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学院編 14
558 悪役令嬢は闇に包まれる
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中央神殿の奥、普段は神官たちが古代文字で書かれた文献を研究している一室に、反乱軍の司令部と呼べる場所はあった。神殿の広い敷地を囲む塀に配置された兵の一人が、野心を抱いて伝令役を買って出たのか、妙に緊張した面持ちで部屋のドアをノックした。
「……至急、お伝えしたいことがございます」
数秒待って、部屋のドアが開く。
そこにいたのは、反乱軍の本部には場違いな執事だった。兵士は一瞬面食らって目を見開き、視線だけで部屋の主を探す。窓の方を向いて椅子に座っている人影が見えた。
「くだらない用件なら……」
「い、いいえ!神殿の入口に、お、おお、お客様がっ……」
反乱軍の首魁はただならない雰囲気を持ち、兵士の口を自然と重くした。
「客?」
「はいっ!妹君と、王立学院のお、お友達とか……水色の髪の」
「いかがいたしましょうか」
執事が溜息交じりに伺いを立てる。
「妹、とは?」
「あっ、アリッサ様と」
「アリッサ……。分かった。二人を中に入れろ。指示があるまで控室から出すな」
兵士は深々と頭を下げて、きびきびした動きで部屋を出て行った。
「三女のアリッサと、同行者はおそらくオードファン家のレイモンドだ。利用価値はある。この反乱軍に『ハーリオン』を引きこみ、宰相を脅す手札ができたのだからな」
「お会いにはなられないのですね?」
「当然だ。あの二人はハロルドを知っている。貴族の顔を知らない連中とはわけが違う」
窓辺の椅子から立ち上がり、反乱軍の首魁は緩く波打つ金髪を掻き上げた。
◆◆◆
「……宿がここしかないって、信じたくない」
寝ればダニに刺されそうなベッドを渋い顔で見つめ、エミリーは部屋の中央に立ち尽くしていた。部屋の中には自分とキースの二人だけ。年頃の未婚の男女が同じ部屋に泊まることも問題だし、部屋にベッドが一つしかないのも問題だが、部屋の質に最も問題があった。リリー達が整えてくれるハーリオン家の寝室や寮の部屋とは異なり、マットレスとも呼べないようなものが敷かれたベッドは清潔感がない。従僕のバリーは馬の世話をしながら厩舎に泊まると言っていた。いっそ、彼と交代して馬車で寝ればいいのではないかと思う。
「すみません、エミリーさん。でも、他に宿屋はなくて」
「……知ってる。こんな宿しかないのは諦める。……私、椅子で寝るから。ベッドはキースが使って」
「だ、ダメです!女性をそんな窮屈な椅子で寝かせるなんて!全然休めませんよ?」
そういうレディファーストは要らないと、エミリーが舌打ちをしたとき、キースは唾を呑みこんで彼女に近づいた。
「どうしても休まないというなら、強制的に寝かせるだけです!」
「は?」
「し、失礼します!」
エミリーの膝裏をすくい、体勢を崩したところを『お姫様抱っこ』で持ち上げた。非力なキースの腕では支えきれないが、歯を食いしばって持ち上げた。
「ちょ……!」
「おとなしく、運ばれて……うわぁ!」
ドサッ!
――!!
エミリーが衝撃に目を閉じ、身体の上に重みを感じて恐る恐る目を開ける。腹の上にキースの上半身が乗っている。
「重い」
「わ、す、すみま……ぐっ……」
「?」
突然キースの声が聞こえなくなり、力なく倒れ込んだかと思うと、勢いよく床に弾き飛ばされる。
「……な、な……?」
強烈なミントの匂いが立ち込める。辺りが紫色の靄に包まれ、エミリーの視界が闇に覆われた。
――まさか……!
この濃厚な魔法の気配は、彼しかいない。
「……マシュー?」
その名を呟くと、頬に何かが触れた。優しく撫でる指先か。
「マシューなの?……真っ暗で、何も見えない……」
「俺を見つめない瞳なら、見えなくてもいいだろう?」
頭の中に響いてくる声は、耳から聞こえているのか、どこから響いているのか分からない。未知の体験にエミリーは恐怖を覚えた。闇に覆われているように感じているのも、マシューが視力を奪ったからなのだろうか。
「嫌……どうして……」
「お前は俺と来るんだ。行かないと……そこに転がっている男を選ぶと言うなら、俺は全てを破壊する」
――何てことを!魔王そのものだわ。でも……。
「……逃げるの?」
「脱獄したらどこまでも追われるのは分かっている。グランディアを出るつもりだ」
二人の間に沈黙が流れた。その間も、エミリーの頬を優しい指先が撫でていく。
「私は……行かない」
「……そうか」
触れていた温もりが離れる気配がして、エミリーは咄嗟にマシューの手を掴んだ。
「放せ!」
「私は逃げない。何も悪くないのに、逃げる必要なんてない。正々堂々と生きて、天寿を全うしてみせる」
「魔力が高い者の寿命が長いことは知っているだろう?お前とあいつが幸せに生涯を終えるのを見せられて、生き残った俺は気が狂うだろう。世界が破滅するのが遅いか早いかの違いだ。だから……」
勢いよく腕を引き、上体を傾けたマシューの首に手探りで抱きつくと、彼が息を呑む音が聞こえた。
「勝手なこと言わないで。私だって長生きするんだから。……あなたの隣で」
首筋から顎へ、顎から唇へ。鼻先で彼をなぞると、周りの魔力の気配が濃くなった。
