓子を持ってきたんですぅ」
レイモンドの膝に座り、あーん、と言いながらクッキーを差し出すアイリーンは、作られたような胡散臭い微笑を向けていた。かいがいしく口の端についたかすを指で拭うと、
「ここにもあったか」
とレイモンドが口に含んだ。
「きゃっ、んもぉ、レイモンド様ったら」
長い舌先でアイリーンの指を舐め、レイモンドは満足そうだ。
「甘いな」
三年一組のクラスメイトは、レイモンドの豹変ぶりになすすべがなかったようで、僕の姿を見つけると、数名の生徒が慌てふためいて駆け寄ってきた。
「殿下、あれを!一昨日から変なんです」
「変?」
「シェリンズ嬢にベタベタされても適当に流していたのに、今では受け入れているどころか、自分から積極的に求めているんですよ?変ですよ、変に決まってます!」
彼の背中越しに、そっとレイモンドとアイリーンの様子を窺う。鉄面皮と呼ばれるレイモンドが、まるでアリッサを見る時のように蕩けた顔でアイリーンを見ている。
――あんな顔、初めてみたな。
「ね?アリッサさんとも人前ではベタベタしていなかったんですよ?なのに、何なんです?あの女」
「アイリーンは毎日来ているの?」
魔法で魅了されたのなら、効果が切れる前にかけ直そうとするはずだ。毎日一緒にいれば、その機会はいくらでもある。
「はい。……昨日、見るに見かねて、ハロルドが注意したんですよ。ここだけの話、あのレイモンドに対等に渡り合えるのは、うちのクラスじゃハロルドだけなんです」
「それでも聞き入れなかった?」
「逆上して怒り出す始末でしたよ」
「ハロルドにとっては、妹の婚約者でしょう?許せないと思ったのか、あいつにしては強い調子で叱ったんです」
「そうしたらまあ、『侯爵家の養子風情が、将来の宰相たるこの俺に、よくも意見できたものだな』とか言って……」
「ハーリオン家とは金輪際関わらないと宣言したんです!」
一つ頷いて、僕は教室の中を見た。相変わらず、レイモンドはアイリーンからクッキーを食べさせられている。
――仕方ない。あいつの目を覚まさせるには、これしかない。
「レイモンド!」
こちらに注目するように大きな声で彼に呼びかける。
咥えていたクッキーを口に押し込み、アイリーンを膝から下ろすと、レイモンドは僕に向かって歩いてきた。
「何だ、セドリック」
「レイモンド・オードファン。寮の部屋で謹慎しろ!」
「いきなり何を言い出すんだ?」
「理由は……言いたくないけど、とにかく、謹慎だ!」
「納得できない」
「これは命令だ。……ぼ、僕の命令に背くつもりか?王子としての命令だぞ!」
レイモンドに命令したのなんて、生まれて初めてじゃないか?『お願い』なら聞いてやると言われて、すっかり彼のペースだったから。
言い切ると少しすっきりした。レイモンドの向こう側、僕の視界に入る位置で、皆が僕を応援している。
「……横暴だな」
「後でコーノック先生に言って、部屋に結界を張らせてもらうからな。転移しようとしても無駄だぞ」
レイモンドの隣でアイリーンが小さく舌打ちをしたように見えた。
そうだ。僕は間違っていない。
レイモンドの目を覚まさせてやれるのは、親友で、未来の主君でもある僕しかいない。
「自分から部屋に行かないのなら、王宮から近衛騎士団を呼んででも……」
「いい。分かった。事を荒立てるのは俺の趣味じゃないんでな」
僕の横をすり抜けて、レイモンドは教室を出て行った。こちらを振り返らず、頭の横に手を挙げ、気怠そうにひらひらさせて。
視線を感じて教室の中央を見る。
アイリーンが僕を鬼のような形相で睨んでいた。
「どうしたのかな?」
「セドリック殿下も無粋なことをなさいますのね?私とレイモンド様が仲良くしていたから、嫉妬なさったのかしら?」
「ああ、嫉妬したよ?」
僕は作り物の笑顔に、作り物の笑顔で返す。
「レイモンドと一番仲がいいのは僕だからね。やすやすと君に奪われるのは我慢がならないんだよ」
「強がらなくてもよろしいのですよ?殿下。もうすぐあなたも、私の手からクッキーを強請るようになりますわ」
くすっと笑って、アイリーンはスカートを翻し、僕の前からいなくなった。
二人がいなくなった教室で、僕は三年生の生徒に事情を訊いた。スヴェート伯爵家の三男か四男だったかな。兄弟が多くて名前が思い出せない。彼の説明は要領を得なくて細かいことは分からなかったが、ここ数日、僕達が仲違いしている間に、アイリーンは毎日レイモンドのところへ来ていた。必ず手作りのお菓子を持参したそうだ。
「僕はこのクッキーが怪しいと思うんですよね。昨日はマフィンだったかなあ?きっと変な薬でも入ってるんじゃないかと。そうでもなかったら、あのレイモンドがあんな女に骨抜きになるなんてあり得ませんよ」
