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学院編 14
553 悪役令嬢は使用人の心構えを説く
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エスティアの領主館に着いたマリナ達は、領主一家の来訪を心待ちにしていた町の人々から歓迎を受けた。三人は旅支度を解いて居間に入り、建物の中が居心地のいい空間に整えられていると感じた。
「初めてお目にかかる者もおりますので、私の方から紹介させていただけませんでしょうか」
若い執事が頭を下げた。彼の後ろには数名の使用人が緊張した面持ちで並んでいる。
ジョンの指示で使用人が一新され、執事と侍女三名、庭師兼従僕三名で領主館を管理することとなり、従僕達は引退を目前にしている高齢の庭師から指導を受けているという。
「私達がこちらに来ていることは内密にお願いしたいわ。皆、領主館で仕事を始めて間もないでしょうけれど、お邸の中のことは他で話してはいけないのよ」
「はい。心得ております」
執事のフィランダーが代表して答えた。彼は若いが、ジョンに指導を受けていたこともあり、不慣れな従僕と侍女に的確な指示を出せている。彼にならこの領主館を任せても良さそうだとマリナは思った。
「マリナ姉様、ねむいぃい。抱っこして」
「我慢して、クリス」
「だって、馬車で寝たら置いて行かれるってジュリア姉様が言うんだもん」
後ろからマリナの肩に抱きついたクリスは、ジト目でジュリアを見る。
「ジュリア、幼児に無茶を言わないで」
「言ってないよ。つーか、クリス。私が抱っこしてあげるよ。マリナが重そう」
「やだ。ジュリア姉様硬いんだもん」
「かた……悪かったわね、筋肉質で」
三人のやり取りを使用人達が見守っている。年若い侍女は、背が高い美男子は誰なのだろうと興味津々で、フィランダーに見咎められると目が泳いでいた。
「ああ、この子、弟よ」
「ええっ?クリストファー様……ですか?」
「へへ。すごいでしょ?魔法でこんなになって」
「ジュリア姉様が自慢するの?すごいのは僕なのに」
「はいはい。クリスがすごいの。こんなにイケメンになっちゃってさ!」
頬をつまんでむにっと引っ張ると、クリスは涙目になって再びマリナにしがみついた。
「町の皆には、お父様とお母様……ハーリオン侯爵と侯爵夫人が来ていると言うのよ。代理だなんて知られたら、たった一つしかない領地のエスティアをないがしろにしていると思われても仕方がないわ。私達三人は全権を委任されて来ているの」
「では、私共は、領主様にお仕えするつもりで、皆様にお仕え致します」
「ええ。それでいいわ。……と」
マリナは椅子に座りながらよろめいた。隣から熟睡したクリスの体重がかかってくる。
「手始めにこの子……次期『領主様』を寝室に運んでもらえるかしら?」
侯爵夫人を意識した高貴な微笑を浮かべると、自分の膝に頭を乗せた弟を撫でた。
◆◆◆
王宮の地下牢で、マシューは無表情で横たわっていた。エミリーと過ごした時間を反芻する。現在の状況との対比で、以前より辛く感じるようになった。
「魔法石を追加しましょうか」
「そうだな。数日吸わせなかっただけで、魔力が漲っているだろうからな」
見張りの若い魔導士が指示を仰いだ相手は、満足そうに牢の中のマシューを見た。
「……どうだ、コーノック。久しぶりの牢は」
「……」
エンウィ魔導師団長は口の端に笑みを浮かべた。
「やはりお前にはこの場所が相応しい。平民のくせに六属性持ちだからと重用されて、思い上がることのないように、しっかり躾けてやらねばのう」
「……」
視線だけを声の主に向ける。赤い左目が弱々しく光る。
「なぁに、心配は要らん。お前の教え子はエンウィ家で最高の指導を受けさせてやる」
「エンウィ家……?」
マシューが呟いた時、同時に地下への階段を転がるようにして二人の人間が下りてきた。エンウィ家で魔導士の修業をしている若い宮廷魔導士だ。
「伯爵様!」
「……何だ。ここへは来るなと……」
「一大事でございます!キース様が出奔なさいました!」
「何!?」
「エミリー嬢を連れて行かれたとのことで、これは……」
「使用人達の中には駆け落ちではないかと言う者もおります」
エンウィ魔導師団長
「いい加減なことを申すな。キースの奴、何の不満があるというのだ。追っているのだろうな?」
「はい。従僕を一人連れて、馬車で北へ向かったそうです。その後の情報はまだ入っておりません」
「伝令便を出せ。街道沿いの主要な街にいる魔導士に、キースを捕まえたら褒美をやると言え」
「はっ」
「それから、ザカライアとミュリエルに、例の準備を急げと伝えろ」
「は……準備、ですか?」
「二人を連れ戻したら、すぐに結婚式を挙げさせる。真偽はどうあれ、駆け落ちの噂が出た令嬢を、キースが責任を取って娶るのだ。ハーリオン侯爵とて異存はあるまい」
「畏まりました!」
若い魔導士は礼をして階段を駆け上がる。続いて魔導師団長が出て行き、見張りは彼の背中に向かって礼をした。
「……駆け落ち?」
キン!
