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ゲーム開始前 4 グランディア怪異譚?

59 悪役令嬢と魔性の囁き

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首筋に息がかかる。くすぐったい。
ちらりと横目で見れば、マシューは恍惚の表情でエミリーの銀髪に顔を埋めている。
――二人きりになった途端これなの?この間は普通……でもなかったけど、もう少しライトな変態だったのに。
「人を呼ぶわよ。十二歳の少女に手を出している変態男がいるって」
「そっちが俺の部屋に飛んできたんだろうが」
ええい。耳元で喚くな、うるさい。低い声が耳をくすぐる。エミリーが好きな声優さんボイスだ。ゲームも面倒だったし、エンディングはいつも魔王しか出なかったし、いい思い出はなかったけれど、この声だけは好きだ。
――邪険にしたくてもできない!ああ、もう!
「単なる転移ミスよ。王宮の瘴気にやられて……」
「瘴気?」
マシューがはっとして腕の力を緩める。エミリーは彼の方を向いて足の間に座る格好になる。
「倉庫の中に、すごく嫌な魔法の気配がした」
「そんな危ない物が王宮に?」
「嘘だと思うの?お兄さんに言って、自分で確かめてみればいいわ」
「何故兄に」
「王宮の結界は宮廷魔導士でなければ破れないんでしょ?」
「いや。あれは、能力があれば破れる」
何だって?
「お前も、ここまで一人で来ただろう?」
言われてみればそうだ。王宮に入る時はコーノック先生と一緒だったが、出るときは必死だったから……私、一人で出られた?
てことは、最初から先生を誘わなくてもよかったのか。
「瘴気の原因を確認しに行くから、お前も来い」
「断る」
確認するのも嫌だし、マシューと行動を共にするのもいただけない。
「あのな……自分から言い出したんだろう」
「確かめてみればいい。ただし、一人で」
エミリーは今度こそ転移魔法で部屋から脱出しようとした。
――手を放せ。また無効化したな。この魔王が!
黒い目を細めてマシューはふっと笑った。
ドキン。
ああ、この顔、見たことあるな。
既視感からかエミリーの胸が高鳴る。やはり彼は乙女ゲームの攻略対象者なのだ。
中身は変態でも見た目だけは最高だ。
「……前から思っていたが、お前の魔法の気配は心地いいな」
「は?何の話?」
いきなり話題を変えてきた。これだから不思議ちゃんは……。
「俺は魔力を感じる時、触っているような感じがするんだ。お前の魔力は絹かベルベット。触り心地がいい」
「……どうも」
褒められているのか?一応、そうなんだろう。
「お前はどう思う?俺の魔力はすべすべしているのか、ざらざらしているのか?自分では分からないからな」
「私はあなたの魔力を触っていない。魔力は匂いで分かる」
「匂い?」
「あなたの匂いは、シトラスミントの香り」
「しとらすみんと?」
「ああ、えっと……コクルルとエヴォムを足したような、すっきりする匂いよ」
「悪くないってことか」
「そう。……王宮の倉庫は、生ごみのにおいだった」
エミリーは顔を顰めた。吐き気を催すあのにおいが蘇る。
「俺が行ったら、どんな風に感じることやら」
「針に刺されるような不快感でしょ」
「……遠慮したいが」
眉間に指を当てて俯く。無表情な彼が嫌そうな顔をするなんて。
「私では太刀打ちできなかった。だけどあなたなら、発生源を除去できる」
強い視線を送れば、マシューは深く頷いた。
「それは俺への挑戦と受け取っていいんだろうな」
「勿論。やれるものならやってみなさい」
ふふん、とエミリーは笑った。自分も負けたあの瘴気に勝てるわけがない。必死に転移して逃げるに違いない。
「少しは私の気持ちが分かる」
「そうか。では、撤退する時は、転移先はお前のベッドか」
マシューはまた、ふっと瞳を細めた。
「うちに来るのは却下」
冗談きついわ。これ以上この人と仲良くなってたまるか。
そんな優しい瞳で見ないでよ。
ヒロインに失恋して魔王になるくせに。その魔力で、悪役令嬢を、私を殺すくせに。
「……一緒に来い」
マシューがまた耳から媚薬を注ぎ込む。身体の芯が震え、心臓がドクリと脈打つ。
迷惑そうに睨み付けるエミリーの腰に手を回し、マシューは転移魔法を発動させた。

   ◆◆◆

「マリナ、どこ行ったんだろ……」
叩かれて赤くなった頬をそのままに、ジュリアは王宮の廊下を歩いていた。
セドリック殿下の「お付き」であるアレックスには、殿下の傍にいてもらうことにし、一人で姉を捜し歩く。
「王宮にはよく来ているから、迷うわけはないんだけどなあ」
以前廊下を走って怒られたことがあり、駆け足になる寸前の競歩のようなスピードで歩きながら、キョロキョロと辺りを見る。
「お父様のところかな」
四姉妹の父は王立博物館の館長である。王宮に部屋を持つ必要はないのだが、王の計らいで部屋を賜り、日常生活の相談役となっていた。一部の貴族にはよく思われていないのだが。
「東側、だよね。こっちが南、だから……」
窓の外は暗い。夕方までまだ時間はあるが、分厚い雨雲に遮られ日差しが届かない。明るく暖かな回廊も、冴え冴えとした空気が漂う。
「うわ、ホントにオバケが出そう……やだな」
殿下を放置して、アレックスを連れて来ればよかったとジュリアは悔やんだ。彼とばかばかしい話をしていれば、恐怖感など微塵も感じなかった。少しだけ踵が高いブーツの足音が硬質の床から響く。白い廊下はずっと向こうまで続いている。あまり使われていないらしく、どの部屋も扉が固く閉ざされている。
「こんなとこ来ないよねえ……ん?」
何か、青色の物が落ちている。
――あれは!
脇目も振らずに走り、それを手に取る。
じっとりと湿り気を帯びたそれは、泥にまみれたマリナのリボンだった。
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