「随分な言われようだね」
彼と話していると、別の女子生徒が話に加わってきた。子爵令嬢だったような気がするけれど、名前が分からない。マリナしか目に入らないから、僕は令嬢の名前を覚えるのが苦手だ。
「あの一年生、顔はそこそこ綺麗ですけど、中身はさっぱり。話してみれば分かります。婚約者のアリッサ嬢を差し置いて、あんなのを傍に置くなんて信じられません」
「アリッサは来ていない?」
「教室にはいらっしゃいません。そう言えばこのところ、お二人でいるところも見かけませんわねえ」
アイリーンが置いて行ったクッキーをハンカチに包み、時計を一睨みすると僕は自分の教室に戻った。
試験の結果が貼られた日、僕は職員室の前で嬉しさに震えた。
二年生の総合成績の一番上に僕の名前がある。入学以来、この場所を譲ったことはないが、今回ほど嬉しいと思ったことはなかった。
満点だ。
マリナからご褒美をもらえると思うと、自然に浮き足立ってしまう。軽くステップを踏んでしまい、生徒達から遠巻きにされた。
――いけない。王族は常に、民の手本となるべく……。
一年生の成績を目にして、引き締めかけた顔が緩んでしまう。一番上にあるマリナの名前を確認し、王太子と妃候補はお似合いだと言われるのを想像して息が荒くなる。
「殿下、お加減が優れないのですか?」
心配した一年生が声をかけてきた。
「いや、何でもないよ?ありがとう」
とりあえず礼を言う。彼がぱっと顔を赤らめて去って行ったのを見送り、再び掲示板に視線を戻す。
ドン。
「あ、ごめん。よく見てなかったから……」
「私の方こそ不注意でしたわ。申し訳ございません」
深々と頭を下げた女子生徒は、オレンジの髪に緑の瞳……アリッサの友達のフローラだった。
「フローラも見に来たの?」
「はい。今回はわたくし、かなり頑張りましたの」
「自信があるんだ?」
「もちろんですわ!」
彼女の視線の先を追い、再び一年生の成績を見る。一位のマリナ以外はどうでもよかったが、フローラはマリナの下に名前があった。
「二位じゃないか!すごいね。頑張った甲斐があったね」
「……」
「フローラ?」
ぼんやりと掲示を見ていたフローラは、はっと表情を明るくし、二年生の成績に軽く目をやった後、
「殿下は素晴らしいですわね。満点だなんて。お妃候補のマリナ様と揃って一位ですもの」
と胸に手を当てながら微笑んだ。
「ありがとう。そう言われるのが一番嬉しいよ」
「……あら、急がないと三時間目に遅れてしまいますわ。確かアスタシフォン語……遅れたら大目玉ですわね」
廊下の時計を見てフローラがそわそわする。
「僕もそろそろ戻るよ」
「御前失礼いたしますわ、殿下」
軽く礼をし、オレンジ色の髪を靡かせて廊下を走っていく。廊下を走らないマリナとは対照的だと思った。
教室に戻ろうかと一歩を踏み出した時、足の先に異物感がした。
「生徒手帳……?」
ぶつかった時に落としたのだろうか。フローラのものに違いないが、念のため開いて中を確認する。
――え……?
校則のページ、校舎の配置図が描かれているページを捲り、無地のページに差し掛かった時、僕は身体の内から来る震えが止まらなかった。
「な、んだ……これは?」
びっしりと書かれたそれは、入学した日から続く、誰かの行動記録のようだった。彼女自身の日記に代わるものかと思ったが、違う。王宮の晩餐会にはフローラは行っていないのだ。一時間目、二時間目、順を追って書かれた授業科目、二時間目と三時間目の間には、……二年一組に『行く』?『行く』と書くからには、二年一組にいる僕の記録ではないはずだ。
――まさか……。フローラが行動を追っている人物は……。
授業が始まるまで時間がないと分かってはいたが、僕は三年一組の教室へ急いだ。
◆◆◆
「レイモンド様ぁ、アイリーンね、今日はお菓子を持ってきたんですぅ」
レイモンドの膝に座り、あーん、と言いながらクッキーを差し出すアイリーンは、作られたような胡散臭い微笑を向けていた。かいがいしく口の端についたかすを指で拭うと、
「ここにもあったか」
とレイモンドが口に含んだ。
「きゃっ、んもぉ、レイモンド様ったら」
長い舌先でアイリーンの指を舐め、レイモンドは満足そうだ。
「甘いな」
三年一組のクラスメイトは、レイモンドの豹変ぶりになすすべがなかったようで、僕の姿を見つけると、数名の生徒が慌てふためいて駆け寄ってきた。
「殿下、あれを!一昨日から変なんです」
「変?」
「シェリンズ嬢にベタベタされても適当に流していたのに、今では受け入れているどころか、自分から積極的に求めているんですよ?変ですよ、変に決まってます!」