積み上げられた灰色の魔法石が一瞬で七色に光り、カタカタと小刻みに震えたかと思うと、吸い取った魔力に耐えきれずに割れていく。
「な、なん……うわぁあああ!」
魔力を受けても壊れないはずの鉄格子がぐにゃりと歪み、石造りの床から表面の『魔法無効化塗装』が剥がれていく。信じられない光景に腰を抜かした見張りの魔導士は、助けを呼ぶこともできずにあわあわと口を動かした。
ゆらりと立ち上がったマシューは、床に転がっている見張りを一瞥すると、
「エミリー……何故だ……」
と聞こえない声で呟き、黒い靄の中に姿を消した。
「初めてお目にかかる者もおりますので、私の方から紹介させていただけませんでしょうか」
若い執事が頭を下げた。彼の後ろには数名の使用人が緊張した面持ちで並んでいる。
ジョンの指示で使用人が一新され、執事と侍女三名、庭師兼従僕三名で領主館を管理することとなり、従僕達は引退を目前にしている高齢の庭師から指導を受けているという。
「私達がこちらに来ていることは内密にお願いしたいわ。皆、領主館で仕事を始めて間もないでしょうけれど、お邸の中のことは他で話してはいけないのよ」
「はい。心得ております」
執事のフィランダーが代表して答えた。彼は若いが、ジョンに指導を受けていたこともあり、不慣れな従僕と侍女に的確な指示を出せている。彼にならこの領主館を任せても良さそうだとマリナは思った。
「マリナ姉様、ねむいぃい。抱っこして」
「我慢して、クリス」
「だって、馬車で寝たら置いて行かれるってジュリア姉様が言うんだもん」
後ろからマリナの肩に抱きついたクリスは、ジト目でジュリアを見る。
「ジュリア、幼児に無茶を言わないで」
「言ってないよ。つーか、クリス。私が抱っこしてあげるよ。マリナが重そう」
「やだ。ジュリア姉様硬いんだもん」
「かた……悪かったわね、筋肉質で」
三人のやり取りを使用人達が見守っている。年若い侍女は、背が高い美男子は誰なのだろうと興味津々で、フィランダーに見咎められると目が泳いでいた。
「ああ、この子、弟よ」
「ええっ?クリストファー様……ですか?」
「へへ。すごいでしょ?魔法でこんなになって」
「ジュリア姉様が自慢するの?すごいのは僕なのに」
「はいはい。クリスがすごいの。こんなにイケメンになっちゃってさ!」
頬をつまんでむにっと引っ張ると、クリスは涙目になって再びマリナにしがみついた。
「町の皆には、お父様とお母様……ハーリオン侯爵と侯爵夫人が来ていると言うのよ。代理だなんて知られたら、たった一つしかない領地のエスティアをないがしろにしていると思われても仕方がないわ。私達三人は全権を委任されて来ているの」
「では、私共は、領主様にお仕えするつもりで、皆様にお仕え致します」
「ええ。それでいいわ。……と」
マリナは椅子に座りながらよろめいた。隣から熟睡したクリスの体重がかかってくる。
「手始めにこの子……次期『領主様』を寝室に運んでもらえるかしら?」
侯爵夫人を意識した高貴な微笑を浮かべると、自分の膝に頭を乗せた弟を撫でた。
◆◆◆
王宮の地下牢で、マシューは無表情で横たわっていた。エミリーと過ごした時間を反芻する。現在の状況との対比で、以前より辛く感じるようになった。
「魔法石を追加しましょうか」
「そうだな。数日吸わせなかっただけで、魔力が漲っているだろうからな」
見張りの若い魔導士が指示を仰いだ相手は、満足そうに牢の中のマシューを見た。
「……どうだ、コーノック。久しぶりの牢は」
「……」
エンウィ魔導師団長は口の端に笑みを浮かべた。
「やはりお前にはこの場所が相応しい。平民のくせに六属性持ちだからと重用されて、思い上がることのないように、しっかり躾けてやらねばのう」
「……」
視線だけを声の主に向ける。赤い左目が弱々しく光る。
「なぁに、心配は要らん。お前の教え子はエンウィ家で最高の指導を受けさせてやる」
「エンウィ家……?」
マシューが呟いた時、同時に地下への階段を転がるようにして二人の人間が下りてきた。エンウィ家で魔導士の修業をしている若い宮廷魔導士だ。
「伯爵様!」
「……何だ。ここへは来るなと……」
「一大事でございます!キース様が出奔なさいました!」
「何!?」
「エミリー嬢を連れて行かれたとのことで、これは……」
「使用人達の中には駆け落ちではないかと言う者もおります」
エンウィ魔導師団長
「いい加減なことを申すな。キースの奴、何の不満があるというのだ。追っているのだろうな?」
「はい。従僕を一人連れて、馬車で北へ向かったそうです。その後の情報はまだ入っておりません」
「伝令便を出せ。街道沿いの主要な街にいる魔導士に、キースを捕まえたら褒美をやると言え」
「はっ」
「それから、ザカライアとミュリエルに、例の準備を急げと伝えろ」
「は……準備、ですか?」
「二人を連れ戻したら、すぐに結婚式を挙げさせる。真偽はどうあれ、駆け落ちの噂が出た令嬢を、キースが責任を取って娶るのだ。ハーリオン侯爵とて異存はあるまい」
「畏まりました!」
若い魔導士は礼をして階段を駆け上がる。続いて魔導師団長が出て行き、見張りは彼の背中に向かって礼をした。
「……駆け落ち?」
キン!
積み上げられた灰色の魔法石が一瞬で七色に光り、カタカタと小刻みに震えたかと思うと、吸い取った魔力に耐えきれずに割れていく。
「な、なん……うわぁあああ!」
魔力を受けても壊れないはずの鉄格子がぐにゃりと歪み、石造りの床から表面の『魔法無効化塗装』が剥がれていく。信じられない光景に腰を抜かした見張りの魔導士は、助けを呼ぶこともできずにあわあわと口を動かした。
ゆらりと立ち上がったマシューは、床に転がっている見張りを一瞥すると、
「エミリー……何故だ……」
と聞こえない声で呟き、黒い靄の中に姿を消した。
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