「……勝手に自爆して、棄権なんてさせてあげない」
「……っ」
「……死ぬまでつきあってもらうから。覚悟して」
人形のように無表情な顔を赤らめ、唇で触れるだけのキスをすると、マシューの腕がゆっくりとエミリーを包んだ。
「……至急、お伝えしたいことがございます」
数秒待って、部屋のドアが開く。
そこにいたのは、反乱軍の本部には場違いな執事だった。兵士は一瞬面食らって目を見開き、視線だけで部屋の主を探す。窓の方を向いて椅子に座っている人影が見えた。
「くだらない用件なら……」
「い、いいえ!神殿の入口に、お、おお、お客様がっ……」
反乱軍の首魁はただならない雰囲気を持ち、兵士の口を自然と重くした。
「客?」
「はいっ!妹君と、王立学院のお、お友達とか……水色の髪の」
「いかがいたしましょうか」
執事が溜息交じりに伺いを立てる。
「妹、とは?」
「あっ、アリッサ様と」
「アリッサ……。分かった。二人を中に入れろ。指示があるまで控室から出すな」
兵士は深々と頭を下げて、きびきびした動きで部屋を出て行った。
「三女のアリッサと、同行者はおそらくオードファン家のレイモンドだ。利用価値はある。この反乱軍に『ハーリオン』を引きこみ、宰相を脅す手札ができたのだからな」
「お会いにはなられないのですね?」
「当然だ。あの二人はハロルドを知っている。貴族の顔を知らない連中とはわけが違う」
窓辺の椅子から立ち上がり、反乱軍の首魁は緩く波打つ金髪を掻き上げた。
◆◆◆
「……宿がここしかないって、信じたくない」
寝ればダニに刺されそうなベッドを渋い顔で見つめ、エミリーは部屋の中央に立ち尽くしていた。部屋の中には自分とキースの二人だけ。年頃の未婚の男女が同じ部屋に泊まることも問題だし、部屋にベッドが一つしかないのも問題だが、部屋の質に最も問題があった。リリー達が整えてくれるハーリオン家の寝室や寮の部屋とは異なり、マットレスとも呼べないようなものが敷かれたベッドは清潔感がない。従僕のバリーは馬の世話をしながら厩舎に泊まると言っていた。いっそ、彼と交代して馬車で寝ればいいのではないかと思う。
「すみません、エミリーさん。でも、他に宿屋はなくて」
「……知ってる。こんな宿しかないのは諦める。……私、椅子で寝るから。ベッドはキースが使って」
「だ、ダメです!女性をそんな窮屈な椅子で寝かせるなんて!全然休めませんよ?」
そういうレディファーストは要らないと、エミリーが舌打ちをしたとき、キースは唾を呑みこんで彼女に近づいた。
「どうしても休まないというなら、強制的に寝かせるだけです!」
「は?」
「し、失礼します!」
エミリーの膝裏をすくい、体勢を崩したところを『お姫様抱っこ』で持ち上げた。非力なキースの腕では支えきれないが、歯を食いしばって持ち上げた。
「ちょ……!」
「おとなしく、運ばれて……うわぁ!」
ドサッ!
――!!
エミリーが衝撃に目を閉じ、身体の上に重みを感じて恐る恐る目を開ける。腹の上にキースの上半身が乗っている。
「重い」
「わ、す、すみま……ぐっ……」
「?」
突然キースの声が聞こえなくなり、力なく倒れ込んだかと思うと、勢いよく床に弾き飛ばされる。
「……な、な……?」
強烈なミントの匂いが立ち込める。辺りが紫色の靄に包まれ、エミリーの視界が闇に覆われた。
――まさか……!
この濃厚な魔法の気配は、彼しかいない。
「……マシュー?」
その名を呟くと、頬に何かが触れた。優しく撫でる指先か。
「マシューなの?……真っ暗で、何も見えない……」
「俺を見つめない瞳なら、見えなくてもいいだろう?」
頭の中に響いてくる声は、耳から聞こえているのか、どこから響いているのか分からない。未知の体験にエミリーは恐怖を覚えた。闇に覆われているように感じているのも、マシューが視力を奪ったからなのだろうか。
「嫌……どうして……」
「お前は俺と来るんだ。行かないと……そこに転がっている男を選ぶと言うなら、俺は全てを破壊する」
――何てことを!魔王そのものだわ。でも……。
「……逃げるの?」
「脱獄したらどこまでも追われるのは分かっている。グランディアを出るつもりだ」
二人の間に沈黙が流れた。その間も、エミリーの頬を優しい指先が撫でていく。
「私は……行かない」
「……そうか」
触れていた温もりが離れる気配がして、エミリーは咄嗟にマシューの手を掴んだ。
「放せ!」
「私は逃げない。何も悪くないのに、逃げる必要なんてない。正々堂々と生きて、天寿を全うしてみせる」
「魔力が高い者の寿命が長いことは知っているだろう?お前とあいつが幸せに生涯を終えるのを見せられて、生き残った俺は気が狂うだろう。世界が破滅するのが遅いか早いかの違いだ。だから……」
勢いよく腕を引き、上体を傾けたマシューの首に手探りで抱きつくと、彼が息を呑む音が聞こえた。
「勝手なこと言わないで。私だって長生きするんだから。……あなたの隣で」
首筋から顎へ、顎から唇へ。鼻先で彼をなぞると、周りの魔力の気配が濃くなった。
「……勝手に自爆して、棄権なんてさせてあげない」
「……っ」
「……死ぬまでつきあってもらうから。覚悟して」
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