彼の背中越しに、そっとレイモンドとアイリーンの様子を窺う。鉄面皮と呼ばれるレイモンドが、まるでアリッサを見る時のように蕩けた顔でアイリーンを見ている。
――あんな顔、初めてみたな。
「ね?アリッサさんとも人前ではベタベタしていなかったんですよ?なのに、何なんです?あの女」
「アイリーンは毎日来ているの?」
魔法で魅了されたのなら、効果が切れる前にかけ直そうとするはずだ。毎日一緒にいれば、その機会はいくらでもある。
「はい。……昨日、見るに見かねて、ハロルドが注意したんですよ。ここだけの話、あのレイモンドに対等に渡り合えるのは、うちのクラスじゃハロルドだけなんです」
「それでも聞き入れなかった?」
「逆上して怒り出す始末でしたよ」
「ハロルドにとっては、妹の婚約者でしょう?許せないと思ったのか、あいつにしては強い調子で叱ったんです」
「そうしたらまあ、『侯爵家の養子風情が、将来の宰相たるこの俺に、よくも意見できたものだな』とか言って……」
「ハーリオン家とは金輪際関わらないと宣言したんです!」
一つ頷いて、僕は教室の中を見た。相変わらず、レイモンドはアイリーンからクッキーを食べさせられている。
――仕方ない。あいつの目を覚まさせるには、これしかない。
「レイモンド!」
こちらに注目するように大きな声で彼に呼びかける。
咥えていたクッキーを口に押し込み、アイリーンを膝から下ろすと、レイモンドは僕に向かって歩いてきた。
「何だ、セドリック」
「レイモンド・オードファン。寮の部屋で謹慎しろ!」
「いきなり何を言い出すんだ?」
「理由は……言いたくないけど、とにかく、謹慎だ!」
「納得できない」
「これは命令だ。……ぼ、僕の命令に背くつもりか?王子としての命令だぞ!」
レイモンドに命令したのなんて、生まれて初めてじゃないか?『お願い』なら聞いてやると言われて、すっかり彼のペースだったから。
言い切ると少しすっきりした。レイモンドの向こう側、僕の視界に入る位置で、皆が僕を応援している。
「……横暴だな」
「後でコーノック先生に言って、部屋に結界を張らせてもらうからな。転移しようとしても無駄だぞ」
レイモンドの隣でアイリーンが小さく舌打ちをしたように見えた。
そうだ。僕は間違っていない。
レイモンドの目を覚まさせてやれるのは、親友で、未来の主君でもある僕しかいない。
「自分から部屋に行かないのなら、王宮から近衛騎士団を呼んででも……」
「いい。分かった。事を荒立てるのは俺の趣味じゃないんでな」
僕の横をすり抜けて、レイモンドは教室を出て行った。こちらを振り返らず、頭の横に手を挙げ、気怠そうにひらひらさせて。
視線を感じて教室の中央を見る。
アイリーンが僕を鬼のような形相で睨んでいた。
「どうしたのかな?」
「セドリック殿下も無粋なことをなさいますのね?私とレイモンド様が仲良くしていたから、嫉妬なさったのかしら?」
「ああ、嫉妬したよ?」
僕は作り物の笑顔に、作り物の笑顔で返す。
「レイモンドと一番仲がいいのは僕だからね。やすやすと君に奪われるのは我慢がならないんだよ」
「強がらなくてもよろしいのですよ?殿下。もうすぐあなたも、私の手からクッキーを強請るようになりますわ」
くすっと笑って、アイリーンはスカートを翻し、僕の前からいなくなった。
二人がいなくなった教室で、僕は三年生の生徒に事情を訊いた。スヴェート伯爵家の三男か四男だったかな。兄弟が多くて名前が思い出せない。彼の説明は要領を得なくて細かいことは分からなかったが、ここ数日、僕達が仲違いしている間に、アイリーンは毎日レイモンドのところへ来ていた。必ず手作りのお菓子を持参したそうだ。
「僕はこのクッキーが怪しいと思うんですよね。昨日はマフィンだったかなあ?きっと変な薬でも入ってるんじゃないかと。そうでもなかったら、あのレイモンドがあんな女に骨抜きになるなんてあり得ませんよ」
「随分な言われようだね」
彼と話していると、別の女子生徒が話に加わってきた。子爵令嬢だったような気がするけれど、名前が分からない。マリナしか目に入らないから、僕は令嬢の名前を覚えるのが苦手だ。
「あの一年生、顔はそこそこ綺麗ですけど、中身はさっぱり。話してみれば分かります。婚約者のアリッサ嬢を差し置いて、あんなのを傍に置くなんて信じられません」
「アリッサは来ていない?」
「教室にはいらっしゃいません。そう言えばこのところ、お二人でいるところも見かけませんわねえ」
アイリーンが置いて行ったクッキーをハンカチに包み、時計を一睨みすると僕は自分の教室に戻った。
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